「パリ、オペラ座のすべて」
2011年6月27日 ダンスもの夜中にケーブルでなにげに観始めてしまったドキュメンタリー。リハやダンサーと振付家のやりとり、打ち合わせだので、今のところ華麗な舞台シーンは出てきませんが「ブラック・スワン」の1000倍イイ。ダンサーが稽古着だからなおさら振付の面白さが見えたりするけれども、ダンス好きじゃない人にはまったく面白くないかも。でもこれから3時間って無理、寝ないと。
ブトー友に誘われて舞踏についての講演へ。半日がかり、パフォーマンスもあるプログラムで「学会」みたいなもの。仕切りが悪くてはしょり気味の演目があったのはダメ。
私はまだまだ「カヤの外」だけど、舞踏って伝統芸能の道を辿るの?いくら偉大な先人たちがおられても踏襲するだけでは「業界」の外の人を魅了するに至らないのではないか、一人一派一代というものでは、とか僭越ながら思います。
私はまだまだ「カヤの外」だけど、舞踏って伝統芸能の道を辿るの?いくら偉大な先人たちがおられても踏襲するだけでは「業界」の外の人を魅了するに至らないのではないか、一人一派一代というものでは、とか僭越ながら思います。
2代目
2011年6月25日昨夜も暑くて空気が止まっててしぬかと思いました。昨年は仕事あって作品もつくらなきゃならなくて、よくあの酷暑を乗り越えたものだと思うが行くところやることがあったからできたことでもあるのだろう。今年は仕事は先延ばしになっちゃったけど、少なくとも作品はつくらなきゃならない。
数年来、わが家で活躍中の豪速扇風機ミニ。風量が「豪速・超豪速」にしかできない(でもタイマーはある)のと、ともかくミニなので何かと使いづらい向きもあり、このスーパー節電サマーに備えて2代目扇風機を買いに行きました。
量販店なのにあまりに品数がなく「いつもこんな品揃えなんですか?」と訊いたら、入ってくるなり売れてしまったりメーカーにも在庫がもうなかったり次にいつ入るのかわからない、という説明だった。
次こそは大手メーカーの扇風機を買いたかったものだがかなわず、その場にあったよく知らない社製のでもリビングサイズ扇風機を買った。自分で組み立てる式。でも「おやすみ」「リズム」といったこじゃれた風量調整やタイマー、リモコンついてる(3500円くらい)。扇風機、売れてるんですね。
数年来、わが家で活躍中の豪速扇風機ミニ。風量が「豪速・超豪速」にしかできない(でもタイマーはある)のと、ともかくミニなので何かと使いづらい向きもあり、このスーパー節電サマーに備えて2代目扇風機を買いに行きました。
量販店なのにあまりに品数がなく「いつもこんな品揃えなんですか?」と訊いたら、入ってくるなり売れてしまったりメーカーにも在庫がもうなかったり次にいつ入るのかわからない、という説明だった。
次こそは大手メーカーの扇風機を買いたかったものだがかなわず、その場にあったよく知らない社製のでもリビングサイズ扇風機を買った。自分で組み立てる式。でも「おやすみ」「リズム」といったこじゃれた風量調整やタイマー、リモコンついてる(3500円くらい)。扇風機、売れてるんですね。
がっかり
2011年6月24日珍しく派遣会社から仕事の紹介があったのが先週。社内選考通過しました、と知らされたのが月曜。先方に面接に伺ったのが火曜。先ほど「残念ながら」と連絡があった。しょっくでレッスン出かけたところひき返しちゃったよ。かなしい…。
面接を受けてから結果が出るまで待っている時間が非常にツライ。今回はやってみたいと思ったお仕事だったのでとりわけ。英語のトライアルもあり、自分ではできたつもりでもアバウトなところはあったし、「プロフェッショナル」らしく聞こえなかったのかもしれない。他社さんからもっと強いカードの人が来ていたのでしょう(今回はある上級職の方のアシストが主なので、選考の最終決定はその方の一存と思う)。
面談に伺った後で考えるに「就業できるにしても大変だなぁ」と思ったけれども、乗り越えられればいい勉強、訓練の機会になったと思うだけにとても残念。この環境で働いてみたかった。英会話を習ってなければオファー自体を断っていただろうから、受けたことはよかった。でも実力まだまだ。
面接を受けてから結果が出るまで待っている時間が非常にツライ。今回はやってみたいと思ったお仕事だったのでとりわけ。英語のトライアルもあり、自分ではできたつもりでもアバウトなところはあったし、「プロフェッショナル」らしく聞こえなかったのかもしれない。他社さんからもっと強いカードの人が来ていたのでしょう(今回はある上級職の方のアシストが主なので、選考の最終決定はその方の一存と思う)。
面談に伺った後で考えるに「就業できるにしても大変だなぁ」と思ったけれども、乗り越えられればいい勉強、訓練の機会になったと思うだけにとても残念。この環境で働いてみたかった。英会話を習ってなければオファー自体を断っていただろうから、受けたことはよかった。でも実力まだまだ。
ふんふーん、と好きに踊っていたら、すっかりカウントはずしてる私。はずかしぃ。ジャズっ子たちはその辺きちんとやるので、アバウトっぷりばれてるわ。いろいろ考え中、暑さに早くもやられ中。
「ブラック・スワン」
