集中ワークショップは合宿とか旅行に似ている。とりわけ今回は異空間で遠くへ旅した気分。社交的とはとてもいえない自分にとっては、身体やダンスについて興味を同じくする人々に出会い、場をともにできるのもありがたいこと。6日間、強烈で楽しい時間でした。

今日は「1人称」「2人称」「3人称」の意識で動く、というテーマ。

●1人称…「動き」を動く。自分でやる。コントロールがある。まわりからの影響をまったく受けない。時間・空間から完全に遮断されている。見えていない、聞こえていない。宇宙にたったひとり。

●2人称…「あなた」という対象がある。特定の対象にフォーカスする。自分を相手に向けて開く、そこに「愛」が介在する。(※「あなた」という相手を意識すると、「1人称」のときよりも自己がくっきりするように感じられたのが印象的だった。「1人称」の場合はひたすら没入なので)

◎3人称(非人称)…客観される自分。第3者の視点あっての自分。ダンスは必然として「観客をつくる」。「観客」あってのダンス。ダンスには「観客をつくること」が含まれる。目の前にいる観客だけでなく、劇場の外、それを取り巻く世界に向けて発信する。「観客」によってつくられる自分。自分も取り巻く世界の一部であることを意識する。

◎「自分を追い込む」
作品をつくるときに必要な「自分を追い込む」行為とは、どれだけ自分に対して3人称的視点をもてるか、ということ。「どのくらい自分と身体を切り離せるか」3人称=非人称 (non-human) =鉱物。3人称の自分とは新たな生をもつことであって、死ではない。たとえば「鉱物として生きる」というように。

◎3人称の動きの練習→記憶をもちこまない/判断しない/考えるより速い動き。何かに対する反射運動(びっくり、など)のようなもの。何が起こったかわからない、すべてが新しい。判断が入るということは、1人称的動きがあることになる。→ゆっくりした動きでも反射運動と同じ意識で動けるように。

☆ 自分は無限大の意識のなかのひとつ。自分は宇宙に包み込まれている。宇宙のなかにとりこまれた自分。宇宙のひとかけら。それでも自分が欠けたら宇宙は同じ宇宙でなくなる(The world won’t be the same without you)。…ことを忘れないで。ということはつまり「愛」。

最後にour lightをもって全体で植物~人間のやりとりで動いていると、強く支えあう安心が感じられた。たとえソロで踊っていようとも自分はひとりではない。

言葉にすると陳腐であやしい人になってそうでやきもきするが、それでもせめて書き留めないと、と思い書いている。ダンスや身体について自分がこれまであれこれ考え悩んできたことに対して、これから大いにガイドとなりそうな新しい言葉や視点、体系を教わった。本当にパワフル。凄いワークショップだった。どれほど自分のものにできたかはわからないけれど、少なくとも前いたところには戻れないと思う。

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