ムーブメントクラスに行ってみた。短期集中ではなく毎週木曜夜の常設クラスで今日が初回。ある程度続けないとわからないでしょう、と思い、とりあえず今月の3回は参加することに決め予約を入れた。
場所は西新宿にある「芸能花伝舎」。ここは元・小学校だったのをそのまま施設として活用したそうで、私たちのクラス以外にも、どこかの元・教室から、なんかしらアナーキーな音が聞こえていたので芸能関係(?)の稽古やWSのために貸したりしているようです(関係団体の事務所もある)。
参加者は経験問わず、30人くらい。その3分の2は女性。男女ともに、踊りか演劇かやってるふうな感じの人が多いみたいだった。私たちは素敵な死体になって床を転がったり、バッハをBGMに微妙な使い方だけど効くーっ、て感じの腹筋をやったりして身体をならしました。
だんだん進むにつれ、ふだん受けているジャズダンスのレッスンではまずしないような動きの練習になる。指、手首、みぞおち、肩甲骨などすごく細かい単位で身体に意識をフォーカスして動かす訓練をするのだ。中指は固定して手首を回すだとか、手のひらは中空で固定してひじを回転させる、だとか…そういうのです。超ジミ、もくもくとやるので超ストイック、だけど、こういうの私は嫌いじゃない。というか、かなり好き。できてないけど。
それからむちゃくちゃ跳んだり、2番プリエの格好でじりじり動いたり(要するに「土俵入り」みたいな動き)、真剣に「だるまさんがころんだ」をやったりとダイナミックな要素も入ります。しかし「振りを教わって踊る」とか、ちゃらちゃらしたことはしないので、2時間が長く感じられます。こういうジミな(なんども言いますが)エキササイズが実にきっつー、なのです。明日は未曾有の筋肉痛に見舞われるでしょう。
別に女優だとかプロのダンサーだとかになるわけではないけれど、私は踊りにしろムーブメントにしろ、こういうことが意味なく好きだ。肩書き、持ち物、知識、単なる目鼻だちという意味でのルックス、年齢にとらわれないところで、人が見えてくるから。なんの説明もしなくても、手ぶらでかっこいい人に私はなりたいな。
そして忘れてはいけない、この場を率いる先生がいい感じなのです。ダンスと同じく、こういうボディワークのクラスは、その先生が場につくりだす空気感も私は大事だと思うけれど、ストイックできっつーな内容なのになんだか和やかでジミに(しつこい…)楽しいのはJ氏のお人柄もあると思う。
舞台を観たときは、「とんがった」とか「濃い」印象があった(ので、相性悪かったらどうしよう、とまで思っていた。実は)。けれど、クラスで間近に接すると、「社会科の先生」とか「銀行員」ふうにすら見える。バス停で並んでいても、舞台に出るような人には見えないかもしれない。それでもですね…色気があると思った。私はあんまり男の人にそういう感じはもったことはないのですが。
体育会系の筋骨隆々な感じでもないし、熊哲みたいなバレリーナ体型でもないんだけど、彼は身体が色っぽい。と言っても玉三郎みたいなんじゃないし…うまく言えないけど、こういうのがセックス・アピールというもの? もちろん身体だけでなく、たちどころに空気が変わる動きも凄いんだけど。舞台と印象が違うのにも、こう感じている自分にもちょっとびっくり。
クラスが終わって外に出ると、花伝舎の隣はレトロな感じの幼稚園(こちらは実際に営業中)、そしてその後ろに新宿の高層ビルがいくつも見える。このバランスの妙ある夜景を楽しみつつ駅まで歩いた。
場所は西新宿にある「芸能花伝舎」。ここは元・小学校だったのをそのまま施設として活用したそうで、私たちのクラス以外にも、どこかの元・教室から、なんかしらアナーキーな音が聞こえていたので芸能関係(?)の稽古やWSのために貸したりしているようです(関係団体の事務所もある)。
参加者は経験問わず、30人くらい。その3分の2は女性。男女ともに、踊りか演劇かやってるふうな感じの人が多いみたいだった。私たちは素敵な死体になって床を転がったり、バッハをBGMに微妙な使い方だけど効くーっ、て感じの腹筋をやったりして身体をならしました。
だんだん進むにつれ、ふだん受けているジャズダンスのレッスンではまずしないような動きの練習になる。指、手首、みぞおち、肩甲骨などすごく細かい単位で身体に意識をフォーカスして動かす訓練をするのだ。中指は固定して手首を回すだとか、手のひらは中空で固定してひじを回転させる、だとか…そういうのです。超ジミ、もくもくとやるので超ストイック、だけど、こういうの私は嫌いじゃない。というか、かなり好き。できてないけど。
それからむちゃくちゃ跳んだり、2番プリエの格好でじりじり動いたり(要するに「土俵入り」みたいな動き)、真剣に「だるまさんがころんだ」をやったりとダイナミックな要素も入ります。しかし「振りを教わって踊る」とか、ちゃらちゃらしたことはしないので、2時間が長く感じられます。こういうジミな(なんども言いますが)エキササイズが実にきっつー、なのです。明日は未曾有の筋肉痛に見舞われるでしょう。
別に女優だとかプロのダンサーだとかになるわけではないけれど、私は踊りにしろムーブメントにしろ、こういうことが意味なく好きだ。肩書き、持ち物、知識、単なる目鼻だちという意味でのルックス、年齢にとらわれないところで、人が見えてくるから。なんの説明もしなくても、手ぶらでかっこいい人に私はなりたいな。
そして忘れてはいけない、この場を率いる先生がいい感じなのです。ダンスと同じく、こういうボディワークのクラスは、その先生が場につくりだす空気感も私は大事だと思うけれど、ストイックできっつーな内容なのになんだか和やかでジミに(しつこい…)楽しいのはJ氏のお人柄もあると思う。
