アニマルハウスホスピタル
2005年7月16日 旅行土曜の午後、友人と燕三条で別れたあと、妹に連絡し駅まで迎えに来てもらう。妹は結婚以来、10年近く新潟に住んでいるのだが、私が一家を訪れるのは初めてだ。
「遊びにきて」と言われていながら、「遠い」というのと、「わざわざ人の幸せを見に行」けるような気持ちのゆとりもなく足を運ばずにいた。自分が足踏みしたままで、どこかここではないところへ出て行けるような気もしなかったから、新しい世界を作った妹の様子を見にいく余裕なんてなかった。はからずも今回やっと近くに来る機会ができたのだが、数年前だったら、それでも寄らずに帰っただろう。
妹一家には動物がいっぱいいる。犬三匹、猫、ハムスター、モルモット各一匹、熱帯魚、それと小学生の姪二匹。上の姪っこは辛口なお年頃、下はひっきりなしに面白いことをやっていて、このひょうきんなDNAはどこからでてきたのだか不思議。
家で商売(どうぶつ病院)をしているので、診察時間中は妹も仕事を手伝い、あいまに住居である二階にあがってくるという調子で忙しい。ばたばたするのが日常らしく、「またママどっか行っちゃったよ」だのぷりぷり文句を言いながらも姪も動物も自由行動(?)している様子。
やっと手があくと、夜はご主人ともどもみんなで外へ食事に行く。おしゃれな洋風懐石みたいなご馳走でした。さらに地元で評判というケーキ屋さんで買ったケーキ(私のはブルーベリータルト)を家に帰って食べる。これが東京のデパ地下なんかよりずっとおいしかった。 われわれが食べてるあいだ、犬たちが必死のアピールをしていた(甘いもの好き)。
姪とお風呂に入り、姪っこの遊びにつきあいやけに長風呂。姪たちは夜更かししてテレビタ〜イム。私は眠くなったので寝るが、夜行性の動物が「寝た?」と様子を見に来てくれる(猫はふすまを開けられるので)。いやいやお構いなく。
翌日は病院もお休みなので、ご主人も一緒にみなで河下りに行く。この船の船頭さんが「ジャングルクルーズ」のガイドさんみたいな解説をつけてくれるのだ(ちょっと大人バージョン)。お昼にそばを食べて、別な川で少し遊ぶ。ホームセンターに寄ってしばこのおみやげも買い、駅まで送ってもらい私は新幹線で東京へ。
デリケートな仕事で忙しいのに、仕事のストレスやいらいらを家にもちこまないご主人。ちゃんと子どもたちにも関わる。できた旦那さんだ。妹も忙しくしながら、リラックスした家庭をつくっている。家のなかは片付いているとは言えずごちゃごちゃだけど、家族の写真がいっぱい飾ってあったり、楽しい雰囲気。子どもとスキンシップもちゃんとあるし。同じ家庭に育ったのに、力を抜いて、明るい家庭をつくっている妹になんというか素直に感心した。楽してできることじゃないだろうけどすごいな。自分とはまったく違う妹の健やかさ加減、それをニュートラルに見る自分のいる場所を淡々と確認。
「遊びにきて」と言われていながら、「遠い」というのと、「わざわざ人の幸せを見に行」けるような気持ちのゆとりもなく足を運ばずにいた。自分が足踏みしたままで、どこかここではないところへ出て行けるような気もしなかったから、新しい世界を作った妹の様子を見にいく余裕なんてなかった。はからずも今回やっと近くに来る機会ができたのだが、数年前だったら、それでも寄らずに帰っただろう。
妹一家には動物がいっぱいいる。犬三匹、猫、ハムスター、モルモット各一匹、熱帯魚、それと小学生の姪二匹。上の姪っこは辛口なお年頃、下はひっきりなしに面白いことをやっていて、このひょうきんなDNAはどこからでてきたのだか不思議。
家で商売(どうぶつ病院)をしているので、診察時間中は妹も仕事を手伝い、あいまに住居である二階にあがってくるという調子で忙しい。ばたばたするのが日常らしく、「またママどっか行っちゃったよ」だのぷりぷり文句を言いながらも姪も動物も自由行動(?)している様子。
