状況

2012年4月8日
自分と自分の人生の情けなさに愕然とする。不安でたまらない。後悔や心配。ひとりでこれからやっていけるのだろうか。ひとりでいろいろ処理することに疲れた。考えると胸が苦しくなり眠れない。しょうがなく眠剤。
水の多い施設に私はいた。深いプールにつかっては上がり、また別の水へ移動した。そこではプロやセミプロのダンサーがそれぞれリハーサルしているようだった。一部はコンペティションらしい。自分も臆せずひとり練習している。そのあいだ実際に自分の身体で、背骨にそった流れと骨盤のあたりが熱くなっている感覚があった。今までになく自分の身体が「つながった(コネクトした)」実感があり、それがとても嬉しかったし、面白くて集中していた。

*****

花見。がんばって行ったが、やっぱりこういう集まりはちょっと苦手だった。かえって桜は見ないものかも。

holistic

2012年4月6日
不思議なセラピーを受けた。オーストラリアのカイロプラクターがはじめた「ボディトーク」。いっしょうけんめい探したわけでなく、オーラソーマのサイトで偶然「ご近所にこんなところが」と見つけたのだった。

心と身体を切り離すやり方は私には合わないし、薬もできるならのまないほうがいい。「患者」をすると奪われる。それに、ダンスのためには身体だけでなく精神もだいじにしないといけないなぁ…と今週、思っていた。

いわゆる「カウンセリング」では初回に扱いきれないような大きなことをどかんと伝えたり手当てしてもらって(まさに in a heartbeat)、行き先よくわかったらしいのだった。今はいろいろ書かないで、リルートされた「全体としてのわたし」をこれから楽しみにしようとおもいます。

Webメール

2012年4月5日
…というものが苦手でつくったものの放置。気持ちが落ちてるとなおさら開けず、結果として頂いたメールが長らくそのままであったことが判明。ほんとにすみません(汗)!

ヒットしていた

2012年4月4日
3年前に急逝したダンサー/振付家、ピナ・バウシュの映画が2本、公開されている。ヴェンダースが撮った3Dじゃなくマイナーなほう(と思っていた)の「夢の教室」を観ようと朝から都心に出たのだが、既にチケット完売。15分前に着いたのにですよ。入口で告げられ砕け散った人は私のみでなく、サービスデーとはいえ朝からぴな詣に来る人々がこれほどいようとは。思いもよらぬ事態に代替案もなく手ぶらで帰りました。この映画館では朝1回のみの上映が来週から2回になるそうです。

あらし

2012年4月3日
不思議な4月の激しい雨風。日本人フィルターで「さくらは…」と一応、気にかける。
おちつきなさい。それに尽きる。とにかくかーっとしてしまうと、覚えたこともここに書いているようなこともすっとんでいってしまう。遅れてもいいから。落ち着けばできる。自分のペースでやればいい。これはどこに行っても課題。これが変わると、だいぶ違うと思うんだけど。

間違ってはいけないというのと、遅れてはいけないというやつ。のびのびと失敗できればいいのに。自分に「だいじょうぶ」って言うんだな。この件に限らず、自分がないな、と思う。ここにきてあきれるくらい、ない。なんだかわからなくなってしまった。器用に生きられない人はどこへいけばいいのだろう。
実はよく焦ったり、緊張している。いろんな状況で人を待たせる(待ってもらう)のが苦手。何か求められていること(or いるらしいこと)に応えなければ、と反射的に思う。そんなで「とにかくやらなきゃ」と気持ちが焦って中途半端になる。緊張してかーっとなり、とにかくかたちだけやろうとちっちゃくなる。何が緊張するって「評価されること」が怖いから、ちぢこまってしまう。

自分が自分をあまりにも客観的に、いつも評価し批判する(そういえば単純に「楽しい」って思えるときが少ない)。人もいつでも批判しているように思うから緊張する。そうでないかもしれないのに。そうでないと思う。

「~したい」とか「~が好き」、なんであれ自分の「欲望」をみせるのがイヤで避ける(ごくふつうのことでも)。そんなこと誰も知りたくないだろうし、とんでもなく恥ずかしいとか、みっともないとか思っている。

小学校の頃、まわりと仲良くできずひとりでいたとき、「平気です」というふりをしていた。そうしないといじめられる、と思っていた。なんでも「ひとさまに迷惑をかけてはいけない」「自分でやらなきゃ」「ひとりでなんとかしなきゃ」と思う。家や育った環境で私はそうせざるを得ない時期が長くあったが、「ひとりで抱え込む」「自己完結する」のは無理だし、そう考えるクセは自分をちっとも幸せにしない。