舞台を観たときは、「とんがった」とか「濃い」印象があった(ので、相性悪かったらどうしよう、とまで思っていた。実は)。けれど、クラスで間近に接すると、「社会科の先生」とか「銀行員」ふうにすら見える。バス停で並んでいても、舞台に出るような人には見えないかもしれない。それでもですね…色気があると思った。私はあんまり男の人にそういう感じはもったことはないのですが。
体育会系の筋骨隆々な感じでもないし、熊哲みたいなバレリーナ体型でもないんだけど、彼は身体が色っぽい。と言っても玉三郎みたいなんじゃないし…うまく言えないけど、こういうのがセックス・アピールというもの? もちろん身体だけでなく、たちどころに空気が変わる動きも凄いんだけど。舞台と印象が違うのにも、こう感じている自分にもちょっとびっくり。
クラスが終わって外に出ると、花伝舎の隣はレトロな感じの幼稚園(こちらは実際に営業中)、そしてその後ろに新宿の高層ビルがいくつも見える。このバランスの妙ある夜景を楽しみつつ駅まで歩いた。
いつものレッスン(「ターン&ジャンプ」)のあとに、別な先生でジャズのレッスンが新設されたので出てみた。身体のパーツがどうとかこうとか、説明しながらストレッチしてくれるし、振りもモダン寄りで私は踊りやすい、好きな感じかも。
2レッスン通しで受けたのは初めてで、無理かと思ったけど、トータル3時間、やり通せて嬉しい。今日は仕事より踊りにフォーカスしてましたね。「今日は」ていうか、いつもですか。フェイタス貼って寝ます。木曜はメンテします。
2レッスン通しで受けたのは初めてで、無理かと思ったけど、トータル3時間、やり通せて嬉しい。今日は仕事より踊りにフォーカスしてましたね。「今日は」ていうか、いつもですか。フェイタス貼って寝ます。木曜はメンテします。
珍しいキノコ舞踊団「また、家まで歩いてく。」
2006年3月23日 ダンスもの@スパイラルホール(表参道)…なのだが、なぜか私は「会場は子どもの城!」と思い込んでいて、行ってみたら暗い、何もやってない、慌ててチケットを見てやっと気づく。「ヨユー」と思っていたのに全然余裕なくてそこからダッシュ。気づいた時点で一駅分ほど距離もなかったので間に合ってよかったです。
西のローザス、東のキノコ。憧れのキノコ先生こと伊藤千枝さん率いる珍しいキノコ舞踊団は女性ダンサーのみのカンパニーです。実は生で観るのは初めて。スカパーで以前放映された「frill(mini)wild」(@原美術館)を観てファンになりました。
冒頭、鳥のさえずりが聴こえる森のなか、白っぽい衣装を着た女性がひとりで踊っている。しばらくすると、やはり同じようなトーンの、白、ベージュ、シルバーの装いの人たちが木陰から姿を現わしてくる。私が踊りを観て心動かされるときは、あたかもダンサーが人間じゃない、何か別の生き物に見えることが多い。今日も、なんだかこれは、エノキ茸かなにか、漂白したような白さのキノコが生えてにょきにょき動いているみたいだ…と思った。しかし、そもそも名前がキノコでしたね。
身体の使い方がすごくきれい(身体そのものもそう。脚のラインとか見とれる)。それはすごくうまい、ということなんだけれど、いにしえのバレエ漫画で読んだ「テクニックは見せるためにあるのではない」てなセリフを思い出した。テクニックは表現の手段(ツール)なのであって、でないと踊りが「すごいテクの“私”を見て!」みたいなことになってしまう。まあ、そういうのが好きな人もいるかもしれないけど、私は変な生き物に見えたり、空間を変えたり、イメージを呼び起こしたりしてくれる踊り手のほうが好きだ。
私もこんなふうに身体を自由に使えたらなあとつくづく思う。プロと並べて語るのも僭越ですが、私なんて振りに振りまわされてるばかり、こんなふうに音楽と向き合えたり、自然により添えたり、落ちついて自分からイメージを生み出すなんてまだまだ先…。
私にとってキノコの魅力はガーリー(少女っぽい)ところにあり、ルー・リード(みたいな曲)でもインド音楽っぽいやつでもソウルフルなやつでも、どんなジャンルの音楽を使おうと、どことなく「なよ〜ん」とした抜け感があるところが好き。ああそうだ、思い出したけど「歌」もありました。「わたしの姉はヒステリ〜♪」とか「やられたらやり返せっ」とか歌ってるの(笑)。
全篇カワイイと同時に、冒頭でソロで登場した女性ダンサーとか、ところどころで「なまめかしい…」とも感じた。狙った「エロ」でなく、本人気づいてないけどなんだか色っぽい、みたいな。きゅんとしましたわ。
セットも森や「リカちゃんハウス」(若い人は知らないか)のキノコ的解釈みたいで、踊りのテイストとよく合ったもの。面白かったのはセットの移動を暗転で大道具係の人がやる、のではなくて、ダンサー自身がしずしずと(時には踊りながら!)動かして変えていたことです。何事もなかったかのように、すずしい顔で。
かわいくて面白い、うっとりでした。会場係の女の子たちまでカワイイ、などと思っていたら1月のキノコWSで一緒だった娘さんたちを発見。立ち話して、「では、またどこかで」と挨拶できたのも嬉しかった。
珍しいキノコ舞踊団 http://www.strangekinoko.com
西のローザス、東のキノコ。憧れのキノコ先生こと伊藤千枝さん率いる珍しいキノコ舞踊団は女性ダンサーのみのカンパニーです。実は生で観るのは初めて。スカパーで以前放映された「frill(mini)wild」(@原美術館)を観てファンになりました。
冒頭、鳥のさえずりが聴こえる森のなか、白っぽい衣装を着た女性がひとりで踊っている。しばらくすると、やはり同じようなトーンの、白、ベージュ、シルバーの装いの人たちが木陰から姿を現わしてくる。私が踊りを観て心動かされるときは、あたかもダンサーが人間じゃない、何か別の生き物に見えることが多い。今日も、なんだかこれは、エノキ茸かなにか、漂白したような白さのキノコが生えてにょきにょき動いているみたいだ…と思った。しかし、そもそも名前がキノコでしたね。
