駅で大きなトランクを転がしている人をたくさん見かけた。成田は帰国ラッシュ、というのを実感。東京はあいにくの雨。代官山へ髪をカットしにいったら、お店の人が「連休中はこの辺も人出がすごかった」と言う。今日はそうでもない。まったり。CDを4枚も買ってしまった。そのなかの1枚がこれ←(idoly chips/Twoth  power shovel audio 2006/02/27)。完全にジャケ買い。モデル犬でもなんでもないような柴犬がカメラに向かって素で吠えているようなこの写真が最高にキュートだ。なかみはまだ聴いてません(スミマセン)。

夜、NHKの自然ドキュメンタリー「プラネット・アース」(BBCとの共同製作)を観た。なにげにすごい番組。アフリカゾウって改めてよく見ると、不思議なかたちだ。彫刻みたいで美しい。というか人間って動物の造型としてはかなり貧弱だよなあ…と思った。
"People are strange when you’re a stranger"という一節のある、ドアーズの「まぼろしの世界(People are strange)」という曲。なぜか聴きたくなって、会社の帰りに買って帰った。

感謝したその翌日はネガティブに振られていた。まあそういうものよね。これはネガティブでもなくニュートラルに感じることなのだが、マスメディアが報じること、宣伝すること、騒いでいること、またそこで演じられていること、歌われていること…の意味がわからなくなっている。なぜこれらが文字になったり、ことさら大声で言いたてられたりしているのか、なぜなのか。

電車の中吊り広告、太字で書かれている見出しはそんなに重要なことなのか、それらが重要だとするとこの社会はなんなのか。いろんなことが遠い。

ここ日本の東京は、わたしが生まれ、住むところ。わたしはストレンジャーではないはずなのに、世界がストレンジなのはなぜなのか。

ドアーズなんて、今までちゃんと聴いたことはなかったのに、うちで聴いてみたら、もう30年以上も前のこの音楽はストレンジでなくなぜか気持ちに沿うのだった。ここにきて、わたしは自らストレンジャーになることを選ぼうとしている…という気もして、畳のうえに這いつくばってにんまりとする。
トリビュート・アルバムがよく店頭にあるので試聴してみたが、カバーすることによって「新しい価値を加える」ふうでもなかったので、家にあったオリジナルを聴きました(←スライ・アンド・ザ・ファミリーストーン「暴動」)。アレサ・フランクリンも聴きました。というわけで黒い日曜日。

昨日の日記に書いた「長い長いお医者さんの話」(カレル・チャペック/中野好夫訳)を図書館で借りた。運良くハードカバーのほうがあった。魔法使い、郵便屋さん、妖精、カッパ、七つ頭の怪物などなどが登場する9編のおとぎばなし。ひとつの物語のなかに、物語がいくつも含まれていたりするので、子どもの頃は本当に「長い長い」お話を読んでいるような気になったものだった。初版1962年のこの本は、もとが外国語ということをまったく感じさせない訳もすばらしい。「ヤカマシ小僧」とか「ヒョウロク玉のオタンチン」だとか、素敵。

日曜日なので街なかが混み混み。「日用品を買って早く帰るのだ」と思いつつ、図書館の近くの雑貨屋さんで春らしいブラウスも2枚買った。
行ってきた。あらかじめ予想されたように年齢高めの客、若い人もわりといたかな。
「ポール・ウェラー」とは:

1958〜.1970年代に3ピース・モッズ・バンド「ザ・ジャム」でデビュー,80年代にはソウル,ジャズなどもとりいれたスタイリッシュな「ザ・スタイル・カウンシル」を結成,その後ソロに転向,その作品は常に高い評価と幅広い世代からの強い支持を受け続ける英国のロック歌手。

リーダーズ英和辞典風にまとめてみました(たとえ載ったとして、どれほどの大スターであろうとも、生没年プラス「英のロック歌手」で説明終わり、と思われる)。

私が最後にポール・ウェラーのライブに行ったのはおそらくスタイル・カウンシル(以下スタカン)で来日した頃なので、ソロ作品は聴いてはいたものの「今となってはどんなもんなんだろう…」という不安はあった。衰えを感じさせる(だけ)に終わるようなら寂しいので。

