とはいえ短冊にお題が書かれているわけではなく、春の舞踏WSで知り合った方から合同稽古に誘われたのでした。彼女はあのエキサイティングWSで人生変わりかけているそう。あやしいバレエの先生になりつつある。ナイス!インプロで何がしたいかにもよるけれど、ブトーの発想は私にはとても参考になる。日頃使わない頭を働かせるせいか、この稽古はすごくお腹すく…。
あまりにぐだぐだなので頭きた。担当者に「私は社内の人間じゃないから教えてもらえない限りわからない」「困る」といったら「響く」人だった。自分が感じること思うことをあらわせないのは気持ち悪い。でも組織とか肩書とかに守られてるうちにそこがマヒしてしまうならそっちのほうがよっぽど気持ち悪い。
自分でも立ってる場所がよくわからないけど変わったんだなと思う。前と同じにはできない。
自分でも立ってる場所がよくわからないけど変わったんだなと思う。前と同じにはできない。
フォーカスをクリアに
2012年6月28日 ダンスものそこに成功のカギがある。「やりたいことをはっきりさせる」それは自分に対してもそうだし、観る人に対してもそう。
「なんとなく」やらない。「なんとなく」よさげなことをあれもこれもやらない。大まかに網を投げるのではなく、焦点を絞ること。余計なことは捨てる。
自分がやろうとすることを自分でわかっていること。作品の軸はそこにある。
*****
陸に打ち上げられたクジラの体でクラスにたどりつく。他者との関わり(コミュニケーション)を明確にする、をテーマにここんとこやってるけれども、ベーシックに良いと思う。これも「何をやってるのかはっきりさせる」。人と一緒にいてもつながっていないことままあるから。やはり「関係性」のなかに何かは生まれるし、こういった「言語」を自分のなかに培っていくことが私にとっては喜びである。まさにリソース。
「なんとなく」やらない。「なんとなく」よさげなことをあれもこれもやらない。大まかに網を投げるのではなく、焦点を絞ること。余計なことは捨てる。
自分がやろうとすることを自分でわかっていること。作品の軸はそこにある。
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陸に打ち上げられたクジラの体でクラスにたどりつく。他者との関わり(コミュニケーション)を明確にする、をテーマにここんとこやってるけれども、ベーシックに良いと思う。これも「何をやってるのかはっきりさせる」。人と一緒にいてもつながっていないことままあるから。やはり「関係性」のなかに何かは生まれるし、こういった「言語」を自分のなかに培っていくことが私にとっては喜びである。まさにリソース。
↓のスタジオにレッスン受けに行ったらば休講。責任者らしい人が先週からわかっていたことなのでサイトに載せたはずと言うが…確認してから行ったのです。こういうの初めてじゃない、ここ。いい先生もいるのに、まともな運営してほしいわ。
昨日の公演もつらつら考えるに、出演者は「意に沿わない」けれどもお仕事だから「一応」やってるんだなというふうに私はとりました。光っていたのは主役を任された若手の子。彼女はすごく頑張ったんだと思う。ちゃんと舞台をひっぱっていた。他の出演者はテクニックは勝っていてもどこか上の空、コミットしてる感じがしなかった。できるできないより、「自分で自分の存在の責任をとる」。それはとても大切なことなんだ。
昨日の公演もつらつら考えるに、出演者は「意に沿わない」けれどもお仕事だから「一応」やってるんだなというふうに私はとりました。光っていたのは主役を任された若手の子。彼女はすごく頑張ったんだと思う。ちゃんと舞台をひっぱっていた。他の出演者はテクニックは勝っていてもどこか上の空、コミットしてる感じがしなかった。できるできないより、「自分で自分の存在の責任をとる」。それはとても大切なことなんだ。