やっと手があくと、夜はご主人ともどもみんなで外へ食事に行く。おしゃれな洋風懐石みたいなご馳走でした。さらに地元で評判というケーキ屋さんで買ったケーキ(私のはブルーベリータルト)を家に帰って食べる。これが東京のデパ地下なんかよりずっとおいしかった。 われわれが食べてるあいだ、犬たちが必死のアピールをしていた(甘いもの好き)。
姪とお風呂に入り、姪っこの遊びにつきあいやけに長風呂。姪たちは夜更かししてテレビタ〜イム。私は眠くなったので寝るが、夜行性の動物が「寝た?」と様子を見に来てくれる(猫はふすまを開けられるので)。いやいやお構いなく。
翌日は病院もお休みなので、ご主人も一緒にみなで河下りに行く。この船の船頭さんが「ジャングルクルーズ」のガイドさんみたいな解説をつけてくれるのだ(ちょっと大人バージョン)。お昼にそばを食べて、別な川で少し遊ぶ。ホームセンターに寄ってしばこのおみやげも買い、駅まで送ってもらい私は新幹線で東京へ。
デリケートな仕事で忙しいのに、仕事のストレスやいらいらを家にもちこまないご主人。ちゃんと子どもたちにも関わる。できた旦那さんだ。妹も忙しくしながら、リラックスした家庭をつくっている。家のなかは片付いているとは言えずごちゃごちゃだけど、家族の写真がいっぱい飾ってあったり、楽しい雰囲気。子どもとスキンシップもちゃんとあるし。同じ家庭に育ったのに、力を抜いて、明るい家庭をつくっている妹になんというか素直に感心した。楽してできることじゃないだろうけどすごいな。自分とはまったく違う妹の健やかさ加減、それをニュートラルに見る自分のいる場所を淡々と確認。
7月のうつうつ会延長版
2005年7月15日 旅行今月のうつ会は遠出して新潟で行った。というのも3月に旅立ったうつ友のお参りをするためである。金曜の午後、新幹線で燕三条へ、それから車を借りて田の浦まで走る。といっても私は紙ドライバーなので、運転はもっぱら友人がしてくれた。田の浦で泊まったホテルは、部屋からも温泉からも日本海が見える。すいていたせいか二人なのに8人くらい泊まれそうな大きな部屋に通してくれた。夕食はカニをはじめ海の幸がたくさん、今年のシーフードはこれで終了!と思うくらい海のご馳走が並べられ、2時間かけても食べ終わらないほどだった。もちろん温泉にもゆっくりつかって、お肌つるつる〜になった。これがずっと続けばねえ。
翌日は友人のお母様と待ち合わせ、寺へと向かう。山間の寺、と聞いていたのでうっそうとした、暗い場所を想像していたのだがさにあらず、四季折々の彩りが楽しめそうな手入れの行き届いた庭に、建物も新しく、また海にも近く開けた感じのする明るいお寺だった。街なかではこのような場所は望めないだろう。親類縁者のいない人でも寂しい思いをせずにすむような「集合墓所」もあり、私もここに入ろうかな…という気持ちにもなった(縁者はいますが)。友人の休む場所がこのように自然と開放感に恵まれた環境であることを知って、そして後述のようにお母様や友人と話せたのは刺激もあるが恵みであった。
お参りをして、友人の写真を持ってきてくださったお母様が、近くにあるワイナリーなど案内してくださりその道すがらいろいろ話す。当然といえば当然だが、お母様の話す「娘」のストーリーと、私が持っている「友人」である彼女のストーリーは違う。あまり自分のことを話さない人だったが、自分はどのくらい彼女のことを知っていると言えるのか。私は知ったような気になっていたのではないか。傲慢だと思う、自分。彼女のことを知ったような気で、あれこれ言ってみていたが、届くものはなかったか、的外れなものばかり投げていた。