しかしそれは杞憂というもの、ほんとにまったく失礼いたしました。ポール・ウェラー、いろんな意味でぜい肉ついてない。「若さ」をそのまま表わしたような声は今も変わらない。

大所帯バンドで出るかと思ったら本人も入れて4人だけ。それなのにこの骨太い音ははどうだ!シンプルなのに、ライブならではの「遊び」もあって、その「遊び方」が豊かで洗練されている。エネルギーがあって充実しているのに、ゆったり身を任せていられるような抜け感もあるというような。なんだか楽しかったな。

最新ソロ作「アズ・イズ・ナウ」(画像)からの曲を中心に、スタカン時代の曲は「ロング・ホット・サマー」、個人的に好きな初期ソロ作”Amongst Butterflies”(この曲が入っているアルバム「ポール・ウェラー」はとりわけ好き)が聴けて嬉しい。アンコールのラストがジャムの「悪意という名の街」だった。80年代前半の、凄くかっこいい曲。そしてお客さんこれを歌える人ばっか(笑)。

“Lovely, lovely audience!”とポール・ウェラーは言っていたけど、ラブリーなのはあなたたちだよ。ドラムのスティーブ・ホワイト上手いっ!今もなお走りつづけるポール・ウェラーにライブで再会し、惚れ直したお客さんも多かったことでしょう。私もです。

***********************************************

追記:セットリスト発見! 貼っときます。

1.Paper Smile
2.Running On The Spot
3.Out Of The Sinking
4.Science
5.All On A Misty Morning
6.Hung up
7.Savages
8.Fly Little Bird
9.(新曲)
10.Up In Suzes’ Room
11.From The Floorboards Up
12.Porcelain Gods
13.I Walk On Gilded Splinters
14.The Start Of Forever
15.Roll Along Summer
16.Wishing on a star
17.You do something to me
18.Long hot summer
19.The Pebble And The Boy
20.Come On/Let’s Go
21.Amongst Butterflies
22.Foot of the mountain
23.Changing man
《アンコール》
24.Broken stones
25.Thick As Thieves
26.I Wanna Make It Alright
27.Town called malice

3月のうつうつ会

2006年3月26日 音楽
どこを切ってもドナルド・フェイゲン。Nightflyから24年、Kamakiriadから13年ぶりだとか。IGYが何の略だったか、忘れました。

友人宅でうつ会。彼女の助けで、自分の背中がぎゅうぎゅうに詰まっていることを発見。どうして閉ざしてしまったのだろう。ゆるめてやりたい。

桜にはほっこり、されど心がざわざわともする春。近所にあった、古着や作家物のアクセサリー、キャンドルなどを置いている店が今日でクローズしてしまった。楽しい買物をさせてもらったし、おそらく年齢も近いと思われる女主人とも顔見知りになっていた。店主の気配りが隅々までゆき届いた素敵なお店だった。しくしく。でもいつかどこかでの再開に期待。

ヒーリング

2005年12月13日 音楽
テレビが用をなさないので、音楽鑑賞。George Winston "Linus & Lucy The Music of Vince Guaraldi"(Windham Hill)を聴く。

サンフランシスコ市街を映した青いジャケットも含めて、あまりにも好きなピアノCD。静かな砂浜に打ち寄せる波のような音で、心を洗ってくれる。洗い流されたそのあとは、おかしいもの、かわいいもの、きれいなもの、なつかしいものが、ぱん!ぱん!ぱちん!次々と花火のようにはじけあふれ出す。

