ふんふーん、と好きに踊っていたら、すっかりカウントはずしてる私。はずかしぃ。ジャズっ子たちはその辺きちんとやるので、アバウトっぷりばれてるわ。いろいろ考え中、暑さに早くもやられ中。
ブトーメモのみ:

■同じ動きの反復。ある動きが気に入ったら繰り返してみる。繰り返すうちに自ずと変化が生まれたり。小さく、大きく、早く、別な身体の箇所も加えて…などバリエーションをつけ、オリジナルに戻してみる、など。

■身体のひとつの部位のみ使って動く。手だけ動かして、そこは見ない。トルソだけ、ひざだけ、首だけ、目だけ、など。

■外面(動き)だけでも内面(気持ち)だけでも踊りは成り立たない。内面ばかりにこもってつまらなくなったら外に出てみる、など内外の出入りは自由。

今日はそれぞれのいいところが見えて、なんかよかった。がんばりましょう。
頭が疲れた。自分も人生を楽しむタイプではないのに父は私に「楽しいことすれば」と言う。楽しいこと、って何?I hate myself and mylife.わたしはどこからも誰からも忘れられていく。努力するのに努力だけの人生にいいかげん疲れた、さびしすぎるんだよ、となんどいったら?

BMレッスンへ。ここで心身ほぐす時間はとてもやすらぐ。岩手に行って「自分の身体が戻ってきました」という話。股関節はゆるめて、身体の重みが自然に落ち(ブロックしないで)受けとめられるように。あごも留めない、首は難しいけど抜けるときもある。かなしいことは床に。楽に楽に。
ブトー公式ミーティング。どうやらつくることになりそう。てか、つくる。制作お手伝いその他込み。

ダンスについて話すよりどうしてもダンスしたい気持ちゆえ私は早めに退けて洋舞(笑)のレッスンへ。身体を動かせるのはうれしい。昨日も書いたけど。ここはときどきレッスン後に飲みに行く。ダンスの話はほとんどしないで来る夏の節電対策とかサングリアとシャングリラってどう違うの?とかそういう話をしている。ボランティアに傾いているらしい某氏の背中を押してみる。無理にとは言わないけれど、気になってる人は行ったほうがいい。それぞれに必ず得られることがあると思う。
1週間抜けてブトー。身体を動かすのは純粋に楽しい、と思えるようになった。なんとなく、じゃなくて言語化できるくらい動きにイメージをしっかりもてると説得力が増す。

外-内-外

2011年6月13日 ダンスもの
やっぱり行ってよかったと思う。岩手。

1週間ぶりにレッスン行けた(嬉)。腕は背中を広げるように肩を外側へ、ひじは内側へ、手首は内側へとねじるように(スパイラルに)使う。肩まわりを詰めないように(肩甲骨のあたりを広げる)。

タフな女

2011年6月3日 ダンスもの
午前中メンクリ。今後の決意と予定を語るスイカ。それから西東京へとブトー先生のリハお手伝い。夜は別用。

音出しだのして、見たまま率直に意見を伝える。次に踊るとトーンがすっかり変わっている(てことは即興?)。で凄くよくなってる。つくづく天才肌の方だなぁと思う。このリハは外国でのパフォーマンスのためだが、高地なので舞台袖に「酸素ボンベ」が置いてあるとか。このソロ自体30分近くあるし、年齢を考えても、そこら辺の男よりよーっぽどタフ。気骨あって素敵(しかも綺麗だったり可憐だったり)。

(話は違うが、ここぞ!というときに倒れたり思考停止したり感情をコントロールできない「リーダー」ってあり得ないと思う。いくら学歴だのキャリアだの人脈だのがあっても肝要なときに力―保身でなく人のために―を発揮できないと意味ないではないですか。)

