ない

2011年11月30日
家がなくなっちゃったことも思うと悲しいし、なんだか疲れた。何年も受けた分析も治療もくそ。そろそろ「もういいよ」と言ってもらえるんじゃないだろうか。誰かと一緒になにもかんがえず静かに過ごしたい。
先週のシューゲイザーはテーマとの両立が難しいので別な機会にとっておくことにして、今日は動き先行、音はアンビエーントでつくってみました。

毎度ぶち当たるカベは「動けない」ということ。身体が利いてとにかく動きまくる方々がおられますが、私はその逆。少なくともそういう自己理解。なので「私があちちゅーどだのあらべすくだのやってどうする?」と思って動けない。「動けない」というのはとても自分らしい部分だが、自分の身体に合った動きというのはあると思う。
月曜夜のレッスンは私には難易度高いし、先生に対してもまだ緊張ぎみ。もともと根がチキンな私ですから、心身開くダンスの時間はなおさら固まりやすい。

今年は図らずも自分が「教わる側」になることが多く、それはとても幸いなめぐり合わせだったと思う。「生徒」になることで「教える」という行為について考えたり、得ることがとても多かったから。

思うに教師が「教える」ことが好きだったり、教えるコンテンツに情熱をもっていたりすること、それが「教えるー教わる」関係にいちばん力を与えるのでは。教師も教えることを楽しんでいて、何かを得ているとき、それは生徒にも伝わる。そういう関係は(ニューエイジぽい言い方でなんですが)まさに良い「気」があると思うし、教師-生徒のinteractionがクリエイティブな循環になるのではないだろうか。

で月曜の先生もダンスに、それを教えることにパッションのある方だと思います。指摘が細かいのでびびりますが、なんとかついていこうと思う。床ものとかは「ちょっとしたこと」でほんとに変わる。スムーズにできないときは「ちょっとしたこと」ができてないとき。その「ちょっとしたこと」を言ってくれるんだよね。なかなか身体に入らないけど、覚えていけると私もずいぶん楽になるのではないかな。

話は戻るけど、人が介在しないEラーニングなんて、学びの構造としてはやっぱり貧しいと思ふ。いくらなかみがよくできてたとしても。

ぷちボラ

2011年11月27日 311
たまには「地域に密着するのだ」と、地元ボランティアセンターのお手伝い。午後だけ。岩手に送る冬の支援物資の仕分けや箱詰めなどです。募る物品は決まっているのだが、「カイロ」だけでも「貼る/貼らない」タイプ、さらにサイズが「大/小」あって整理とカウントが大変。単に段ボール箱に紙を貼る、という作業の難しさを知る。「手持ちぶさたかもしれません」と言われていたけどすることはじゅうぶんにあったです。
しばこを洗います。引越し前はプロに洗ってもらっていたのだが(両親シニアのため)、あいにく近所にサロンがない。なので私がドライヤー持参でやってみた。洗われ疲れてくったりのしばこ。

その後、BMレッスンへ。前回、来たときはほぐれて翌日11時まで熟睡したっけ。本人、自覚ないしめげてたのだが、身体は変化していて良い方向に向かっているとのこと。ここに来ると自分に立ち返るようで、少し悲しいきもちにもなる。
下半身絶賛鍛え中であるはずのブトーですが、私にゃ表現力がない。

踊るときは「第三の眼」(fictional eye)を開いて、日常のまなざしは捨てる。とはいえ実際にはふたつの目に「気持ち」をこめるわけだ。

「気もち」ノットイコール「情念」。いまいちわかりませんが、「気もち」とは感情から現世的なアクをすくい取って純化させたものではないか、と推測しています。

私は(年齢的にも)「気もちをもっと出して」と言われている。私は自分を空っぽにして踊るほうがそれこそ気もちいいのだが、こちらの先生としては「目でもっと気もちを表しなさい」と。

気もちのことを考えながら即興してたら、なんだか過呼吸ぽくなってきちゃった。この頃、寝る前に考えごとしててもなる。

私には感情のストックがあまりない。特に上方向の体験が思い出せない、ので困る。喜びとか愛情とかよくわからない。「お母さん」とかマジ困る。コワレテイル。こういう人はどうしたらいいのでしょうか。
・先週はジェットラグ?今日は本来のクラスに戻った、いやかつパワーアップした感じで楽しかった。振りを教えるところは多々あれども、身体をどう使ったらスムースに動けるか合理的に教えてくれるところはあまりない。地味と言えば地味ですが、ここではそういうことをていねいに教えてもらえるのです。