追悼そして祝福

2005年10月15日 音楽
スカパー(ミュージック・エア)で、前から気になっていたフレディ・マーキュリー(クイーン)追悼ライブのドキュメンタリーを観た。この番組はライブの一部(本編DVDは↑)に出演者のインタビュー、リハーサル風景を加えて構成したもの(リハーサルは自分の出番でないときに他の出演者の演奏を脇で観ており演奏者も観客も有名人ばっかし、というすごい構図になっている)。エイズ啓発でもあるこのライブにはロジャー・ダルトリー、ロバート・プラント、デヴィッド・ボウイ、ジョージ・マイケル他、ビッグ・ネームがすごい勢いで集った。

番組内でブライアン・メイが「ライブ・エイドは出演者が次から次へと演奏するだけだったが、この追悼ライブには連帯感がある。そこが違う」と言っていた。まさにその通りで、観客だけでなく相当に個性の異なる出演者たちまで「思いはひとつ」でつながっているさまに心打たれる。

演奏の合間に出演者たちが受けるインタビューの様子が流されるのだが、「バンド・メンバーを失うのは家族に死なれるより辛い。キース・ムーンの死を乗り越えるのに5年かかった」と語るダルトリー(フー)、フレディより若い世代のポール・ヤング、リサ・スタンスフィールドらが語る畏敬の念と「憧れのクイーンと共演するという栄誉、緊張感」などなどコメントのどれもが真摯で説得力があった(メモをとってなかったので、覚え違いは御容赦くださいまし)。“大物”たちが打ち明ける「フレディもきっとわくわくしているだろう」「満足しているに違いない」「振り向くと彼がいるような気がしてしまう」など、「ここにいない親しい人」に対する思いに個人的にはとても親しみを覚えた。

クイーンと各出演者らによる演奏も素晴らしく聴き応えのあるものばかり。ボウイ+アニー・レノックスの「アンダー・プレッシャー」、鳥肌もの。タバコ片手でリハーサルするボウイ、余裕でかっこいい。やられた。あまりのすごさにちょっとウツが晴れたわ。レノックス姐をたてるところも、「フレディとの思い出」コメントをせがむ記者をけむに巻くところもさすがだ。この調子でぜひとも長生きしてくれ。G・マイケルの「愛にすべてを」は観客とのかけあいも含め、すごくよくて(大げさではなく)涙が出た。この人ほんとうに歌うまいねえ。

コメントの引用を続ける。ブライアン・メイ「(ライブは)フレディの追悼でもあり、彼の生や作品に対する祝福(セレブレーション)でもある」「(盛大に行う必要があったか、というインタビューアーの問いに対して)もちろん。ウェンブリー(アリーナ)でも小さいくらい」。

出演者たちが「エイズは他人事ではない、自分にも起こり得る問題」という旨の発言をしていた。つまり当事者として考え、行動しようという意味だ。あたりまえと言えばあたりまえなのだが、あっと思った。このライブの演奏や出演者たちのコメントがいちいち心に響くものであったり届く力があるのは、「自分で考え、自分が感じる」ことを表現しているからではないだろうか。どのように動かすか、ではなく、何に動かされているか。うまくいえないなー。力は“コメンテイター(解説者)”ではなく、当事者にあり、ということ。さらに言えば「洗練された解説者」を目指すとしても当事者感覚あってこそ、だと思う。

このドキュメンタリーは1時間足らずだったが、もっと観たかった。すごい瑣末なことなんだけど、リサ・スタンスフィールドがなぜか頭にカーラー巻いて掃除機を押しながら登場したのがおしゃれでかわいかった。彼女の初来日ライブを渋公に観に行ったことがあるが、ライブし慣れていない印象が強かったのを覚えている。それが80年代後半ぐらいの話なので、案外息が長いですね(ごめんね)。

*****
昼間、先週休みだったので2週ぶりにレッスンに行ったが、自主ストレッチもさぼっているので身体の固いこと。ばりばりー。ぱさぱさー。干しダラみたい。
友人Pが「招待券があるから」と誘ってくれ、↑を新宿コマ劇場にて観た。

未来の管理社会では、自由に演奏することが禁じられ、かつてのロックは封印されていた。それに反抗する若者たちが自らの手に音楽を取り戻そうと立ち上がる。パワー・トゥ・ザ・ピープル…てなお話はどうでもよく、舞台の目玉は英国の偉大なロックバンド、クイーンのヒット曲満載の音楽。ヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーは若くして亡くなったが、オリジナルメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーはこの舞台の監修に全面協力している。