ハーゲンダッツの「食べごろサイン」CMにやられ、アイスクリーム。「塩キャラメル」味のラスク添え。
月曜レッスン受けてるスタジオの「公演」を観にいく。悪くはないけど、数年前の「発表会」のほうが充実して魅力があった。今は「特待生」メンバー中心で確実にこなせる人ばかりだけれど、なんだか色あせてるというか。緊張してても一生懸命やってる生徒さんのダンスのほうがエネルギー感じた。そつなく「私はこうだから」とか「このくらいで」と現状維持やってるとだめなんだなと思った。自戒もこめて。攻めていかないと。
月曜レッスン受けてるスタジオの「公演」を観にいく。悪くはないけど、数年前の「発表会」のほうが充実して魅力があった。今は「特待生」メンバー中心で確実にこなせる人ばかりだけれど、なんだか色あせてるというか。緊張してても一生懸命やってる生徒さんのダンスのほうがエネルギー感じた。そつなく「私はこうだから」とか「このくらいで」と現状維持やってるとだめなんだなと思った。自戒もこめて。攻めていかないと。
クラスのおよそ半分は床でなんかやってるから、夏でも長袖。しかし今日は湿度がきつく、運動量より、べたつく床とこもった空気にめげた。吸い込んでも入ってこない。
振付より自由度が高いワークは自分のクセがよくわかる。人に合わせるだけでなく、もっと自分から仕掛けないとだめだなぁと思った。それから「お題」に縛られすぎず、枠内でもクリエイティブに。シンプルなワークは繰り返すことに意味がある。次回リベンジできるでしょう。
久しぶりに会ったダンス友、制作中なのかと思ってたら実家で田植えを手伝っていたそうだ。田んぼの土の「関節が沈み込むような」絶妙の質感など水田のデリカシーを熱く語る。足裏の感覚が豊かになりそう。
振付より自由度が高いワークは自分のクセがよくわかる。人に合わせるだけでなく、もっと自分から仕掛けないとだめだなぁと思った。それから「お題」に縛られすぎず、枠内でもクリエイティブに。シンプルなワークは繰り返すことに意味がある。次回リベンジできるでしょう。
久しぶりに会ったダンス友、制作中なのかと思ってたら実家で田植えを手伝っていたそうだ。田んぼの土の「関節が沈み込むような」絶妙の質感など水田のデリカシーを熱く語る。足裏の感覚が豊かになりそう。
ダンス花@セッションハウス
2012年6月16日 ダンスもの コメント (2)久しぶりにダンスの選り抜きプログラムを観る。みなさん達者だが、なかでも柿崎麻莉子さんがすごい。イスラエルの世界的カンパニー バットシェバ舞踊団と契約されたとか。でも全体的にそれぞれ作品としてはなんだか弱かった。最初が肝心とやっぱり思ったけれど効果的な出だしはなく。音や照明の使い方もぴんとこず…。
WORLD ORDER、輸出好適品(笑)。やりたいことはっきりしているよね。
http://www.youtube.com/watch?v=W9VtIdUVLt0
WORLD ORDER、輸出好適品(笑)。やりたいことはっきりしているよね。
http://www.youtube.com/watch?v=W9VtIdUVLt0
相手を見ずとも「なんとなく」即興デュオ/トリオってできてしまう人は多い。が、相手から自分に向かって渡されたものを返す、というプロセスを踏んだ即興と「なんとなく」流れてるけど己の力のみでやってるのとでは全然ちがーう。
グループ・インプロなのにその場でつくらず、自分のあらかじめソロになってるのはつまらない。この場合、コミュニケーションはまず「相手を見る」ということだが、やはり見ないで、気配だけでやってしまいがち。しっかり相手を見ると、その場で交流したがゆえのムーブメントが生まれるからやはり質が深いし、予想外の展開が起きて面白いものになる。
