wordy

2011年11月9日 EL
久しぶりに部屋を借りて自主練。夕方、英会話へ。先生に課題のエッセーを見てもらうのです。まとまった文章をチェックしてもらうのは初めてで、息詰まる40分。なんか気恥ずかしいですし。

日本語は簡潔明瞭に書くコツは備えているつもりだったが、英語となるとからっきし。「これ要らない」「これも」と弾かれる。ひとつには自分が俯瞰で書けてないせいだと思う(段落でなく、文単位で情報を盛り込んでいるから過剰になる)。それから使う文体が偏ってしまうのは、自分が「日本語で考え、英語に直して」いるからじゃないでしょうか(会話においても言える)。

冗長な文章をとりわけ私は憎む。なのにこれって。もっとなんとかできないものか、書き英語。悔しい。

直して来週また見てもらうことに。ネイティブチェックさまさま。ほんと助かる。すごく真剣に見てくれてた(いんじゃない、とかじゃなく)。ありがとうございます。。。

ここのレッスンは基本的にテキストに沿って進める(マンツーマンなので融通は利く)ので、Teacher’s Guide通りにやればいいはず。

そこからどのくらいふくらませるか、は先生次第。これ前にも書いたかもしれないけれど、この先生のすごいところはクリエイティブであること。単調な感じがしないし、私は話好きなほうではないのにアクティブにするのが上手い。

マニュアル通りにやっとけば先生は楽なのではと思うが、レッスンを「学生とのinteractionにおいて」(これ重要。ひとりで完結しない)クリエイティブにつくると学習の質はそりゃ上がります。学生は楽しいしモチベーションも続く。力のある先生ならクリエイティブにしたほうが自分も楽しいのでは。

これは英語に限らず、何かを教えるとき、あるいは「仕事」そのものについて言えることなのかもしれません。自分で工夫する。ビー・クリエイティブ。きっとそのほうが楽しい。

先週、教わった女性の先生は、会話しながら「知らなかった、あるいは知ってたけど使い方がわからなかった」ネイティブちっくな表現をメモして教えてくれる。彼女も、上記の先生も自分の指導スタイルを持ってる。教わる側として私はそういう先生が好きだし、クールだと思う。そういう人はレッスンの印象が鮮やかなので、次につながりやすい。ダンスと同じで、「教える―教わる」という関係においても、プロとしての役割プラス個性(その人らしさ)が見える先生が私はいいなと思います。

ベースにしている先生は、教師として「自分が何をどういう意図でどうやるか」をいつもしっかり把握しながら教えている、という印象がある。場当たり的でない。「教える」という不定形の行為のなかで、軸があるとやはり違う(安心感がある)。即興で自分がどうやったか覚えてるかどうかに似てる…似てないか。どうだか。ともかく見習うべきところがいっぱい。

買収は是か否か

2011年11月2日 EL
と訊かれても一概に言えない。英会話に行って、企業買収からドーナッツの話まで。楽しいな。ビジネス問題うとい私でもオリンパスのあれは何?と思う。そしてたくさん動画を見た(聴いた)日。

Empty Vessel

2011年10月18日 EL
ある曲ではそのアーティスト自身が音の後ろで制作の背景なんかを延々としゃべってて "I lost interest in music..."とか言ってる。でも音楽は止まらない。

英会話のレッスンで意味は同じだが間接的(礼儀正しい;たとえば上司に対して)~直接的(親しい間柄に対して)の程度の違いによって4種類のフレーズがあり、それを読むように言われて読んでいた。「読むときにニュアンスの違いをイメージしながら読んでみて」と先生に言われたとき、私はそういう練習のやり方があるのは知っていたし、自分でそう人に教えたこともある。だから、そのときはなんとも思わなかった。

でも電車に乗ってなぜかそのことを思い出し、言葉(language)が手段だというのはダンスが手段であるというのと同じで、言葉は単に情報を伝える手段でもあるけれども、気持ちを乗せる器でもあるのだ。ということにふと気づいてひどく驚いた。というのも私は自分でも忘れるくらい長いあいだ、言葉に何も乗せていなかったからだ。