でも彼女の人生の問題である以上、ある一時だけ踏みこんで、あとは自分でやってね、というふうにはできなかった。私は彼女を「ベテラン」と思っていたから、踏みこめ(ま)なかったし、その流れで言うなら彼女の行為は、彼女らしい選択として受け入れるほかない、ということになる。旅行から帰ったあとも同行した友人といろいろ話し、そのようなところに落ちつくのだが、自分のなかではまだ完全に収拾がついたわけではなく、つかめていない感情や、いろいろなクエスチョンマークが残っている。親しい人をなくすという体験がどういうものなのか、よくわからない。
(正直に言えば、恵みというより、刺激なのかな。その後、この旅行で私はちくちく刺されるところがあったらしく、友人に聞いてもらい別に思うところ・感じるところもでてきて、そのあたりは二十日の日記に書いてある。なので今はちょっと違う思いもあるけどこれはこれで残しておく。風通しのよいお寺だったけど、自分はまだ風通しよくないのだろう)
翌日は友人のお母様と待ち合わせ、寺へと向かう。山間の寺、と聞いていたのでうっそうとした、暗い場所を想像していたのだがさにあらず、四季折々の彩りが楽しめそうな手入れの行き届いた庭に、建物も新しく、また海にも近く開けた感じのする明るいお寺だった。街なかではこのような場所は望めないだろう。親類縁者のいない人でも寂しい思いをせずにすむような「集合墓所」もあり、私もここに入ろうかな…という気持ちにもなった(縁者はいますが)。友人の休む場所がこのように自然と開放感に恵まれた環境であることを知って、そして後述のようにお母様や友人と話せたのは刺激もあるが恵みであった。
お参りをして、友人の写真を持ってきてくださったお母様が、近くにあるワイナリーなど案内してくださりその道すがらいろいろ話す。当然といえば当然だが、お母様の話す「娘」のストーリーと、私が持っている「友人」である彼女のストーリーは違う。あまり自分のことを話さない人だったが、自分はどのくらい彼女のことを知っていると言えるのか。私は知ったような気になっていたのではないか。傲慢だと思う、自分。彼女のことを知ったような気で、あれこれ言ってみていたが、届くものはなかったか、的外れなものばかり投げていた。
でも彼女の人生の問題である以上、ある一時だけ踏みこんで、あとは自分でやってね、というふうにはできなかった。私は彼女を「ベテラン」と思っていたから、踏みこめ(ま)なかったし、その流れで言うなら彼女の行為は、彼女らしい選択として受け入れるほかない、ということになる。旅行から帰ったあとも同行した友人といろいろ話し、そのようなところに落ちつくのだが、自分のなかではまだ完全に収拾がついたわけではなく、つかめていない感情や、いろいろなクエスチョンマークが残っている。親しい人をなくすという体験がどういうものなのか、よくわからない。
(正直に言えば、恵みというより、刺激なのかな。その後、この旅行で私はちくちく刺されるところがあったらしく、友人に聞いてもらい別に思うところ・感じるところもでてきて、そのあたりは二十日の日記に書いてある。なので今はちょっと違う思いもあるけどこれはこれで残しておく。風通しのよいお寺だったけど、自分はまだ風通しよくないのだろう)
にいはお。上海3泊4日の旅より帰りました。
自分、おくびょうで、ちまちましてるよ。もっとおおざっぱでいいんだな。大まかでいいから、ざくざく進もう。自分に自信をもって、欲深いままでいよう。そしてもっと野心をもって、アグレッシブになっていい…私はめんどくさがりもあって、旅行もたまにしかしないけれど、久しぶりに外国へ行って刺激を受けると、自分のなかに沈殿していたこんな声もすくいあげることができたんでした。よし!
自分、おくびょうで、ちまちましてるよ。もっとおおざっぱでいいんだな。大まかでいいから、ざくざく進もう。自分に自信をもって、欲深いままでいよう。そしてもっと野心をもって、アグレッシブになっていい…私はめんどくさがりもあって、旅行もたまにしかしないけれど、久しぶりに外国へ行って刺激を受けると、自分のなかに沈殿していたこんな声もすくいあげることができたんでした。よし!