…というような自分をずいぶんほったらかしていたので、まず落ち着いて話を聞いてあげないと。自分にやさしく。いつかはのびやかな子に。自分にも、人にも寛容になれますように。

ぶつかる

2012年3月30日
メンクリに行ったら両親と出くわす。親子が別々に面談している場合、予約日を重ねてはいけない。私が多くの人と同じように、自分を受け入れることができていたら、ふつうに親への恩をもてたのかもしれない。自分でやっているのだとわかっていても自ら自分を窒息させるクセがなかなか変えられない。自分を好きになる練習をしようと思う。クリニック混んでで(「春先」だ)インプロ大遅刻。私いまいちまわりが見えていない。ダンスはひとりですることじゃないから、少なくともある程度は健康じゃないとだめだなーとおもう。

ポカリ

2012年3月29日
何がしたいんだろう?あのCM。子どもの頃バレエをやっていたわたしは40になってへなちょこヒップホッパーな娘にぽかりを買ってあげています?娘が自分で買えばいいじゃん。40才でも踊り続けるわたし、になぜしなかったのでしょう。40代以上でダンスを続けている素敵な人(しかもお母さんだったり)は身の回りにも少なからずいるし、なんらかのかたちで身体を動かしている人々は大勢いるはず。誰にアピールしたかったの(私は「水」派)。

卒業はしたが進路定まらずな自分。心配とか自責とかで文字通りのどが詰まりそう。

卒業おめでとう

2012年3月28日 EL
"Oh,no. This is your last lesson.!" そうなんですよ。1年間(75回)の英会話スクール通いも今日でおしまい。

〆るにあたって、レベルチェックぽく自分の弱点と今後のアドバイスを教えてもらう。たとえばドラマを見ていて「これは!」と思ったフレーズは聞いて終わり、じゃなくその場で口に出してみる。そうすると「意味はわかるけど、いざ話すとなると自分で使えない」域から脱することができる、とか。

「英語学習は英文法をベースに、読む・聞く・書く・話すの4つをバランスよく進めるべし」と一般に言われる。初めてスクールに行ってみてその理由がなんとなくわかった。スピーキングの練習をすることで、学習に他の3技能とは異なる新たな視点が加わる。要するに実際に「話す相手」を得る(イメージする)ことで、「どうすればその場に適切で効果的、また感じ悪くなくコミュニケートできるか」という学習の軸ができる。

そのためには「文化や慣習の違い」に対する意識も大事ですね、と気づく。私はこの辺のことをそれまであんまり考えていませんでした。英語圏におけるそれらを意識すると、同時に自分が背負ってるであろう「日本人らしさ」みたいなものを考えるようになってくるのが面白い。で、考えるとよくわからなくなってくるんだけども(汗)、日本や日本語についての関心もちょっと増えてきました。

先日の舞踏WSで教わった「2人称」の関係と同様で、おそらく「話す」ときにいちばん強く、コミュニケーションの対象としての「相手」を意識するので、対岸(というかこっち側だけど)の自分もくっきりとし、アイデンティティを問われてくるのでしょう。また「レスポンス・タイム(相手の発言や質問に応じるまでの時間)」が関わってくるのも思うに他にない特徴で、(場合にもよるけど概して)3分かけてゴージャスな答を返すより、話しながら考えるのでいいからその場の流れを切らないほうが自然な会話としてはいい。

「英語を覚えて何を得た?」と先生に質問された。他にスキルとか社会性とかかわいげとか、世のなか渡っていくための道具らしいものがない私に英語はいくらか仕事の機会をもたらしたが、考えてみれば自分にとって英語は仕事のためではなく、そもそも「楽しいから」「好きだから」やっていることなのだった。(私ががっつりとOLしていた20代の頃はトーイックなんて世にはびこっていなかったです)

「英語を勉強してなかったら、自分は何をしていたと思う?」とも訊かれて、考えてみたけどわからなかった。私はもともと西洋(英語圏の)文化のほうに親しみがあり、自分のパーソナリティのかなりの部分がその積み重ねのうえにできているように思うので、「英語をやっていなかった」自分が何か違うこと(総務とか経理とか?…なにかしら会社/社会に役立つこと)をしていたかもしれない…というのを今の「英語(英語的なこと)によってかなり形成された」自分が想像しようとしてもできなかった。「想像できない」と言ったら、「そうでしょう」とその意味するところはじゅうぶん伝わったみたいだった。通っていたあいだ、モチベーションが落ちてきた時期もあり、そういうときはうしろめたくもなったけど基本的に英語が好きな人、というふうに見ていてくれたのかもしれない。