2011年6月22日 映画 コメント (2)「暑くて逃げなければ」と思い、ダンス的なことも英語的なこともしたくなかったので映画館に避難することにした。水曜レディースデイだし。(以下ねたばれるかも)
監督が超こわヤク中地獄映画「レクイエム4ドリーム」を撮ったダーレン・アロノフスキー、の割には凡庸。心理エロティックサスペンスに堕ちてるしそれならそれでもいいけど、どこにも突っ走ってない。中途半端。いっそ母親を殺してライバルも殺して振付師とヤって気弱な「いい子」が堂々主役を張れるプリマになりました…というダークな成長譚ならよかったのに。
ヒロインのニナは舞台で「官能的な黒鳥を踊りきる」ということになっているのだが、それもなんかよくわかんなかった…本番ちゃちくないですか。稽古場のシーンのほうがよっぽどお洒落。ナタリー・ポートマンはよく身体つくったなと思うけど、踊っているときにオーラがない。白鳥の腕をぱたぱたするやつ(という表現もなんですが)で、ホンモノのプリマならやはりそこで空気が変わるというかかもし出されるものがあると思う。バレエ腕は本当にに難しい。ニナは母親とくっついてる優等生キャラ、対してコケティッシュなミラ・クニスのほうがバレエ・ダンサーとしてはユニークだしいい女(得な役)じゃなかろうか。ウィノナ・ライダーがあんまりにもあんまりな目に合う「盛りを過ぎたダンサー」役で出てるんだけど…クレジットを見るまでわからず。
バレエ・ダンサーの話ではあるけれども、バレエなりダンスに対する愛なり理解というものはあまりない映画、と思った。
というのが感想ですが、とりあえず涼めてよかった。自分が発熱してるかのごとく暑い。もう頭で考えられない季節がくるのね。
監督が超こわヤク中地獄映画「レクイエム4ドリーム」を撮ったダーレン・アロノフスキー、の割には凡庸。心理エロティックサスペンスに堕ちてるしそれならそれでもいいけど、どこにも突っ走ってない。中途半端。いっそ母親を殺してライバルも殺して振付師とヤって気弱な「いい子」が堂々主役を張れるプリマになりました…というダークな成長譚ならよかったのに。
ヒロインのニナは舞台で「官能的な黒鳥を踊りきる」ということになっているのだが、それもなんかよくわかんなかった…本番ちゃちくないですか。稽古場のシーンのほうがよっぽどお洒落。ナタリー・ポートマンはよく身体つくったなと思うけど、踊っているときにオーラがない。白鳥の腕をぱたぱたするやつ(という表現もなんですが)で、ホンモノのプリマならやはりそこで空気が変わるというかかもし出されるものがあると思う。バレエ腕は本当にに難しい。ニナは母親とくっついてる優等生キャラ、対してコケティッシュなミラ・クニスのほうがバレエ・ダンサーとしてはユニークだしいい女(得な役)じゃなかろうか。ウィノナ・ライダーがあんまりにもあんまりな目に合う「盛りを過ぎたダンサー」役で出てるんだけど…クレジットを見るまでわからず。
バレエ・ダンサーの話ではあるけれども、バレエなりダンスに対する愛なり理解というものはあまりない映画、と思った。
というのが感想ですが、とりあえず涼めてよかった。自分が発熱してるかのごとく暑い。もう頭で考えられない季節がくるのね。
ブトーメモのみ:
■同じ動きの反復。ある動きが気に入ったら繰り返してみる。繰り返すうちに自ずと変化が生まれたり。小さく、大きく、早く、別な身体の箇所も加えて…などバリエーションをつけ、オリジナルに戻してみる、など。
■身体のひとつの部位のみ使って動く。手だけ動かして、そこは見ない。トルソだけ、ひざだけ、首だけ、目だけ、など。
■外面(動き)だけでも内面(気持ち)だけでも踊りは成り立たない。内面ばかりにこもってつまらなくなったら外に出てみる、など内外の出入りは自由。
今日はそれぞれのいいところが見えて、なんかよかった。がんばりましょう。
■同じ動きの反復。ある動きが気に入ったら繰り返してみる。繰り返すうちに自ずと変化が生まれたり。小さく、大きく、早く、別な身体の箇所も加えて…などバリエーションをつけ、オリジナルに戻してみる、など。
■身体のひとつの部位のみ使って動く。手だけ動かして、そこは見ない。トルソだけ、ひざだけ、首だけ、目だけ、など。
■外面(動き)だけでも内面(気持ち)だけでも踊りは成り立たない。内面ばかりにこもってつまらなくなったら外に出てみる、など内外の出入りは自由。
今日はそれぞれのいいところが見えて、なんかよかった。がんばりましょう。
タワー
2011年6月19日あーもう髪を切りたいっ、と切りに行った。音楽が切れるのは野菜が切れるより辛いので(そもそも野菜の買い置きなどない)、久しぶりにタワレコへ行ってみる。店に行くと試聴も(ある程度)できるし、ジャケ買いもできるんだった。お洒落なジャズとか変なエレクトロニカとか買う。考えることが多くて頭が疲れる。考えなくてもいいのかもしれない…。
頭が疲れた。自分も人生を楽しむタイプではないのに父は私に「楽しいことすれば」と言う。楽しいこと、って何?I hate myself and mylife.わたしはどこからも誰からも忘れられていく。努力するのに努力だけの人生にいいかげん疲れた、さびしすぎるんだよ、となんどいったら?