Suica在上海 おまけ
2005年6月5日 旅行書ききれなかった―でもlast but not leastの―あれこれです。
● スターリン goes to 上海
上海には高層建築がとても多い、そして今なお「ばかすか」と建築中。泊めて頂いたマンションの部屋からも向かいに高層マンションが見え、その屋上に長くゆるやかな、優美なすべり台のようなものがついている。あれは何かと物識りFさんに問うと「スターリン様式」とのこと。私はこの唐突な飾りをかぶせた「スターリン様式」なるものが非常に気に入り、「スターリン様式」in上海と思われるビルに執着して写真を撮ったりしました。
もともとロシア建築でいう「スターリン様式」とは、「社会主義国家建設という大事業に対する感動と誇り」を市民に抱かせるという効果をねらうという含みがあるのだとか。モスクワ市内に建てられたスターリン様式の7つの高層ビルはやたらでかくて、過剰に威圧的な印象を与えるもの。そのうちの一つである外務省ビルはスターリンの鶴の一声で急きょ尖塔がくっつけられ、「鎌とハンマー」(プロレタリアートの象徴)の彫像がついている、というわかりやすい造り。要するに社会主義の明るい未来をその図体で知らしめるという目的があったのでした。
一方、「上海スターリン様式」(これは私が勝手に命名)は、荘厳さはまるでなく、てっぺんにとってつけたような(実用目的のない)飾りがついたもので、お茶目な風情が特徴。何かを訴えたい、というより「物足りないからつけてみました」感が漂うように思います。もっともだんだん「上海スターリン」と「アールデコ」の区別が私はだんだんわからなくなってきましたが。ムダといえばムダかもしれないけど、ムダな飾りでもついてると人に場所を説明するとき楽ですね。
(※参考 「ロシア建築案内」 リシャット ムラギルディン (著), TOTO出版 2002/11: また以下のサイトにスターリン様式建築の画像があります http://rossiya_david.tripod.com/id22.htm とか http://hyodo.cocolog-nifty.com/photos/stalin/)
●ビオテルム loves 金城武
タクシーに乗っていると友人が太平洋百貨(「上海OL御用達デパート」なんだって)に発見した巨大な広告を「金城君じゃない?」と言うので見ると、やけに若々しいので「どっかの若手韓流スターでしょ」といったんは流した罰当たりな私ですが、近寄ってよく見れば果たして金城武でした。いくらでもリセットできるカネシロ…何事もなかったかのようにすがすがしいっ!金城武は男性化粧品のトップブランド ビオテルム・オムの中国地区イメージキャラクターに採用され、私たちが太平洋百貨を通りがかったとき、ちょうどプロモーションの最中でビオテルム・オムのブースが設置され、撮影時のクールなメイキングビデオなどが上映されていました。日本では展開されないようなので、ここで出くわして本当にラッキー。キャンペーンガールにお宝パンフレットをもらいました。ここでも写真を撮りましたが、自分かなりうれしそう(笑)。
(「あさかぜ」さんのサイトから情報を頂きました。キャラクター採用の背景など詳しくのっています。http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=23473&)
● スターリン goes to 上海
上海には高層建築がとても多い、そして今なお「ばかすか」と建築中。泊めて頂いたマンションの部屋からも向かいに高層マンションが見え、その屋上に長くゆるやかな、優美なすべり台のようなものがついている。あれは何かと物識りFさんに問うと「スターリン様式」とのこと。私はこの唐突な飾りをかぶせた「スターリン様式」なるものが非常に気に入り、「スターリン様式」in上海と思われるビルに執着して写真を撮ったりしました。
もともとロシア建築でいう「スターリン様式」とは、「社会主義国家建設という大事業に対する感動と誇り」を市民に抱かせるという効果をねらうという含みがあるのだとか。モスクワ市内に建てられたスターリン様式の7つの高層ビルはやたらでかくて、過剰に威圧的な印象を与えるもの。そのうちの一つである外務省ビルはスターリンの鶴の一声で急きょ尖塔がくっつけられ、「鎌とハンマー」(プロレタリアートの象徴)の彫像がついている、というわかりやすい造り。要するに社会主義の明るい未来をその図体で知らしめるという目的があったのでした。
