あれから

2011年4月4日 ダンスもの
道はとおいけれど、やってればちょっとずつでも進む。ダンス。「3月11日以前の価値観には戻れない気がしています」と、あるダンサーの方がメールに書いていた。
久々Dancetherapy。予想通り参加者は多かった。

(ダンス編)
●たぶんフリームーブメントの最後にやった感じが自分の身体の素直と感じる。静かな音で、自分の感覚が導くように好きに動くだけ。大きさとか、空間のこととかあーしなきゃこーしなきゃ考えない。ずっと続けられる感じがした。この感じはぜひ#ヒント#にしたいと思う。

●再び基本であるけれどもsincere to sensation(その場の感覚に忠実に)ということ。

●必要なことでもあるが「人にどう見えるか(見せるか)」とかいわゆるダンス的なルールに自分が縛られていたかに気づいた。そういうことを気にするあまり、身体に(無駄な)緊張を強いていたり、関節を固くしたりして、動けなくなってた。

●今日はずいぶん動いた感じがする。見ていると、人が「自由に」動いているのは面白いものだと久々に気づき、新鮮に感じた。テクニックどうこうでなく、インプロとして面白くしようとかそういう作為のないところで、人がただ立ってたり、ごろんと横になってたりするのは生(なま)でなんだか面白い。

●地震のあとあまり音楽を聴けてなかった。パッケージされた「音楽」に自分のなかの「音楽」(的なもの)としっくりするものがなかったのだと思う。こういうときは自分の内を「聴く」ほうが導かれる。

●自分の外の「音楽」も、ちゃんと身体に響いて動けるようになりますように。リカバーしますように。

●私は何をしたいのかな。インプロ深いけど、こつこつ掘ろう…。

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(セラピー編)
■こういう場では最初と最後に自分の気持ちとか身体の状態を全体でシェアするのですが、私はあまり言葉を入れられず(あまり聞きすぎると疲れてしまう)。

■みなさんの話を聞いてて、自分にとっての問題(不安)は震災よりも「失業」だと改めて思った。何年も使い捨てられていることしにたくなり過ぎていること前の仕事は好きだったのに斬られた(同じチームの上司は昇進、私は廃棄)ことこれからのこと。

■それに、すること(仕事)がないと、もともと持っている自分の呪い(のようなもの)「死ぬまで誰にも愛されずにひとり」と直面せざるを得なくなるのも辛い。

■終わりのシェアでポジティブな気持ちになっておられる方も何名かおられたようですが、私はこの点については変わらず↑の問題の根の深さというか、まつわる怒りや恨み、不安と孤独をちら見してへびー。ちょいげんなり。
レッスンは40分間マンツー。今日の講師の方とはこれからの仕事の話など共有してもらえる部分が多く、話していて楽しかった。

どの講師の方もそうだが、必ず何かencouragingなコメントをくださる。かれらはプロだから意識して受講生を「ほめる」姿勢があるのだろうが(ここも要チェック)、思うに英語には「ほめる」ための語彙やフレーズが日本語より多いのでは。ということは英語文化には「ほめる習慣」が日本より日常的に根づいているのでは、ととっくにどこかに書いてあったようなこともいまさら思ったりもする。

海外の方々から、震災についてのcondolence(お悔やみ)メッセージをよく目にするが、個人的に心動かされることが多い。メディアで接する英語のそうしたメッセージは、それぞれが「自分の言葉で」気持ちを伝えているのが伝わってくるのでぐっとくるのだ。

自分も日本語ですらお悔やみを伝えるのは苦手なので、あんまり言えないけれど、やはり日本の企業が出している一連のお見舞いメッセージは通りいっぺんに感じるし、あと例えばタレントさんたちはなぜか「ガンバリマショウ!」でしめがちというのは…?笑顔になれる人はそうすればいいし、誰かのために自分の気持ちをムリにつくることはない、と私は思う。まだわれわれは悼むことができるほどこの体験と時間を消化できていないのだろうか。

話は戻るけれども…要は英語のほうが「自分の思い(感情)を伝える」習慣やフレーズ、語彙が豊かということなんだろうか。英会話を教わりにいくなら、それだけじゃなくて自分の思いを伝えたり人をほめたりする姿勢や表現まで身につけたいと思うレッスン2回目。

