30分

2011年11月8日 ダンスもの
洋舞インプロジャム。ひさびさこわれました。しかしいつもこの手ではいけないと思ふ。斜にかまえずダンスもしようぞ。

じゅくすい

2011年11月6日
起きたら11時過ぎでした。昨日のレッスンのおかげで久しぶりにぐっすりと寝た。そして昼間もうとうとと…。

ほどく

2011年11月5日 ダンスもの
BMレッスンへ。久しぶり~にゆっくりこういう時間に戻れて嬉しい。引越しミッション中はレッスンに行ってもいまいち集中できなかったが、「悪くない」とのこと。いいストレスだったんじゃないですか、と。右腕の緊張がすごいわ。

買収は是か否か

2011年11月2日 EL
と訊かれても一概に言えない。英会話に行って、企業買収からドーナッツの話まで。楽しいな。ビジネス問題うとい私でもオリンパスのあれは何?と思う。そしてたくさん動画を見た(聴いた)日。
かたちあるものは滅びる。と思っていてもやはり、あの大きな家がなくなるなんて信じられない。とりわけ寂しいのは縁側。

稽古に行って、みんなの即興がすごくよくて、思わず拍手したくなった人や驚くほど伸びた人がいて「ブトーって楽しい」と思った。自由なコンテも好きだけど、洋舞は時に考え過ぎる。私はここで無意味を学ぶのだ。

雑感

2011年10月30日
いまだ段ボールの山…。両親はまだ「オートロック」の開け方をいまいち理解していないようだった(インターホンに答えるだけではなく、開錠ボタンを押してあげないと)。母は「大事なものが見つからない」と百回リピートしていたので、「どこかにある!」と百回答えた。

越してきてもなおモノが多い…。私物のうち特に愛着があるものはほとんどスイカ・アパートに移してしまった。新居にまだある自分のものは、おいおいまた整理したほうがよさそう。引越しの翌日あらためて行ってみると、やはりこのマンションはシニア世代の両親のための家だなぁと思う。

もとの実家は明日から解体されるそうです。あの古くて大きな家に長く住んだのに、なくなってしまうなんて信じられない。思うことはいろいろあるけれども、閉めてからそのまま長いこと残されるよりは、早いほうが私としてはいい。犬たちにはいい環境だったでしょう。ずいぶん変わってしまったけれど、しばこにはこれからも安心で幸せな生活を送ってほしいです。両親はこれからいっそう2人で協力して暮らしていってください。慣れればあそこもいい場所だと思います。
泥のように疲れた。ともあれ一同のおかげで無事、移動完了しました。したと思います。疲れて泥になってるのでよくわからない。

洞窟のようだった2階の自室を、不要物の処分に始まりパッキングまで結局ひとりで作業し終わらせた。すごかったなー。中高生時代(その頃は妹とシェア)から10年前までを過ごした部屋。私はなんでも溜め込みすぎた。押入れを空にし、部屋をきれいにできてよかった、と思う。実に久しぶりに風を通した。とことんやって、悔いはないです。

引越しイブ

2011年10月27日
可燃・不燃ごみ合わせて51袋を清掃局に引き渡す。ひとりでこんだけさばいて、ものすごい達成感が(笑)!己の適性を頭脳労働ではなくガテン方向で考えるべきだろうか、と思わないでもない今日この頃。

毎週、山のようにごみを出していながらこんだけあるとは。通常の回収ではないので、もはや有料。「不要品の処分を早く!」と3万回くらい言ったのにあの方たちは…。特にチチ。ごみを出し終わってから、ぶ厚いファイルが何冊も床に転がってるのを見つけ訊いたら「これいらない」と。そもそも「いらないなら出しっぱなしにせず、ごみ袋に入れて!」とそりゃみっちりと言ったのに今日も床に放置って。知らないうちに片付けてくれる魔法の小人はいませんよ。なんなんでしょうか。