ガン見するのは「よくない」とか「おしゃれじゃない」気がしてちゃんと見なかったりしますが、それだといくら上辺で素敵っぽく見えても人とやってる意味がないものね。発展性がない。ちょっとくらいまったりしたとしても、ベーシックにしっかり相手を見ようと思いました。こういうシンプルなことは深いし、やっぱり自由で楽しいね。
先生から「身体の緊張がとれたね」と驚いたように言われた。それはまだまだ永遠の課題ではあるけど「あ、平常心でやってる」と思った。今は(というか今日は?)前ほどフォーカスを狭めていないような。「変わった」と言われふと思ったのは「練習の成果」「積み上げ」というより、「地震のあといろいろあった」ということだった。実家の引越しは「家の消失」。目に見えるダメージを受けたわけではないけれど、言い古された感のある言葉を借りれば、地震や諸々ののいろいろによって「自分のなかで何かが確実に変わり、それは今後に影響する」と思う。
グループ・インプロなのにその場でつくらず、自分のあらかじめソロになってるのはつまらない。この場合、コミュニケーションはまず「相手を見る」ということだが、やはり見ないで、気配だけでやってしまいがち。しっかり相手を見ると、その場で交流したがゆえのムーブメントが生まれるからやはり質が深いし、予想外の展開が起きて面白いものになる。
ガン見するのは「よくない」とか「おしゃれじゃない」気がしてちゃんと見なかったりしますが、それだといくら上辺で素敵っぽく見えても人とやってる意味がないものね。発展性がない。ちょっとくらいまったりしたとしても、ベーシックにしっかり相手を見ようと思いました。こういうシンプルなことは深いし、やっぱり自由で楽しいね。
先生から「身体の緊張がとれたね」と驚いたように言われた。それはまだまだ永遠の課題ではあるけど「あ、平常心でやってる」と思った。今は(というか今日は?)前ほどフォーカスを狭めていないような。「変わった」と言われふと思ったのは「練習の成果」「積み上げ」というより、「地震のあといろいろあった」ということだった。実家の引越しは「家の消失」。目に見えるダメージを受けたわけではないけれど、言い古された感のある言葉を借りれば、地震や諸々ののいろいろによって「自分のなかで何かが確実に変わり、それは今後に影響する」と思う。
コロコロして足裏強化に使う。青竹はカーブが甘いんだとか。足指はむしろ力を抜きフリーに、指の「根元」に力を入れて土踏まず部分を丸くする。わたしは指先からギャザーを寄せるようにしていたけれどそれは違う。
わざわざ隣の駅の市政センターまで戸籍抄本を取りにいき申請要旨を見てあれ?と思い、職員さんに親切な説明を聞くまで気がつかなかった。住民票と違って本籍のあるところへ行かねばならないというベーシックな間違い。これ以前もやったような。
わざわざ隣の駅の市政センターまで戸籍抄本を取りにいき申請要旨を見てあれ?と思い、職員さんに親切な説明を聞くまで気がつかなかった。住民票と違って本籍のあるところへ行かねばならないというベーシックな間違い。これ以前もやったような。
初めて火曜のレッスンに出てみる。なるほど「インド」っぽい先生。振りが入らない。ひとりだけ振り覚えが悪いと何が楽しくてやってるんだろう…って気もちになってくる。自分ばかなんじゃないかって思うくらい。
振り覚え問題はなんとかするとして、レッスン自体が実はあんまり。こういうの昔あった。ただやるだけ、悪いところが直ったり発見があったりしない(当時はわかっていなかった)。月曜のレッスンも覚えられないけどやっぱり得るものがあると思うもの。
振り覚え問題はなんとかするとして、レッスン自体が実はあんまり。こういうの昔あった。ただやるだけ、悪いところが直ったり発見があったりしない(当時はわかっていなかった)。月曜のレッスンも覚えられないけどやっぱり得るものがあると思うもの。