BMレッスンへ。ここで心身ほぐす時間はとてもやすらぐ。岩手に行って「自分の身体が戻ってきました」という話。股関節はゆるめて、身体の重みが自然に落ち(ブロックしないで)受けとめられるように。あごも留めない、首は難しいけど抜けるときもある。かなしいことは床に。楽に楽に。
BMレッスンへ。ここで心身ほぐす時間はとてもやすらぐ。岩手に行って「自分の身体が戻ってきました」という話。股関節はゆるめて、身体の重みが自然に落ち(ブロックしないで)受けとめられるように。あごも留めない、首は難しいけど抜けるときもある。かなしいことは床に。楽に楽に。
日本では「文法的には正しい、でも英語としてなんか変」というような文章が、大量に生成されているものと思われます。しかもそれらの文章は個人の学習場面のみならず市販の教材においてもしばしば目撃されております。
日本語ネイティブとして私も「文法的にはいいけどストレンジ」な文章を今日の英会話レッスンで産出してきたのですが「どこが変なのよ、え?」という私の質問に対する英語ネイティブ講師の説明が「言語として日本語と英語の構造が違うから。それについてはウィキで調べて」だったのはいかがなものか。
私の疑問は1.非ネイティブスピーカーの「正しいけど変」な英語はどの程度許容されうるのか、ということと、平たい話、2.いったいどうすりゃ「文法OK、英語としてナチュラル」な文とそうでない文の見分けをつけ、クールな英語をつくれるようになるのか、ということ。
で、やや落ち込み気味に帰ってきてお風呂で考え続けていたら、疑問その2については自己解決(かも)。ひょっとしたら「あの本」が役に立つのではと思い至る。買ったまま放っておいた「その本」を読んだら続きを書きます。カギは「変換」?
日本語ネイティブとして私も「文法的にはいいけどストレンジ」な文章を今日の英会話レッスンで産出してきたのですが「どこが変なのよ、え?」という私の質問に対する英語ネイティブ講師の説明が「言語として日本語と英語の構造が違うから。それについてはウィキで調べて」だったのはいかがなものか。
私の疑問は1.非ネイティブスピーカーの「正しいけど変」な英語はどの程度許容されうるのか、ということと、平たい話、2.いったいどうすりゃ「文法OK、英語としてナチュラル」な文とそうでない文の見分けをつけ、クールな英語をつくれるようになるのか、ということ。
で、やや落ち込み気味に帰ってきてお風呂で考え続けていたら、疑問その2については自己解決(かも)。ひょっとしたら「あの本」が役に立つのではと思い至る。買ったまま放っておいた「その本」を読んだら続きを書きます。カギは「変換」?
ブトー公式ミーティング。どうやらつくることになりそう。てか、つくる。制作お手伝いその他込み。
ダンスについて話すよりどうしてもダンスしたい気持ちゆえ私は早めに退けて洋舞(笑)のレッスンへ。身体を動かせるのはうれしい。昨日も書いたけど。ここはときどきレッスン後に飲みに行く。ダンスの話はほとんどしないで来る夏の節電対策とかサングリアとシャングリラってどう違うの?とかそういう話をしている。ボランティアに傾いているらしい某氏の背中を押してみる。無理にとは言わないけれど、気になってる人は行ったほうがいい。それぞれに必ず得られることがあると思う。
ダンスについて話すよりどうしてもダンスしたい気持ちゆえ私は早めに退けて洋舞(笑)のレッスンへ。身体を動かせるのはうれしい。昨日も書いたけど。ここはときどきレッスン後に飲みに行く。ダンスの話はほとんどしないで来る夏の節電対策とかサングリアとシャングリラってどう違うの?とかそういう話をしている。ボランティアに傾いているらしい某氏の背中を押してみる。無理にとは言わないけれど、気になってる人は行ったほうがいい。それぞれに必ず得られることがあると思う。
ヴェトナム・コーヒー
2011年6月15日 EL英会話は「マシンガン連射」並の気合で今はやっている(なんでだかバトル姿勢)。「なんとかかんとか」「そうだよねぇ」くらいのゆるさで話ができるといいんですけど。
夜は先週のボラ一同で「反省会」(という名前の打ち上げ)。平均年齢42歳だそうだ。女子の平均を思い切り上げてるのは私、ということは自分でも知ってるそれおっさんから言われたくはない、と思ったり。ということはあれども、この一行はいいコンビネーションだったと思う。おいしいタイ料理とコーヒー。
夜は先週のボラ一同で「反省会」(という名前の打ち上げ)。平均年齢42歳だそうだ。女子の平均を思い切り上げてるのは私、ということは自分でも知ってるそれおっさんから言われたくはない、と思ったり。ということはあれども、この一行はいいコンビネーションだったと思う。おいしいタイ料理とコーヒー。
「内側からめくれる」