前日に作業の3分の2くらいを進めておくので、パッキング隊やら搬送の人々でえらい盛り上がりでしたわ。しばこを連れて長い散歩に出る。散歩日和、引越し日和のいい天気。作業するにも過ごしやすい時季で助かります。18時過ぎに妹来る。明日もよろしく。頑張りましょう。


ふたつの庭のあいだに、井戸をつくって、意識と意識下を行き来する。

井戸をのぞき込むと、しんとした宇宙が見える。

井戸の中から上を仰ぐと、月を抱いた宇宙が見える。

私がひとり、踊り続けているのは、そういう場所です。
演劇を観に行く。テキストが多い…。当たり前だけど。で「説明している」。言葉も説明しているし美術も説明しているし音楽も説明しているし衣装も…。なので冗長が生じる。芝居慣れしてないのでそもそも劇の見方がわかってないのかもしれないが、なんだか「情報が多過ぎる」と思う。

なんらかの必然性があって過剰なのは嫌いじゃないけど、概して削ぎ落とされたもののほうが好きなので、要素が多いのは苦手。

テーマ(のひとつ)が3月の震災。物語として言葉で語るのはまだ早いんじゃないかなぁ、と個人的には思う。「今という過程の記録」をつけるのも意義あることなのかもしれないけれども。

6月に岩手に行ったとき、泥かき作業をした場所にあった木のとんでもなく高いところに洗濯ネットに入った下着がひっかかっていた光景が異様で、よく覚えている。その場所にあったてんでばらばらな「品物(の一部)」と同じく、津波が運んできたものだった。

甚大な被害を受けた地域で見た津波の爪跡は唐突で荒々しく、「言葉が通じない」という印象を私は受けた。人が「暴力的である」というのとは決定的に違う。論理も情も受けつけない、ただのっぺりした「事実」が残るだけ…

言葉にする、というのは「かたちをあたえる」ということであり、大きさを定めてしまうと、時にはダウンサイズされるということでもあり…。時機をみないと難しいな、とおもう。

それはさておき、大型ゴミを出したり45リットルのゴミ袋を運んだり何年前のものだかわからない缶詰(コワイ)を開けて捨てたり家のあちこちにだぶついてあるトイレ用だの台所用洗剤の中味を空けて捨てる…というような引越し作業のなかで、もちろん自分のものも捨てている。

見直してみて大して愛着のない本や服などを処分し、同じように写真や紙も捨てた。自分が思い返したくない過去の記憶は持っていなくてもいいし、思い出は必ずしもモノというかたちで残さなくてもいい。と捨てまくりながら気づいた。

Edit.

よく言うように「起きたことは変えられないけれど、過去に対する見方は変えることができる」。これは自分の過去の物語を「編集」する作業と言えるかもしれない、というのも芝居を見ていて思ったことだった。

Empty Vessel

2011年10月18日 EL
ある曲ではそのアーティスト自身が音の後ろで制作の背景なんかを延々としゃべってて "I lost interest in music..."とか言ってる。でも音楽は止まらない。

英会話のレッスンで意味は同じだが間接的(礼儀正しい;たとえば上司に対して)~直接的(親しい間柄に対して)の程度の違いによって4種類のフレーズがあり、それを読むように言われて読んでいた。「読むときにニュアンスの違いをイメージしながら読んでみて」と先生に言われたとき、私はそういう練習のやり方があるのは知っていたし、自分でそう人に教えたこともある。だから、そのときはなんとも思わなかった。

でも電車に乗ってなぜかそのことを思い出し、言葉(language)が手段だというのはダンスが手段であるというのと同じで、言葉は単に情報を伝える手段でもあるけれども、気持ちを乗せる器でもあるのだ。ということにふと気づいてひどく驚いた。というのも私は自分でも忘れるくらい長いあいだ、言葉に何も乗せていなかったからだ。

I lost interest in words. I lost expectation for words. 以前の私は言葉にもっと期待を寄せていた。が、ある時点で手放した。言葉の限界に気づき言葉で表現できないことのほうが気になってきたからだった。