I lost interest in words. I lost expectation for words. 以前の私は言葉にもっと期待を寄せていた。が、ある時点で手放した。言葉の限界に気づき言葉で表現できないことのほうが気になってきたからだった。

一冊まるごと無意味な本を書いたルイスキャロルは天才だと思う。ダンスの凄いところは意味なく成立し得るところだがそこでも弱気な自分はときに意味にとらわれまくる。

私は言葉に期待するのをやめた、というのは私の記憶違いだった。本当は私はそのとき「身体を使うように言葉を使えるようになろう」と思ったのだが、いつしか私はあきらめて空っぽな器のまま無為に言葉を使っていた。

言葉に気持ちが乗ることを忘れるなんてどうかしてる。私に感情がないから乗せるのを忘れていたのだろう。私の感情は怒りの下にある。怒りが外出したら、たぶん出てくる。

リリックでなくても言葉は音楽と同じだ。ダンスとも同じで言葉は表現する手段である。

言葉が表現の手段である、ということを思い出したとき私は世の中にはまだうつくしい瞬間がある、と思った。

自分が書くのでなく、気持ちが書かせるとき文章はいい文章になる。

私はダンスを続けていくのだし、言葉の専門家になるのだから、言葉に対する信頼を自分が取り戻す必要がある。

そのあと行ったブトーの稽古ではとても集中した。私は空間をにらみつけながら、「私がここにきれいなものを出現させてやる」と強く思い、手で軌跡を描いた。世の中にはまだきれいなものがある。

たのしい言語学

2011年10月12日 EL
自主練〜。来月までしばらくお預け。今日はのんびりできた。食ぱんを忘れず買って帰る。なんの変哲もないけどここのは美味しいと思ふ。

荷物を取りに戻ったりしてから英会話へ。私は受講期間中に一冊終えないとキャッシュバックが受けられない宿命(給付金プラン)なのでこの頃は真面目にテキストやっていますが、今日は「need toとhave toはどう違うか(こういう言語トリビアが好き)」から脱線して言語学・心理学の雑談に終始、チョー面白かった。

先生によるとアメリカではどちらもsocial science扱いだそうだが、日本ではどちらも文系学部におかれて「うちらサイエンスなんだけど」と小声で叫んでいるように思える。(臨床)心理学を勉強してた頃、なんか学部に「サイエンス扱いされない負い目」が漂っていたような。

私がいたところでは「言語学」と言えばチョムスキー専門の教授しかおらず、「皆目わからん」と投げてました。が、英会話のこの先生はlinguistで、彼のレッスンを受けるようになってから言語学はすごく面白い、と知る。「はじめての言語学」的な本を買ってみた(けどまだ読んでない)。

英会話についてこの頃思うのは、「コミュニケーションする意志」さえあればなんとかなるんじゃない?ということ。語彙やフレーズを増やすのも役に立つけど、「#言葉で#コミュニケーションしよう」という姿勢さえあれば、極端に言えば中学英語でたいていの局面はなんとかなるのではないか(職業英語スペシャリストについてはまた別の話)。

知らない単語は、より簡単な言葉で説明すればいい。相手が言ってることがわからなかったら、訊けばいいし。間違っていたり、拙かったりしたとしても、英語圏の人は「言葉」になっていれば耳を傾けてくれるように思う。

日本語(母語)は日本人としては無意識に使えるわけで、また日本語は空気や顔色や沈黙など、言葉でないことを読み取ったりする。「非言語」の部分でコミュニケートしている部分が少なくないので、とにかく「言葉で表わす」という姿勢を意識してつくるのはけっこうエネルギーが要る(特に日頃、話好きでもない自分にとっては)。でもそれが習慣として身につくと、「英語で話す」ことの意味あいが変わるというか、楽に、かつ楽しくなる気がします。