身体の使い方がすごくきれい(身体そのものもそう。脚のラインとか見とれる)。それはすごくうまい、ということなんだけれど、いにしえのバレエ漫画で読んだ「テクニックは見せるためにあるのではない」てなセリフを思い出した。テクニックは表現の手段(ツール)なのであって、でないと踊りが「すごいテクの“私”を見て!」みたいなことになってしまう。まあ、そういうのが好きな人もいるかもしれないけど、私は変な生き物に見えたり、空間を変えたり、イメージを呼び起こしたりしてくれる踊り手のほうが好きだ。
私もこんなふうに身体を自由に使えたらなあとつくづく思う。プロと並べて語るのも僭越ですが、私なんて振りに振りまわされてるばかり、こんなふうに音楽と向き合えたり、自然により添えたり、落ちついて自分からイメージを生み出すなんてまだまだ先…。
私にとってキノコの魅力はガーリー(少女っぽい)ところにあり、ルー・リード(みたいな曲)でもインド音楽っぽいやつでもソウルフルなやつでも、どんなジャンルの音楽を使おうと、どことなく「なよ〜ん」とした抜け感があるところが好き。ああそうだ、思い出したけど「歌」もありました。「わたしの姉はヒステリ〜♪」とか「やられたらやり返せっ」とか歌ってるの(笑)。
全篇カワイイと同時に、冒頭でソロで登場した女性ダンサーとか、ところどころで「なまめかしい…」とも感じた。狙った「エロ」でなく、本人気づいてないけどなんだか色っぽい、みたいな。きゅんとしましたわ。
セットも森や「リカちゃんハウス」(若い人は知らないか)のキノコ的解釈みたいで、踊りのテイストとよく合ったもの。面白かったのはセットの移動を暗転で大道具係の人がやる、のではなくて、ダンサー自身がしずしずと(時には踊りながら!)動かして変えていたことです。何事もなかったかのように、すずしい顔で。
かわいくて面白い、うっとりでした。会場係の女の子たちまでカワイイ、などと思っていたら1月のキノコWSで一緒だった娘さんたちを発見。立ち話して、「では、またどこかで」と挨拶できたのも嬉しかった。
珍しいキノコ舞踊団 http://www.strangekinoko.com
水と油「均衡」@シアタートラム
2006年3月1日 ダンスもの在宅の仕事はまだ終わってない(らしい。明日電話してみよう)が、今月はエンタメが多い。今日は会社の帰りに↑を観に行きました。
「水と油」は男性3+女性1名によるパフォーマンスカンパニー。セリフはなくて、動きで見せる。パントマイムと言っていいのかな? 私がこちら様を観るのは初めてで、先月の地元劇場でのワークショップにメンバーの「おのでらん」氏が来て下さったことからこの公演を知った。水と油は結成10年、今回をもって4人での公演はしばらくお休みということもあってか、会場は満席、立ち見も出る盛況。
パントマイムは演劇?踊り?どちらなのだろう? どちらでもある、分類はどうだっていいのでしょう。私はほとんど演劇を観に行くことはないし、マイムもちゃんと観たことはないが、この「均衡」という作品を観ていると、「なんだ、コンテンポラリー・ダンスと同じ感覚…」と思えてきた。
カップルで食事をしているはずか、飲み比べ競争になっていたり、フロント係が客と入れ替わったり、右のドアをノックしたのに、左のドアがあいたり…といつのまにかさまざまな取り違え、交換、入れ替わりが起こっている。でも「均衡」であるような世界。
ずっと観続けていると、「ああ、やっぱり、ダンスとは何かが違う」とも思った。ダンスを観るより頭を使う。言葉はないが意味がある。それが違う。そして意味あるところ不条理がある。そして意味ある分、(コミカルな場面もあるけど)本質的にまじめなのかも。
その辺で(私の理解するところの)ダンスとは違う匂いがするのだろう。動きにどのくらいの意味を入れるのがおもしろいのか・たのしいのか・うつくしいのか?…などと観ながらちょろっと考えていた。でも、意味から解放されるのも難しいことだ。つい意味あるところ(或いは「意味ありげなところ」)に落ちつきどころを探してしまう…とも。
椅子・机・ドアといったミニマルなセット、衣装は白・黒に少しパステルがかって見えるブルー(この配色はいい。今度まねしてみよう)。パフォーマーたちの、それぞれの空気感をもった冴えた動きとあいまって、クールできれいな舞台でもあった。
不思議な世界、面白かったです。
「水と油」HP http://www.mizutoabura.com/
「水と油」は男性3+女性1名によるパフォーマンスカンパニー。セリフはなくて、動きで見せる。パントマイムと言っていいのかな? 私がこちら様を観るのは初めてで、先月の地元劇場でのワークショップにメンバーの「おのでらん」氏が来て下さったことからこの公演を知った。水と油は結成10年、今回をもって4人での公演はしばらくお休みということもあってか、会場は満席、立ち見も出る盛況。
パントマイムは演劇?踊り?どちらなのだろう? どちらでもある、分類はどうだっていいのでしょう。私はほとんど演劇を観に行くことはないし、マイムもちゃんと観たことはないが、この「均衡」という作品を観ていると、「なんだ、コンテンポラリー・ダンスと同じ感覚…」と思えてきた。
カップルで食事をしているはずか、飲み比べ競争になっていたり、フロント係が客と入れ替わったり、右のドアをノックしたのに、左のドアがあいたり…といつのまにかさまざまな取り違え、交換、入れ替わりが起こっている。でも「均衡」であるような世界。