一方、「上海スターリン様式」(これは私が勝手に命名)は、荘厳さはまるでなく、てっぺんにとってつけたような(実用目的のない)飾りがついたもので、お茶目な風情が特徴。何かを訴えたい、というより「物足りないからつけてみました」感が漂うように思います。もっともだんだん「上海スターリン」と「アールデコ」の区別が私はだんだんわからなくなってきましたが。ムダといえばムダかもしれないけど、ムダな飾りでもついてると人に場所を説明するとき楽ですね。
(※参考 「ロシア建築案内」 リシャット ムラギルディン (著), TOTO出版 2002/11: また以下のサイトにスターリン様式建築の画像があります http://rossiya_david.tripod.com/id22.htm とか http://hyodo.cocolog-nifty.com/photos/stalin/)
●ビオテルム loves 金城武
タクシーに乗っていると友人が太平洋百貨(「上海OL御用達デパート」なんだって)に発見した巨大な広告を「金城君じゃない?」と言うので見ると、やけに若々しいので「どっかの若手韓流スターでしょ」といったんは流した罰当たりな私ですが、近寄ってよく見れば果たして金城武でした。いくらでもリセットできるカネシロ…何事もなかったかのようにすがすがしいっ!金城武は男性化粧品のトップブランド ビオテルム・オムの中国地区イメージキャラクターに採用され、私たちが太平洋百貨を通りがかったとき、ちょうどプロモーションの最中でビオテルム・オムのブースが設置され、撮影時のクールなメイキングビデオなどが上映されていました。日本では展開されないようなので、ここで出くわして本当にラッキー。キャンペーンガールにお宝パンフレットをもらいました。ここでも写真を撮りましたが、自分かなりうれしそう(笑)。
(「あさかぜ」さんのサイトから情報を頂きました。キャラクター採用の背景など詳しくのっています。http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=23473&)
Suica在上海 その四
2005年6月5日 旅行午後の帰国便までがつがつと観光するべく、家で朝ご飯にちまきを食べて出発。地下鉄に乗って人民広場で降りて歩くと、大きな劇場(「上海大劇院」)があった。近々、リヨンのバレエ団公演のお知らせがでていて、演目が私の好きなキリアン。記念にポスターの前でお写真を撮る(観に行けないけどさ)。そこからちまちました商店がごっそり集まっている場所を見にいくが、目当ては石屋。ざっくり半分に割られた何キロもあるようなアメジスト、台座の上に石が五芒星のかたちに並べられたもの、内側がなぜか朱色のオベリスク型の水晶などから、アクセサリー類までいろいろ。何も買わなかったけれど、本当にごっつい、中国四千年の何かに効きそうな(…何?)やつはどこか他の場所にあるのではないかという気もしました。それからバンドへ行き、XINYUAN TEA HOUSEでお茶を買う。日本語の上手な超かわいいお姉さんが次から次へといろんな種類のお茶を淹れてくれる。私は新茶だという「野生苦丁茶」を買う。肝臓・腎臓に良いそうです。茶葉のグリーンがとてもきれいなので、帰ったらこれ用に耐熱ガラスのコップを買おう。このお茶はちょっと高いが、友人はここの得意客なのでまけてもらえました。
ランチを食べてまたニュートラルな道を通って空港へ。今回は友人カップルのおかげで、手取り足取りお世話していただき、私は赤子以上に何もせず、旅行を安心して楽しませてもらうことができたのでした。私は何で恩返しすればいいやら、はた織りでもするしかないかしら。もらったものはいろいろあるけれど、何よりも活気のある外国に触れ、元気のもとをもらえたように思うのでした。
ランチを食べてまたニュートラルな道を通って空港へ。今回は友人カップルのおかげで、手取り足取りお世話していただき、私は赤子以上に何もせず、旅行を安心して楽しませてもらうことができたのでした。私は何で恩返しすればいいやら、はた織りでもするしかないかしら。もらったものはいろいろあるけれど、何よりも活気のある外国に触れ、元気のもとをもらえたように思うのでした。