キャストは全員、本当に歌が上手い。けれども上手いからといって、クイーンの曲が再現できるというものでもなく、やはり何かが欠けている、という当然といえば当然な事実を何かにつけ感じるので、(その場にいない人なのに)フレディのカリスマ性をつくづく思う。クイーン・ファンの人にとっては、行こうか行くまいか引き裂かれるところかもしれません。けれども、いわゆるこれは「クイーンの商業利用」であると割り切り、「あれもこれもクイーンと違―う」という思いをいったん捨てることができれば音楽を純粋に楽しめます。とにかく聴き応えがあるから。友人Pたんがいみじくも指摘したように、主演の青年がフレディの真似をしようとしたりもせず、とても素直な歌い方をするのも好印象に一役買っているだろう。

前半、私はそうした違和感もあり「どうなることやら」と不安もあったが、後半になるにつれ舞台に勢いが出てきて、すっかりひきこまれた。終盤では全員総立ちでタイトル曲を手拍子、アンコールではオールキャストによる「ボヘミアン・ラプソディー」も聴けます(しかしこれを4人でやっていたんだから凄い)。

観客は年齢層が高めで、わりとちゃんとした格好の人が多いように思ったので気づかなかったが、舞台後半で「クイーンねた」がばかうけしているので、信者さんだと思いいたる。クイーン信者の集い。ちなみに多少のクイーン知識、(古い)洋楽知識があるとこの舞台はなお楽しめます(男の子がガリレオ、女の子がスカラムーシュ、といった調子)。

ミュージカルなので踊りも当然ありますが、ダンスはいまひとつ。前半はとくに、舞台が近いのにエネルギーが弱い感じがしたのだが、考えてみれば本当はもっと大きな舞台に乗せるべきなのではないだろうか。新宿コマも客席がゆるいすり鉢状(しかも座席が「いろは順」)で、どことなく演芸風味が漂っていたりするのがほほえましいが、とにかく舞台が「狭っ!」 どこぞのお教室の発表会じゃあるまいし…。余計なお世話かもですが、これから8月末までロングランなんて大丈夫なんですか? チケット結構、高いのに。国際フォーラムみたいな広い空間で、きりっと終わらせたほうが映えたんじゃなかろうか。

設定が300年後くらいらしいのに、なぜか衣装だの振付だのがどことなく80〜90年代テイスト(笑)。それにそのぐらい未来になると、「インターネット」だの「eメール」ってもうないんじゃないかという気もする。そういうゆるさも含めて、お話はまんがちっくであるものの特に中年は安心して和める舞台であると思います。

観終わるとやはりオリジナルが聴きたくなる。ので帰って聴いた。「持ってない」という人はベスト盤↑くらい一家に一枚、ぜひ買ってみましょう。クイーンの前にも後にもクイーンなし。リスペクトしております。

公式サイト http://www.wwry.jp
23年のライブ通い歴のなか憧れであった「ホール&オーツ@渋公」という組合せがやっと実現。しかも前から5列目なのだっ!。これは汚い手を使って…じゃなくてふつうにネット予約でとったものである。はしっこだけど、等身大で見ることができて、とてもとても嬉しい。

日本最終公演である今日は、来日公演通算100回目にあたるそうだ。選曲が昨日とかなり違う。曲数はプラス1曲くらいだと思うけど…選曲は今日のほうが実に自分好み、そしてノリとしても今日のほうが遙かにいい気がする。

以下、ファンじゃなければおそらくどうでもいい話でしょうが、記録のために書いておきます。昨日と違うのは「ファミリー・マン」(「今日だけ」と言っていた)「ユー・メイク・マイ・ドリームス」「ロック・ステディ」「ラヴTKO」「キャント・ゲット・イナフ・オブ・ユア・ラヴ」「リッチ・ガール」「ウー・チャイルド」