いちばん教わったこの先生は言語学に詳しく、舞台や表現についてわりかし深い話をしたりシェアできることが多かった。本当にお世話になりました。今の自分にとってはいい潮時と思うけれども、やっぱりちょっと寂しい。

Good luck with your life! と言われる。とても英語らしい表現であり発想。小さい頃からずっと、私が英語にきらきらした感じというか、可能性みたいなものを感じるのはたとえばこういうところです。See you around.

作物が育たない

2012年3月27日
1) とある派遣の求人に応募→ 2) 電話インタビュー→ 3) 面談という予定だったが、1)から2)のあいだにおよそ10日もあいたうえ、「広告と実際の条件が違う」ということが2)の段階になってやっとわかる。

大事な項目なのであらかじめ2)の前に派遣会社に確認したのだが、電話にでた人(担当者は休みで別の人。でも営業に確認したそう)は「広告と同じ」ということを自信たっぷりに言っていた。…ということのみならず、全体的に「いかがなものか」な対応が気になり(人材会社メインで派遣の扱いに慣れていないandマンパワー不足なのでは)、今回ぬか喜びに終わったのも腹立たしいがこれじゃーちょっとこの先も心配だわと「これこれこうで、御社の対応に不安があるから登録はしません」ということを上手に書いてメールで送った。しかしこんなこと上手でも不毛である。というか派遣そのものが不毛なフィールドなのだろうか。夜遅くCI。

待つ

2012年3月26日 ダンスもの
香りつづくトップフレッシュカモミール、という洗濯洗剤を愛用していましたが、バージョンアップされた「プラス」にしてみたら「人工リンゴ」混ぜたようなかなりクセのある香りになっていてがっかりした。1回しか使ってないのにどうするよ、と思うくらい個人的には苦手だ。

ダンスはいろいろすることがある。そして性格が出る。これ前にも言われたことだけど、自分ひとりでやろうとしないで、相手(etc,)をちゃんと見て、待っていいんだと思う。焦らず、まず落ち着きなさい自分。

お手当て

2012年3月25日 ダンスもの
ダンスもののメンテもの。先週のTOEIC前日くらいからぶり返していた腰痛ケアのため整骨院へ。やっと行けてほっとする。10年ばかり前の3月、実家をでることに決めた頃も腰を痛めていたんだっけねと感慨深い。ワークショップは本当にいい体験だった。元気でた。
集中ワークショップは合宿とか旅行に似ている。とりわけ今回は異空間で遠くへ旅した気分。社交的とはとてもいえない自分にとっては、身体やダンスについて興味を同じくする人々に出会い、場をともにできるのもありがたいこと。6日間、強烈で楽しい時間でした。

今日は「1人称」「2人称」「3人称」の意識で動く、というテーマ。

●1人称…「動き」を動く。自分でやる。コントロールがある。まわりからの影響をまったく受けない。時間・空間から完全に遮断されている。見えていない、聞こえていない。宇宙にたったひとり。

●2人称…「あなた」という対象がある。特定の対象にフォーカスする。自分を相手に向けて開く、そこに「愛」が介在する。(※「あなた」という相手を意識すると、「1人称」のときよりも自己がくっきりするように感じられたのが印象的だった。「1人称」の場合はひたすら没入なので)

◎3人称(非人称)…客観される自分。第3者の視点あっての自分。ダンスは必然として「観客をつくる」。「観客」あってのダンス。ダンスには「観客をつくること」が含まれる。目の前にいる観客だけでなく、劇場の外、それを取り巻く世界に向けて発信する。「観客」によってつくられる自分。自分も取り巻く世界の一部であることを意識する。

◎「自分を追い込む」
作品をつくるときに必要な「自分を追い込む」行為とは、どれだけ自分に対して3人称的視点をもてるか、ということ。「どのくらい自分と身体を切り離せるか」3人称=非人称 (non-human) =鉱物。3人称の自分とは新たな生をもつことであって、死ではない。たとえば「鉱物として生きる」というように。