・背中を押された部分の直下から動かすのでなく、動きの起点はそのずっと奥(体幹)。そこからポイント目がけてじっくり動かす。

・クラス友にひさびさ再会できるのも嬉しい。美女2人と帰りにちょっと飲み。
人形劇のスタジオ公演を観に行く。「人形劇」といってもオブジェクト、明かり、音楽を自在に使い、演者も全身を見せるのでフィジカル・パフォーマンスと思って観ている。こちらのチームは「イメージ」を見事に舞台に載せるので、毎回楽しみ。

こじんまりした、つくり手側の一生懸命さとか誠実さが伝わる空間。こういうのいいなぁ。私もお客さんのすぐ近く、ちっちゃな場所でやってみたい。1500円で飲み物とお菓子つき、ていうのもいいと思う。おやつを食べながら。

思ったより長尺(1時間半くらい?)だったけど、飽きない。次は何?と展開する手づくりの「かたちをとらない、かたち」「かたちになるまえの、かたち」に惹きつけられる。

●わかりやすくし過ぎない。「よくわかんないけど、面白い」
…つまりイメージで構成する。私はなかなかこれが貫けない。

●ミニマムな要素でイマジナティブ(想像力を喚起する;刺激する)
…すごく大事。あそびを残す、ということ。ただしイメージの強度は要ると思う。

●歪んだ;いびつな

●なまなましい要素;生の

無意味なものってうつくしい。胸をうつ。音の使い方もすごくうまくて最高だった。ダンスの公演でも音に感心するのって失礼ながらなかなかないので…全体としてとにかく「センスがいい」。足し過ぎなものが多い、と感じられるなかすばらしいです。私はやっぱりこういう、「その人ならでは」のもの、打算なくつくったパーソナルな創造物が好き。いい時間だった。
自主練してEL、夜遅くからWSへ。当初はジャズを使うつもりだったが、思いついて変えた。

難しい。非常にもにょる出来。なんかすべて半端過ぎる。難しいんだけど、やはりこっちのほうがrelateできる。これはちょっと、ちゃんとつくってみたいかも。この曲には自分がやること何かある。

このところ考え過ぎ気味と思う自分。ひとつには根にある問題が露見してきたから、あとやはり自分の身体が好きになれない。なんでなのか。太ってても痩せても、やっぱり好きになれてない。なんでこう練習してる成果が出せないのか。わかんなくなってきた。考えちゃって、疲れる。あとこの季節も苦手。自分がとおい。かなしいよ。

から振り

2011年11月21日 ダンスもの
はりきってレッスン行きましたらば休講だった。体調不良って…。丈夫そうな人なのに。てか私が漠然と体力あり過ぎるのね。

英語は息なり

2011年11月19日 EL
英語ヴォイトレのセミナーへ行く。といっても歌の練習ではなく「発音力」の向上を目指すもの。以下、メモ(私の理解によるものなので、精度はざっくりです。スミマセン):

●英語は「息」の言語、日本語は「声」の言語
…これは本当に目からウロコ。英語は「音」を出しているわけではなく、「息」
でつくっている。唇の開き(閉じ)具合、舌の巻き方、当てる場所によって口蓋の空間が変化する、それによってそこを通る息が変化する。岩によって変わる流れとか、木立を吹き抜ける風、自然音みたいな感じ。

●英語は息で子音を形成する。
…母音とかr,l音ばかりに気をとられがちだが、「息(のみ)で子音をつくる」というのが実はかなりポイント。というのも日本語は常に母音を伴うから、子音の発音時に母音を入れてしまいやすい(いわゆるカタカナ発音)。例えば[k]の発音は[k+u](ク)ではない。

だから日本人は子音の連続に苦労する。私も子音プラスrが特に苦手。舌が巻き上がれないっ。

●英語は子音のリズムで、日本語は母音のリズムで話す。
…日本語は高低の言語、英語は強弱の言語でもある(アクセント)。日本語のほうが大波小波、英語は平坦というイメージ。この辺の話は「英語文化においてラップ・ミュージックが生まれた」歴史の必然と私的にはリンクした。