役割交換ごっこ

2011年9月27日 EL
英会話に行ったら先生から「君は教えることに興味があるから、先生の役を(ときどき)やらない?」という提案を頂きました。

え、いきなりですか。やってみた。どうだったか感想を訊かれたので「そもそも自分は教わる側なので先生の役(リードする役)をするのはちょっと混乱します」と言うと「一緒に勉強する(Let’s...)、と考えればいいんじゃない」と。

なるほど。「教師-生徒」という役割のどこか中間で、(お互い)レッスンができたらこれは凄く面白いかも。マンツーマンであっても、どうしても「教える→教わる」という一方通行になりがち。そして「教わる側」「生徒」に落ち着いていると、どうしてもパッシブになるのだ。

この役割交換のポイントは、「受動的にならない」「2-wayである」ということ。つまり2人でクリエイティブな時間(学習)にする。

この提案は案外ディープで面白い、のでしばらく考えてみる。しかしこの先生の良いところ(のひとつ)は、教えることを楽しんでいるように感じられること。お仕事だからいろいろあるでしょうが、それでも「お仕事ですよね」と思う人より、楽しんでやっているように思える人に教わるほうが私も楽しいし、気も上がるというものです。ありがたいことです。

=======
その後、ブトー稽古へ。kineticからカウントをつける作業。ブトーにおいてもカウントはつくのだ。カウントをつけると動きが洗練へ向かう(記号化)、と知る。自分で振りを考えるとき実はほとんどやらないことだが、これまたなるほど。今度やってみよう。ためになるわ、と思いながらも頭皮を激しく掻きむしるわたくし。
いつもの先生にも訊いてみたところ、やはりactually などと同様に文の意味を和らげるためのフレーズであって、「はっきり言って」というよりニュアンスとしてはむしろ「実は」だそう。

「"to be honest"と言うからといって、いつも真実を言うとは限らない」のは同意、でもその程度をパーセンテージで表わすのはどうかな、イメージでとらえたほうがいいと思う、とのこと。「たぶん」てどのくらい確かなの?…って数字で出せるものなのか。%表現については私もそう思います。

マンツーマンの指導、というのは語学に限らず理想的な学習法のひとつではないかと思うが(ただし相性が悪い場合は悲惨):

1)真にインタラクティブ(双方向)である
2)教師は学生のニーズや目標、学力に合わせた対応ができる
3)学生の動機づけ(motivate)がしやすい

教師がこういった通信教材やEランにはないマンツーマン指導の利点を意識してうまく生かせているかどうか、というと残念ながら(私が通っているところでは)そうでもない。すごくもったいない、と思う。

思うに私がはりついている先生は↑がなにげにうまくできているから、レッスンが活性化する。インタラクティブといっても先生が設問を出し、学生が答えるという構図だけでなく、こちらの先生は(テキストの課題をやるだけでなく)話をふくらませたり、私が質問するように仕向けたり、なんかいろいろ工夫しているように思います。日本も含めていろんな文化や言語学に詳しいから話が面白いし。「学生から質問する」、パッシブでないというのはポイント。Passive learnerでなく active learnerに育てるというのは凄いことなのだ。先生もレッスンを楽しんでいる、ように感じられるのもいいこと。

違う先生についてみるとわかるけれども…受けとる情報量が違う。感動的に教え方が上手だなと思う。

うそかまことか

2011年8月17日 EL
昼自主練。んーなんかわかってきたかも。

英会話はいつもと違う先生。"To be honest, it isn’t my favorite."という文があり、「これは間接的/直接的表現のどちらか?」という質問。はじめに「はっきり言って(正直なところ)」って言ってるんだから直接的表現、と答えたら違うんだそうだ。

なぜか。私はてっきり"to be honest"=「文字通り、本当のことを言う」と理解していたのだが、実はこの場合のhonest度というのは50~60%くらいであって、このフレーズの機能というのは「本当かどうかを示す」というよりも、後続する文の「前置き」として意味を和らげることにあるのだとか(一種の婉曲表現)。なので件の文の意味は「実を言うと、それあんまり好きじゃない(大キライというわけでもない)」。