「ロック・ステディ」はアレサ・フランクリンのカバーで、聴きたいと思っていたので嬉しい。「ラヴTKO」同様、もんのすごくかっこいい。フィリー・ソウルで鍛えた実力を見せつけます。ライブでのマニアックな楽しみに「コーラスをつける」というのが個人的にありますが、「リッチ・ガール」は、コーラスのパートをあえて歌うのが楽しい曲(「アウト・オブ・タッチ」もそう)。

ホール&オーツといえばやはり最大の魅力はふたりの声のハーモニー。やはり「シーズ・ゴーン」がライブで(甲乙つけ難いけど)かれらのもっとも美しい曲だなあと思う。誰がカバーしても本家は絶対に越えられないだろう。

ダリル・ホールは今日もソウルの名曲を歌うのが心から嬉しそう。いくつになっても素敵、色気がある。それに鍵盤が似合うんだよな。渋い年代に入りかけておられますが、私にとっては、いつまでも男性ミュージシャンのかっこよさの原型みたいな人だ。

そんでもってやっぱりジョンにももっと歌ってもらいたかったんだけど(でも「ウー・チャイルド」が聴けてよかった)…。後ろにいた女性ふたりもそのことをライブ後に話していて、女性A「(リードヴォーカルが少ないのは)いじめ?」B「…というよりジョンが『僕はいいです』って言うんじゃない?」だそうだ。私もBさんに賛成。
(おまけ…昨日は遠かったのでわからなかったけど、ギターのお兄ちゃんもなかなかかっこいいではないですか)

100回記念だから今日こそ3時間くらいやってよ!としつこく思うものの、最高に気持ちいいライブで幸せ度120%。体内の老廃物が流されたような気がするのだわ。次は200回目を目指してまた来てくださいね。
ライブに行きました。観客は相変わらず同世代の善良な市民ばかりで和めます。しかし17:00開演って早くないか? 日があるうちにホールに入るのってなんかヤダ。

ホール&オーツは一般に80年代のイメージ(「プライベート・アイズ」など)が強いのかもしれないが、スタジアム規模の公演もしていたいわゆる人気絶頂期よりも、実はここ数年のほうがあらゆる音楽ファンにお勧めできる、こなれた職人芸のライブになっているように感じている。

かれらはかつて、当時の人気プロデューサー(デビッド・フォスターとか)や異色のミュージシャン(トッド・ラングレンとか。ロバート・フリップはD・ホールのソロも手がけた)たちと組んだこともある。そうした個性ある人々の誰をプロデューサーに迎えても、どれもこれも器用に「ホール&オーツ」の作品になっているというのは、かれらが昔から本質的には職人気質で、アーチスト・エゴが勝るというよりは、ただただ音楽が好きでしょうがないんだろうと私は思う。

最新作の「アワ・カインド・オブ・ソウル」(画像)はカバーを中心に構成されたアルバム。今回のライブもそこから「アイル・ビー・アラウンド」(スピナーズ)「ユー・アーエヴリシング」(スタイリスティックス)などが披露された。ダリル・ホールは歌うのを心から楽しんでいるようにみえた。

AWB(「ピック・アップ・ザ・ピーセス」…たぶん)でクールに登場し、お約束の昔のヒット曲ももちろん演奏される。「マンイーター」「セイ・イット・イズント・ソー」「アウト・オブ・タッチ」「サラ・スマイル」などなど。「アイ・キャント・ゴー・フォア・ザット」のアレンジが大人でかっこいい。それに「プライベート・アイズ」で手拍子叩かないことにゃ日本のファンは帰りません(笑)。

今のかれらの音楽は、「職人気質」的なところがもっとも理想的なかたちで結実されているのではないかと私は思うけれど、かといって「円熟」とか「老成」というのではない。かれらは昔っからロマンチックで、若々しいところが変わらない。声が衰えないというか、一時期よりいいと思う。余談だけどTahiti80とか、40過ぎても青春してたら私は認めるよ、なんてね。

