これもリベンジ

2011年8月10日 EL
和室を借りるのはいいのだが、冷房に畳のお部屋って快適すぎて普通に寝てしまう。のったりストレッチして終わり、みたいな。はかどらず。しかし暑すぎる。I love タタミ。

3月に受けた英会話のテストを先週、再受験。予想した問題がひとつもなかったし、感触としてめためただったなあ自分、と思ってがっくしきていた。のですが結果が返ってきたらば(これを待ってる時間がすごくイヤ)なんと2レベルUP。自身の目的としては1レベルUPでよかったけど、2コ上がるとすごく嬉しい。

練習を手伝ってくれた先生とハイタッチ。「ダメだった、って言ってたじゃない」て言われたけど、いやほんとにそんな感じしたから。あんなでこの点もらっていいんですか?ともかく、このところ数週間これ肩に背負ってただけに、まずはほっとしている。この後、やらねばいけないこともまだあるけれども、まさしく「困難は分割せよ」だなあ。。
ブラインドウォーク(ベーシック⇒発展型)から目を閉じて即興、というのをやってみました。ひとりがインプロって、あとの2人が危なくないようガードするやり方。時間が余ったのでその感覚を生かし、さらに即興。

目を閉じて動くと、「踊るぞ!」という気持ちが削ぎ落とされるせいか and/or 他の感覚が感度アップするせいか、動きがいつもと違う感じになる。私は見るほうにまわっていたのだが、「ダンス」というより「動作」であるようなそれは見ていて生(なま)で、とても面白かった。

2人とも目を閉じて動くといつもと違う、新鮮な良さが見える。なんというか「ありのまま」の存在感が出ているように思った。型にはまらず、肩の力が抜けてて。

つくったのではない動きが面白い、本人やりたいようにやってる(ように見える)動きが面白い、というのは…。深い。示唆深い。これは是非、参考にしよ。決め決めの振付とは対極だけれども、この生っぽい感じ、直(じか)な感じというのはすごく素敵。

やってみたらば思っていた以上に面白かったし、得るところ大きく私も嬉しい。2人も楽しんでくれたようだし。7月から火曜の稽古番をやっておりますが、初めてちゃんとまわせたような気がしますわ。勉強になります。

午後稽古

2011年8月7日 ダンスもの
自主練。ここは床がPタイルではなく木で快適なのですがむむむ捗らない。難しいことをしようとしてるのかも。音にこだわり過ぎず、にしてみよ。この頃、ダンス的インプットが少ないと感じる。WS行ったり、観に行ったりとか。

さき

2011年8月6日
いえの手伝いで外出。めちゃくちゃ疲れた。なんかもう勝手にすれば、と思う。チチはまだ私のことを「考え過ぎ」とか思っててこういう人と接触してると頭が変になるし自分が傷つく。あんたのそういう考え方にはもうくたびれたよ。私の心の家族はわんこだけ。自分のこと理解し受け入れてくれる人と暮らしたい。この先がものすごく不安。
たぶんあると思う。

病名すらつけられない私の問題、あるいは私自身について、父は未だに「過去は忘れて、前を向いてイキロ」だの言いやがる。その「過去」に自分が大きく含まれているとは考えない。

過去が簡単に忘れられたらどんなにいいだろう、と私も思う。生まれてから今までのキオクを消せたらなんぼか楽か(でもダンスと英語の積み立てはとっておきたい)。メンクリで医者に「電ぱち(ECT,Electroconvulsive Therapy;電気ショック療法)で忘れられる?」と訊いたら「あれは1週間くらいしか効かないから」だって。

辛くてイエのことをぶちまけて来た。医者は父のことを「感情がないみたい」「愛するということ、親になるということを知らないできちゃったんでしょう」と(父母は私とは別にこの女医と面談している)。

母は子どもで、父はもっと子どもで、母は父を補完してしまっていた。私は他のおうち、とか、テレビのドラマ(アメリカのやつ)を見て、「父と娘ってこんなに気軽で、仲良くなり得るわけ」と吃驚する。

両親と私とのあいだには時差が30年くらいある。ということをかれらは知らない。時差の分の怒りがある。家族関係を修復することより、むしろ家族の外で愛したり愛されたりする関係や場所を見つけるほうに私はエネルギーをそそぎたい。