びっくり。知らんかった。さらに意味するところの本当らしさ/本気の度合い(honest度)をそれぞれ訊いてみました:
To be honest (60%)
To be perfectly honest (70%; パーフェクトじゃないじゃん…)
To be frank (100% ; 本当に真実を言うとき)

ネイティブスピーカー一人(彼の名誉のために。ちゃんと言語学とか学んだ人)が言うことが英語のすべて、ではないにしても、こういう言葉のナマモノ性(辞書に書いてないこと)を知ることが、まさしく私にとっては英語を母語として使う人から対面で教わる面白さ。わくわくする。

で、この新しい先生、そつなくちゃきちゃき進めて悪くはないんだけど、どういう人なのかよくわからなかった。また受けてみるかもしれない。いつもの先生はレッスン後に内容が印象として鮮やかに残る。ツボを心得てるというか。こういう人はまれで(上から的な言い方であれですが)自分が何をどうやっているかわかってるんだと思う。コンテンツのことでなく、「教える」という不定形の行為について。これができるようになるのはなかなか難しいような(経験とか素質とか)気がする。自分がやった即興の内容をあとで思い出せるかどうか、と似ているような。

これもリベンジ

2011年8月10日 EL
和室を借りるのはいいのだが、冷房に畳のお部屋って快適すぎて普通に寝てしまう。のったりストレッチして終わり、みたいな。はかどらず。しかし暑すぎる。I love タタミ。

3月に受けた英会話のテストを先週、再受験。予想した問題がひとつもなかったし、感触としてめためただったなあ自分、と思ってがっくしきていた。のですが結果が返ってきたらば(これを待ってる時間がすごくイヤ)なんと2レベルUP。自身の目的としては1レベルUPでよかったけど、2コ上がるとすごく嬉しい。

練習を手伝ってくれた先生とハイタッチ。「ダメだった、って言ってたじゃない」て言われたけど、いやほんとにそんな感じしたから。あんなでこの点もらっていいんですか?ともかく、このところ数週間これ肩に背負ってただけに、まずはほっとしている。この後、やらねばいけないこともまだあるけれども、まさしく「困難は分割せよ」だなあ。。

「愛」の重さ

2011年7月27日 EL
英会話でテストの練習ちょっとして(あんまりこれやってると落ち込むので)、トリビアル(どうでもいいよな)QAタイム。「英語人がよく言う"I’m proud of 誰それ"の意味が本当は自分、わかってない気がする」という質問。「誇りに思う(自慢に思う)」と訳されることが多いが、英語でこのフレーズが使われる頻度の高さに対して、日本語ではまず使われないこの堅苦しい訳語がどうもしっくりせず、なんかチガウと長年、気になっていたのだ。「誇りに思う」と言うとなんだか古めかしいというか、連想として軍隊ちっくな感じが私はする。

訊いてみれば、どうもrespect(尊敬する)とか「偉い(立派だ)と思う;よく頑張った」というニュアンスでいいみたい。脱「誇りに思う」!私が違和感をもつのは(今のママパパは知らないけど)、日本では謙遜を表わす慣習として、親は人前で自分の子どもをほめない、というのもあると思う(だから「息子を誇りに思います」という訳文を日本語として変に思うのかもしれない)。

実はshould<had betterという話。逆に覚えがちだが、意味が強いのは後者。shouldに「すべき」という訳語がついてしまったせいで強弱の混乱があるんじゃないかなと思うけど、You should なんとか、と言われても「断ることができる(オプショナル)」そうです。You had better....のほうが、threat(脅し)だとか。

loveはどう思う?と逆に訊かれ、「その概念に対する日本語の訳語はない、と実は個人的に思ってる」と言ったら、「deep!」と先生、笑っていた。「いと(お)しい」はもとから日本にありそうな気がするけど、「愛する(愛している)」て「愛(名詞)」に「スル」をくっつけただけでしょ。これって「メールする」「電話する」と同じような成り立ちでは?西洋から「愛」が輸入されたときに便宜的にできたんじゃないの、というのが単なる私のカンなのだが本当のところはどうなんだろう。それこそ教えて、エライ人。

loveって英語では割とカジュアルに使われるし、頻繁に口にする、と先生。love to...(~したい)とか。「それってもっぱら女性が言うのでは?」とまた訊いたら「そうでもない(男も使う)」そうです。やっぱり言語はすぐ変わり、ものの本に書いてあることを一生、信じていてもいけないのですね。で、やっぱりloveと愛は似て違うものじゃないかなと私は思った。