ハロー!スクール

2011年4月1日 EL
今日から英会話スクールに通うことにしました。4月1日でもウソではありません。「大きな買物」とはコレ。ごく短期ではあっても、腰をすえて通い続けたことはないわたくしでしたが思うところあって(というか意外と考えてないかも)今回はどどんと長期に教わるのです。給付金コースなのでやるしかないのだ(とはいえ就活もします、ぼちぼちと)。英会話スクール、とはいかなる世界なんだか。


再び顔を出してみたコンテ・インプロ・レッスン。遠方より参加で「コンテ初めて」という方もおられ、今日はWSの趣に:

●ダンスとは人間を成長させる力のある媒体。

●ダンスがあるスタイル(たとえば“いわゆる[キレイ系]コンテ”とか)だけを指向してしまうと、ある特定の骨格、身体つきのみが求められるようになり、それはとてもつまらない。

●人の数だけダンスがあっていい。

●技術の向上は大事だが、たとえば先生の振付をまねる、というとこだけに落ちるとつまらなくなる。(cf.振りを踊るのでも、自分でexploreしていく。「自分のもの」にする)

●●●自分で新しい動きを生み出していくこと、という創造性はとてもとても大事。

●ダンスによって生じること⇒(たとえば)協調性、質感、視点(客観的に自分を見ること)、解放される、リセットされる(何も考えずにふっと没頭できた瞬間、他のなにものにも得られない体験ができる)。

●「無意味」にゆだねること。

●感覚>感情(まず感覚、そして感情へ)。

●三点倒立の練習するべし!(腹筋背筋のバランス)

●●身体の使い方(たとえば「胸を開く/閉じる」ことによる感覚の違いを大切にする⇒踊りがすごく変わる。

「インプロで動くばかりがいいのではない、と思っていてもつい漫然と動いてしまったりする(緊張したり、集中できないときは特にそう)」と私が尋ねたら、のお言葉:

◆ルールをつくらないこと。
◆人と違うことを常にしてみる(人がばりばり動いていたら、動かないでいてみるとか)

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よくないな、とこの頃思うのは、踊るそばから自分で批判したりしてること。つまりは考え過ぎ。いろいろ気にかかることがあって、動いてても身体と頭(心)がしっくりしなかったり。溶けるには時間かかりそうだけど、今日は深いレッスンに参加できてよかった。

思いきる

2011年3月30日
ハロワ⇒メンクリ⇒銀行。大きな買物(決断)をする。夜は友を偲ぶ会。
明るく爽やかに手ぶらでは這い上がらないよ、わたくしは。ハロワ認定日、駅から一本道だけどつくづく遠いなと思う。初回で手続きそのものはさっさか済む。元の派遣会社はとっとと給与計算して連絡するように!同士のみなさんに混じり粛々と(最近なんでもこれ)パソコン借りて検索してみたり。

一月前は便利に使われていた自分は今、なんなんでしょう。震災もあれだけど、こっちも乗り越えてやる、くそ。早く身分は欲しいけど。失業もいつか必ず身の糧になる。絶対なる。人も多くて長居はできず、思いついて某所へ。お仕事とは別の線だけど考えたり調べたり、にわかに忙し。どうしますか。

髪を切った

2011年3月27日
なんか私は生きていくということがやっぱりわからない。

haru

2011年3月26日 ダンスもの
春はサクラ、と誰も言わない。かなしみは至る所に。

時間は長くかかる。特別でない/共存できる/無理のない/楽なやり方で。

暫く

2011年3月25日 読書
「1Q84」(Book1~3)を読んだ。感想ショートカット⇒長すぎる。「羊」でいいんじゃね?

