ハロワ認定日。今月やばいかも、と不安だったがパス。なんかこういうことしてると嫌でも前職のあれこれ思い出す。

「Dr.ハウス(シーズン6)」(FOX)ってほんとに厄介な患者だしやな奴だなと思う(内省する勇気はないくせに人の分析はする、ずけずけ言うとか)。医者から精神病院の患者になっちゃって入院、というドラスティックな流れはよくここまで書けたなと思う(担当医とのやりとりがリアルだ)。深い、と思ってたらもう退院?まだ入れといてもよかったんじゃないの。しかしこういうの見てると、自分のリアルビッチな分析家のこととかこれまた嫌でも思い出す。

地元避暑

2011年7月17日 ダンスもの
私の家は辺境にあるので近所といっても隣の区。稽古場に借りた施設の人(ここはいつも感じがよくて有難いです)に「暑くて通うのも大変でしょう」と言われたが、自室より暑いところなんてめったにナイ。あー練習か、と思うと下がるがやってるとそれなりに面白かったり。書いてたときも思ったけれど自分のやってることが画で見えてくると(visualize)、ちょっとあんしん。というか世界がたってくる。
いまさらですが。WSで知り合った友人が出演するパフォーマンスを観に行く。教えもしている人なのですが、なんだかすごいことをいろいろやっていたよ。といっても「テクニックは見せるためにあるのではない」という域。能ある鷹は爪を隠すのだ。安定していて彼女のつくるラインがとてもキレイだった。(彼女は全身で見せていたが、ひょっとしてトータルにできあがってなくても下半身が安定していたり足の描く線がクリアだとキレイに近づくかも、と思った)。

ソロもとてもよかった。うつくしかったわー。シンプルなのはいいです。やはりキャリア長くしっかり訓練している人はさすが!今度、教わりに行こうかしら。思いがけず古い知人も発見。プログラムとしては1曲が4分くらいでもいいんじゃないの、とか、ソロかデュオがもう1作品あってもいいのではと思ったり。しかしジャズって難しい位置にあるかもなぁ。
カサイアキラは存在自体がロケンロールで超クール!氏は舞踏家の草分けのような方、つまりは大家なわけですが、偉ぶったところがこれっぽっちもなく、知的で明瞭かつとても面白いお話をしてくださった。どれも濃いぃ映像とトークで3時間…という長丁場だったが時間を忘れました。これはそこらのダンス公演より面白かったかも。311や助成金の話も深かった。以下メモメモ:

#「表現する」ということをいっさい削ぎ落として立った人(土方巽について)。

#(土方氏にとっての)歩行とは「死刑台に向かって歩く死刑囚の歩行」(行きたくないところへ一歩一歩、自らおもむく)

#振付は「思考よりも速く」。「思考よりスピードを速くしないと“表現すること”に動きが負けてしまう」(表現する=目的をもつ;なんというか「洋舞」は思考しまくり)

#(舞台では)「観客が躍らせてくれる」(ダンスを期待するお客さんのエネルギーがないとダンサーは踊れない。名言。そしてこれほどの立場の方が仰るとはなんと謙虚な!)

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昼間は自主錬しましたが見えてきた感もあり。が、受け入れられるかどうか、それをあそこでやるべきなのかどうかはわかんない…。

あつくて

2011年7月14日 ダンスもの
実家でよく寝た。レッスン行ってアバウトに(だめだけど)楽しく踊る。わたしはいったい何がしたいんでしょうか。
夜は暑かったり、歯が痛かったり、あちこちかゆかったりーで眠れず。起きてから眠くてメンクリ遅刻。このせんせいは私の言うことをいかほど聞いているのでしょうか。疲れちゃいました、いろんなことに。

それからバスで移動し、ちっちゃい区民センターのちっちゃい和室で練習。行きにくい場所だったが、施設の方がとても感じがよくほっとする。和室ぐー。別な部屋で演劇の人が「おまえは本当はメグミのことが好きなんだろう!」「人生明るく生きなくちゃ!」みたいな、なんというか非常にベタっぽい(笑)作品の練習をしておられた。

