午前中メンクリ、夜これ↑

311当日はまさにリハ中だったそう。キャンセルとなった本番がめでたく振替公演となりました。(以下、公演順)

◆村山華子作品
不思議なストーリーの絵本みたい。ダンスよりモノ(小道具、映像、仕掛けetc)が多い。「既にどっかにあるかも…」感なくもないが、方向性がはっきりしておられるようなので(上からモノ言ってるみたいでスミマセン)突き詰めると面白くなってくかも。父役・母役の方々が上手い。

◆前納依里子作品
ファーストシーンのソロ(作者)、音も動きも凄くいい。そもそも全体的に音と振付がよくて、もっとも「ダンスらしい」作品と感じる。ネガ/ポジで言ったらネガ方向の近未来シュールな印象だが、こもってはいない。3つのなかでは作品世界として私はいちばん好き。ダンサー陣もそれぞれ個性的で素敵。

◆AAPA作品
2人の女性ダンサーの存在感や動きにひたすら見とれる。が、あとの出演者二人が私にはよくわからなかった。セリフをしゃべっているのだがよく聞きとれず。テキストに意味があるのだろうか?トレーニングされたダンサーの身体と、こなれていない言葉との齟齬を感じる。
夜のレッスンが休みなので昼間のクラスへ。先生は「頭をからっぽにして~」と言う。頭をカラにしてできる活動ってなんて素敵、だし必要。でも実はカラにするのも結構むずかしい。そういえば昨日、書くのを忘れたけど「モダンダンスの母」マーサ・グラハムのイメージでつくったGoogleロゴアニメが凄くよくて、何度も見ちゃった。

(以下メモ)
ひとりでインプロってて「うまくできた」と思える瞬間なんてあんまりない。でもあるとすると:

(自分)
うまく流れたとき/体重をうまく運べたとき/それまでの流れを変えることができたとき
今までやったことがないことを自然にできたとき(自分のクセから飛び出したとき)

(他の方の意見)
目の奥がクリアではっきりしたとき/からっぽで自然に身体が動けたとき/悩みがなく集中できるとき…など

ではどうすれば「自然な状態で、とらわれのない、人工的でない」理想の動きができると思うか?:

(自分)
●待ってみる(いつもとりあえず始めてしまうから、動きが中から出てくるのを待つ;その場ではなかなか「待つ」ってやりにくいけど)

●ダンス的なことに対するとらわれから抜けたい
(「中途半端なアチチュードターンとかやってみせたってしょうもない」とか、意味なくポワントとかダンス足になってるとか…の類。そういうことが気になる。先生からは「せっかくトレーニングしているのだからダメだと思い過ぎなくてもいい。またそういうダンス的なことを一切やらない人もいる」)

(他の方から)
イメージしたものがはっきりつかめて、その対象になりきれるといい。入りきる。

(先生から)
●ダンサーは「生きている人間のかたまり」。だから逆にキカイ的にやってみせたりする人もいる。

●止まらないこと(止まっていても動きを感じ続ける。ゆらめき)

●●吸い込んで吐く。やっぱり呼吸が踊りにつながることは大事。

●自分の外側と内側がリンクしていること。

●正解はないので、自分に合った方法を。

●●自分の身の丈(生き方)に合った表現を目指す(←そうありたいです)
英会話で「一連のやりとりが終わった、ふー」と思って黙って考えてたら、「何か言わなきゃダメ」と講師に促された。日本人は自分が話しているとき、あるいは話し終わって相手が黙っていても受ける感じとしてはニュートラルだと(私は)思うけれど、英語人にとって沈黙はよくない、のだそうだ。で「なんでよくないのですか?」と訊いたら:

相手の話を受けて、自分が話すことによって
1)「自分が相手の話をちゃんと聴いている」
2)「自分が相手の話に興味を持っている(ex.「それでどうなったの?」と質問するなどして)」
3)「自分が相手を理解しようとしている」

という少なくともこの好意的な3点を相手に対して示せるから、なのだそうだ。今日の講師の説明であって一般論かどうかはわからないけれども、「なるほど~」と思う。あと「相手の話がわからなかったら、黙ってないで訊かないとダメ」。

日本人は沈黙を十重二十重に解釈する(はず)。けれども英語でコミュニケーションする場合はそうでない、のでそういう(沈黙に鈍感な)自分の姿勢に気づかなければならない。前にも書いた気がするけど、こういう文化的な違いを教えてもらうのは大事。(つい忘れるから)