◎3人称の動きの練習→記憶をもちこまない/判断しない/考えるより速い動き。何かに対する反射運動(びっくり、など)のようなもの。何が起こったかわからない、すべてが新しい。判断が入るということは、1人称的動きがあることになる。→ゆっくりした動きでも反射運動と同じ意識で動けるように。

☆ 自分は無限大の意識のなかのひとつ。自分は宇宙に包み込まれている。宇宙のなかにとりこまれた自分。宇宙のひとかけら。それでも自分が欠けたら宇宙は同じ宇宙でなくなる(The world won’t be the same without you)。…ことを忘れないで。ということはつまり「愛」。

最後にour lightをもって全体で植物~人間のやりとりで動いていると、強く支えあう安心が感じられた。たとえソロで踊っていようとも自分はひとりではない。

言葉にすると陳腐であやしい人になってそうでやきもきするが、それでもせめて書き留めないと、と思い書いている。ダンスや身体について自分がこれまであれこれ考え悩んできたことに対して、これから大いにガイドとなりそうな新しい言葉や視点、体系を教わった。本当にパワフル。凄いワークショップだった。どれほど自分のものにできたかはわからないけれど、少なくとも前いたところには戻れないと思う。
体力というよりむしろ脳力から果てるようになってきた。100分の1ミリくらいシュタイナー入っってたら吉。

◎遠くを見て、よく聴くこと。呼吸もする(発声呼吸)。息を吸うとき、頭頂を開いて光を迎え入れ、目と耳を開く。息を吐くときは下へ、地球の空洞まで届ける。呼吸は地球のコア⇔宇宙の交換。

いいなぁ…と思うのは内の身体感覚にフォーカスするだけでなく、外へ開くこと―宇宙とつなげる、場の人々と共有する―も同時に尊重するよう教えてくれること。自分の身体が上と下が循環するすっきりしたパイプのようなものになればいいのかなと思っている。たぶん頭でつっかえてる。自意識、雑念、いろいろ。まだまだ。

●イー(頭上:光:身体の外:直線)自分としては自由、無責任なほどに軽いイメージ、アー(地球の中心:gravity:身体の外)、エー(火:眉間)、ウー(のど:受精卵がさいしょにつくる身体の部分で、もっとも大事)、オー(おなか:球体をつくるイメージ→水、流れ)

◎眉間をひらく。心臓で受け取った「熱」を眉間から放つ。※眉間が閉じていると熱が伝わらない。つまんないダンサーになってしまうそう(!)

●耳をよく開くと発声する身体になる。動きながらのどと肺を開く(vibrant)。声の力を身体の細胞に流す(内側)、また空間に流して共有する(外側)。

ここで教わっている呼吸と連動、イメージ、身体感覚…といったものは自分をひきはがす練習になっている気がする。
自分的ワークショップメモ。膨大な量の新しい体系と語彙を受け取っており、消化が追いつかない。けど、この密度の濃さはインテンシブならでは。この場だけのことにせず、持ち帰って生かせるように。イメージや身体感覚にフォーカスしながら動いていると全身でエネルギーをくったりと消費する。今日は脳メーター振り切れた気が。

●「内的身体感覚」をとらえる。向き合う人、通る場所etc.によって身体感覚が変わることを意識してみる。

◎2つの異なる身体感覚を同時にもって動く練習(2 Senses)。重要。以下のエキササイズにおいてはコンセプトを意識してはっきりもつ、わざと分けること。
【エキササイズ】
1)fast(考えるより速く動く)2)stop(止まる)3)コンビネーション(1と2を同時にもつ。速く動きながら身体感覚はstop)

1)光の身体感覚で動く(fast) 2)ダイアモンドの床の身体感覚で動く(slow) 3)コンビネーション(fastに動きながら意識はslow;slowに動きながら意識はfast)

●「スポーツ筋肉」(単なる反射)⇔「内部筋肉」(単なるSRでない、屈託?をもって返す;ダンサーはこっちが大事。

●骨筋肉(骨は柱でなく、骨のなかを流れる力で支えている)/内臓筋肉(これが弱いとエネルギーがでない。発声する身体)/2 sensesを同時にもって動くこと。これら3つが土台となってスポーツ筋肉を動かす。