ずっと観続けていると、「ああ、やっぱり、ダンスとは何かが違う」とも思った。ダンスを観るより頭を使う。言葉はないが意味がある。それが違う。そして意味あるところ不条理がある。そして意味ある分、(コミカルな場面もあるけど)本質的にまじめなのかも。
その辺で(私の理解するところの)ダンスとは違う匂いがするのだろう。動きにどのくらいの意味を入れるのがおもしろいのか・たのしいのか・うつくしいのか?…などと観ながらちょろっと考えていた。でも、意味から解放されるのも難しいことだ。つい意味あるところ(或いは「意味ありげなところ」)に落ちつきどころを探してしまう…とも。
椅子・机・ドアといったミニマルなセット、衣装は白・黒に少しパステルがかって見えるブルー(この配色はいい。今度まねしてみよう)。パフォーマーたちの、それぞれの空気感をもった冴えた動きとあいまって、クールできれいな舞台でもあった。
不思議な世界、面白かったです。
「水と油」HP http://www.mizutoabura.com/
荒川静香、見た。予想していたほどダイナミックな感じはなかったけど、正確で、何といってもきれー。「タンチョウのよう」と伊紙が報じていたけれど、まさにそう。ブルーの衣装も似合っていた。演技もたたずまいも清楚で、とても素敵でした。
そのあとに自分の踊りのことを書くのも気がひけるというものですが。自覚もしてるし、今日も先生に言われたが、私は身体が固い。身体に余計な力が入って、伸びやかな動きができない。身体自体の柔軟性はないわけではないのに、いざ踊るとなるといきなり余裕がなくなってあわててしまう。
なんかこれは身体能力というより、気持ちの問題が大きい気がするので、なおさらうつ。うちの先生は「身体が落ちつきのいいところを教えてくれる。身体が気持ちいいと感じる場所で動けばよい」という考えの人。深堀りすれば、私はかつて自分の身体を痛めつけるようなことを日常的にやっていたし(拒食、および拒食的な行動)、今はそこから離れたとはいえ、なかなか身体に任せるとか、反応を待つということができない。
自分の踊りは、自分の弱いところばかりさらけ出しているような気がするのだが、それだけではないところに行きたい。こだわりなく動けるようになりたい。
そして3年前にやった発表会のビデオを観ているんですけど…あんな難しい振りつけよくやったな(そのときはソウル&ロッキング)というのと、一緒に出ていたみんなカッコイイというのと、自分、心細そうだし腰がひけてるけどまあそれなり、というのと。でもでも遅れてるとこある。このときは先生に散々言われましたが、こうとろけりゃそりゃ言われるわな。この振りはほんとにかっこいいので、もっと思いきり踊れればよかったなあと今にしても思う。悔いが残り何度も観てしまった。あと、自分はできないけど「ポップ」ってすごいね。
そのあとに自分の踊りのことを書くのも気がひけるというものですが。自覚もしてるし、今日も先生に言われたが、私は身体が固い。身体に余計な力が入って、伸びやかな動きができない。身体自体の柔軟性はないわけではないのに、いざ踊るとなるといきなり余裕がなくなってあわててしまう。
なんかこれは身体能力というより、気持ちの問題が大きい気がするので、なおさらうつ。うちの先生は「身体が落ちつきのいいところを教えてくれる。身体が気持ちいいと感じる場所で動けばよい」という考えの人。深堀りすれば、私はかつて自分の身体を痛めつけるようなことを日常的にやっていたし(拒食、および拒食的な行動)、今はそこから離れたとはいえ、なかなか身体に任せるとか、反応を待つということができない。
自分の踊りは、自分の弱いところばかりさらけ出しているような気がするのだが、それだけではないところに行きたい。こだわりなく動けるようになりたい。
そして3年前にやった発表会のビデオを観ているんですけど…あんな難しい振りつけよくやったな(そのときはソウル&ロッキング)というのと、一緒に出ていたみんなカッコイイというのと、自分、心細そうだし腰がひけてるけどまあそれなり、というのと。でもでも遅れてるとこある。このときは先生に散々言われましたが、こうとろけりゃそりゃ言われるわな。この振りはほんとにかっこいいので、もっと思いきり踊れればよかったなあと今にしても思う。悔いが残り何度も観てしまった。あと、自分はできないけど「ポップ」ってすごいね。
エルトン・ジョン/バーニー・トーピンの作による"Don’t Let The Sun Go Down On Me"(「僕の瞳に小さな太陽」)。ジョージ・マイケルなど多くのアーティストがカバーしている名曲。
月曜のレッスンの先生が、「水曜は代講でオールド・ジャズをやるからおいで〜」と言うので行った。振りの曲は↑で、オリータ・アダムズのヴォーカルによるものを使った(彼女はかつて「ウーマン・イン・チェインズ」でティアーズ・フォー・フィアーズとも共演した人)。
シェネ、ファンキック、アチチュード、ひっかけて回ってダブルピルエット…。流れるように難しいが、いい!大きく動いて、気持ちを入れる。すごく気持ちいー!
今風でない、オールドスクールなこういう踊り大好き。エモーショナルに歌い上げる曲に、思い切り入りこんで踊る自分、なんか演歌入ってる…とか思っちゃった(笑)
でもこういう踊りができると、踊りが「ささげもの」であるように感じられる。それがとてもよいのです。
月曜のレッスンの先生が、「水曜は代講でオールド・ジャズをやるからおいで〜」と言うので行った。振りの曲は↑で、オリータ・アダムズのヴォーカルによるものを使った(彼女はかつて「ウーマン・イン・チェインズ」でティアーズ・フォー・フィアーズとも共演した人)。
シェネ、ファンキック、アチチュード、ひっかけて回ってダブルピルエット…。流れるように難しいが、いい!大きく動いて、気持ちを入れる。すごく気持ちいー!