今日の先生は割と何度もレッスン受けてて、自分の目標設定(レッスン代の元をとろうとしている、とも言う)も知ってるので、指摘が細かいというか容赦ない気味ですがありがたいことです。

これは単に自分の仮説というか推論だけど、英語圏の方は「正体がわからない(ナニ考えてるのかわからない)」というのを非常に警戒するような気がする。間違うのを怖れて黙っているより、とにかく開示してるほうが好まれるのでは。

今日は「本当は関心がないけど、やんわり言うためのフレーズ」「商談で今、決断したくないときに引き延ばすためのフレーズ」(笑、だけどほんと)の練習をしました。でも「興味ありません」とはっきり言うのもアリだそうです。て言ってたけど、純日本人としてはキモチとして言いにくい…。
↑なんのことやら、なタイトル。ダンスはどこへ行っても下半身の強さがものを言う。しかし足腰鍛えるにはどうしたらいいのでしょう。登山とか?

ブトーは「下半身(腰)と呼吸」で動く、とのことでした。でもそのとおりにやってみたら、前よりやりやすかった。しかし舞踏に関しては「自分が何をやりたいのか(何を表わしたいのか)」を考えていかないとなぞるだけになってしまう。どこへ行っても道は遠いな、ダンス。

柴犬三昧

2011年5月9日 ダンスもの
母と鎌倉へ、個展を観に行く。テーマは「しばいぬ」。作家さんはこちらの方:

影山直美さん
http://dkotori.exblog.jp/

私はほぼすべての著作をもってます(もぅ頭が疲れ果てた昨今は柴犬本しか読めてない)。今日は、ご当人もいらっしゃってサインもらっちゃったー!ご自分で描かれているよりもずっと素敵な方ではないですか。

作品とかグッズは初日の昨日にばんばん売れてしまったそうです。でも手ぬぐいとステッカー買えた。お客様のどなたかがしば連れで来ておられて、さわらせてもらったり。可愛い。第2会場の甘味店でも絶品の黒カンを食べる。楽しい散策の一日。うちのしばこにも会いに帰る。レッスンは間に合わずコンテのみ。

先行投資

2011年5月8日
よく言えば、だけど。どうなるかわからない先のためにすごく本代がかかってる(泣)。ちょと勉強して、寝る。

根気と努力

2011年5月7日 EL
雨降り。ついつい夜更かししたり、クスリのせいでとっても眠い。

英会話に行ったら、今日の講師も昨日の方と同様に「語学の習得は時間がかかるし、努力が要る」と真面目に強調していたのが意外で興味深い(ネイティブスピーカーって「英語の勉強は楽しく♪」とか言いそうだから)。二人とも漢字の習得で大変な思いをしておられるようです(てかそこまで習おうとするところが素晴らしい。自分は忘却に任せておる)。

ボキャビルの話してて、「(ただ読むんじゃなく)手で書いて覚えるように!thousand times!て生徒には言ってる」とか超アナログなのが面白かった(でも私もそう思う。そういう手応えに欠けるところが個人的にはeラン教材の信用しにくいところ)。

実家へ行ってしばこと遊び、寝る。
OさんWS3。今日は人形振り(ひとりがマネキンになってパートナーが身体の部分を動かす;これ大好き)や、固定点の練習、4人ではがき大の板(メモに見立てる)をかわるがわる取り合う、といったことをしました。最後のは工夫のしどころ、でもなかなか楽しい。難しいのにみなさんカンがいいらしく、どのグループも面白く仕上がっていた。

よく思うけれども短期のWSはやはり「アイディアのご紹介」程度に終わってしまいやすい。理想を言えば7日~+ショーイングくらいの長さがあると身に入るだろうか。

今回もOさん創作の裏側をかいま見れる、という面白みはあるけれども結局はマイムをガチで地道にトレーニングしないと、ああいうことをケガなく確実にはやれないよなぁと思う。マイマーほんとに下半身、鍛えてる!