※「かかと/つま先」問題(続き)
歩くとき、つま先から入ると身体に負担がかかってしまう(気づいていなかった)。
足はかかとから、足の裏をロールさせるように床にふんわりとのせてゆく。足裏をやわらかく。そのためにはひざ下、特に「足首」をやわらかく使う。つま先が上がりやすいが、そうでなく力を抜いて(ハンマーのようにしない)。
これまでに身体が(文字通り)身に着けてきたものを脱学習する。良い方向とわかっていても変化に抵抗し、痛みを含めて現状にとどまったりする。心がそうであるように身体も同じ。頭で決めたことにそっこー従えるわけではなく時機というものはある。社会のスピードと関係なく個人のプロセスはあるなぁと感じる。
歩くとき、つま先から入ると身体に負担がかかってしまう(気づいていなかった)。
足はかかとから、足の裏をロールさせるように床にふんわりとのせてゆく。足裏をやわらかく。そのためにはひざ下、特に「足首」をやわらかく使う。つま先が上がりやすいが、そうでなく力を抜いて(ハンマーのようにしない)。
これまでに身体が(文字通り)身に着けてきたものを脱学習する。良い方向とわかっていても変化に抵抗し、痛みを含めて現状にとどまったりする。心がそうであるように身体も同じ。頭で決めたことにそっこー従えるわけではなく時機というものはある。社会のスピードと関係なく個人のプロセスはあるなぁと感じる。
朝フェルデンクライス。そのメモ:
※コーディネーション
呼吸なら呼吸、イメージならイメージだけに集中してしまいがち。身体は動いていても、呼吸が合っていないなど、しばしば「断片化(ばらばらに)」してしまう。そうでなく統合することが大事。
動きや呼吸、イメージなどすべてをコーディネーションさせる。コーディネーションの鍵は「重力」。頭で考えず、重さが下に向かう力と床を押し返して上に向かう力の拮抗。
↑これがなかなかできない!!特に呼吸。床で寝てればちゃんとできても動いてるときに忘れる。しばしば息をとめたりするのはなぜ?
呼吸で「内から動かす」(たとえば背中や骨盤に入った息で中から動かす)というアイディア。
※「かかと/つま先」問題
「歩く時はかかとから出すのが自然」だそう。あとで考えると靴をはいてるときは確かに「かかと」から歩いている。でも裸足だとつま先から出すこともある。体重がちゃんと移動すればどっちでもいいじゃん、と思ったがつま先から出すのはdancers’ world(とかなんとか)だそう。そうなの?
=======
夜クラス。今日は若手がおおぜい来ていた。ダンスとか演劇の若い人って(こういう言い方が既に退いてるけど)まっすぐだったりがむしゃらだったり、かれらの純粋な熱意に刺激されること多い。自分もこのなかでよくやってきた、とふと思った。
※コーディネーション
呼吸なら呼吸、イメージならイメージだけに集中してしまいがち。身体は動いていても、呼吸が合っていないなど、しばしば「断片化(ばらばらに)」してしまう。そうでなく統合することが大事。
動きや呼吸、イメージなどすべてをコーディネーションさせる。コーディネーションの鍵は「重力」。頭で考えず、重さが下に向かう力と床を押し返して上に向かう力の拮抗。
↑これがなかなかできない!!特に呼吸。床で寝てればちゃんとできても動いてるときに忘れる。しばしば息をとめたりするのはなぜ?
呼吸で「内から動かす」(たとえば背中や骨盤に入った息で中から動かす)というアイディア。
※「かかと/つま先」問題
「歩く時はかかとから出すのが自然」だそう。あとで考えると靴をはいてるときは確かに「かかと」から歩いている。でも裸足だとつま先から出すこともある。体重がちゃんと移動すればどっちでもいいじゃん、と思ったがつま先から出すのはdancers’ world(とかなんとか)だそう。そうなの?