この前の女子会で「そろそろドーピングしないと(コラーゲンとか)」て話を私よりも若いハケン仲間がしていたけど(私も別な意味でドーピングしてますが)、この頃はもうスキンケアとかよりタフネスに惹かれる。スタミナ重視ですよ私はもう。タフで自信があれば美はあとからついてくる(…と思う)。
舞踏の先生は「リキ」と言っていた。「力を入れて抜く」ことの練習として、重い何かを担うところから始めるインプロ。

緩急をつける、あるいは「火と水」。これは他のジャンルのダンスでも見せ方としてあるけれども、例えば「力を入れる(締める、引き上げる」⇒「抜く(脱力する)」変化が瞬時に行われるのに対して、舞踏ではそれぞれにもっと時間をかける(らしい)のでより難しい(で、舞踏の先生が言ってるのはコンテの先生が言うそれとはまた違う含みもあるかも)。

腰を低くしてずっとリキを入れていたのですんごい疲れました。でも今日の即興、いつもより集中できた感じ。今日は前から話には訊いていたお弟子さん女子と初顔合わせ、若いが堂に入っている。今週はデキル人々に会う週間なのね。

↑とはまったく関係ない話だが、このところ…この数年、「社会的階層(クラス)」についてよく考える、というか意識する。そういう意味で「日本はひとつ」とかいうのは本当なのか、とか(特に上のクラス人にとって)。明示されているわけではないが確実にあると思う「クラス」。そのクラス概念のなかでは私は下層である。しかしそのくだらない「クラス」からの離脱も可能であろう。ということもからめて今後のエスケープなりサバイバルをちらりと考えているので、いわゆる就活については長期戦にもなりそうです。というかほんとちょっと考えるよ。
ターンのときもそう。上げてる腕は飾りじゃないよ、てこと。

今のところあちこち行ってますがいちばんリラックスするのが木曜・古巣のここ。レッスン終わって飲みに行き、水道止められた自慢とか。なんだそれ。
かのように迷える新参者は、先輩の同世代ブトー友と緊急女子会を開く。彼女はよく勉強されているし、先生や他の若手ブトーっ子や場の歴史に詳しい。私も舞踏についてもっと知ろうとしなければ。

しかし話は「アメアイでジェームズ(ザ・ロッカー)が落ちたのは納得いかない」(凄まじく高音聞かせるし、ステージでのパフォーマンスも完璧。彼こそwhole package(すべてを兼ね備えた人)だと思うのにアメリカ視聴者の趣味って結局保守的だと思う)から「飴屋サイコシス」(未だに忘れられない)までアート、エンタメいろいろ。彼女は演劇の人だがこういう話がつーかーでできるのは楽しい。こちらこそよろしくお願いします。

ハケン会社から微妙に紹介されつつあった短期の仕事は流れた。「みなと同じように生きる必要はない」ということ。「みなと同じでない」、からといって罪悪感をもつ必要はない、ということ。他人と比べて死にたくなるなら、自分の基準で好きなように生きてればいいじゃないか。

なぜ罪悪感が伴うのか。何についての罪悪感なのか。
本番リハに入っているため先生ヒートアップ中。

●インプロで「魂入れて!」みたいなこと言われたらそりゃいろいろやりますよ。でやってたら「いろいろやり過ぎ。散漫になってた」とか言われる。

●でなくても稽古のインプロはお試しと思って私はいつもいろいろやるし動き回ってしまうのだが、みなさんあまり空間を使わない(⇒移動しない)のはナゼ?

●「動いてないときのほうが面白かった」とか言われる(特に終わりのほう)。…。「存在を感じる」だって。

●「自分が面白いと思った動きはしつこくやる」YES!

●話が戻るけれども、私はやはり(特に人に見せるためには)「大きく動く。空間を使う。いろいろやってみる」とか考えるしそうやりたいのだが、…そういうのがそもそも舞踏じゃないんだろうか?同じ動きを繰り返したり、テンポや質感を変えないまま続けている。そしてなんかこもり気味というか人に見せる構えになってない方もおられる、ようにも思うのだがそういうのはあまり話題にならないし。

●舞踏の美学がわからない。勉強しろ、って話だけど。舞踏のエネルギーはどこから?