このブトー作品についてはクエスチョンマークがついたままやっている。これでやってやれないこともないだろうが、何かが違うという気も。自分がわくわくすることがいまいち欠けている、というか。件の女医「やめたら?」と言ってた。私もこれやってるとますます就活がお留守になるので気がかりではあるんだけど。もう少し7月進めながら、ちょっとどうするか考える。Do what you believe.そしてこのお部屋でも眠い。

その後、英会話へ。やっぱりこの人は心得ていて話しやすい。彼は本当に教えるのが上手。話していると初心に帰る、というか。前回、別の先生(なぜかやたら高学歴)に教わったが、悪くはないけど(ためになる指摘もあった)…という感じだった。私としては「教えるのが好き」なタイプの人につくとモチベーションがあがる。なんか今日は疲れ果てていたので話せて癒しになりました。私ももちょっとがんばります。

稽古番

2011年7月12日 ダンスもの
あつくてなにもできない。もーほんとーにできない。ブトーの男の子にも「仕事見つかったんですか」とか訊かれるがなんもしてないす。そのブトーは先生不在中、なぜか新参者の私に火曜日の稽古担当を振っていかれたので申し訳ありませんがモダンジャズなストレッチをやります。それから心半ばにインプロ。
諸々鬱陶しく、めんどくさい。食べるのもメンドウ。なんか全然ダメだな。わたしはやっぱ家族のことまだあんま信用できてないんだな。この先やってくのがもうメンドウ。この先やってなんのたのしみがあるのですか。疲れた。だれもわたしのことなんてみてないけど。いきているとたいへんなことかなしいことさびしいことばかり多いよ。

久しぶりにBMレッスンへ。身体はおりこうに育っているようです。この時間はとてもやすらぐ。
もはや生徒主導となったブトーの夏。稽古に行ったらやたら濃い芸風の人が来ていて、気圧されて疲れる。「この子たち」(お弟子さん)が先生不在でむしろ意見を言ったり正しく進めているので驚いたり。しかしブトー美学は「いま」の自分に合ってるのかどうか甚だあやしくなってきた。しんぱい。しかしわたしはわたしのやりたいことをやります。
先日のショーイングで今までと違う、「突き抜けたかんじ」にできたのも、他者(振付家)が上手く引き出してくれたのと、グループ・ダイナミクス―それぞれ個性的なみんなが集中してたエネルギーのおかげと思う。せっかく思い切りよく開けたので、突き抜けたまんま次につなげたいのですが。

「次」ということになっているブトーの作品づくりのほうはいろんな意味でユーウツだ。クリエイション以外の場面でネガティブな気があんまり入ってくるようなら、やめたほうがいいんじゃないかとか。私自身が楽しく集中できなければ意味ないよ。

レッスン復帰。久々にべたジャズ、でも絶対、変質すると思う(笑)。以前ほど「癒しグッズ」に惹かれなくなったけど、コンビニのレジ脇にあった「キューピーコーワ ヒーリング」2錠入り、はつい買ってしまった。「ノンカフェイン おやすみ前にも」だって。これ売れるんじゃないかしら。
午後、稽古場をとってあったのですが、なんかもーからだがうごかない。しばし立ってはほとんど集会室の床で寝ていた(しかも何かうなっていた)、という。あまりにはっちゃけた方向性のものをやっちゃったので、真逆な予定のこれ(作品)つくれるんだろうかというのが甚だ疑問だ。なんか心境変わっちゃったのでこもんなくてもいいんじゃね、とも思うけれども。とじる、んじゃなくて、ひらく(「とじるための心境と必然と技術がない)。ともかくもぬけの殻。

1週間ぶりの英会話にも空ろな私を運ぶ(真摯/紳士な先生すみません)。ハーワーユー?アイムソータイアード。その前に寄ったマクドナルドで隣のテーブルに一人でおられた老婦人に話しかけられ、彼女は仕事だの健康だの人生がいかに大変なものであったか娘ふたりを育てるのも大変でここまでしたのにこーなのよ、と不平を述べでも家で花を育てるのが大好きだとか凄いパワーでパーソナルヒストリーをトータルストレンジャーである私に語った。東京でこういうのって私は珍しい経験。別れ際に「スタイル抜群ねっ」とお声かけくださいました。
無事終了しました。あっというまの濃い1週間、そして本番はいつも思うけどナノセカンドで終わる。