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夜クラス。今日は若手がおおぜい来ていた。ダンスとか演劇の若い人って(こういう言い方が既に退いてるけど)まっすぐだったりがむしゃらだったり、かれらの純粋な熱意に刺激されること多い。自分もこのなかでよくやってきた、とふと思った。
オイリュトミー(Eurythmy)はじめて観た。手と腕をしなやかに使い、足がなめらかについていく。身体を音や言葉に忠実に合わせているように見える。良い悪いでなく、ものすごくざっくり言って他のダンスが(己の野望のために)音を利用してるとしたら、こちらは身体で音を再現しているような感じ。シンプルな動きでも、人によって見え方が違うのでやはり訓練あってのものなのでしょう。なんだかコズミックで不思議な雰囲気だった。「オイリュトミスト」天上人のようでしたわ~。
公演はケーキと飲み物がついて2500円と超・良心的(会場が洋菓子屋さん)。ダンスの公演には珍しく観客にわりと年配の方々が大勢おられたのも気になるところ。
↑の前にジュンク堂@渋谷(東急本店)。中を見てから買いたい、と思っていた本があってよかった。英語の参考書は内容と同じくらいレイアウトも大事。カバーがぱきっとした色ででっかいタイトルをのっけてるような本、多い…。
公演はケーキと飲み物がついて2500円と超・良心的(会場が洋菓子屋さん)。ダンスの公演には珍しく観客にわりと年配の方々が大勢おられたのも気になるところ。
↑の前にジュンク堂@渋谷(東急本店)。中を見てから買いたい、と思っていた本があってよかった。英語の参考書は内容と同じくらいレイアウトも大事。カバーがぱきっとした色ででっかいタイトルをのっけてるような本、多い…。
organicの難題
2012年5月24日 ダンスもの薄暗いなか粛々とコンタクトインプロ。足腰がちょっと強くなったら前よりずっと楽しくなった。相手から受ける力の向きが感じられるようになったり、「やんなきゃやんなきゃ」ではなく流れに任せるゆとりができたり。それでもやってるうちに結構、力作業なコンタクト。それでも身体を動かして回路が切り替わるというか、リセットするこの時間はうれしい。
以前、あるダンスのワークショップで「もっとオーガニックに」と海外ベースの振付家が言っていて、いまいちわからなかったことがあった。しばらくそのまま寝かせてたのだが、そのうち「自然に、わざとらしくなく」の意と気づいた。その話をしていたら、海外経験の長い人によるとorganicは良い意味でも悪い意味でも使うそう。無印…とかまぁなんとなくわかる気はする。そしてまた実は何をもってorganicとするか、organicを選択するのかどうかは人によって異なるようなのです。
以前、あるダンスのワークショップで「もっとオーガニックに」と海外ベースの振付家が言っていて、いまいちわからなかったことがあった。しばらくそのまま寝かせてたのだが、そのうち「自然に、わざとらしくなく」の意と気づいた。その話をしていたら、海外経験の長い人によるとorganicは良い意味でも悪い意味でも使うそう。無印…とかまぁなんとなくわかる気はする。そしてまた実は何をもってorganicとするか、organicを選択するのかどうかは人によって異なるようなのです。
わたしでなく「誰か」
2012年5月21日 ダンスもの誰かに動かされている(押し出される、持ち上げられるなど)ようにやる。振りでもストレッチでもピルエットでも、何でも。「吊られる」だったら自分でそう思うだけでなく、「誰かが自分を吊り上げている」、その「誰か」を想像するところまでやる。
(自分の枠を越える方法。このアイディアでちょっと「開眼」したらしい自分。振りは流れがあるものだから、ただ真似るのではなく、どういうかたちであれ自分がその流れを掌握するといいのかも)
起きたら「金環日食」のニュースでもちきりだった。観た人は純粋にわくわくしているようで、なんこういうさわやかな話題しかないっていいなーと思った(皮肉でなく文字通り)。
(自分の枠を越える方法。このアイディアでちょっと「開眼」したらしい自分。振りは流れがあるものだから、ただ真似るのではなく、どういうかたちであれ自分がその流れを掌握するといいのかも)
