イスラエル・ダンス・ウィークな週末。同国の2大ダンス・カンパニーを続けて観ることに。
冒頭のゆる~い漫談(「僕のゾウがどっかに行っちゃった」とか、あれは何だったんだ?)で期待が高まったところで、アメリカのカンパニー(ピロボラス)とのコラボレーションから生まれた「ラッシュ」。
色を抑えた美術、輪に置かれた椅子にはどこか奇妙な人々に奇妙なムーブメント。コミカルでもしっかり身体を使った動きに見とれてしまう。ダンサーたちは何客もの椅子を巧みに素早く動かしては、次々に舞台の表情を変えていく。アニメーション(ペーター・スラツカ)が映し出されたりの趣向もあり、楽しい!かと思うと、女性ダンサーを肩にかついだ男性が歩む道を次々につくっていく終盤の場面には、「旅の終わり」「終着点」を思わせまた違うトーンを見せた。
休憩をはさんで「ボンビックス モリ」。タイトルは蚕(カイコ)のことだそう。全編に蚕が吐き出す“糸”がモチーフとして多用されている。糸でぐるぐる巻きにされ標本のように留められたり、糸で操られるたり、糸を操ったり、糸の格子に閉じ込められ、もがいたり…。また音の糸=弦楽曲もイメージを重ねて強くする。
さらに連想される繭、幼虫、変身のイメージ。だぶついた皮のような衣装を脱がされて、ダンサーの素足があらわになる、短いシーンだが人の身体って生き生きとしてきれいと思った。
ここがこうでああでこうなって、だからこうしてこうなって…とすっきりわかる、というのではないけれど、私はこういう“何だかよくわからないけど強いイメージや物語の断片”をお持ち帰りできる創作物が大好き。
わかりやすくはないかもしれないけれども…私はこういう作品こそ学校で子どもに、若い人に観てほしいと思った(あまりこういうこといつも考えないけど。学校でダンスやらされてるような子に)。想像力が掻き立てられること!
ダンスを観るって…動きを観たいのではない。動くことで“何か”を見せてほしい、感じさせてほしいのだと改めて思った。(昨日のバットシェバは自分にとってはそれがなかった)。
大好きカンパニーかどうかもまだよくわからないが、わからなさが残るところがいい。観終わってイメージが残るところが気になる。今日、観た強くて変てこりんな画や人々や動きが自分の記憶に蓄積されることを願う。次回、来日しても必ず観に行くと思う、インバルピント。
冒頭のゆる~い漫談(「僕のゾウがどっかに行っちゃった」とか、あれは何だったんだ?)で期待が高まったところで、アメリカのカンパニー(ピロボラス)とのコラボレーションから生まれた「ラッシュ」。
色を抑えた美術、輪に置かれた椅子にはどこか奇妙な人々に奇妙なムーブメント。コミカルでもしっかり身体を使った動きに見とれてしまう。ダンサーたちは何客もの椅子を巧みに素早く動かしては、次々に舞台の表情を変えていく。アニメーション(ペーター・スラツカ)が映し出されたりの趣向もあり、楽しい!かと思うと、女性ダンサーを肩にかついだ男性が歩む道を次々につくっていく終盤の場面には、「旅の終わり」「終着点」を思わせまた違うトーンを見せた。
休憩をはさんで「ボンビックス モリ」。タイトルは蚕(カイコ)のことだそう。全編に蚕が吐き出す“糸”がモチーフとして多用されている。糸でぐるぐる巻きにされ標本のように留められたり、糸で操られるたり、糸を操ったり、糸の格子に閉じ込められ、もがいたり…。また音の糸=弦楽曲もイメージを重ねて強くする。
さらに連想される繭、幼虫、変身のイメージ。だぶついた皮のような衣装を脱がされて、ダンサーの素足があらわになる、短いシーンだが人の身体って生き生きとしてきれいと思った。
ここがこうでああでこうなって、だからこうしてこうなって…とすっきりわかる、というのではないけれど、私はこういう“何だかよくわからないけど強いイメージや物語の断片”をお持ち帰りできる創作物が大好き。
わかりやすくはないかもしれないけれども…私はこういう作品こそ学校で子どもに、若い人に観てほしいと思った(あまりこういうこといつも考えないけど。学校でダンスやらされてるような子に)。想像力が掻き立てられること!
ダンスを観るって…動きを観たいのではない。動くことで“何か”を見せてほしい、感じさせてほしいのだと改めて思った。(昨日のバットシェバは自分にとってはそれがなかった)。
大好きカンパニーかどうかもまだよくわからないが、わからなさが残るところがいい。観終わってイメージが残るところが気になる。今日、観た強くて変てこりんな画や人々や動きが自分の記憶に蓄積されることを願う。次回、来日しても必ず観に行くと思う、インバルピント。
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