せめて私は全身で等速に落下できるように、ちまちま練習しよう(上半身は固めて;表情でやらない)。

WSへ行く前、ひさびさに英会話へ。15分くらい、とか言ってたくせに40分ディスカッションに使ってしまった(テキストもやらねばいけないのだ、ほんとは)。大して興味のないことについてもこんくらい話が(破綻なく)続けられるようになったら偉いと思う。

メンタルやばかったですが、WS週間コンプリートできてよかった…。
OさんWS2。

●動きの「始点」と「終点」をはっきりつける。

●(例えばひとつの動作から、次の動作へ)いちいちきちんと止まる。止まるときは「止まる」。そういう止まり方ができると動きの輪郭がきれいになるし、見やすくなる。

●等速で(これも難しい)。

●カウントでなく「気合」で合わせる。
グループでやってても、カウントでなく「呼吸」で合わせる(あのカンパニーはかのようにやってたそう。前に先生もこれ言ってたな)。こういう発想が面白い。確かにカウントで合わせるのとは違う、ゆらぎとか生っぽい感じがあるような。

●動きのリズムを自分でつかむ(自分にとってよきリズム感)⇒そうやって自分のなかにリズムを持てると、音楽と合わせた場合に(単純にぺたっと音に合わせるのとは別に)音楽そのもののリズムと自分のリズムとの出会いという新しい試みができる。なるほど。

ゆれる

2011年5月3日 ダンスもの
舞踏のレッスン、歩行の練習などしてから後半で「ここんとこ何を考えて生きてるのかテーマに」即興。

2月末に失業してから、そして3月の地震のあとから、私は「踊りたいのかどうか」自分にずっと訊いている。訊きながら、ダンス続けてる。

身を固くしている、いろんな不安がからまって芯にある気がするんだけど、どれが何なのかよくわからない。

今日も即興しながら、結局それなんだよな、と思いながら自分に訊いていたけどわからなかった。わからないまま、延々と動いていた。

あるいは「踊りたいのだとしたら、何を表わしたい?」

タイトルをつけるように言われたけど、「揺れる」とか「地震と失業」(そのまんま)「揺れる/怒り」とか…

今の自分には舞踏の時間が安らぐ(この空間が好き、静けさが好き、音も素敵)けれど、自分のやってることが「舞踏的」なのかどうか、わからない。特にフィードバックもなかったから。

わたしすごく寂しい。
引く手あまたの演出・振付家O氏のWSへ。ワークショップを満員御礼にする人と言ったらこの人か近藤良平氏(コンドルズ)くらいではないですか。

で打ち切っても定員を大幅に上回り、しかも「ダンスも芝居もバッチリです!」なイキのいい若い人多数。んな中にへなちょこな私とか。

O氏はまずもってすごく賢い人だなぁ、という印象。何をどう見せたいか、そのために何が必要であるかを明確に定義としてもっている。というのはプロなら当然なのかもしれないが、それをワークショップで参加者に明瞭に伝え(られ)る人というのは案外、多くない気がする。90分というWSとしては長くない時間だったのだが、みっちりと。この大人数をさばくことさばくこと。時間を1分も無駄にしておらず、そして前述のパワフルな参加者の熱気もあってわたしゃいっぱいいっぱいでした。

マニアックな(笑)ダメ出しは「そんなの急にできない」とか「そんな微妙なこと素人にできない」とゆう話は別として、すごく納得できる説明だったしとても勉強になった。

以下メモ:

●「歩く⇒止まる」「走る⇒止まる」「歩く⇒ゆっくり歩く」といった「動作の切換」をはっきりやること。
これは「言うのは簡単」というもので自分がやってみるとやはりぶれたり、集団のなかで遅れたりする。(また、「等速で動く」というのも難しい)

●「なかなかできないと思う」とO氏は言っていた。自分が「できてる」のか「できてない」のかを意識することが大事だそう。「できてない」と気づけていることは直そうとできるから。

●これ↑は強く言っていた。「できてる/できてない」をはっきりさせないと、いつまでも、できた気になってるだけだと。いや、ほんとにそうです。私は「できたことにしたい」人なので、耳が痛いですがすごくそうです。

前から思っているが、マイムの人の尺度はダンサーに比べてすごく厳しい。彼が動きを「止める」というのは「本当にぶれなく完璧にその場で止まる」という域でしかあり得ないのだと思う(できるようになるまで何万回も練習するんだと思う…)。

●「出会った人と握手する」ワークで、「握手する」という決めごとをおざなりにやらない、動きで流さない。日常生活の動きを作品に取り入れることの難しさはこういうとこにもある。日常ではいきなり会う人とぶっきらぼーに手を出したりしないでしょう。

##「内輪(うちわ)感を見せない」面白い!すごくよくわかる。ワークにおいても、そういうルールなんだな、と見ている人に思わせないように、「間(ま)」をとってレスポンスするとか。決めごとの実行に終わらせず、その場で感覚を総動員させてフレッシュなシーンにする。
「メソッドに見せない」ということだと思う。内輪感、とは言い得て妙。しかけを見せてはつまらない。