こういう自分の(日本語に対する)linguistic intuitionと英語とのズレの話って面白い。その前の稽古で良きアイディア浮かぶ。くだらなーい方向に行く気がするけど望むところよ。

drained out

2011年7月20日 EL
ほんとにそんな感じ。来週、受けるスピーキングテストの練習をするものの、やればやるほど干からびる。枯渇する。というか疲れ果てた。なぜこの試験はこうも私をぐったりさせるのか。考えてるとやたら内省的になるし。機械相手にstage frightとか言われるのもくやしい(でも実際そう、いま)。相手するのも疲れたでしょうが、良い(面白い)アドバイスをいろいろ頂きました。
英会話であるやりとりの練習をしていたときのこと。私が何か言うたびに「それはなぜ?なんでそう思うの?」と(言わなくてもわかるじゃん)的なことまで、いちいち講師に「理由」を求められる。

執拗にWhy?と問い詰めてきた先生がレッスン後に「(私が)気を悪くしてないといいけど。英語っていうのはそういう文化だから」とフォロー&説明してくれた。(私は2回に1回はこの人を選んでレッスン受けているけど、こういうところやっぱり上手いと思う。それぞれの言語の文化圏が違う、という変え難い事実を「だから日本人が英語を学ぶのは難しいんだよね、ピリオド」で終わらせるんじゃなくて「それでも英語を学びに来ている日本人」に対して学習にプラクティカルに有効活用できるのがイイ先生と思う)

この先生が「日本では"そういうものだから(That’s the way it is)”と受け入れてしまうようなことでも、英語ではいちいちその根拠を説明するんだよ」と言ったことに私は別な意味で目からウロコ。われわれはいかに多くの物事を「世の中(社会、会社…)ってそういうものだから、言ってもしょうがない」と無言で受け入れていることか!そのことに気づいてすらいなかった。

私は「派遣(非常勤)」という契約単位の働き方が長く、「ウルサイこと言ってるとクライアントに嫌がられる(=契約を切られかねない)」という弱い立場だったので「くっだらない」と思いつつ問いたださないこと山ほどありましたよ。(言って嫌われたりケンカ一歩手前になったこともあるけれども)

「英語において沈黙は金じゃないから!」と教えてくれたのもこの先生。で私はなるたけ「何かしら(なんでも)」英語で言っとくように前よりはなったと思うけどそうすると英語で話すとき日本語で話すときほど考えないで物言ってる気がする。それはどうなのか…。

そのあとブトーに行ってムダに重い空気のなか即興する。踊っているのになぜこんなにリリース(解放)されないんだろう、と思いながら。
日本では「文法的には正しい、でも英語としてなんか変」というような文章が、大量に生成されているものと思われます。しかもそれらの文章は個人の学習場面のみならず市販の教材においてもしばしば目撃されております。

日本語ネイティブとして私も「文法的にはいいけどストレンジ」な文章を今日の英会話レッスンで産出してきたのですが「どこが変なのよ、え?」という私の質問に対する英語ネイティブ講師の説明が「言語として日本語と英語の構造が違うから。それについてはウィキで調べて」だったのはいかがなものか。

私の疑問は1.非ネイティブスピーカーの「正しいけど変」な英語はどの程度許容されうるのか、ということと、平たい話、2.いったいどうすりゃ「文法OK、英語としてナチュラル」な文とそうでない文の見分けをつけ、クールな英語をつくれるようになるのか、ということ。