2011年6月14日 ダンスもの1週間抜けてブトー。身体を動かすのは純粋に楽しい、と思えるようになった。なんとなく、じゃなくて言語化できるくらい動きにイメージをしっかりもてると説得力が増す。
やっぱり行ってよかったと思う。岩手。
1週間ぶりにレッスン行けた(嬉)。腕は背中を広げるように肩を外側へ、ひじは内側へ、手首は内側へとねじるように(スパイラルに)使う。肩まわりを詰めないように(肩甲骨のあたりを広げる)。
1週間ぶりにレッスン行けた(嬉)。腕は背中を広げるように肩を外側へ、ひじは内側へ、手首は内側へとねじるように(スパイラルに)使う。肩まわりを詰めないように(肩甲骨のあたりを広げる)。
「壊滅」しても生きている/岩手ボラ記その2
2011年6月12日 311(その1より続く)
2日目は「念願の(?)」泥だし作業。他のボランティアグループと合同で、市の社協グループ全員で側溝の泥だしを行う。フル装備大活躍(地面にもガラス片や瀬戸物のかけら、金属が多数混入しているのでスニーカーなどでは危ない)。
側溝(道路の脇にある溝)に詰まった泥をかい出して袋に入れ、水が流れるようにするという作業だが、肉体労働は肉体労働。中腰になって、スコップで泥をすくうという作業はしんどいです。土嚢(すくった泥を詰めた袋)は半端なく重い。体力はあるつもりだったけど、情けなくも非力な自分。やっぱ全身鍛えないとダメだな。男性陣が多く、気を遣って女性には軽作業を回してくださった。大人数なせいもあってか、この作業はこの日でほぼ完了。
昨日もそう思ったけど、タフさには男女年齢関係ない。アラフォーより上世代も結構、多い。地元の人にせよ遠方からのボラの方にせよ、私より年配の細っこいおばちゃんでも男性と同じにガツガツと働いておられたり。屈強ですよ。かっこいい。私は時間があり余る失業の身ですが、同じ社協グループ内や現地で会ったボラの方にも無職の人が何人かいた。失業者が国のためになれるまたとないチャーンス!
この日の作業現場には家が1軒だけで、このおうちの広大な敷地なのかと思ったらそうではなく、10軒ほどあった他の家は全壊したそう。土地にはいろいろな「落し物」があり、写真や卒業アルバムの一部がここにもあり、スタッフの方に渡す。
帰りにバスで甚大な被害を受けた陸前高田を通る。3~4階建ほどのアパートが津波でぶち抜きになったままそこここに残っており、途方もない波の高さがわかる。がらんどうのビルの窓からカーテンだけがはためいている光景は異様だった。ショッピングセンターと思われる場所では、大きな店舗がひしゃげたようにつぶれていて(看板の一部でそれとわかる)、これでは木造建築はひとたまりもなかっただろう。
それにがれきの山。便宜的に「がれき」と言ってしまうが、もともと廃材だったのではなく、誰かの家だったり職場だったりしたものの名残なのだ。
あとは何もない。ここにいた人々はどうしてしまったのだろう。
町がなくなっている。
だけど、もう少しバスで走ると人のいる生活がある。まだまだご不自由もあるだろうけれど、「日常」が戻ってきているように見える光景が現れる。ある民家の庭先で白いわんこが嬉しそうにおばあちゃんにじゃれていたのがかわいかった。
私は「被災地のために何かしなくちゃ」とか熱い思いで来たわけではなく、かなり自分のためです。311以降、地震と津波、原発事故の影響が自分のなかで漠然とした不安というかたちであとをひいており―自分としては2月末の失業(もともと契約が切れるのはわかっていたが好きになった仕事だったので、予期していたより喪失感が大きかった)もあって増幅されたのだろうと思う―身体ということでいえば、それ以前と同じように音楽が聴けない、ダンスしてても何か違和感がある、ということがあった。もっと言うと、もしこれから何か作品をつくるのならば、その「いま強く感じている何か」を見ないと、自分のなかで収束させないとできない、ということもあった。
行ってみて、何よりよかったのは現地を自分で見て、聞いて、体験できたこと。限られた時間であり範囲の体験であるにせよ、現地の現実を見たことでこの災害について自分のなかのファンタジー(余計な妄想)が削がれ、なんとなく一段落ついたような気がする。
確かに未曾有の天災の痕跡はまだまだ残っており、支援もこれからももっともっと必要だけれども、「被災地」でも全体がダウンしちゃったのではなく、地域では現実的かつ切実な問題を見すえてこつこつ対処しておられたり、地元の人々が駆けつけて手を貸していたり―中央政府の混沌っぷりはわけわからないが、地元の方々は現実的に力をふりしぼって支えあっている印象。「がんばろう」だの「日本はひとつ」だの言わなくても普通に地道に相当にがんばっておられる―、あるいはすっかり破壊されたように見える場所でも後ろの山は緑が濃くてきれいで自然は変わらず生き生きとしていたり…といったポジティブでたのもしい「強さ」「生命力」もまたある、と知ることができたのが自分としては安心でき、また落ち着くことでした。