講師によると「日本語は韻を踏むことを尊ばない、独特の言語」。となると「音声として日本語の美学はどこにあるのか」「日本語のラップは自然としてどういう音と結びつくか」という疑問(オフ・ビートなのかも)。

●英語は「一息一語、一息一文」
…やはり英語は日本語に比べてmusical, physicalだと感じる。↑こういうのはダンスっぽい発想。わかりやすい。これが言えるということは身体に自然ということだと思う。

腹式呼吸も教わる(ネイティブスピーカーが発音するとき息を吐く量は、日本人のそれに比べて半端なく多い)。ダンスと同じだけど違うところは、ダンスが細く長く息を吐くのに対して、英語の発音練習においては口をひらいて(ノドを広げて)息を吐き出す。

英語は音じゃなくて「息で出す」。これがとにかく新鮮だった。日本語と英語は言語の構造としてかなーり違う。刺激的で面白いセミナーでした。

兎も角も

2011年11月18日 ダンスもの
課題は提出。USBケーブル買いに行って帰ってシンプソンズ見てブトーへ。

クラス再開

2011年11月17日 ダンスもの
・いきなりですが研修で伯林に一年間、行ってた先生が帰国。「クラス始めます」という元気なメールが届いたのが先月半ば。引越し目前でひゃーっとなってた最中でした。

・そもそも帰ってくるのか一体、きたとしてもなんだかんだで来年スタートくらいじゃないのー、と思っていたのでまずこの現実についていけてない。こないだ送り出しの飲み会したんじゃなかったかと。

・Time just seems to fly away...。1年はあっという間だけど、ものごとが変わり得るのに十分な長さでもある。

・この期間、失業だのはろわだの地震(これはみんなか)だの引越しだのベタ現実的なイベントの洗礼は受けたがクリエイティブな方面ではどうだったでしょうか自分。

・小ぶり人数でのスタート。ダンス度高くてひーとなりました。木曜クラスとしては意外、でも帰国第一弾だからまだなんとも言えないか。ともかく、おかえりなさい!

再チェック

2011年11月16日 EL
先週、ネイティブスピーカー様に見てもらった課題をさらに直し、見てもらう。豪華だわね。それにしても日本語の書きものセンサーが英語では効かない。とはいえ書き直した部分は赤が入らず、フロー(構成)もスムース、だーいぶクリアになったそうでよかった。よかった、と思ったら気が抜けて英語脳停止。自分ユースレスなままレッスン終わる。

やさぐれてたらアマゾンで音楽ぼーっと衝動買い。情報を選り分けるのも、人を選り分けるのにも、自分にも疲れてきた。どっか行こう。

さんきゅーはろわ

2011年11月15日
そのまんま(笑)。「認定日」詣でも今日が最後。失業給付はすばらしい制度です。延長までつけて頂き感謝。いろんな人が来るわ来るわでさぞ大変だろうに、職員さんはみなていねい、親切。たいへんお世話になりました。私もよくがんばりました。。。

夜すごく遅い時間からWS。インプロとかクリエイションはなぜか普段のレッスンよりお腹がすく。たくさん食べて行く(そういう準備でいいのか)。やはり自分のつくるクセというのはある。特にその意図はない(素養もない)のに、「演劇的」と言われたり。よい講評も頂いたのだが、せっかく見てもらったり意見をもらえる機会だから、果敢に違うやり方も試してみようかな。

くらくら

2011年11月13日
昨夜スターバックスで甘ったるいコーヒー様の飲み物を飲んでから、きりっと具合が悪くなった。が、それはスタバのせいではなく自身のバイオリズムゆえである。目まいする、ひー、と思ってたらコンタクトはずすの忘れて寝てしまった。

朝方、先代の犬が夢に初めて出てきてくれた。目をくりくりさせてた。_ちゃんだよね、と私は思ったけど、親戚だかの知らない家族が連れて行ってしまい、母親も気づかない。また会いたい、夢に出てきて。

午後、友人が出る公演を観に行く。彼女は生々しくて、力強くてよかった。私はなんか呼吸が浅くてふらつく一日。久しぶりにいろいろ買物もした。あれこれ終わったら冬眠したい。かどこかへ逃げたい、と真剣に思う。クリスマスに追いつかれないところへ。

DIY

2011年11月12日
丈180センチ、下半分に扉がついた本棚をつくる。「組み立てに大人2人で1時間」と書いてありましたが私1人でCD4枚聴くだけの時間がかかりました。その2人はどんだけ器用?