で、やや落ち込み気味に帰ってきてお風呂で考え続けていたら、疑問その2については自己解決(かも)。ひょっとしたら「あの本」が役に立つのではと思い至る。買ったまま放っておいた「その本」を読んだら続きを書きます。カギは「変換」?
英会話は「マシンガン連射」並の気合で今はやっている(なんでだかバトル姿勢)。「なんとかかんとか」「そうだよねぇ」くらいのゆるさで話ができるといいんですけど。

夜は先週のボラ一同で「反省会」(という名前の打ち上げ)。平均年齢42歳だそうだ。女子の平均を思い切り上げてるのは私、ということは自分でも知ってるそれおっさんから言われたくはない、と思ったり。ということはあれども、この一行はいいコンビネーションだったと思う。おいしいタイ料理とコーヒー。

心理よみもの

2011年5月28日 EL
先週のレッスンで話に出たサイコセラピストの本を、講師の方がわざわざ私物を持ってきて貸してくれた。そのセラピストはたまたま私が師事していた先生がよく引用していた人だったのだが、私は不勉強で「知ってる」とか言った割に深追いしていませんでした。そもそもなんでその話になったんだっけ?ちょっとびっくり。恐縮です。「お返しするまで時間がかかると思いますが…」と言ったけどいいって。がんばって読まねばなりません。たいへんです。足を洗ったつもりなのになぜまた。でもほんっとにテキストやらないと。

お出かけ2つ

2011年5月27日 EL
このスクールにはそういう人はいないんだ…と思っていたんだけど、今日の講師はなんと絵に描いたような「イケメン」先生ではありませんか!「グリー」に出てきそうなさわいナイスガイ。ほんといい人。教え方も悪くないし。しかし先の予定を見たら空いてないので当分会えなさそう。やっぱ人気があるんですかねー。

ここは「固定制」でなく自分の行きたい時間帯のなかで空いている講師を選ぶ、というシステム。いろいろな講師と話すことができるのは良くもあるけど、あまりに人が入れ替わるのも落ち着かないような。んななかで自分で何度も選んでいる人は、やはり「!」と思うような指摘をしてくれる人。そういうのは耳が痛かったりするのでひよって遠ざかったりもするけど、でもまた戻る。

私は初めて会う方には自己紹介することにしている(別にきまりじゃないけど、しないのもそっけない気がして)。でそれやっていると、その回はたいていおしゃべりで終わってしまい、テキストが進まない。今日もそう。その進捗も気になるが、そういうムダな時間も関係と学習においてムダではない気がなんとなくする。

夜は前職で一緒だったハケンのお仲間たちと女子会、というか「お疲れ様会」をしてくれました。ありがとー。あの会社は相変わらずみたいだけど(笑)、久しぶりに会えてみな元気そうでよかった。
英会話の講師は「ザ・アメリカ人」みたいな人で話すペースも速く、ちゃんと私のマチガイも指摘するし(話に熱が入ると忘れる人はいる)「容赦ない」派。NLPはなんだかなーとか、心理学にやけに詳しい、何者?

午後は服薬したので眠くてたまらない。
英会話で「一連のやりとりが終わった、ふー」と思って黙って考えてたら、「何か言わなきゃダメ」と講師に促された。日本人は自分が話しているとき、あるいは話し終わって相手が黙っていても受ける感じとしてはニュートラルだと(私は)思うけれど、英語人にとって沈黙はよくない、のだそうだ。で「なんでよくないのですか?」と訊いたら:

相手の話を受けて、自分が話すことによって
1)「自分が相手の話をちゃんと聴いている」
2)「自分が相手の話に興味を持っている(ex.「それでどうなったの?」と質問するなどして)」
3)「自分が相手を理解しようとしている」

という少なくともこの好意的な3点を相手に対して示せるから、なのだそうだ。今日の講師の説明であって一般論かどうかはわからないけれども、「なるほど~」と思う。あと「相手の話がわからなかったら、黙ってないで訊かないとダメ」。

日本人は沈黙を十重二十重に解釈する(はず)。けれども英語でコミュニケーションする場合はそうでない、のでそういう(沈黙に鈍感な)自分の姿勢に気づかなければならない。前にも書いた気がするけど、こういう文化的な違いを教えてもらうのは大事。(つい忘れるから)