Suica在上海 その二
2005年6月3日 旅行午前中から豫園へ行く。「楽しい園」という意味の豫園は、明代の私庭園であり、細工の施された楼閣や味わいのある奇岩を楽しむことができる。私好みの「龍壁」があり、これは龍が壁の上に庭園をぐるりと囲むようにうねっていて、立派なお頭もついているというもの。龍フェチとしてはここで写真を撮らずにはいられません。
近くにあって大人気の「南翔饅頭店」で小龍包とビールを頼む。この店は六本木ヒルズにも入っているとか。一息ついておいしい…。混み混みで相席(というか自ら席を探して座るシステム)ですが、私たちのテーブルで同席したアルゼンチンから来たという(そんな遠くからねえ)イケメン兄ちゃんは、話をするとあちこち外遊しているらしく、お金持ちのご子息なんでしょうか。しかし彼に今日の「オーダー運」はなかったらしく、私たちが食べ終えてもまだ小龍包待ちでした。彼は食事にありつけるのかと軽く案じつつもお先にさようなら。
豫園近くにたくさんある商店でおみやげにシノワズリ風ティッシュケースをまとめて買う。F氏が値切り倒してくれ、某ブランドの値段に比べて10分の1以下の値段にしてもらえました。ぱちぱち。さらに端数を値切ろうとすると店の売り子さんは「ジュウブンヤスイヨー」と泣きそうになっていたよ。その後小さいデパートみたいなところで、ヘビだのナマコだの?迫力ある素材から陳列されている漢方薬ショップを見たり、結婚式のデコレーションや引き出物を扱っているらしい店を眺めたりした。後者では、いかにもの中華的祝事美のセンスがわかります。
それから淮海中路へ。このショッピング・エリアにはオーダーもできる洋装店がいくつかあり、友人は東京の夏にもぴったりの、かわいいチャイナドレス風のワンピースをお買い上げ。ばりばりの華麗な「マダム・ヤン」風ドレスについ目が行ってしまいますが、あとあとを考えるとこういう日本でも着れるテイストのものを求めるのが賢いでしょう。ドレスに合わせて生活変える、という道もなくはないですが。私も試着してみたものの、違う色合いを考えていたので即断できずとりあえずやめ。花園飯店(オークラガーデンホテル上海)も近くにあり、そこの三越で小物など見る。こちらで売られている携帯ケースは何かと思うくらい「ちいさっ!」 中国の携帯は小さいのです。
ワンピースにお着替えし、夜は食事もかねて外灘へ。英語でバンド(Bund)とも言うこの地区は、上海が租界であった頃の中心地で、由緒ある建築物と対岸の近代的な高層建築のコントラストに妙があり、ライトアップされた夜景が美しい場所。フェリーに乗って渡り、Seafood Palace(そんなような名前)で食事。友人のお勧め「蟹粉扮豆腐」(蟹の卵と豆腐の炒め物)やひらめの蒸し煮、帆立と野菜の炒め物などを頂く。
涼しくなった夜の街を散歩しつつ、グランド・ハイアット・上海へ。高層ビルの53〜87階を占める超高級ホテルで、目が回りそうなアトリウム(吹きぬけ)が有名でよくガイドブックなどに写真が載っています。宿泊客でなくても、85階からこの吹き抜けのくらくら感を楽しむことができますが、上から見ると各階にある手すりについた、ちょっとでっぱった小さい展望台のようなコーナーが微妙にずらして配置されているのがわかり、スパイラルがつくる効果に余計に吸いこまれそうになります。自分のチビフィルムカメラでもアトリウムを撮ってみたけれど、「良いボディに良いレンズ」が必要だということが後で非常によっくわかりました。かわゆい東方明珠タワーなど、見事な夜景も(宿泊客でもないのに)ここで楽しみ、上海の夜景を満喫したところで、今日はおしまい。
近くにあって大人気の「南翔饅頭店」で小龍包とビールを頼む。この店は六本木ヒルズにも入っているとか。一息ついておいしい…。混み混みで相席(というか自ら席を探して座るシステム)ですが、私たちのテーブルで同席したアルゼンチンから来たという(そんな遠くからねえ)イケメン兄ちゃんは、話をするとあちこち外遊しているらしく、お金持ちのご子息なんでしょうか。しかし彼に今日の「オーダー運」はなかったらしく、私たちが食べ終えてもまだ小龍包待ちでした。彼は食事にありつけるのかと軽く案じつつもお先にさようなら。