さてMAX疲れたのですが「祝日だからやってるかなー」と思いつつその後、舞踏のレッスンへ。それは別項。
WS週間のなかにあって今日はいつものレッスン。ワークショップは主にコツ、だとかアイディアをもらったり試したりする場なのでトレーニングにはなりにくい。おジャズ+(マニアックな)コンテという組合せが気に入ってきているこの頃。

どうしても小指寄りになり気味で、バランスがとれずに困惑(ジャズ)。今さらどうした自分。コンテは健闘しました自分。身体をつくっていくこと、積み上げていくことがしみじみ楽しく、そういうことを教えてもらえる人々に出会えている幸せを感じる。

エッジィ

2011年5月1日 ダンスもの
edgy 【形】
1)エッジ[縁・刃]の鋭い
2)神経が高ぶっている、イライラした、とげとげした、神経質な、短気な、怒りっぽい、不安な
3)〔考え方・スタイルなどが流行の〕先端を行く、先端的な


グループインプロWS3。

「まわりを見る」というのが(自分思うに)基本として、他にあれこれメソッド的なものがあるにはあって、使ってみたりするのだが、なかなか「これだぜ!」という境地に至らない。

私はグループインプロが人の鑑賞に耐えられる、ダンサーでもなく日頃あまりダンスを観ないような人にも「面白い!」と思ってもらえるような質で成立するのは実に実に絶妙な域で、その幅はごくごく狭いのでは、と思ったりしている。

関係性に深入りしても往々にしてよくないし、そのメソッドみたいなものが透けてみえるようなのもつまらないし。でも自分がもっと覚醒したら「自由」をもっと使いこなしてもっともっと楽しくなるのでは!

グループインプロは高度な言語である。つまりはすっごく難しいなぁ、と思うのだが幸福な偶然で、すごく面白いシークエンスが生まれたりする。ていうこともあるけど、やっぱり「経験」(場数)なんだろうか。

スムースでナチュラルなグループインプロができるパフォーマーに是非なりたいものです。

自分課題↓
◆動きをクリアに!

◆動きのバリエーションが少ない。
英会話と同じ。できる動きはもっとあるはずなのに、その場で出てこない。とらわれず何でも引き出せ。

◆主張は粘り強く!
グループの動きをスローダウンさせるのは上げるのより難しい。が、とにかくしつこくやってれば同調してくれる人もいる(はず。どーしてもいなかったらあきらめる)。
「何かしっくりしない」と思ったら、自分でグループのトーンを変えるアクションをとり、それを続けること。やりたいことはその場でやる。
グループインプロWS2。組んだ一同で改善点を話し合ってからの2回目はかなりいい感じになってきたと思う。

やっぱり「人と何かやる」場合の基本は「まわりを見る」(人も空間も)。

昨日、「グループインプロって何?」って書いたけれども、少なくとも「人数分のソロ」ではない、と今日思った。

(もちろん誰かのソロが場で要求される瞬間はあるから、「ソロ禁止」という意味ではない。主張と、協調)

その場の人々に共有されるものがあって、「ソロたち」じゃなくて何らかの「アンサンブル感」が感じられるとやってて楽しいし、見ていても面白い。

ただし、その「アンサンブル感」⇒「関係性」は講師が慎重に言葉を選んでいたように、「絶妙にある」ところが良くて、ある線を越えちゃう(やり過ぎる)とよくない気がする。しかも「ひとつになろうニッポン」的ではなく。その辺が難しいけど面白い。私的にはたぶんキモ。

あらかじめ何か決めごとをつくっていたとしても、場の出来事が「偶然起きている」「自然とそうなった」ように見えたら素敵。
これからしばらくダンスintensive。今日からグループインプロのWSだったんだけど、なんか私には入りにくい入口だった。

ああいう震災のあとでは誰もがその影響を受けた身体でやらなきゃいけないわけですが…その受けとめ方はダンサーによってさまざまだなぁと思う。「人と一緒に動くと元気になる」ていうのは私はわからない。

元気がないときどうしますか?ていう話になって、「寝る」「美味しいものを食べる」「風呂に入る」「相性のいい人と話す」「自然と接する」etcというご意見が出た。私の場合は、「元気がない」というのは「自分を元気にさせるための何かをする元気すらない」(食べものを探して買うのすら億劫、風呂に入れれば立派)という文字通り「動けない」状態をさすので(ひとりぼっちだし)、現状クスリを何倍かのんで+酒で転がってるしかないのですが、こういう壊れた人はやっぱソロかなというか踊ってNGですかとか思ったり。てか人として自分かなりやばくないか?