今風でない、オールドスクールなこういう踊り大好き。エモーショナルに歌い上げる曲に、思い切り入りこんで踊る自分、なんか演歌入ってる…とか思っちゃった(笑)
でもこういう踊りができると、踊りが「ささげもの」であるように感じられる。それがとてもよいのです。
“わたしはここにいます”
2006年2月4日 ダンスもの先週、地元のシアター主催で参加したダンスのワークショップは、とても楽しいものとして記憶に残っている。というか、それ以上のなにかだった。
「“空間”とともにいる自分」ということを教わった。まわりの人や空間を感じとるということ、感じたうえで動く、ということ。
私はいつものレッスンで、失敗するのが恥ずかしかったり怖かったりで―10年以上やっているのに、いまだに!―派手にへまをしないよう、無難にやっつけちゃったり、それゆえ人の目をさけて「私のことは見ないで」オーラを出していたりする(気がする)。
今日は(ジャズダンスだけど)、鏡の前でちゃんと立とうとしてみようとした。
舞台でなくても、踊る場所に出たら、
「その場にいる」という意識をたてなければ始まらない。
逆に言うと、上手い人でも上手くない人でも
かっこいい人でもかっこ悪い人でも、もうなにがあってもなくても
「そこにいる」ということでは同じなのだ。
「そこにいていい」ではなくて
「わたし」がそこにいることが「必要」なのだ。
空間にとって、全体にとって。
「私!私!見て見て!」というのとも
「何かやらかしてやるからしっかり見てな!」というのとも違う。
「わたしはここにいます」
という、ただそれだけ。
できないこと、のりこえられないこと、いっぱいあっても
「わたしです。ここにいます」
こう思って、わたしはこの場所に立っていていい。
それがそもそもの始まり。
うまく言葉にできないけど、しなくていいのかもしれないけど
わたしのなかでは、これは凄い…という気がする。
だいじなことをつかんだかも。
「“空間”とともにいる自分」ということを教わった。まわりの人や空間を感じとるということ、感じたうえで動く、ということ。
私はいつものレッスンで、失敗するのが恥ずかしかったり怖かったりで―10年以上やっているのに、いまだに!―派手にへまをしないよう、無難にやっつけちゃったり、それゆえ人の目をさけて「私のことは見ないで」オーラを出していたりする(気がする)。
今日は(ジャズダンスだけど)、鏡の前でちゃんと立とうとしてみようとした。
舞台でなくても、踊る場所に出たら、
「その場にいる」という意識をたてなければ始まらない。
逆に言うと、上手い人でも上手くない人でも
かっこいい人でもかっこ悪い人でも、もうなにがあってもなくても
「そこにいる」ということでは同じなのだ。
「そこにいていい」ではなくて
「わたし」がそこにいることが「必要」なのだ。
空間にとって、全体にとって。
「私!私!見て見て!」というのとも
「何かやらかしてやるからしっかり見てな!」というのとも違う。
「わたしはここにいます」
という、ただそれだけ。
できないこと、のりこえられないこと、いっぱいあっても
「わたしです。ここにいます」
こう思って、わたしはこの場所に立っていていい。
それがそもそもの始まり。
うまく言葉にできないけど、しなくていいのかもしれないけど
わたしのなかでは、これは凄い…という気がする。
だいじなことをつかんだかも。
ダンスワークショップ(「〜みること、みられること〜」)の最終日。今日は「水と油」コースの人たちと合流して午後の3時間を使う。合流、ということは一緒になにかやるのだ。
稽古場は受講者が2倍になってぎっしり。35人くらいか。私は知らなかったのですが、「水と油」は(平たく言えば)パントマイムのパフォーマンス集団だそうです。前半はそれぞれのチームでそれぞれの稽古をしていたんだけど、水チームの人たちは何か作品をコツコツ作りこんでいる様子。4人組で本を使った作品を見せてもらった。
対するわがキノコ先生が言うには「わたくしたちは“即興”ですから!」。なるほど、昨日ゆるゆるに楽しく厳しくやってたあれも即興なのね。私たちキノコチームは「連写」というワークを見せたが、これは1番の人がまずポーズをつくり、次に2番の人が前の人のポーズの流れで次のポーズをつくり…というのを延々とやるというもの。ポーズとポーズのあいだがくっつき過ぎても、離れ過ぎても(たとえば前の人が寝転んでいるのに、次の人が片足立ちしてアラベスク〜♪になってるとか)おもしろくない。そしてこれをすばやく(連写だから)やる。
そうして見せ合ったあとで、2チーム合体させるのだが、いろいろ決め事があって頭がいっぱいになっているのに、さらに先生方は「まわりの人や空間を意識して! まわりにアンテナはって!」と言う。
キノコ先生は「アンテナ」と言うとき、耳の後ろに手をあてて広げるポーズをしていた。「アンテナ」と言っても、頭を使うのではない。目や耳を使うだけでなく(作品のなかで動きながらするわけだから、きょろきょろするわけにいかないし)…なんというか毛穴まで広げて全身センサーとなる、みたいなそういう状態のことを言ってるように感じた。
日常ではこんなふうな「アンテナ」の使い方、私はしていない。昨日、「自分だけ」でなくて「空間のなかの自分」ということを考えて動く、という話があった。そのほうがおもしろい、と。日常では「いるのにいない」みたいな意識で私はいることが多い。「私はいないことにしといてください」とか、「見てくれなくていいんですよ」(ほんとか?)みたいな。ちゃんと腹すえて、ある場所にいようとしてない。なんでそんなふうにいるのか、その理由は今、深堀りしないことにするけど。
だから、こういう「アンテナ」の使い方、私にはすごく難しい。自分がするべきことに集中すると、まわりの流れや空間が見えてなかったりした。でも何回かやると、少しずつ感じられる範囲が広がってきた。
こういう「アンテナ」(まわりの空間との関わり方)にあまり意識をもっていかないタイプのパフォーマーもいるが…やっぱり、まわりの空間(人も含めて)感じとって動くひとのほうが私にはおもしろい。なんどかやって、試行錯誤の末、2チーム合流の作品はなかなかおもしろく、ビューティフルなものができたと思う。