雨で寒い日のリスト

2011年11月11日
課題→はろわ→ガスト。ひさしぶり。隣の生活感ある渋いカップルが日替わりランチにビール、そしてレモンサワーとフライドポテト…と周りに関係なく酒盛りに入っててつい気になる。お祝いらしい。→メンクリ→帰って課題。

ブトーに行く前ツタヤ。ふとビリージョエルが聴きたくなり寄ったらエレクトロニカーの結構よいのが。→ブトー。即興のときふと身体と自分が合ってると思った。あまりないこと。イメージが目で見るようにとれて気持ちがよかった。身体にとっていい状態で踊れる喜びを感じる。いまは出番はなくても、個体として強くなる。

犬とフローリング

2011年11月10日
新居に寄ったらしばこが大喜びで迎えてくれた。見たら足の指が開いて「もみじ」みたいになってる。床が滑るからふんばるんだね。カワイイ。けど何か敷いてやらないとね。

wordy

2011年11月9日 EL
久しぶりに部屋を借りて自主練。夕方、英会話へ。先生に課題のエッセーを見てもらうのです。まとまった文章をチェックしてもらうのは初めてで、息詰まる40分。なんか気恥ずかしいですし。

日本語は簡潔明瞭に書くコツは備えているつもりだったが、英語となるとからっきし。「これ要らない」「これも」と弾かれる。ひとつには自分が俯瞰で書けてないせいだと思う(段落でなく、文単位で情報を盛り込んでいるから過剰になる)。それから使う文体が偏ってしまうのは、自分が「日本語で考え、英語に直して」いるからじゃないでしょうか(会話においても言える)。

冗長な文章をとりわけ私は憎む。なのにこれって。もっとなんとかできないものか、書き英語。悔しい。

直して来週また見てもらうことに。ネイティブチェックさまさま。ほんと助かる。すごく真剣に見てくれてた(いんじゃない、とかじゃなく)。ありがとうございます。。。

ここのレッスンは基本的にテキストに沿って進める(マンツーマンなので融通は利く)ので、Teacher’s Guide通りにやればいいはず。

そこからどのくらいふくらませるか、は先生次第。これ前にも書いたかもしれないけれど、この先生のすごいところはクリエイティブであること。単調な感じがしないし、私は話好きなほうではないのにアクティブにするのが上手い。

マニュアル通りにやっとけば先生は楽なのではと思うが、レッスンを「学生とのinteractionにおいて」(これ重要。ひとりで完結しない)クリエイティブにつくると学習の質はそりゃ上がります。学生は楽しいしモチベーションも続く。力のある先生ならクリエイティブにしたほうが自分も楽しいのでは。

これは英語に限らず、何かを教えるとき、あるいは「仕事」そのものについて言えることなのかもしれません。自分で工夫する。ビー・クリエイティブ。きっとそのほうが楽しい。

先週、教わった女性の先生は、会話しながら「知らなかった、あるいは知ってたけど使い方がわからなかった」ネイティブちっくな表現をメモして教えてくれる。彼女も、上記の先生も自分の指導スタイルを持ってる。教わる側として私はそういう先生が好きだし、クールだと思う。そういう人はレッスンの印象が鮮やかなので、次につながりやすい。ダンスと同じで、「教える―教わる」という関係においても、プロとしての役割プラス個性(その人らしさ)が見える先生が私はいいなと思います。

ベースにしている先生は、教師として「自分が何をどういう意図でどうやるか」をいつもしっかり把握しながら教えている、という印象がある。場当たり的でない。「教える」という不定形の行為のなかで、軸があるとやはり違う(安心感がある)。即興で自分がどうやったか覚えてるかどうかに似てる…似てないか。どうだか。ともかく見習うべきところがいっぱい。

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