医者、クスリ変えてくれた。夜ブトー稽古へ。行ってよかったと思う。

キオク

2011年8月4日 ダンスもの
木曜日のダンスがいちばん楽しい。音に身体を投げ出すというか放り出すというか泳ぐというか。いちばんリラックスするし没入できる。音楽は素晴らしいです。

突如として思い出したこと。妹が「結婚するから」と言って両親のところに男を連れてくるまで、私は妹に彼氏がいることを知らなかった。妹は東北の大学へ行ってて、そのときからつきあってたそうだから、何年も黙ってたわけだ。私が病んでたから言わなかったのかどうか知らん(今も病んでいるけど)。驚愕したのは「ずっと黙っててそんなのこの家で許されるわけない」、とか思ってたら両親がすんなり歓迎したこと。私の「家族」と人生ってなんだったの、と頭がすこんとまっ白になった。こんなの「仲のいい家族」じゃないと思う。自分は過去の記憶をいっさい消したほうが幸せになれるんでは、と思うことがあります。
作品の育成は続ける。切ないけど。出たら出たで大変、出ないなら出ないでそれも行き場がなく落ち込む。状況も振りも難しいなあと思いながらやってた。雨は降ったり止んだり。私が外に出るときにざーっと来る、という日だった。

作品には使わないけどそして本人は好きじゃないけど、リューイチサカモトのout of noiseの何曲かは完璧過ぎて、なんでも動きにする必要ないんじゃないかなぁと集会室の床に転がって思っていた。英会話に行く。自分の意思(意見)は割と通じるのだが、しばしば言ってることがちゃんとしたセンテンスになってない。そして使う文のタイプや語彙がマンネリていうとこが困りもの。いろいろ疲れてる。

それで

2011年8月2日 ダンスもの
12月のブトー公演へ作品を出すのを辞退することにしました。理由は家の事情。

今日は稽古番だったが誰も来ない。ひとりで21時過ぎまでやっていた。ぜんぜん身体使えてないな、とがっくし。脚イタイ。

お休み

2011年7月31日
とにかく寝てた。いい一日。

わかった

2011年7月30日 ダンスもの
BMメモ。こういう時間がもっとあるといいのに。
自分の処理能力を超えたもので満ちている。考えなきゃいけないこと、やらなきゃいけない大きいことが年末にかけてごろごろと。そんで壊れるくらいなら、寝る。

「愛」の重さ

2011年7月27日 EL
英会話でテストの練習ちょっとして(あんまりこれやってると落ち込むので)、トリビアル(どうでもいいよな)QAタイム。「英語人がよく言う"I’m proud of 誰それ"の意味が本当は自分、わかってない気がする」という質問。「誇りに思う(自慢に思う)」と訳されることが多いが、英語でこのフレーズが使われる頻度の高さに対して、日本語ではまず使われないこの堅苦しい訳語がどうもしっくりせず、なんかチガウと長年、気になっていたのだ。「誇りに思う」と言うとなんだか古めかしいというか、連想として軍隊ちっくな感じが私はする。

訊いてみれば、どうもrespect(尊敬する)とか「偉い(立派だ)と思う;よく頑張った」というニュアンスでいいみたい。脱「誇りに思う」!私が違和感をもつのは(今のママパパは知らないけど)、日本では謙遜を表わす慣習として、親は人前で自分の子どもをほめない、というのもあると思う(だから「息子を誇りに思います」という訳文を日本語として変に思うのかもしれない)。

実はshould<had betterという話。逆に覚えがちだが、意味が強いのは後者。shouldに「すべき」という訳語がついてしまったせいで強弱の混乱があるんじゃないかなと思うけど、You should なんとか、と言われても「断ることができる(オプショナル)」そうです。You had better....のほうが、threat(脅し)だとか。

loveはどう思う?と逆に訊かれ、「その概念に対する日本語の訳語はない、と実は個人的に思ってる」と言ったら、「deep!」と先生、笑っていた。「いと(お)しい」はもとから日本にありそうな気がするけど、「愛する(愛している)」て「愛(名詞)」に「スル」をくっつけただけでしょ。これって「メールする」「電話する」と同じような成り立ちでは?西洋から「愛」が輸入されたときに便宜的にできたんじゃないの、というのが単なる私のカンなのだが本当のところはどうなんだろう。それこそ教えて、エライ人。

loveって英語では割とカジュアルに使われるし、頻繁に口にする、と先生。love to...(~したい)とか。「それってもっぱら女性が言うのでは?」とまた訊いたら「そうでもない(男も使う)」そうです。やっぱり言語はすぐ変わり、ものの本に書いてあることを一生、信じていてもいけないのですね。で、やっぱりloveと愛は似て違うものじゃないかなと私は思った。