インプロってなんだっけ、グループインプロって何?という感じにむしろなって帰る。

なんかこの頃、とにかく疲れていて、考えなきゃならないこと多いのに振り切れてる。考えないですむルーティンな日常になればいいんだけど。ストイックに過ぎる。何やってんだろ私。すごく疲れる。

人心掌握

2011年4月28日
絶対、しばこ(犬)のほうが私より交友関係(人)が豊かだと思う。散歩で通りかかるとお店から出てすっ飛んで来てくれるお姉さんとかいるのだ。とてもマイペースな子なのだが、その辺心得ているっぽい。レッスンは今日つけ加わった部分がムズカシイ!

そういえば2千円札

2011年4月27日 EL
ものすごく眠い。午後、英会話のレッスンへ。お金の話になり「何年か前に、2千円札っていうのあったの知ってますか?」って言ったら「知ってる!Cool!」って言ってた。(※うろ覚えだったので調べたら西暦2000年と沖縄サミットの記念に発行、また守礼門も描かれているなど縁の深い沖縄では、普及キャンペーンが行われるなど他の地域に比べ流通しているそうです)私は知らなかったけど「2ドル札」というのもあるのだよ、と教えてくれて、先生はそれもCoolだと言っていた(レアもの好き?)トリビアン英会話。

レッスンではとつとつと話せていたとしても、実際の現場というかシャバでネイティブ・スピーカーズと話すとなると、おそらく日本人とは違う姿勢とか思考とか習慣だのの違いがあり、もっとがつんと気を強くもってないとだめだよね、とか思うとなんかやることいっぱいあるな、と思います。
ハロワ認定日。私は「朝イチ」組なのでひさびさ早起きする。手続きを済ませて求人検索。失礼ながらここではあまり期待してなかったのだが、惹かれる求人を見つけた。

実は応募要件の半分くらいしか満たしていないのだが、職員さんにアピールしつつ拝み倒して紹介状を頂く。うち帰って速攻、必要書類作成、郵便局行って速達お願いします、っと。

あとでつくづく考えるに自分の実力で及ぶお仕事なのか正直なところわからないけど、腰の重い自分がえいやっとここまでやったなら何かある。もともと要件足らないからダメ元だしね。朝の星占いで「チャンス到来」とか言ってたけどひょっとしてこれ、なーんて思った。

その後、ちょこっと勉強して爆睡してたらもうブトーへ出かける時間だった。ここの空間は好き。

「ストイックだけでは感動しない。火と水がないと」なんらかの火と水、または火となんらかの水がないと。
月曜は2レッスン。2ケ受けちゃったほうがかえって後半動きやすいぽい。

床Tips:
1)床わざA⇒床わざB…となるとき、大抵は軸足がチェンジ(入れ替え)する。

2)先週やった、たとえばこういうやつ↓

床からのワンハンドジャンプ
足を右に流して横座り→進む方向と反対に一度、上体をひねる(右)→※右脚は立てて、曲げた左脚のひざ前までひっかけ持ってく→左腕で身体を支え、※※曲げた左脚を先へ跳ばすように。右脚はそれから運んで立つ→右腕は身体の運びを助けるように回す

★軸足(立てる足)の位置に注意!というTips。
よくやりますが※床を押す足(立てる足、上の例だと右)は※※跳ばすほうの足(上の例だと左)のひざ前か、やや外側に立てる。その立ててる足の「間を通して」足を跳ばすようにしたほうが、遠くへ跳ばしやすい。間の空間が狭いのでやりにくいような感じがするが、そのほうが跳ばしやすいし、狭いところから遠くへ跳ばして広げたほうが空間として見た目にきれい。

3)お腹で転がるとき(床)、足がまっすぐ向いているように気をつけること(でないと遅れる・方向がうまくとれない)


今日はジャズ2人、コンテは私とジャズの先生が入ってくれたので2人。こういう優良なレッスンになぜ人が集まらないのだ?広々使えてよく見てもらえてハッピーだけれども。私はコンビネーションよりもメソッド重視派(身体のトレーニング)で、どこを伸ばそうとしているか明確だったり独特のこだわりがある先生は好きだな。

アンナ・マニャーニ

2011年4月24日
彼女が顔の半分を手で覆い隠して悲痛な表情をしている。借りていた写真集からそれだけコピーして返却した。クスリはかなりのんだが意外とフツー。

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