豫園近くにたくさんある商店でおみやげにシノワズリ風ティッシュケースをまとめて買う。F氏が値切り倒してくれ、某ブランドの値段に比べて10分の1以下の値段にしてもらえました。ぱちぱち。さらに端数を値切ろうとすると店の売り子さんは「ジュウブンヤスイヨー」と泣きそうになっていたよ。その後小さいデパートみたいなところで、ヘビだのナマコだの?迫力ある素材から陳列されている漢方薬ショップを見たり、結婚式のデコレーションや引き出物を扱っているらしい店を眺めたりした。後者では、いかにもの中華的祝事美のセンスがわかります。
それから淮海中路へ。このショッピング・エリアにはオーダーもできる洋装店がいくつかあり、友人は東京の夏にもぴったりの、かわいいチャイナドレス風のワンピースをお買い上げ。ばりばりの華麗な「マダム・ヤン」風ドレスについ目が行ってしまいますが、あとあとを考えるとこういう日本でも着れるテイストのものを求めるのが賢いでしょう。ドレスに合わせて生活変える、という道もなくはないですが。私も試着してみたものの、違う色合いを考えていたので即断できずとりあえずやめ。花園飯店(オークラガーデンホテル上海)も近くにあり、そこの三越で小物など見る。こちらで売られている携帯ケースは何かと思うくらい「ちいさっ!」 中国の携帯は小さいのです。
ワンピースにお着替えし、夜は食事もかねて外灘へ。英語でバンド(Bund)とも言うこの地区は、上海が租界であった頃の中心地で、由緒ある建築物と対岸の近代的な高層建築のコントラストに妙があり、ライトアップされた夜景が美しい場所。フェリーに乗って渡り、Seafood Palace(そんなような名前)で食事。友人のお勧め「蟹粉扮豆腐」(蟹の卵と豆腐の炒め物)やひらめの蒸し煮、帆立と野菜の炒め物などを頂く。
涼しくなった夜の街を散歩しつつ、グランド・ハイアット・上海へ。高層ビルの53〜87階を占める超高級ホテルで、目が回りそうなアトリウム(吹きぬけ)が有名でよくガイドブックなどに写真が載っています。宿泊客でなくても、85階からこの吹き抜けのくらくら感を楽しむことができますが、上から見ると各階にある手すりについた、ちょっとでっぱった小さい展望台のようなコーナーが微妙にずらして配置されているのがわかり、スパイラルがつくる効果に余計に吸いこまれそうになります。自分のチビフィルムカメラでもアトリウムを撮ってみたけれど、「良いボディに良いレンズ」が必要だということが後で非常によっくわかりました。かわゆい東方明珠タワーなど、見事な夜景も(宿泊客でもないのに)ここで楽しみ、上海の夜景を満喫したところで、今日はおしまい。
Suica在上海 その一
2005年6月2日 旅行会社を少し早退して、友人と空港行バス乗り場で待ち合わせて会う。夜8:30の便で3時間、1時間の時差のある上海に着く。空港にはお世話になる、友人のパートナーであるF氏がお出迎え。空港から市内へ向かう道というのは、どこの国でもよく似ているように思う。異邦人にその土地に慣れるための猶予期間を与えるかのようにニュートラル。
私は友人とパートナー氏が借りている外人仕様の大きなマンションのゲストルームを借りてお泊まりし、身も心も言葉も現地人のような彼と、パスポートが中国のはんこ(?)で真っ赤になっている彼女から、私はこれから手取り足取りのお世話を受けることになるのです。お部屋は32階にあり、自分史上最上階で眠ることになる。窓から見える夜の上海は高層建築が雨後の筍のごとくにょきにょきと建っているのにまず驚かされる。夜食を頂くともう深夜。夜景がビューティフルな部屋にて、ではおやすみぃー。
私は友人とパートナー氏が借りている外人仕様の大きなマンションのゲストルームを借りてお泊まりし、身も心も言葉も現地人のような彼と、パスポートが中国のはんこ(?)で真っ赤になっている彼女から、私はこれから手取り足取りのお世話を受けることになるのです。お部屋は32階にあり、自分史上最上階で眠ることになる。窓から見える夜の上海は高層建築が雨後の筍のごとくにょきにょきと建っているのにまず驚かされる。夜食を頂くともう深夜。夜景がビューティフルな部屋にて、ではおやすみぃー。
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