誰でも自分にとって純粋に快感であるような音楽があるだろうが、かれらの音楽は曲も声も、私には理想的に気持ちいい。「シーズ・ゴーン」なんて永遠に聴いていたい。生理的に気持ちいいものをつくれるって素晴らしいし、すごい。これは狙ってできることなんだろうか?…などと「つくる」ということについて(踊りながら)考えたりした。

「ダリ様」はなぜか厚着でした。風邪?大いに満足したライブでしたが、ジョンが歌うところももっと聴きたかったし、3時間くらい欲をいえばやってほしいです。(つづく)

ひな祭り仕様

2005年2月26日 音楽
「ソングス・アバウト・ジェーン Special Edition」 マルーン5。マルーンって何?変なバンド名だけど、これは良い。リアルタイム若者の音楽を聴かなくなって久しい私ですが、グラミー賞発表のニュースで流れた"This Love"が気になり買ってみたら、どの曲もとても良かった。たらたら売れ続けているのだそうだ。なんというか温故知新、日常で息長く聴けそうな感じ。私としては、このバンドの(1)R&Bテイストがあること(2)ピアノが入っていること(3)適度に味のあるヴォーカル、が好ましい。スペシャル・エディションはエキストラ・トラックつきでお得です。

明日は友人を迎えるので、がんばって桃の花やこでまりを買ってみた。でも素養はないので、すごく無理やり感ただよう活け花になった(笑)。

年相応のブルース

2004年10月21日 音楽
G. Loveの「The Hustle」。やさぐれ気分にとても合う好盤。ブルース・ロックだが、渋くなり過ぎずお茶目というかこの人の「あんちゃん」ぽいところがなかなかいいです。

ある人から頼まれた翻訳が、はじめの話より急いでいたり、原稿を差しかえられたりでちょっと困る。お支払いを受けることなのでやるけれど、今度からちゃんと〆切確認しよう。
ハローワークへ行った帰り、激疲れてレコード屋でお買物。ポール・ウェラー「スタジオ150」は全曲カバー盤。くぅ、かっこいい。選曲も渋い、ボーナス・トラックもよい。これは正しい衝動買い。

準備、翻訳、採掘。な、なんか時間がないぞ。なんとかなるんでしょうか。

イライラ

2004年6月29日 音楽
むしゃくしゃしている朝はクーラ・シェイカー(「K」)を聴くのが効果的。捨て曲なしですが特に疾走感あふれるHEY DUDEは気が遠くなりそうなくらいかっこいい。無意味に攻撃的なきもちになります(私だけ?)

日曜に髪を切りついでに写真を撮り(履歴書用)、今日あがるはずだったのだが連絡があり「まばたきした写真を撮ってしまったので撮りなおし」とのこと。なんですと?! 今日へんな襟の服着てるし、何のために美容院のあとに行ったのかわからん。サービスで1枚おまけしてくれたが、今日撮った自分の顔も変なの。自分の写真って仕上がりに満足することがめったにない。

夜、友人と話す。気になっていたことを聞いてもらい落ちつきどころを得る。いつも私にとっては自信がもてない、折合いがつけられないあることの話。実家にあるジョージア・オキーフの画集(ソフトカバーだけど)持ってこよう。
N.E.R.D. 「フライ・オア・ダイ」
「どこの馬の骨たち?」かと昨今の音楽に疎い私は思いましたが、むちゃくちゃヒットを生産中の輝けるプロデューサー・チームのユニットだそう。音はロック、ファンク、ポップそれぞれの要素をうまくこなれ過ぎずにまとめた感じ。5〜7、12が特によし。よろしいんじゃないですか、と思うものの私には何かが足りない。

昨日「休むかも」と言っていた元・部長は案の定休み。スケジュールに「腱鞘炎治療のため」と書いてあったがなんだかな。彼が腱鞘炎なら私たちデータ女工はとっくに再起不能になっているだろうに。別に言い訳なく休めば。