一冊まるごと無意味な本を書いたルイスキャロルは天才だと思う。ダンスの凄いところは意味なく成立し得るところだがそこでも弱気な自分はときに意味にとらわれまくる。

私は言葉に期待するのをやめた、というのは私の記憶違いだった。本当は私はそのとき「身体を使うように言葉を使えるようになろう」と思ったのだが、いつしか私はあきらめて空っぽな器のまま無為に言葉を使っていた。

言葉に気持ちが乗ることを忘れるなんてどうかしてる。私に感情がないから乗せるのを忘れていたのだろう。私の感情は怒りの下にある。怒りが外出したら、たぶん出てくる。

リリックでなくても言葉は音楽と同じだ。ダンスとも同じで言葉は表現する手段である。

言葉が表現の手段である、ということを思い出したとき私は世の中にはまだうつくしい瞬間がある、と思った。

自分が書くのでなく、気持ちが書かせるとき文章はいい文章になる。

私はダンスを続けていくのだし、言葉の専門家になるのだから、言葉に対する信頼を自分が取り戻す必要がある。

そのあと行ったブトーの稽古ではとても集中した。私は空間をにらみつけながら、「私がここにきれいなものを出現させてやる」と強く思い、手で軌跡を描いた。世の中にはまだきれいなものがある。

断捨離のおしえ

2011年10月15日
思わぬところ(棚の奥、鏡台の後ろ等)から思わぬモノが出てきたりする伏魔殿のような家で、いくら片付けても気が抜けない。「要らないモノの処分を早く!」と口をすっぱくして両親に言うが「もう日にちがない」ということと、「引越し屋さんが全てをやってくれるわけではない」ということがわかっているのだろうか。

動くのは私ではなく親たちなのになんだかな。テレビで体操見てる場合じゃないっつの(特にチチ)。トイレに行く間も惜しんで作業してひとりで気をもんでるのもあほらし。心配するのやめよ。来週、妹来るし。

いわゆる断捨離本は読んでませんが、いかに自分がモノをためこんできたかを知り、そして過去を「選んで」「捨てまくる」という体験をすると、考え方変わる。処分もしたけれど、実家でデッドストック状態になっていた本や雑貨、ちょっとした家具をうちに運んで再生させるのは楽しい。それにはまたこっちでも断捨離る必要が…。


リアル日記

2011年10月13日
DiaryNoteが「ブログサービス」ではなく「日記サイト」であった時代(「だいあり~のーと」て名前じゃなかったっけ)のはるか昔、日記帳に日記を書いていた。それがどのくらい「はるか昔」のことだったかすっかり忘れていたが、机の抽斗にあった2,3冊で済む訳はなく実家の押入れの奥にぶ厚いノート10冊ほど帰りがけに発見して愕然とする。親の家には移せないしうち捨てることもできないし、小分けして持って帰る。両肩の荷物で10キロはありそうな気がする。

引越しのガテン作業で燃え尽きててダンススイッチが入らない。レッスン後、久しぶりに飲みに行く。思いがけずいい話を聴いた。子どもがいても誰もが親になれるわけではない、と私は思うから、素直に幸せな話。

たのしい言語学

2011年10月12日 EL
自主練〜。来月までしばらくお預け。今日はのんびりできた。食ぱんを忘れず買って帰る。なんの変哲もないけどここのは美味しいと思ふ。

荷物を取りに戻ったりしてから英会話へ。私は受講期間中に一冊終えないとキャッシュバックが受けられない宿命(給付金プラン)なのでこの頃は真面目にテキストやっていますが、今日は「need toとhave toはどう違うか(こういう言語トリビアが好き)」から脱線して言語学・心理学の雑談に終始、チョー面白かった。

先生によるとアメリカではどちらもsocial science扱いだそうだが、日本ではどちらも文系学部におかれて「うちらサイエンスなんだけど」と小声で叫んでいるように思える。(臨床)心理学を勉強してた頃、なんか学部に「サイエンス扱いされない負い目」が漂っていたような。