●自分がもっているものとは大いにかけ離れているのかもしれない。しかし面白いので続けようと思います。
ダンスの話です。

●骨盤の前側から引き上げるようにして立つ。骨盤が今ちょっと前傾気味に見えるので、もっとまっすぐに立てることができるのでは。

とのこと。私はつい足元―指先(親指と人差し指の間に立っているか)ばかり気にしてしまってバランスがとれない。それより先に骨盤を立てることに意識を向ける。

その後のコンテは3人で、これくらい仲間がいると楽しいですね。
月曜に教わっている先生のスタジオでチャリティ・パフォーマンス。友人が出演するので観に行く。彼女たちのチームはまとまり感(共有している感じ)があって、ユニークでかわいい振付をみんなそろってこなしていた(すごいね)。

スタジオチームのみなさんは…あまりクリアでなかったというか、いろんなことをやっているのだがイメージとしてはっきり伝わってこない。ここの先生は身体が超・使える人なのでそういう身体でないと再現できないのかな?もちろん上手なダンサーの方もたくさんおられます。何曲があったのに質感の違いがあまりない、というのと振りをやるので一生懸命になってて何を伝えるかがお留守な感じも正直あった。コンテで美的な方向を目指すのはほんと難しい、と思う(自分は目指せないです)。

日曜に出かけるのは今ちょっとしんどいかも。なんでこういちいちたいへんなのだ。

それで

2011年5月20日 ダンスもの
一昨日の面談は結果NG。先方の方針と私のそれが違う、というのは面談の際にわかったし、やっぱりもっとすっきりした感じで経験のある応募者が選ばれたのかもしれない。先方に求める人材のイメージがある程度決まっていたなら、いかんともしがたいということはある。今回は事前にある書類の提出を求められており、その準備にけっこう私費&労力使ってた。部屋に本の山がとっ散らかったまま。それはまた別な機会に使うこともあるかもしれないけれども。微妙な話でもあったけどめげるなぁ。どうする次?

舞踏の先生のリハお手伝い。同世代のブトー友と共に郊外の稽古場へ伺い、その後、先生宅でお茶。
英会話は講師がキューティだったのと私が疲れてたので、おしゃべりで終わる…。次こそテキストやります!

彼女はカナダから来た方で、カナダって国は「東はアグレッシブ、西はレイドバック(のんびり)」なんだそうだ。知らなかった。USと同じですね。

ブトーは若手が休み、中年チームだと若手のめんどくささがないらしく(悩み多いから)先生レイドバック。スペイン人の男性(大学講師)と演劇出身の女性と私とでインプロる。

「音楽がクラシックだと、7割は音に乗せていかないと難しい。あとの3割ではずしていく」と先生は言う。そういう発想なんだ。舞踏について私おそろしく何も知らないかもしれない。
ダンス×2。胸は広げて、背中(肩甲骨あたり)と連動するように意識して使う(身体の表と裏をつなげる)。自分では下げてるつもりでも、肩が上がるクセがあるから注意(バットマン、ピルエットのとき)。

現行もっとも強力な月曜のレッスン。身体をつなげて使うことを考える。振りもつなげる。だから動きは綿密に。力を入れるところと、抜くところ。自分へなちょこだけど、ぴかいち練ったメソッドで身体のつくり方、使い方を教えてくれるこの先生になんとかついていきたい。

いたわる

2011年5月14日 ダンスもの
今朝、寂しくてたまらず、いつものセットを4~5倍で服用。私は自分のいたわり方を知らない。食べることにも興味がないし、自分を楽しませる手をあまりもってない。落ちるととにかく億劫で、些細なこともできず、文字通り動けなくなる。クスリに頼っていてもしょうがないから、思い切ったこともうやんないとだめかなと思ったり。やっちゃったほうがよっぽどましなのかなとか。