近くのコミセンに訊いたら「スタジオ」(鏡もあり防音、という素晴らしい部屋なのだが地元の施設利用の申込方法が超アナログかつ不親切〔予約はできず、その日に空いている部屋があれば、直接施設に行って申し込まねばならない、とか〕なのでふだん自分は使ってない)が借りられてちょっと練習、夕方ホールに行ってリハ。今回は通常の公演ではないので会場でのリハはほとんどできず、ほぼぶっつけ本番。

自分がやりがちなパターンとして「ゲネでピークを迎えてしまう」というのがありますが、今回は本番(間違えたりー、人とぶつかったりー、ということもありましたが)思いっきりやれたんじゃないでしょうか。本番は力がみなぎる、というか、やっぱり特別だし観て頂けるのは至福です。みんなも楽しそうだったから、それぞれいいとこ見せたのでは。

指導はヨーロッパ拠点の日本人ダンサーで、今日は初めて彼女のソロ観たけど身体のコントロールが超絶凄いっ。アラベスクのまんま余裕でいろんなことできてしまうんじゃないかという(稚拙な表現ですいません)。しかも黒髪のエキゾチックな美貌、背中出しのセクシーな黒ドレスで踊られた日にゃ欧州男子イチコロでしょう。

美人でオーラのある人なのだが、性格はいたってフレンドリー。「踊れない子は放置」という方針の器ちっさい人もいますが、彼女はみんなをよく見ていて、それぞれの個性を上手に引き出していた。(「みなさんキャラ濃いですね」とお客様から言われたそうですが、もともと濃いわけじゃなくそう乗せられたのです)。

私はリハ途中で「アフリカンダンスで舞台を横切って!」というオーダーをもらう。アフリカンなんてやったこともないです。ですのでYouTubeで適当に拾ってsomething like African danceをつくってみる(アフリカンダンサーさんすみません、ホンモノはもっといけてるはず)。そしたらその翌日、もう一人の女子と「アフリカンでデュオ(?)やって。声も欲しいなー。トライバルな感じでなんかしゃべってて」というお達しが。相手の彼女が凄くいいキャラで笑わずにやるのが大変だった。

無茶なオーダーをもらったのは私だけでなく、みんなそれまでやったことないようなことやっていたと思うけど、「そんなのできません」ていう人はなく果敢に挑戦してて(なんとなくこういうのは女子のほうがためらいがない気がする)、かなりコミカルではっちゃけた舞台になってたんではないでしょうか(一応コンテ)。

3月のWS時に半分くらいできていたとはいえ、あれからあまりに多くのことが変わってしまったし、このショーイング実現するのかなと思っていたけど、かえってあの特殊な時期を共有したから結束固くなったのかもしれない。踊れる人アリ歌える人アリ演技もできる人アリ、なおかつ現実的でしっかりした女子(すぐさま稽古場をとる、尺を測る、先生のプレゼントを買うとか)ばかりでお世話になりっぱなしでした。みなさん素晴らしい。こういうふうにいつもの稽古場で会う人たちだけでなく、別の環境でいろんな経験をしている人たちと一緒にインテンシブに作品づくりをする機会って新鮮だし勉強になる(へなちょこな自分としては、比べて凹んだりもするですけれども)。

今回は(思っていたよりも)アクティングの要素(たとえば言葉を言いながら、変てこりんな-クリエイティブな手話してみたり)も多く、身体を使ってなんでもありだったけれども、私はこういう方向性も大いに好き。今日みたいなのはそれこそ飲み食いしながら気楽に見てもらえたりするといいと思う。(逆に言うと「ダンスのみ」でひっぱってくのはハードルがますます上がってる気はする)。ふだんダンスを見ない方にも楽しんでもらえるならばそれはすごくいいこと。やってみたら好きになってきたので、ホンモノのcoolなアフリカンダンス習いに行こうっと。楽しく、よい体験をさせてもらいました。ありがとうございましたっ。アン・ドゥ・トロロ。
みなさん素晴らしい。リハが楽しいってのはラッキーなことです。明日は思いっきりやりましょう!!
ほんとに先生はじめみんなの人柄のおかげできゅーきゅーとならずにリハ進んでいてありがたい限り。そして楽しい。ダンスは楽しいのがいいです。