今日の先生は割と何度もレッスン受けてて、自分の目標設定(レッスン代の元をとろうとしている、とも言う)も知ってるので、指摘が細かいというか容赦ない気味ですがありがたいことです。

これは単に自分の仮説というか推論だけど、英語圏の方は「正体がわからない(ナニ考えてるのかわからない)」というのを非常に警戒するような気がする。間違うのを怖れて黙っているより、とにかく開示してるほうが好まれるのでは。

今日は「本当は関心がないけど、やんわり言うためのフレーズ」「商談で今、決断したくないときに引き延ばすためのフレーズ」(笑、だけどほんと)の練習をしました。でも「興味ありません」とはっきり言うのもアリだそうです。て言ってたけど、純日本人としてはキモチとして言いにくい…。

根気と努力

2011年5月7日 EL
雨降り。ついつい夜更かししたり、クスリのせいでとっても眠い。

英会話に行ったら、今日の講師も昨日の方と同様に「語学の習得は時間がかかるし、努力が要る」と真面目に強調していたのが意外で興味深い(ネイティブスピーカーって「英語の勉強は楽しく♪」とか言いそうだから)。二人とも漢字の習得で大変な思いをしておられるようです(てかそこまで習おうとするところが素晴らしい。自分は忘却に任せておる)。

ボキャビルの話してて、「(ただ読むんじゃなく)手で書いて覚えるように!thousand times!て生徒には言ってる」とか超アナログなのが面白かった(でも私もそう思う。そういう手応えに欠けるところが個人的にはeラン教材の信用しにくいところ)。

実家へ行ってしばこと遊び、寝る。

そういえば2千円札

2011年4月27日 EL
ものすごく眠い。午後、英会話のレッスンへ。お金の話になり「何年か前に、2千円札っていうのあったの知ってますか?」って言ったら「知ってる!Cool!」って言ってた。(※うろ覚えだったので調べたら西暦2000年と沖縄サミットの記念に発行、また守礼門も描かれているなど縁の深い沖縄では、普及キャンペーンが行われるなど他の地域に比べ流通しているそうです)私は知らなかったけど「2ドル札」というのもあるのだよ、と教えてくれて、先生はそれもCoolだと言っていた(レアもの好き?)トリビアン英会話。

レッスンではとつとつと話せていたとしても、実際の現場というかシャバでネイティブ・スピーカーズと話すとなると、おそらく日本人とは違う姿勢とか思考とか習慣だのの違いがあり、もっとがつんと気を強くもってないとだめだよね、とか思うとなんかやることいっぱいあるな、と思います。

しゅうかつ

2011年4月22日 EL
しばらく非常勤(派遣なりバイトなり)で働いていたので、おそろしく久しぶりだが「会社説明会」というものに行った(社員・契約・非常勤いっしょくたの募集)。

若手の女性の皆さんはいわゆるリクルートスーツ着用で、およそ年齢倍?の自分はスーツでもなんでもなく、間近で黒スーツちゃんたちを見るのが新鮮で驚く。履歴書も持っていってるのにほぼ同様の内容をその場で書かされるのがとてもめんどくさいがこういうものなのでしょうか?まだ末端の選考にもかかわらず説明に社長みずからお出ましになっていたのもこれまた驚く(大きな会社なのに)。

そのあと一次選考も予定されており、説明を聞いたあとで応募を希望される方はどうぞ、ということだったのだが私は帰りました。実は事前に下調べした時点で「かもなぁ…」と思っていたのだが、説明を聞きながらそこで働くことにより得るプラスマイナスをちくちく考え、つまり労働条件が思っていたより合わないのと、何より社風と「会社の求める人物像」に自分がまるで当てはまっておらず、はまろうとするとかなりストレスになるだろうな、と思い至ったのでやめたのでした。まぁ受けたとしてもどこかの時点でお断りされてた気もじゅうぶんしますけれど。


1 2 3

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索