先に「精神的ダメージが心配」と書いたけれども、同行した社協スタッフの方によると地元(遠野市)としては、仮設への移転が進むこれからは「生活支援」によりフォーカスするとのことで、つまり個々に合わせた対応、横のつながりを生かした「集会所」づくりといったことに重点を置いていくそうです。さすが。
2日目作業の帰り際に、大船渡市の社協職員の方がわざわざ挨拶に来られて「みなさんが期待しておられたような活動はできなかったかもしれませんが、みなさんの作業は復興の役に確実にたっています」とのお言葉を頂く。こちらこそご期待にかなうような労働力ではなかったでしょうに恐縮です。
私は自分こそボランティアには”the last person”(もっとも~しそうにない人)だと思っていたし、帰ってきても「やっぱり向いてねー」と思うけれども…まぁ単純にマンパワーにはなったか。確実にまだまだ人手は求められています。
2日目は「念願の(?)」泥だし作業。他のボランティアグループと合同で、市の社協グループ全員で側溝の泥だしを行う。フル装備大活躍(地面にもガラス片や瀬戸物のかけら、金属が多数混入しているのでスニーカーなどでは危ない)。
側溝(道路の脇にある溝)に詰まった泥をかい出して袋に入れ、水が流れるようにするという作業だが、肉体労働は肉体労働。中腰になって、スコップで泥をすくうという作業はしんどいです。土嚢(すくった泥を詰めた袋)は半端なく重い。体力はあるつもりだったけど、情けなくも非力な自分。やっぱ全身鍛えないとダメだな。男性陣が多く、気を遣って女性には軽作業を回してくださった。大人数なせいもあってか、この作業はこの日でほぼ完了。
昨日もそう思ったけど、タフさには男女年齢関係ない。アラフォーより上世代も結構、多い。地元の人にせよ遠方からのボラの方にせよ、私より年配の細っこいおばちゃんでも男性と同じにガツガツと働いておられたり。屈強ですよ。かっこいい。私は時間があり余る失業の身ですが、同じ社協グループ内や現地で会ったボラの方にも無職の人が何人かいた。失業者が国のためになれるまたとないチャーンス!
この日の作業現場には家が1軒だけで、このおうちの広大な敷地なのかと思ったらそうではなく、10軒ほどあった他の家は全壊したそう。土地にはいろいろな「落し物」があり、写真や卒業アルバムの一部がここにもあり、スタッフの方に渡す。
帰りにバスで甚大な被害を受けた陸前高田を通る。3~4階建ほどのアパートが津波でぶち抜きになったままそこここに残っており、途方もない波の高さがわかる。がらんどうのビルの窓からカーテンだけがはためいている光景は異様だった。ショッピングセンターと思われる場所では、大きな店舗がひしゃげたようにつぶれていて(看板の一部でそれとわかる)、これでは木造建築はひとたまりもなかっただろう。
それにがれきの山。便宜的に「がれき」と言ってしまうが、もともと廃材だったのではなく、誰かの家だったり職場だったりしたものの名残なのだ。
あとは何もない。ここにいた人々はどうしてしまったのだろう。
町がなくなっている。
だけど、もう少しバスで走ると人のいる生活がある。まだまだご不自由もあるだろうけれど、「日常」が戻ってきているように見える光景が現れる。ある民家の庭先で白いわんこが嬉しそうにおばあちゃんにじゃれていたのがかわいかった。
私は「被災地のために何かしなくちゃ」とか熱い思いで来たわけではなく、かなり自分のためです。311以降、地震と津波、原発事故の影響が自分のなかで漠然とした不安というかたちであとをひいており―自分としては2月末の失業(もともと契約が切れるのはわかっていたが好きになった仕事だったので、予期していたより喪失感が大きかった)もあって増幅されたのだろうと思う―身体ということでいえば、それ以前と同じように音楽が聴けない、ダンスしてても何か違和感がある、ということがあった。もっと言うと、もしこれから何か作品をつくるのならば、その「いま強く感じている何か」を見ないと、自分のなかで収束させないとできない、ということもあった。
行ってみて、何よりよかったのは現地を自分で見て、聞いて、体験できたこと。限られた時間であり範囲の体験であるにせよ、現地の現実を見たことでこの災害について自分のなかのファンタジー(余計な妄想)が削がれ、なんとなく一段落ついたような気がする。