「水と油」先生もおっしゃっていたが、こういう身体表現はもろに「その人」が出る。とりつくろったり、隠したりする間もなく、さらけ出される。だから私は、こういうことすると、びくびくするし、場合によっては痛いおもいをしたりする。今回も、もともととろいのでなかなか機敏にしゃっと動くことができず、頭ではおもしろいポーズをしよう!と思っていても、いざ出ると無難でがちがちのかたちになったりしていた。一方、「ダンスなんてしたことない」人が、こういうときに次々とおもしろいポーズを決めたりする。へこんだ。いつもの自分らしく自信のないところ、腰がひけてるところをご披露していたと思う。
でも「(こういうふうに)見せよう」じゃなくて、「見えてしまう」ところでやる身体表現というもの、こわいけど、やっぱりおもしろい。へこたれるけど、こういうのが私には通りがよくていい。表現というのはこうでなくちゃ。書くことも…。
3時間、あっという間だった。頭も使い、身体も使い、それ以外にもなんか使い…フル活用させた(はず)。遊びといえば遊びなんだけど、なんだかとても真の意味でクリエイティブなことをさせてもらい、自分に必要な「いいもの」をもらったというか。うちに帰ってみたら、身体にすごく動いた感じがあるのに気づいた。でも「消耗」というのとは違う、自分にとってはこれは理想的な「労働」。今のお仕事はお金をもたらしてはくれるけど磨り減るから。別の話ですが。
最後にキノコ先生にご挨拶。「去年、実は別のワークショップで」と言うと、顔を覚えていてくださったようで嬉しい。なんとも言えず豊かな時間をもらえて、とてもいい機会だった。ありがとうございます。
稽古場は受講者が2倍になってぎっしり。35人くらいか。私は知らなかったのですが、「水と油」は(平たく言えば)パントマイムのパフォーマンス集団だそうです。前半はそれぞれのチームでそれぞれの稽古をしていたんだけど、水チームの人たちは何か作品をコツコツ作りこんでいる様子。4人組で本を使った作品を見せてもらった。
対するわがキノコ先生が言うには「わたくしたちは“即興”ですから!」。なるほど、昨日ゆるゆるに楽しく厳しくやってたあれも即興なのね。私たちキノコチームは「連写」というワークを見せたが、これは1番の人がまずポーズをつくり、次に2番の人が前の人のポーズの流れで次のポーズをつくり…というのを延々とやるというもの。ポーズとポーズのあいだがくっつき過ぎても、離れ過ぎても(たとえば前の人が寝転んでいるのに、次の人が片足立ちしてアラベスク〜♪になってるとか)おもしろくない。そしてこれをすばやく(連写だから)やる。
そうして見せ合ったあとで、2チーム合体させるのだが、いろいろ決め事があって頭がいっぱいになっているのに、さらに先生方は「まわりの人や空間を意識して! まわりにアンテナはって!」と言う。
キノコ先生は「アンテナ」と言うとき、耳の後ろに手をあてて広げるポーズをしていた。「アンテナ」と言っても、頭を使うのではない。目や耳を使うだけでなく(作品のなかで動きながらするわけだから、きょろきょろするわけにいかないし)…なんというか毛穴まで広げて全身センサーとなる、みたいなそういう状態のことを言ってるように感じた。
日常ではこんなふうな「アンテナ」の使い方、私はしていない。昨日、「自分だけ」でなくて「空間のなかの自分」ということを考えて動く、という話があった。そのほうがおもしろい、と。日常では「いるのにいない」みたいな意識で私はいることが多い。「私はいないことにしといてください」とか、「見てくれなくていいんですよ」(ほんとか?)みたいな。ちゃんと腹すえて、ある場所にいようとしてない。なんでそんなふうにいるのか、その理由は今、深堀りしないことにするけど。
だから、こういう「アンテナ」の使い方、私にはすごく難しい。自分がするべきことに集中すると、まわりの流れや空間が見えてなかったりした。でも何回かやると、少しずつ感じられる範囲が広がってきた。
こういう「アンテナ」(まわりの空間との関わり方)にあまり意識をもっていかないタイプのパフォーマーもいるが…やっぱり、まわりの空間(人も含めて)感じとって動くひとのほうが私にはおもしろい。なんどかやって、試行錯誤の末、2チーム合流の作品はなかなかおもしろく、ビューティフルなものができたと思う。
「水と油」先生もおっしゃっていたが、こういう身体表現はもろに「その人」が出る。とりつくろったり、隠したりする間もなく、さらけ出される。だから私は、こういうことすると、びくびくするし、場合によっては痛いおもいをしたりする。今回も、もともととろいのでなかなか機敏にしゃっと動くことができず、頭ではおもしろいポーズをしよう!と思っていても、いざ出ると無難でがちがちのかたちになったりしていた。一方、「ダンスなんてしたことない」人が、こういうときに次々とおもしろいポーズを決めたりする。へこんだ。いつもの自分らしく自信のないところ、腰がひけてるところをご披露していたと思う。
でも「(こういうふうに)見せよう」じゃなくて、「見えてしまう」ところでやる身体表現というもの、こわいけど、やっぱりおもしろい。へこたれるけど、こういうのが私には通りがよくていい。表現というのはこうでなくちゃ。書くことも…。
3時間、あっという間だった。頭も使い、身体も使い、それ以外にもなんか使い…フル活用させた(はず)。遊びといえば遊びなんだけど、なんだかとても真の意味でクリエイティブなことをさせてもらい、自分に必要な「いいもの」をもらったというか。うちに帰ってみたら、身体にすごく動いた感じがあるのに気づいた。でも「消耗」というのとは違う、自分にとってはこれは理想的な「労働」。今のお仕事はお金をもたらしてはくれるけど磨り減るから。別の話ですが。
最後にキノコ先生にご挨拶。「去年、実は別のワークショップで」と言うと、顔を覚えていてくださったようで嬉しい。なんとも言えず豊かな時間をもらえて、とてもいい機会だった。ありがとうございます。
日中は試験の採点。まあまあ。よく書けている人もいる。採点甘いかもしれない。私の師匠がまさに仏だったのでまねっこ(これくらいしかできないが)。
夜はWSの2回目。「人のあとについていくんじゃなくて、まわりの人の動きにもっとアンテナはって」と言われる。こういうのって性格が出るので言われてぴくっとした。へたれへたれ、失敗しないかとびくびくするいつもの私がここにも。まわりの人や空間に気を配りつつ、面白いかたちをつくるってむずかしい。
元気なさ過ぎ。どうしますか。どうもしませんか。