起きたら「金環日食」のニュースでもちきりだった。観た人は純粋にわくわくしているようで、なんこういうさわやかな話題しかないっていいなーと思った(皮肉でなく文字通り)。
BMレッスン。ダンス友と行き違い。
身体のなかを固めない(いま固まっちゃってるので)。筋肉ではなく、「骨」をイメージする。身体の骨がフリーで、ばらばらに動けるイメージ。真珠のネックレスみたいなかんじ。
身体のなかを固めない(いま固まっちゃってるので)。筋肉ではなく、「骨」をイメージする。身体の骨がフリーで、ばらばらに動けるイメージ。真珠のネックレスみたいなかんじ。
私の感じる現実は正しい
2012年5月17日 ダンスものクラスに行ったら新しく若者たちが来ていて、やってることはいつもあまり変わらないけど、参加の顔ぶれによって新しい発見や質感があったりするのが面白い。
昨日は2ちゃんねるのスレッドを読みふけっていて無駄に夜更かし。久しぶりに見たけどこの密度というか濃度は…あまりにあらゆる欲望がさらされている。自分の問題について(いろんな)情報を得たり、考えたり。あるメンタル系のスレでどうも自分はそこの1(スレ主)に違和感があるなぁと思っていたら、ある人が「書いてる内容より文体のほうに1の人柄が出てる」と書いていてひそかに激しく同意する。
昨日は2ちゃんねるのスレッドを読みふけっていて無駄に夜更かし。久しぶりに見たけどこの密度というか濃度は…あまりにあらゆる欲望がさらされている。自分の問題について(いろんな)情報を得たり、考えたり。あるメンタル系のスレでどうも自分はそこの1(スレ主)に違和感があるなぁと思っていたら、ある人が「書いてる内容より文体のほうに1の人柄が出てる」と書いていてひそかに激しく同意する。
やっぱり「 」はあると思う、と主治医は言った。私は別に訊いてない。こないだよそへセカンドオピニオンを訊きに行ったのが面白くないらしい(その医者は「 」ではないと言った)。
主治医によると、私の精神は「家にたとえれば柱が抜け落ちてて壁で支えてる状態」。柱を今から入れるわけにはいかないそうだ。
気が滅入る話だ。私はとにかく、いろんなことを感じ取ってしまう。自動的に感じ取ってしまうから、悪く考えるのをやめられない。それがこの病気の人の特徴。病的に「気にする」。良くも悪くも気がつきすぎる。外へ出せなくて背負い、まわりには「心配ありません」て態度をとる。平気じゃなくてもそうしてる。いつでも120パーセントくらい吸い取ってやってるから、もう正直、疲れ切っている。
根本的な治療はできないそうだ。スポット的に投薬するしか。
もう嫌だ。初めて聞いた話じゃないけど。こんな目に一生あうの? どうにかしようとしてきて、どうにもなってないことの辛さとかわかんないのかな。こんなに揺さぶられてばかりなのは「変」だと思うし、小さいときから大変だったから、私は「 」と思ってたほうがもういっそいい。両親がそれをせめてわかってくれと思う。
クラスに行って、少人数でていねいなことをして、ちょっとすっとした。
主治医によると、私の精神は「家にたとえれば柱が抜け落ちてて壁で支えてる状態」。柱を今から入れるわけにはいかないそうだ。
気が滅入る話だ。私はとにかく、いろんなことを感じ取ってしまう。自動的に感じ取ってしまうから、悪く考えるのをやめられない。それがこの病気の人の特徴。病的に「気にする」。良くも悪くも気がつきすぎる。外へ出せなくて背負い、まわりには「心配ありません」て態度をとる。平気じゃなくてもそうしてる。いつでも120パーセントくらい吸い取ってやってるから、もう正直、疲れ切っている。
根本的な治療はできないそうだ。スポット的に投薬するしか。
もう嫌だ。初めて聞いた話じゃないけど。こんな目に一生あうの? どうにかしようとしてきて、どうにもなってないことの辛さとかわかんないのかな。こんなに揺さぶられてばかりなのは「変」だと思うし、小さいときから大変だったから、私は「 」と思ってたほうがもういっそいい。両親がそれをせめてわかってくれと思う。
クラスに行って、少人数でていねいなことをして、ちょっとすっとした。