自分が作品の一部になってると思えるとき、この上ない喜びを感じる。(なんか今回もキレイ系ではなくコワレ系の役なのがそこはかとなくかなしいが、そういう実力か…一生美的無縁?)わたしなんか素人だからたかが知れてるけど、それでもなんかアートにつながってると思うといきなり世界が広がるというか、ちゃぶ台ひっくり返すというか、やっぱり飛ぶし凶暴な力を得る。

今日の「グリー」はよかった。音楽だけでなくコンプレックスやセクシャリティ、OCD(強迫性障害)、いじめといった難しい問題をなにげにうまくさばいている(私もED以前、その当時はわかんなかったけどOCDがかってたこともありました)。同性愛や心の病は当人にとっては日常なので、珍獣扱いも「すごくかわいそう」扱いもチガウと思う。日本人の「和」はある種の人々が自分らしさを犠牲にしているところに成り立っている、とか思ったり。私のメンクリ医は仮に私が自死に向かっても止められないだろう、どこかで「こいつはしんでもしかたがない」と思ってるんじゃないかな、と私は思っている。
先生にも仲間にも恵まれているおかげで、リハ楽しー。いろいろ詰めよう。帰りに「モヒート」飲んで帰る。これ大好き。(ふと思ったけど、ベランダでミント育ててるからひょっとしてうちでもつくれんのかな?)

それに先立つ昼間、友人たちの作品を観に行った。やりたいことがクリアでテンポがよく、面白い!何もない白い空間は使いづらいこともあるけど、彼女たちの場合はまさしくプラスに働いたのでは。腕を上げてるなぁ。

それで、彼女らの前の方々の作品がですね…はっきり言って退席したくなるつまんなさ。「手をふっと上げる」という動作が振りに見えることがまずつまらない。音の使い方も(いじってあったりするところがなおさら)こっぱずかしい。テクニックのある人たちなのになんでこういう指導者についていく?とお節介ながら思ってしまうけれども…なんと言っても「なんとなく」作品をつくってはいけないんだと思った。たとえ技術があっても漠然とやってては「作品のようなもの」になるだけで、さっぱり突き刺さらない。

雰囲気だけのダンス作品や「作品のようなもの」を産出するアーティストを甘やかしてはいけないと思う。つまらないものはつまらない。そういうことしてるとダンスはいつまでも「ダンスをする人(関係者)」だけが見るものになってしまう。
短い期間なのに、再会が功を奏しているのかとんとんと仕上がってきています。あとは空気感とか、共有かな。ダメ出し直しと、練って練習。パーフェクトではないけどいいところもあるし、作品に貢献している、と思う>自分。お姉さん方とリハ帰りに勢いで電車でビール!
地区会館の「和室」で練習するのは和む。いいかも、畳でコンテ。相当、落ち込んだり盛り返したり。帰りの電車で偶然やはりリハ帰りのクラス友にばったり。
ほんとにやるのかなぁ、と思っていたけど3月に流れたショーイングがリベンジ再演。1週間もないけど今日からリハ。わざわざ再来日してくれた先生と、この機会に感謝。しかし私さっぱりぱっとしない。あらゆる面において。疲れた。
夜中にケーブルでなにげに観始めてしまったドキュメンタリー。リハやダンサーと振付家のやりとり、打ち合わせだので、今のところ華麗な舞台シーンは出てきませんが「ブラック・スワン」の1000倍イイ。ダンサーが稽古着だからなおさら振付の面白さが見えたりするけれども、ダンス好きじゃない人にはまったく面白くないかも。でもこれから3時間って無理、寝ないと。
ブトー友に誘われて舞踏についての講演へ。半日がかり、パフォーマンスもあるプログラムで「学会」みたいなもの。仕切りが悪くてはしょり気味の演目があったのはダメ。

私はまだまだ「カヤの外」だけど、舞踏って伝統芸能の道を辿るの?いくら偉大な先人たちがおられても踏襲するだけでは「業界」の外の人を魅了するに至らないのではないか、一人一派一代というものでは、とか僭越ながら思います。

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