私がいたところでは「言語学」と言えばチョムスキー専門の教授しかおらず、「皆目わからん」と投げてました。が、英会話のこの先生はlinguistで、彼のレッスンを受けるようになってから言語学はすごく面白い、と知る。「はじめての言語学」的な本を買ってみた(けどまだ読んでない)。

英会話についてこの頃思うのは、「コミュニケーションする意志」さえあればなんとかなるんじゃない?ということ。語彙やフレーズを増やすのも役に立つけど、「#言葉で#コミュニケーションしよう」という姿勢さえあれば、極端に言えば中学英語でたいていの局面はなんとかなるのではないか(職業英語スペシャリストについてはまた別の話)。

知らない単語は、より簡単な言葉で説明すればいい。相手が言ってることがわからなかったら、訊けばいいし。間違っていたり、拙かったりしたとしても、英語圏の人は「言葉」になっていれば耳を傾けてくれるように思う。

日本語(母語)は日本人としては無意識に使えるわけで、また日本語は空気や顔色や沈黙など、言葉でないことを読み取ったりする。「非言語」の部分でコミュニケートしている部分が少なくないので、とにかく「言葉で表わす」という姿勢を意識してつくるのはけっこうエネルギーが要る(特に日頃、話好きでもない自分にとっては)。でもそれが習慣として身につくと、「英語で話す」ことの意味あいが変わるというか、楽に、かつ楽しくなる気がします。

記名性

2011年10月11日 ダンスもの
朝一ハロワ。お世話になってます。ダンスと音楽にも救われております。それぞれ理由は違ってもダンスが好きで続けてる人たちと出会える場があるのは幸いなり。Aちゃんの丸みをおびた身体に見とれる。背骨がきれいなS字を描く。重みがあって(良い意味)女性らしい風情。ピュアであり陰影がある。ハイテクで匿名の身体より、その人らしい存在感のあるパーソナルな身体に憧れる。

あれをこっちに

2011年10月8日
とにかく処分作業。自分が何でもためこんでたから。病んでる。病んでたけど。実家から小さめの本棚とそれに収まる書籍をこちらに移すことにして、そうするとここも片付けねばならない。はてしない断捨離ループ。

list

2011年10月7日
課題を進める。かさばる荷物しょってハロワ。それから自主錬へ。こういうときはだめですな。自分の身体が好きになれない。特に今は肩から腕。妹と気になる事柄についてメール。「あまり気にしないで」と言うが君はさっさと家を出た。かさばる荷物は実家で仕分けした衣類の山、買い取ってもらったらコーヒー一杯分くらいの値段だった。虚しい消費サイクル。でもカフェインいれたらちょっと元気に。帰って課題を進める。ITSで鳴ってるんだかどうなんだか、やる気があるんだかないんだかわからないような音ばかり買い集める。すんごく久しぶりの人から電話。単純に「声が聞きたくて」と言われて嬉しい。でも声がまだ出ない。アメリカの格差抗議デモを共感をこめその行方を見守っている。
のかな?ネットで調べて高評価のお医者さんへ。夏からずっとノドが変(風邪にかかったような状態)でHPに行かなきゃとは思っていたのだが地元の内科を知らなかった。

「いつも混んでる」と口コミにもあったとおり、「1時間待ちです」と受付で言われたが結局2時間以上待った。症状からいくつか可能性を提示、消去法で「喉頭炎じゃないですか」ということに。いざ診察の時点でもう疲れ果てていたのでこの医者のブラボーなところはよくわからなかった。そもそもこんなに待たなきゃならないところ私は無理…。

それからブトーに行く。あまりにも遅刻で気がひけたが、行ってよかった。ここの「非日常性」がありがたい。時間のない時間、どこでもない場所。

なんかもう

2011年10月3日
卒業したい。するけど。疲れたよもう。いいかげん大人になってくれ。大人っていうのは子どもを頼らない人のことだ!…ちゃんと引越しできるのか、とかで気をもむより自分の人生を進めるのだ。私は力持ちだからイス(折りたたみ)を持って帰る。2週ぶりにレッスン行ったらメソッドが変わっていた。

くったり2

2011年10月2日
とにかく休む。

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