確かに未曾有の天災の痕跡はまだまだ残っており、支援もこれからももっともっと必要だけれども、「被災地」でも全体がダウンしちゃったのではなく、地域では現実的かつ切実な問題を見すえてこつこつ対処しておられたり、地元の人々が駆けつけて手を貸していたり―中央政府の混沌っぷりはわけわからないが、地元の方々は現実的に力をふりしぼって支えあっている印象。「がんばろう」だの「日本はひとつ」だの言わなくても普通に地道に相当にがんばっておられる―、あるいはすっかり破壊されたように見える場所でも後ろの山は緑が濃くてきれいで自然は変わらず生き生きとしていたり…といったポジティブでたのもしい「強さ」「生命力」もまたある、と知ることができたのが自分としては安心でき、また落ち着くことでした。
先に「精神的ダメージが心配」と書いたけれども、同行した社協スタッフの方によると地元(遠野市)としては、仮設への移転が進むこれからは「生活支援」によりフォーカスするとのことで、つまり個々に合わせた対応、横のつながりを生かした「集会所」づくりといったことに重点を置いていくそうです。さすが。
2日目作業の帰り際に、大船渡市の社協職員の方がわざわざ挨拶に来られて「みなさんが期待しておられたような活動はできなかったかもしれませんが、みなさんの作業は復興の役に確実にたっています」とのお言葉を頂く。こちらこそご期待にかなうような労働力ではなかったでしょうに恐縮です。
私は自分こそボランティアには”the last person”(もっとも~しそうにない人)だと思っていたし、帰ってきても「やっぱり向いてねー」と思うけれども…まぁ単純にマンパワーにはなったか。確実にまだまだ人手は求められています。
空気が止まっている/岩手ボラ記その1
2011年6月11日 3116月7日(火)~10(金)まで、居住する市の市民社会福祉協議会(以下「社協」)の災害支援ボランティアグループに参加して岩手に行ってきました。その報告です。
(下記はあくまで自分の限られた体験のなかで見たり聞いたりしたことであり、個人的な推測や感想が含まれていることにご留意ください)
一行は14名〔ボランティア12(男性8女性4)+社協スタッフ2(女性)〕、3泊4日で初日と最終日はバスの移動(東京‐岩手)にあて、活動日は2日間。宿泊(遠野市の地区公民館)とバスは社協の手配、参加費は実質ボランティア保険代(1400円)のみ。ボラ初心者には参加しやすいプログラムと思う。
活動は岩手県大船渡市で行います。何をするか、はその日に大船渡市のボランティアセンター(以下「VC」)に行ってみないとわからない。で、一同フル装備して出発します。「フル装備」とは帽子(ヘルメット、バンダナなど頭を防御するもの)、防塵マスク、ゴーグル(メガネなど埃よけになるもの)、長袖作業着、長ズボン、作業用ゴム手、安全長靴(踏み抜き防止の中敷きも)等。
防塵マスクだのゴーグルだの…といったマニアックな装備はどこで調達するのか⇒ホームセンター、東急ハンズなど。サイズがなくて一番困った「靴」は新宿の作業服屋さん、萬年屋で買いました。私が行ったときは被災地ボラに行く人には「プレゼント」つき、店員さんから「気をつけていってらっしゃいませ」と高級ホテルのコンシェルジュのごとくお見送りされる。
初日は3名で避難所の炊き出しお手伝いに参加。既に地元のボランティアグループがここを拠点に活動していて、他の市内市外の避難所にも調理したおかずの配膳を毎日、行っているそう。年齢さまざまなメンバーの方々がきびきび、かつ明るく和気あいあいと働いておられ、「炊き出し」というよりプロのケータリング屋さんみたいだった。
しかし大量の調理はやはり大変。デキル働き者たちのなかに放り込まれたひょっこ3名(特に私)、大量のじゃがいも、大量の玉ねぎ、大量のれんこんの皮をピーラーで剥きまくり(料理人が待ち構えているわけで、流れ作業に新人はあたふたする)、できあがったこれまた大量のおかずを紙コップに仕分けたり配膳したりといった作業を行った。
この避難所はまだ新しく、モダンなデザインでもともとはコンサート等のホールである建物。配膳のときに、初めて避難所で被災者の方が泊まっておられるエリアに入ったのですが…「こういう場所に人を長くとどめておいてはいけない」というのが最初に受けた強烈な印象だった。
いくら新しくきれいでも、固いフロア、薄暗い照明、こもった空気(窓が開かない。建物の性質上、どうしても「密閉」指向の空間になる)…いたし方ないこととはいえ、この住環境ではまず心身にいいはずない。どんな人でも気力体力が萎えてしまう、と正直言って思った。
当初はここに400名ほどの被災者がおられたそうですが、今は半数を切っているそう。とどまっている方たちもみな7月下旬をめどに仮設住宅等へ移転の予定とのこと。
