「エリック・ホッファー自伝―構想された真実」
2012年10月28日 読書HOFFER, Eric(1902-83) アメリカの社会哲学者。ニューヨーク、ブロンクスにドイツ系移民の子として生まれる。父は家具職人。幼少時に失明するが、15歳で突然、視力を回復。18歳で父を亡くし、天涯孤独の身となる。
28歳のとき「今年の終わりに死のうが、十年後に死のうがいったい何が違うというのか」という感覚に襲われ、自殺を図るが未遂に終わる。以来、カリフォルニアを転々としながら季節労働に従事。40歳でサンフランシスコに定住、その後、25年に渡り港湾労働者として働くかたわら、著作を発表した。
62歳から晩年に渡り、カリフォルニア大学バークレー校に招かれ政治学を講じた。ホッファーは正規の学校教育は一切、受けなかった。つねに社会の最底辺に身を置き、働きながら読書と思索を続け独自の思想を築き上げた「沖仲士の哲学者」として知られる。
下記、引用は標題書(中本義彦訳 作品社)より:
(雇用主である農場主が、身を落ち着けないホッファーに「将来が不安ではないのか」と尋ねたことに対し)
「信じられないでしょうが、私の将来はあなたの将来よりずっと安全です。あなたは農場が安全な生活を保障してくれると考えています。でも革命が起こったら、農場はなくなりますよ。一方、私は季節労働者ですから、何も心配することはありません。通貨と社会体制に何が起ころうが、種まきと取り入れは続くでしょうから、私は必要とされます。絶対的な安全が欲しいなら道楽者になって、季節労働者として生計を立てる方法を学ぶべきでしょうね」
*この裕福な農場主は、後に遺言で芸術活動に対する奨励金と、浮浪者のための宿泊施設を設置・維持するための寄付を行った。
「人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する。「神は、力あるものを辱めるために、この世の弱きものを選ばれたり」という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する。弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりもはるかに強いエネルギーを放出する。明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。弱者の影響力に腐敗や退廃をもたらす害悪しか見ないニーチェやD.H.ロレンスのような人たちは、重要な点を見過ごしている。」
「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠のよそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」
巻末のインタビューより:
「私のいう仕事とは、生計を立てるためにする仕事のことではありません。われわれは、仕事が意義あるものであるという考えを捨てなければなりません。この世の中に、万人に対して、充実感を与えられるような意義のある職業は存在していないのです。自分の仕事を意義深いものにしてくれと要求することは、人間の見当違いだと、かつてサンタヤナは言いました。産業社会においては、多くの職業が、それだけを仕上げても無意味だとわかっている仕事を伴っているのです。そういうわけで、私は、一日六時間、週五日以上働くべきではないと考えています。本当の生活が始まるのは、その後なのです」
「私はこれまでずっと、肉体労働をしながらものを考えてきました。すばらしい考えは、仕事をしているときに生まれてきたのです。同僚と話しながらくり返しの多い作業に汗を流し、頭の中では文章を練り上げたものです。引退した途端、この世のすべての時間が転がり込んできました。しかし、自分の頭があまり回らないことに気づいたのです。頭を下げ、背中を伸ばしているのが、何かを考えるには最善の姿勢なのかもしれません。あるいは、魂は、同時に二つの方向に引っ張られることによって、生産的に働くようになるのかもしれません」
就活中の学生ちゃんはこういう本を読んでみるのもいいかもしれない。いわゆる「勝ち組」になりたい人は余計、混乱するかもだけど。私は「とりあえず社会人になる」のはアリ、とする考えだ。結局。社会に出るのに「正解」なんてないんじゃないの。
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