夜はWSの2回目。「人のあとについていくんじゃなくて、まわりの人の動きにもっとアンテナはって」と言われる。こういうのって性格が出るので言われてぴくっとした。へたれへたれ、失敗しないかとびくびくするいつもの私がここにも。まわりの人や空間に気を配りつつ、面白いかたちをつくるってむずかしい。
元気なさ過ぎ。どうしますか。どうもしませんか。
今週はやたら指令が多いと同時に、踊りこみウィークでもある。
地元の劇場が企画したダンスのワークショップで、キノコ先生(伊藤千枝of珍しいキノコ舞踊団)のコースがあると知り、申し込んだら抽選にあたって参加できることになったのだ。
このコースは今週、水・金の夜と土曜の午後の3回で4500円という超・良心的なお値段。同時進行で「水と油」先生のワークショップも行われており、最終日はジョイントというのも楽しみ。開催場所の劇場は家から徒歩10分なので、すごく助かる。
定員は15名、行ってみたら参加者は女性のみだった。今日は呼吸や骨の感じ方を教わったり、ふたりで関わりあって動く…というのをしました。身体をちゃんと使えるようになりたい。
昨夜は体調悪くて、今日もひょっとして「キノコ行けないかも」と思っていたけど、ぼやぼやの頭と身体で行ったら…終わってみるとすきっとしていた。やっぱり楽しかった。明日、身体のあちこちが痛いだろうけど。
今日のランチ、同僚ちゃんに「刺激物じゃなければなんでもいい」と言ったら「じゃあ、こことか、こことか、ここは?」ってそれはみなカレー屋…。しかも昨日もスープカレー。でも結局キーマカレーにしました。
地元の劇場が企画したダンスのワークショップで、キノコ先生(伊藤千枝of珍しいキノコ舞踊団)のコースがあると知り、申し込んだら抽選にあたって参加できることになったのだ。
このコースは今週、水・金の夜と土曜の午後の3回で4500円という超・良心的なお値段。同時進行で「水と油」先生のワークショップも行われており、最終日はジョイントというのも楽しみ。開催場所の劇場は家から徒歩10分なので、すごく助かる。
定員は15名、行ってみたら参加者は女性のみだった。今日は呼吸や骨の感じ方を教わったり、ふたりで関わりあって動く…というのをしました。身体をちゃんと使えるようになりたい。
昨夜は体調悪くて、今日もひょっとして「キノコ行けないかも」と思っていたけど、ぼやぼやの頭と身体で行ったら…終わってみるとすきっとしていた。やっぱり楽しかった。明日、身体のあちこちが痛いだろうけど。
今日のランチ、同僚ちゃんに「刺激物じゃなければなんでもいい」と言ったら「じゃあ、こことか、こことか、ここは?」ってそれはみなカレー屋…。しかも昨日もスープカレー。でも結局キーマカレーにしました。
仕事中は「免疫力さがるぅ」とか思っていてもレッスンに行くと別エンジンが一時的に作動するので復活。すごく久しぶりにクラブジャズのレッスンに出た。「クラブジャズ」というのは簡単に言うと、いま風のジャズダンスだ。「ぼあ」とか「あむろなみえ」が踊っているようなあれです(でも何かでアムロは「私はジャズダンスしか知らない」と言っているのを読んだ気がする。うろ覚えだけど)。悲惨にならない程度についていけてよかった…。ていねいに教えてくれるし。先生のふくらはぎの筋肉のつき方がキレイ。
冬の光熱費がかなしいほど上がっている。やわな生活をしているせいだな。
冬の光熱費がかなしいほど上がっている。やわな生活をしているせいだな。
昨日レッスンがなかったし、まあ年末なので以前の先生が都内某所で借りているスタジオへレッスンを受けに行った。以前よりだいぶ初心者向けになっている。やっぱり前回と同じようなことを感じた。春までずーっとこの先生のレッスンを私は受けていたのに、久しぶりに受けるとなんだか異質だ。妙に動きづらい。2時間はあったのだがやりきってないのに疲れたような…。うーん、ごめんなさい、ちょっとアナクロニズムかも。
帰宅すると、台所にぴかぴか光る新品の蛇口が! 仕事に行っている日中に大家さんが水道屋さんを入れて直してくれたのだ。
実は入居時から「水栓しめてもしずくが…」と気になりつつもなかなか言い出せずそのままにしていた。先日コップを置いといてみたらかなり水漏れしていることが判明したので、とうとう修理をお願いした。パッキンを替えるだけかと思っていたら、そっくり新しくしてくれるなんて。ごくフツーの「水漏れしない蛇口」に、屋根裏部屋に帰って食卓に御馳走を発見した小公女のごとく大喜びする私。
いつもの「ターン&ジャンプ」は先生がイベント出演のため休み、それでそのご出演イベントを観に行った。とあるスタジオにて1時間強のコンテンポラリーダンスのパフォーマンス。白いデコラティブなブラウスに黒いパンツなどモノトーンの衣装にノイズやお経(お経サンプリング?)をバックにたぶん即興も入れて踊るというもの。
出演者はプロの踊り手でうまい人ばかり。へたな人はいないのに、なかでも決まって目が行ってしまう人はいるし、おもしろい人にもおもしろくない瞬間というものがある。今日のイベントはおもしろいものだったけど…途中からだんだん「しまらない」と思い始めてしまった。コンテンポラリーのこういうやつって、ともすると「ありがち」に陥りやすい。今日もしばしばそうだったんだけど「凄いこと(テクニック)が目の前を通過していく」だけになってしまう。
「斬新でおしゃれでユーモアがある」のに、なぜ私が集中して観られないのか考えていたんだけど…結局のところ、一緒の空間で動いているのに、ダンサーたちがばらばらな意識なのではないか。即興ぽいところで「共有してなさ」加減が特に出る気がする。そこから空気がほころびてしまう。
私の見方は厳しすぎるだろうか?でも、もっと経験もテクニックもない踊り手たちがつくる世界に見とれてしまった…といった経験がなんどもある。テクニックがあり、それぞれ個性もあるのに、全体として「練ってない」「緊張感がない」印象になるというのはもったいない。 もっと変容し得る可能性はあったのではと私は思うけど、お客さんには大受け。求めるものが根本的に違うんだろうか。
実は入居時から「水栓しめてもしずくが…」と気になりつつもなかなか言い出せずそのままにしていた。先日コップを置いといてみたらかなり水漏れしていることが判明したので、とうとう修理をお願いした。パッキンを替えるだけかと思っていたら、そっくり新しくしてくれるなんて。ごくフツーの「水漏れしない蛇口」に、屋根裏部屋に帰って食卓に御馳走を発見した小公女のごとく大喜びする私。