笑顔の方もおられたけれど、私はむしろ人々からかいま見える倦怠や気力の衰え、すさんだ風情のほうが気になったし、心配になった。今は「プライバシーのない状態」で、良くも悪くも人目があるけれども、仮設に移って独居となると…気力が失われた人に自立を強いるのは難しい…自分がすぐに気力無くす人であるせいか、そう思う。物質的には間違いなく復興の方向に向かうだろうが、精神的な荒廃はくいとめないと、これからがもっとデリケートなケアが必要な時期なのかもしれない。
今回のボランティアでほんの少しの時間でも「避難所」を体験し、被災者の方々に接することができたのは自分にとって大きいことだった。国としての復興、地域の復興と、個人としての復興はまた別。ひとくちに「被災者」と言っても打ちのめされ方、失われ方、起き上がり方はさまざま。詰まるところは個人の問題、個人としての資源の持ち方に収束するのだろうか、と思うと愕然とする。などといろいろ考える。
被災地でかいま見た(ほんとにちょっとだけ、それも主観によるものだけど)人々の精神的なダメージの大きさの衝撃は、個人的には津波による物質的なダメージを上回るほどだが、それでもliving hellはここだけにあることでなく東京でもどこでも起きていることで、誰にも言えず、共有してもらえず、はためにわからないまま、国どころか家族すら支援しない、ボランティアなんかすっとんでこない種類のひとりで抱える苦しみはある、という前からの思いは変わらない。
このボランティアグループの話に戻るけれども、ミーティングの際に「食物を扱うというのは、人の命を預かっているのと同じこと」という話をされていたのが印象的だった(手洗い、マスク・ゴム手着用など衛生管理は本当にしっかりしている)。忙しい現場だけれども声をかけてくださったり、厨房でみなさんと一緒にお昼を振舞って頂いたりとお気遣いを受ける。
ここは本当にしっかりと運営されている印象で、中核スタッフはやはり東北の方なのだろうか。いろんな時間に常駐メンバーが入ってくる。でもみなさん地元でも「無傷」ではなく被災していたり、ご家族が被災しておられたり…プロ並の意識と献身には頭が下がるし、地元の人々の横のつながりとたくましさを知る。
(続く)
(下記はあくまで自分の限られた体験のなかで見たり聞いたりしたことであり、個人的な推測や感想が含まれていることにご留意ください)
一行は14名〔ボランティア12(男性8女性4)+社協スタッフ2(女性)〕、3泊4日で初日と最終日はバスの移動(東京‐岩手)にあて、活動日は2日間。宿泊(遠野市の地区公民館)とバスは社協の手配、参加費は実質ボランティア保険代(1400円)のみ。ボラ初心者には参加しやすいプログラムと思う。
活動は岩手県大船渡市で行います。何をするか、はその日に大船渡市のボランティアセンター(以下「VC」)に行ってみないとわからない。で、一同フル装備して出発します。「フル装備」とは帽子(ヘルメット、バンダナなど頭を防御するもの)、防塵マスク、ゴーグル(メガネなど埃よけになるもの)、長袖作業着、長ズボン、作業用ゴム手、安全長靴(踏み抜き防止の中敷きも)等。
防塵マスクだのゴーグルだの…といったマニアックな装備はどこで調達するのか⇒ホームセンター、東急ハンズなど。サイズがなくて一番困った「靴」は新宿の作業服屋さん、萬年屋で買いました。私が行ったときは被災地ボラに行く人には「プレゼント」つき、店員さんから「気をつけていってらっしゃいませ」と高級ホテルのコンシェルジュのごとくお見送りされる。
初日は3名で避難所の炊き出しお手伝いに参加。既に地元のボランティアグループがここを拠点に活動していて、他の市内市外の避難所にも調理したおかずの配膳を毎日、行っているそう。年齢さまざまなメンバーの方々がきびきび、かつ明るく和気あいあいと働いておられ、「炊き出し」というよりプロのケータリング屋さんみたいだった。
しかし大量の調理はやはり大変。デキル働き者たちのなかに放り込まれたひょっこ3名(特に私)、大量のじゃがいも、大量の玉ねぎ、大量のれんこんの皮をピーラーで剥きまくり(料理人が待ち構えているわけで、流れ作業に新人はあたふたする)、できあがったこれまた大量のおかずを紙コップに仕分けたり配膳したりといった作業を行った。
この避難所はまだ新しく、モダンなデザインでもともとはコンサート等のホールである建物。配膳のときに、初めて避難所で被災者の方が泊まっておられるエリアに入ったのですが…「こういう場所に人を長くとどめておいてはいけない」というのが最初に受けた強烈な印象だった。
いくら新しくきれいでも、固いフロア、薄暗い照明、こもった空気(窓が開かない。建物の性質上、どうしても「密閉」指向の空間になる)…いたし方ないこととはいえ、この住環境ではまず心身にいいはずない。どんな人でも気力体力が萎えてしまう、と正直言って思った。
当初はここに400名ほどの被災者がおられたそうですが、今は半数を切っているそう。とどまっている方たちもみな7月下旬をめどに仮設住宅等へ移転の予定とのこと。