●「私の言うことを文字にするな。文字にすると死ぬ」(ホメロス)。いえてる。

●バレエは文字から生まれたのではない。バレエは文字に対する嫌悪から生まれた。

●バレエはしゃべらないのが伝統。ピナバウシュが画期的なのはヨーロッパのバレエにおいてそれをやったから。

●イメージは「記憶の再現」ではない。記憶を壊そうとしたときイマジネーションが生まれる。

●神話の話、言葉の話。「名詞(ex.うみ)」を身体感覚に翻訳する。「形容詞(ex.広い)」を身体感覚に翻訳する(そして動く)。言葉と動きの結びつき。(ここらへんで力尽きてくる…)
●あるいはダイアモンドの床と天上の光。ダイアモンドの床(地にコネクト:ベクトル下向き)と光(天上にコネクト:ベクトル上向き)という2種類の身体感覚を同時にもったまま動く。

●頭の上1メートルくらいに光をもつ。その光をみなで共有しながら、動く (our light)。

「ダイアモンドの床と桜吹雪」というのは身体感覚の喩えだが、このワークをしているあいだ空間の変容が本当に見えた。私はあまりこういうのに入り込めないほうだが、自分の身体があっというまに粉々なちりになって桜吹雪にまみれて飛んでいくのを感じた。

こんなに簡単に自分なくなっちゃうんだ、と思ったら泣けてきた。日頃、この自分を消すのって容易なこっちゃないとぼやいてるくせに皮肉だけど、こんなにはかなく消えることを感じたその時間、そのことがとてつもなく悲しかった。自分だけでなく世界もかんたんに変わる。そのはかなさが身を削ぐように悲しかった。

もう自分がないのだから、「どう動くか」なんてどうでもよくなった。渡す‐受け取るというプロセスすら自動化して、なんだかわからないくらい一体となっていた。パワフルだった。自分が見た世界は美しかったと思う。
メニューは先生が瞬間のインスピレーションで決めているらしい。でも私的理解では「呼吸」と「イメージ」の大切さ、身体との連動がテーマ。きわめてソリッド。

●「イメージ」がダンスの糧。そしてそれを「呼吸」とつなげる。息を吸う(頭にイメージを描く:赤・青・黄)→息を吐く(そのイメージを「血液」に落としていく。吐ききるまで身体じゅうに行き渡らせる)

●「血液」はどんなイメージでも喜ぶ。ダンスも同じ。どんなイメージでもいい。

(●かようにイメージは大事だが、これを「内にこもらず」やるのがキモと思った。「自分」、だけじゃない。開く。開いておく。)

◎自分が呼吸するのでなく、宇宙が呼吸する。宇宙まで吸い上げ、地球のコアの空洞に吐き出すつもりで。(私が書くとニューエイジぽくてあれですが、この表現はよくわかる。先生のコネクトっぷりがすごい)「宇宙身体」

●植物⇔人間の交換(酸素~二酸化炭素)。循環。(これはどう見せるかという形ではなく、「交換」がキーだと思った。渡し~受け取るというサイクルにフォーカス)

◎自分のクセ:イメージが首の下で止まってしまいがち。頭の上まで吸い上げる(顔とか脳etc.も忘れないでつれてく)

◎呼吸のイメージ:息を吸う(頭頂がぱっと開いて、金色の光が入ってくる)→吐く(頭頂がきゅっと閉じて、光を体内に閉じ込める)。そのIN/OUTのイメージをはっきりともつこと。

●ダンスの3つのセンター:動き、呼吸、イマジネーション。身体におけるダンスのセンターは喉。

●変容(メタモルフォーゼ)は二択。ひとつは「死」、もうひとつがダンス(or any art form)。

●「死ぬとき死ぬのでは死が堕落する」死ぬ前に死ぬのがダンス。(超かっこいい)
今日から舞踏ワークショップ。K氏は説明がそのままダンスになってて、WSでありながらパフォーマンスという素晴らしさ。そしていつも思うけどブトーって間口が広い。参加者インターナショナル(今日は英仏で翻訳がなされていた…)、年齢層さまざま、男性の比率もけっこう高い。ダンスの経験やジャンルもさまざま(経験不問)で、いろんな身体があるのも面白いところ。濃いぃ。土曜まであるけど通せるか自分!

●「爪に小明かり」。息を吸って、吐く。呼吸で身体の動きをつくる。息を吸うと、手の爪にあかりがともるようなイメージで(ラブリー)。

●声をだすときと同じように、身体を動かすときも喉と肺を震わせる。喉と肺をvibrantにしながら動く(これができるようになると「ダンサーとして3レベルくらい上がる」そうです)。

●踊り続ける意思。

< 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索