ボディ・メンテナンスのレッスンは、自分の身体にとてもていねいに向き合う時間なので、自分を大事にできる感じがするのがすき。もっと自分自身を好きになれるといいんだろうと思う。
午前中メンクリ、夜これ↑

311当日はまさにリハ中だったそう。キャンセルとなった本番がめでたく振替公演となりました。(以下、公演順)

◆村山華子作品
不思議なストーリーの絵本みたい。ダンスよりモノ(小道具、映像、仕掛けetc)が多い。「既にどっかにあるかも…」感なくもないが、方向性がはっきりしておられるようなので(上からモノ言ってるみたいでスミマセン)突き詰めると面白くなってくかも。父役・母役の方々が上手い。

◆前納依里子作品
ファーストシーンのソロ(作者)、音も動きも凄くいい。そもそも全体的に音と振付がよくて、もっとも「ダンスらしい」作品と感じる。ネガ/ポジで言ったらネガ方向の近未来シュールな印象だが、こもってはいない。3つのなかでは作品世界として私はいちばん好き。ダンサー陣もそれぞれ個性的で素敵。

◆AAPA作品
2人の女性ダンサーの存在感や動きにひたすら見とれる。が、あとの出演者二人が私にはよくわからなかった。セリフをしゃべっているのだがよく聞きとれず。テキストに意味があるのだろうか?トレーニングされたダンサーの身体と、こなれていない言葉との齟齬を感じる。
夜のレッスンが休みなので昼間のクラスへ。先生は「頭をからっぽにして~」と言う。頭をカラにしてできる活動ってなんて素敵、だし必要。でも実はカラにするのも結構むずかしい。そういえば昨日、書くのを忘れたけど「モダンダンスの母」マーサ・グラハムのイメージでつくったGoogleロゴアニメが凄くよくて、何度も見ちゃった。

(以下メモ)
ひとりでインプロってて「うまくできた」と思える瞬間なんてあんまりない。でもあるとすると:

(自分)
うまく流れたとき/体重をうまく運べたとき/それまでの流れを変えることができたとき
今までやったことがないことを自然にできたとき(自分のクセから飛び出したとき)

(他の方の意見)
目の奥がクリアではっきりしたとき/からっぽで自然に身体が動けたとき/悩みがなく集中できるとき…など

ではどうすれば「自然な状態で、とらわれのない、人工的でない」理想の動きができると思うか?:

(自分)
●待ってみる(いつもとりあえず始めてしまうから、動きが中から出てくるのを待つ;その場ではなかなか「待つ」ってやりにくいけど)

●ダンス的なことに対するとらわれから抜けたい
(「中途半端なアチチュードターンとかやってみせたってしょうもない」とか、意味なくポワントとかダンス足になってるとか…の類。そういうことが気になる。先生からは「せっかくトレーニングしているのだからダメだと思い過ぎなくてもいい。またそういうダンス的なことを一切やらない人もいる」)

(他の方から)
イメージしたものがはっきりつかめて、その対象になりきれるといい。入りきる。

(先生から)
●ダンサーは「生きている人間のかたまり」。だから逆にキカイ的にやってみせたりする人もいる。

●止まらないこと(止まっていても動きを感じ続ける。ゆらめき)

●●吸い込んで吐く。やっぱり呼吸が踊りにつながることは大事。

●自分の外側と内側がリンクしていること。

●正解はないので、自分に合った方法を。

●●自分の身の丈(生き方)に合った表現を目指す(←そうありたいです)
↑なんのことやら、なタイトル。ダンスはどこへ行っても下半身の強さがものを言う。しかし足腰鍛えるにはどうしたらいいのでしょう。登山とか?

ブトーは「下半身(腰)と呼吸」で動く、とのことでした。でもそのとおりにやってみたら、前よりやりやすかった。しかし舞踏に関しては「自分が何をやりたいのか(何を表わしたいのか)」を考えていかないとなぞるだけになってしまう。どこへ行っても道は遠いな、ダンス。

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