3日は出勤するつもりだったが、社員の子に「連休はやっぱり休もうよ」と言われて、やめにした。まあなんとかなるだろう。
こんばんは。名盤アワーの時間です。「音で聴くデヴィッド・ボウイのたましい」…失礼千万なことに画像が出ないのですが(怒)…その第10回は待望の「ステステ」こと"STATIONTOSTATION"です

これが世に出た当時の1976年、ちなみにリアル中坊であった筆者の耳は「ゴールデン・イヤーズ」さえ受け入れられない未熟な「洋楽耳」で、カーペンターズやアバなどもっぱら流行りのポップスばかりを聴いており(とはいえカレン・カーペンターの生き方はロック)、そしてこれを書いている現在、アパートの隣室からはなぜかいまどきプログレみたいな音がする…というのはさらにまったくどうでもいいことです。

さてきりっと端的に言いましょう。これは素晴らしいです。「ステステ」に先立つ「ヤング・アメリカンズ」はタイトル曲や大ヒットした「フェイム」など名曲が含まれた、もろソウルフルな愛すべきアルバムですが、ややスタイル負けの感もあります(その辺もブラック・ミュージックへの傾倒ぶりが伺われてかわゆいですが)。またあまりにソウルの濃度を出してしまうと、ボウイの声のよさが発揮されないようにちょと感じたわけですが、こちらの「ステステ」は前作の硬さがとれて、(言うのもおこがましいですが)ファンキーななかでも、よりボウイらしいです。筆者はもはや…えーと、キャリア何十年だっけ、40年?…変化に変化を重ねるボウイの音楽は「ロック」というより「デヴィッド・ボウイ」というジャンルではないかと思っていますが、なかでもこーゆーよーな配合でソウルが入った音は個人的にまさしくツボです。めちゃくちゃかっこいいです。どきどきどきどき。

…さて、名盤アワー次回その11は、「ロウ」の登場です。「ステステ」から「ロウ」のあたりご本人はコカインに耽溺してみたり契約問題がこじれてみたりで精神的に「ロウ」だったから「ロウ」なのだ、というきわめてわかりやすい話はほんとうなのでしょうか。どうぞお楽しみに。それではさようなら〜
会社からそう遠くはないのだが、駅構内が混んでいたりでスムーズに動けず、会場についたのが10分前くらい。門のところで男の子ふたりが「武道館だから」と言って拝んでから入っているのがおかしかった。でもナイス。武道館周辺のダフ屋も「チケットゆずってください」の人の数もはんぱでなく、大物感が漂う。

7時ジャストに客電が落ちたので、「お、オンタイム開始?」とびっくり。しかし(あとでわかったことだが)「一部」のバンドが高度でスピード感ある無意味な演奏をおよそ40分間行い(私は前座ということを知らずいつボウイが出てくるのかと終始固まっていた)、その後「二部」のボウイ様ご一行の登場とあいなった。

私は意地悪く「一部で時間を稼いで、二部は1時間半もないのかも。年だからな」などと考えたが、それはまったく下衆の勘ぐりというもので実に二時間を越えるステージ、何曲やったんだかわかんなくなっちゃったよという充実ぶり。われわれの席は床よりもむしろ天井に近いような場所(ステージ右後方から見下ろすような位置。舞台奥のスクリーンは見えず)だったが、いかなる場所にせよこのライブは聞かなきゃ損、死んでも死にきれないよという天晴れなもので、思いついてチケットを買っておいてよかったです。

最近の曲(「リアリティ」「ヒーザン」)を意欲的に演奏していたが、同様に古い曲もふんだんに披露する。よく「昔の曲はもうやらない、今の音を聴いてくれ」みたいな人がいますが、オープニングに「レベル・レベル」、〆に「サフラジェット・シティ」を配してこだわりなく新旧おりまぜるところなどボウイは器が違う。