若い頃、かなり熱心な村上春樹の読者で「羊をめぐる冒険」と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はいい小説だと今でも思っている。

氏の小説がこちら側の現実に接近するようになった頃から、氏が袋に入れて差し出す「悪」とか「善」とか「孤独」とかが私にはまるで刺さらなくなった。本書は「羊」の拡大版なのかと思って読み始めていたが、そもそもこれほど引き伸ばす必要はないような気がする。

で「カフカ」の頃と同じく、「巧みに物語を組み立てることはできるが、終わりをつけることができない」という印象はやはり同じ。単に蓋して終わりですか?というような。見も蓋もない言い方をしてしまえば「勝手にすれば」。終始、私には迫ってこない本だった。

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薬を何セットか飲むと2時間3時間とあっというまに寝て過ぎる。無言の携帯電話。私という存在のどうでもよさ。いてもいなくても同じ。しかし「いる」のは大変。

しばらく日記は不定期更新にする予定です。

身動きできない

2011年3月23日
↓の手続きで市役所。某英会話スクールを見に行ったがレッスン料の高いこと。ダンスの2倍以上…。なお沈んでく予感。
というわけでハロワの講習会へ。「お役所」とか「国鉄」とか昔はもっと威圧的なイメージがあったですが、進め方もフレンドリーな感じだった。来ている人々は楽しからざる境遇に置かれているだけにありがたいことです。会社から「えいっ」と斬られた人に対しては、国保加入に際して負担の軽減措置がありますよ、というナイスな情報を得る(離職理由による:住まいのある市町村で扱い)。

なんで

2011年3月21日
自分を損なってしまうのか。損ない続けるのか。なかなか戻らない。
予定通りなら今日明日は本番だったが覆ったのでコンタクトWSへ。人数少なく、その場の4人のうち3人がそれぞれの公演を失っていた。動いている量はいつもとさして変わらないのに、身体が張ったり固まったりします、とか話す。もう幸せにはなれないのかな、とか思ったり。疲れてしまった。クスリをのんでもなんにもならない。

長期戦ぽい

2011年3月19日
混んでるような、いつもと同じような、メンクリ。私はお薬増量、次回は早めに来なさいとのこと。薬は現実的な解決になりません、と言ったんですけどね。

今は「感情」のレベルで共有ができているけれども、時間がたつと当事者とそうでない人々にどうしても温度差がでてくる。今みたいに120%のhumanityでなくていいから、少しでいいから継続的に関心をもち、少しでいいから行動を続けるようにしたほうがいいのでは、と思う。謳いあげずに淡々と。薄暗い店、止められたエスカレーターといったものをしばらく粛々として日常に受け入れていくとか。

lose touch

2011年3月18日 ダンスもの
WS指導してくださったダンサーの方より曲ファイルをもらう。是非リベンジしましょう。空いてる貴重な昼レッスンへ。
ダンスはなくてもダンスもの。WSがなくなってしまったので、ではいつものレッスンへ行きましょう!と思ったら停電のおそれで休講。こんなときまでダンス馬鹿ですみません。こういう時間がないと自らのソンザイがぼやけるというか、血がよどむというか、なんだか自分はだめなのだ。

「計画停電」は日々、待ち構えているのだがお越しになったためしがなく、今日みたらうちのあたりはグループから外れてる。

昔っから情報の扱い(集めるのも、処理するのも)が苦手。弱弱な器なのでなんとなくフルになってる気がする今日この頃。しかし公演もいったん中止になったので自分の失業問題にも手をつけねばならない…。
WSは今日の分から、そして週末の公演は中止が決定。7月に再演の予定。この状況ではいたし方ないけれども力が抜けてしまった。


ワークショップ急遽お休み。先生都合というかご本人の考えによるものだが、私としてはこれも「自分ができること」のひとつなので再開を期待して待つ。

「天罰」とか言ってしまった人がいますが…謝罪として「明日はわが身」と言われても。多くの人が既にわがこととして考えているのでは。この人はいったいどこの世界に住んでいるのだろうか?

知人に頂いたメールで気づいたが、節電とか募金のほかに「祈り」というのも確かにできることでした。現場で不眠不休で働いておられる方々に感謝と励ましの気持ちをこめて、信じて祈る。日本じゅうが(気持ちとして)暗くなるのはよくない、と私も思うなぁ。
折り返してDAY7。参加者が諸般の事情で減ってきており、文字通り肩を寄せ合うようにして集まってあれこれやってます。安定した要素がない、ってこの時期に「どうなるかわかんないもんね~」と超フレキシブルにシーンを調整していく先生の凄腕っぷりに敬服。

夜の渋谷、スクランブル交差点の巨大モニター(「ロスト・イン・トランスレーション」にも登場したやつ)が消えていた。節電だから道理なのだが、「非常事態」のあまりにも象徴である感じがしてなんだか衝撃的だった。

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