笑顔の方もおられたけれど、私はむしろ人々からかいま見える倦怠や気力の衰え、すさんだ風情のほうが気になったし、心配になった。今は「プライバシーのない状態」で、良くも悪くも人目があるけれども、仮設に移って独居となると…気力が失われた人に自立を強いるのは難しい…自分がすぐに気力無くす人であるせいか、そう思う。物質的には間違いなく復興の方向に向かうだろうが、精神的な荒廃はくいとめないと、これからがもっとデリケートなケアが必要な時期なのかもしれない。
今回のボランティアでほんの少しの時間でも「避難所」を体験し、被災者の方々に接することができたのは自分にとって大きいことだった。国としての復興、地域の復興と、個人としての復興はまた別。ひとくちに「被災者」と言っても打ちのめされ方、失われ方、起き上がり方はさまざま。詰まるところは個人の問題、個人としての資源の持ち方に収束するのだろうか、と思うと愕然とする。などといろいろ考える。
被災地でかいま見た(ほんとにちょっとだけ、それも主観によるものだけど)人々の精神的なダメージの大きさの衝撃は、個人的には津波による物質的なダメージを上回るほどだが、それでもliving hellはここだけにあることでなく東京でもどこでも起きていることで、誰にも言えず、共有してもらえず、はためにわからないまま、国どころか家族すら支援しない、ボランティアなんかすっとんでこない種類のひとりで抱える苦しみはある、という前からの思いは変わらない。
このボランティアグループの話に戻るけれども、ミーティングの際に「食物を扱うというのは、人の命を預かっているのと同じこと」という話をされていたのが印象的だった(手洗い、マスク・ゴム手着用など衛生管理は本当にしっかりしている)。忙しい現場だけれども声をかけてくださったり、厨房でみなさんと一緒にお昼を振舞って頂いたりとお気遣いを受ける。
ここは本当にしっかりと運営されている印象で、中核スタッフはやはり東北の方なのだろうか。いろんな時間に常駐メンバーが入ってくる。でもみなさん地元でも「無傷」ではなく被災していたり、ご家族が被災しておられたり…プロ並の意識と献身には頭が下がるし、地元の人々の横のつながりとたくましさを知る。
(続く)
今週は
2011年6月6日思いついてアイチューンズのバックアップをとる。しばらくやってなかったので時間かかること。てかほんとにメモリ増設しないと。実家寄って夜レッスン2。
(火)~(金)と出かけてきます。
(火)~(金)と出かけてきます。
午前中メンクリ。今後の決意と予定を語るスイカ。それから西東京へとブトー先生のリハお手伝い。夜は別用。
音出しだのして、見たまま率直に意見を伝える。次に踊るとトーンがすっかり変わっている(てことは即興?)。で凄くよくなってる。つくづく天才肌の方だなぁと思う。このリハは外国でのパフォーマンスのためだが、高地なので舞台袖に「酸素ボンベ」が置いてあるとか。このソロ自体30分近くあるし、年齢を考えても、そこら辺の男よりよーっぽどタフ。気骨あって素敵(しかも綺麗だったり可憐だったり)。
(話は違うが、ここぞ!というときに倒れたり思考停止したり感情をコントロールできない「リーダー」ってあり得ないと思う。いくら学歴だのキャリアだの人脈だのがあっても肝要なときに力―保身でなく人のために―を発揮できないと意味ないではないですか。)
この前の女子会で「そろそろドーピングしないと(コラーゲンとか)」て話を私よりも若いハケン仲間がしていたけど(私も別な意味でドーピングしてますが)、この頃はもうスキンケアとかよりタフネスに惹かれる。スタミナ重視ですよ私はもう。タフで自信があれば美はあとからついてくる(…と思う)。
音出しだのして、見たまま率直に意見を伝える。次に踊るとトーンがすっかり変わっている(てことは即興?)。で凄くよくなってる。つくづく天才肌の方だなぁと思う。このリハは外国でのパフォーマンスのためだが、高地なので舞台袖に「酸素ボンベ」が置いてあるとか。このソロ自体30分近くあるし、年齢を考えても、そこら辺の男よりよーっぽどタフ。気骨あって素敵(しかも綺麗だったり可憐だったり)。
(話は違うが、ここぞ!というときに倒れたり思考停止したり感情をコントロールできない「リーダー」ってあり得ないと思う。いくら学歴だのキャリアだの人脈だのがあっても肝要なときに力―保身でなく人のために―を発揮できないと意味ないではないですか。)
この前の女子会で「そろそろドーピングしないと(コラーゲンとか)」て話を私よりも若いハケン仲間がしていたけど(私も別な意味でドーピングしてますが)、この頃はもうスキンケアとかよりタフネスに惹かれる。スタミナ重視ですよ私はもう。タフで自信があれば美はあとからついてくる(…と思う)。