数曲を除いて(「ヒーローズ」「チャイナ・ガール」など)、大まかに言って今回のライブでの「旧」曲は60〜70年代前半が中心で、そのあたりの音と現在、これからの方向性が共通しているということなのかしら、と友人と話し合った。今日のライブはそう思わせるようなロック色の強いものだった。しかし、その抜け落ちた年代(70年代後半〜80年代)のうち「フェイム!…ホワッチャネームホワッチャネイム」(前日はやったらしいのでなお無念)が聴けなかったのが私としては超心残りだ。

何年か前にやはりおそろしくブランクがあいた後に再来日したロキシー・ミュージックのライブが、自分で自分のコピーをしているかのような生彩を欠いたものだったので、今回もそのような危惧を感じていたのだが…ボウイはそんなことはまったくなく、それどころか逆に前回の「シリアス・ムーンライト」ツアーのときより若々しく見えるくらいだ。そこらへんのリアル若者よりよっぽどみずみずしいさ。この半端でない若々しさは、絶えず新しい方へ美しい方へと変化を繰り返す方向性とそれに伴う切実さによって生み出されるのではないかと打ちのめされながらつらつら考える。

ボウイの声はすばらしいです。以前に比べて落ちるどころか、つくづく他の誰にもない声質、そこに優しさと切実さを含んだ美しい声だと感じる。ベースのチャーミングな女性と「アンダー・プレッシャー」を歌ったが、私は美声の人がコーラスをつけるという「ぜいたく感」にたまらなく弱くてやられました。

派手な仕掛けもないシンプルなステージだが、音楽的に豊かで美しいライブでした。身軽に動き回るボウイ、心からかっこいい。記者会見で熱心に「地下鉄一日券」について逆質問していたボウイだが、本当に地下鉄に乗りたいんだろうか? もしそうなら彼の望みが叶えられますよう。
「ザ・ディスコ」ちゅータイトルも恥ずかしいものがあるが、選曲もわりとべた。ああでも買ってしまった。だって懐かしいんだもん。ホール&オーツがディスコ扱いされてるのが気になるが、「プライベート・アイズ」は本当にかかっていたからしょうがないか。でもこういうコンピレーションは自分の嫌いなタイプの曲(アラベスクのやつ、とか)が大抵入っていて興ざめしやすいが、これには嫌いな曲がひとつもない。どれも有名過ぎるのが難といえば難だが(Jermaine Jackson,The Time, ZAPPが入ってるのは渋い)、曲のトーンは揃っていて当時のよい意味でのバブリーな感じが再現されていると思います。

お昼に友人が出演するライブを聴きにゆく。彼女は昨年、活動を再開してから表現する自分を着実に育てているようなのですごいと思う。音楽ができる人はうらやましい。音楽は聴けば問答無用にわかるので。ひさびさに生でピアノ(キーボード)の音を聴いてどうしてだか泣けてきた。私はピアノの音が好き。

その後、自分も精進するべくジャズダンスのレッスンへ。私は私でがんばろう。考えるのやめよう。
「いい女」なかんじがする。といっても峰不ニ子のような心拍数増加方向ではなく、まさに「癒し」のいい女。私が男だったらこういう女性に家で待っていてもらいたいです。

新作は「フィールズ・ライク・ホーム」というタイトルだが、家でくつろぐのみならず、上質な毛布にくるまっているような、アロマ・オイルをたらした足湯につかっているかのような心地よさ。まだ20代なのにこの落ち着きと包容力(彼女がもっともユニークなのはここだ!)は素晴らしい。新作も前作と同様に、…いや、前作よりもバラエティに富んだ曲調ということになっているが…ともかくなごめます(おおざっぱですみません)。

一方、英国の至宝であるところの「声が美形」の代表、デビッド・ボウイ様の来日公演のチケットが届いた(思い立って電話予約したもの)。おそらく天井桟敷なみの悪い席(友よごめん)だが、武道館まるごとボウイとはどうしよ、これは大事(おおごと)だ。あたふた。

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