こういう自分の(日本語に対する)linguistic intuitionと英語とのズレの話って面白い。その前の稽古で良きアイディア浮かぶ。くだらなーい方向に行く気がするけど望むところよ。
ブトー稽古番。ソロのインプロ稽古は難しい。でも場数は踏みましょう。私は舞踏については未だ詳しくないけれど、身体表現て「これ」でなければ面白くない、とかではなく面白くなる糸口はいろいろあるんじゃないの、と思う。それを探すために稽古するのではないの。グレングールドの次に美空ひばりがかかったとしても舞台で立ちつくすわけにはいくまい。
てことでジャズ振りの曲がエイミー(Back to Black)。27歳。ある意味、ガガ様より過激な人。わざとやってるんじゃないんだから。でも人々はコントロールされたラディカルさをより好むような気がする。聴いてみたくなった。

えぬじー

2011年7月24日 ダンスもの
自主練は本人がしっかりしてないと全然ダメ~。
このあいだ知り合った人が教えているので行ってみた。すごく微妙な使い方、ちゃんとできてなかった気がするが地道にしんどい。体幹、強くしたいです。友人が説明をおこたらず、声も通るし、受講者をよく見ていて実に「教え上手」なので感心した。フレンドリーで、ああなら生徒さんついていくでしょう。さすが。

私は「おひとりさま」を楽しめるタイプではなく(楽しいことがもうほとんどなくなってしまった)、ひとりで生きていくことそのものにほとほと疲れた。人として生きていくやり方をなぜか学んでこれなかった。すっごい疲れた。人生振り返ってほとんどの時間、ひとり。このままクスリをもらい続けながらひとりで生きていくのかと思うとウンザリする。「○○○○こなきゃよかった」と思うし、どこかの時点で「-」と思う。
夜間で稽古。でも迷いモード。窓に映したらば、久しぶりに見る己の二の腕がたくましい。「食欲がない」とかいうのは一体…。

ひといき

2011年7月21日 ダンスもの
涼しくて助かる。しばこもご機嫌、おもちゃじゃないもの(靴下とか)をわざと持ってきてアピールする。ちょっと困るけどカワイー。木曜の先生はもう7、8年教わってて今さらですが、ラインがきれいで、そこらへんの若造よりよっぽど個性あるきりりとしたダンサー。コンビネーションは気持ちいー。ただ彼の振りをちゃんとやるのは実はこれまた今さらですが難しく、これをこなすためのメソッドの時間がもっと長くとれるといいのに、と思う。

drained out

2011年7月20日 EL
ほんとにそんな感じ。来週、受けるスピーキングテストの練習をするものの、やればやるほど干からびる。枯渇する。というか疲れ果てた。なぜこの試験はこうも私をぐったりさせるのか。考えてるとやたら内省的になるし。機械相手にstage frightとか言われるのもくやしい(でも実際そう、いま)。相手するのも疲れたでしょうが、良い(面白い)アドバイスをいろいろ頂きました。
ハロワ認定日。今月やばいかも、と不安だったがパス。なんかこういうことしてると嫌でも前職のあれこれ思い出す。

「Dr.ハウス(シーズン6)」(FOX)ってほんとに厄介な患者だしやな奴だなと思う(内省する勇気はないくせに人の分析はする、ずけずけ言うとか)。医者から精神病院の患者になっちゃって入院、というドラスティックな流れはよくここまで書けたなと思う(担当医とのやりとりがリアルだ)。深い、と思ってたらもう退院?まだ入れといてもよかったんじゃないの。しかしこういうの見てると、自分のリアルビッチな分析家のこととかこれまた嫌でも思い出す。

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