いつもの「ターン&ジャンプ」は先生がイベント出演のため休み、それでそのご出演イベントを観に行った。とあるスタジオにて1時間強のコンテンポラリーダンスのパフォーマンス。白いデコラティブなブラウスに黒いパンツなどモノトーンの衣装にノイズやお経(お経サンプリング?)をバックにたぶん即興も入れて踊るというもの。
出演者はプロの踊り手でうまい人ばかり。へたな人はいないのに、なかでも決まって目が行ってしまう人はいるし、おもしろい人にもおもしろくない瞬間というものがある。今日のイベントはおもしろいものだったけど…途中からだんだん「しまらない」と思い始めてしまった。コンテンポラリーのこういうやつって、ともすると「ありがち」に陥りやすい。今日もしばしばそうだったんだけど「凄いこと(テクニック)が目の前を通過していく」だけになってしまう。
「斬新でおしゃれでユーモアがある」のに、なぜ私が集中して観られないのか考えていたんだけど…結局のところ、一緒の空間で動いているのに、ダンサーたちがばらばらな意識なのではないか。即興ぽいところで「共有してなさ」加減が特に出る気がする。そこから空気がほころびてしまう。
私の見方は厳しすぎるだろうか?でも、もっと経験もテクニックもない踊り手たちがつくる世界に見とれてしまった…といった経験がなんどもある。テクニックがあり、それぞれ個性もあるのに、全体として「練ってない」「緊張感がない」印象になるというのはもったいない。 もっと変容し得る可能性はあったのではと私は思うけど、お客さんには大受け。求めるものが根本的に違うんだろうか。
年内授業無事終了。ピース。今日のお子たちは子羊のよう。しかし彼女たちの「おとなし度」は先週、私が怒ったこととは関係ナイと思う。気まぐれなお年頃だ。
思い返せば去年も自分は同じところで怒っていた。というのも「自分にとって」大事なところで学生たちが集中してなかったから、というのは職業意識としてちょと恥ずかしい。まあ大事なところではあるんだけど…。今年は私事で授業をアップデートできなかったということもあり、「先生」という肩書きは週一でも自分にはまだ2サイズくらい大きい上着なのだ。
レッスンに行く。焦ってしまった、反ってしまった。雑念が多かった(「やるぜ!」と思うとうまくいかない…)。でも週2回、充実したレッスンを受ける機会があるのはありがたい。早くくりくり回れるようになりたい。
昨日、
『これだけ言葉があふれているところに、自分がつけたすことに何か意味があるのだろうか。』
と書いたが、一夜あけたらこの問い自体が無効であるのに気づいた。
自分にとって書くことが無意味なのは、踊ることが無意味なのと同様である―という意味において書くことは私にとって意味があるのだった。
踊りは私に少しだけ自由をくれる。少しのあいだ違う世界をひらいてくれる。言葉も踊りであれ!
思い返せば去年も自分は同じところで怒っていた。というのも「自分にとって」大事なところで学生たちが集中してなかったから、というのは職業意識としてちょと恥ずかしい。まあ大事なところではあるんだけど…。今年は私事で授業をアップデートできなかったということもあり、「先生」という肩書きは週一でも自分にはまだ2サイズくらい大きい上着なのだ。
レッスンに行く。焦ってしまった、反ってしまった。雑念が多かった(「やるぜ!」と思うとうまくいかない…)。でも週2回、充実したレッスンを受ける機会があるのはありがたい。早くくりくり回れるようになりたい。
昨日、
『これだけ言葉があふれているところに、自分がつけたすことに何か意味があるのだろうか。』
と書いたが、一夜あけたらこの問い自体が無効であるのに気づいた。
自分にとって書くことが無意味なのは、踊ることが無意味なのと同様である―という意味において書くことは私にとって意味があるのだった。
踊りは私に少しだけ自由をくれる。少しのあいだ違う世界をひらいてくれる。言葉も踊りであれ!
今日のレッスンで、ほんの1,2回だったけどいつもとは違う感じでダブルピルエットができた。「上に立つためには、下に深く沈む」ことを素直にやったらできた。なんとなく「つかんだ」という感じ。これがもっと確実にできれば。でも今日は嬉しい。
終業間際になると「もう電池切れ〜」といつも思うが、その後にレッスンへ行くと予備の電池が作動するらしく、たかたか動いたり踊ったりできる。今日は初めての先生のレッスンへ行ったが、いわゆる「イケメン」だ。生徒が多い…。しかし私は先生の顔よりも、足の甲の美しさにむしろ着目しました。案外、幼少時からバレエを習ったおぼっちゃまなのかもしれない。この先生はいまどきっぽく、帽子かぶっちゃってるし踊っても帽子がずれないし。踊りは一言で言ってMTV!みたいなやつ。こういうニュアンス系の振りって苦手だ。細っかくて覚え切れないし、覚えたところも私がやると舞踏風になってしまう。われながら情けない。私は大振りがいいのよ!などと固執せず、どんな振りでも水のように空気のように踊れるといいなあ。それは理想だけど、せめて「焦らないで」踊ることができるようにしたい。まずそれが先。
不運なカレーの日とジャンプ
2005年11月14日 ダンスもの学食でカレーを頼んだら、具が入ってないみたい。それで付け合わせのサラダの上に唐揚げが1個「どん」とのっているんですけどこれが「具」なんでしょうか? 前はもっとちゃんとしていたのに、ここのカレー。
その後、講師室でのどあめをなめていたら、ある先生が「カゼですか? 紅茶でうがいがいいですよ。私は昔から丈夫でカゼもひかず、去年からスキューバダイビングを始めてもっと丈夫になりました」という。御年60才だそう。わお。そして90までダイビングをして海洋映画を撮ったというレニ・リーフェンシュタールのことを「ばばば」としゃべって彼はコピーをとりにいってしまった。なるほど元気だ…。
夜は今月から行き始めたレッスン「ジャンプ&ターン」へ行く。その名の通り、90分のうち3分の2は回り、跳ぶという(振りはナシ)という渋いレッスン。地味だ、でもこういうのすごく好きなので至福。くりくり好きなだけまわれたらねえ〜、熊哲のように跳べたらねえ〜、いいのにね。今日はひょっとしていつもより高く跳べた気がする。そしてジャンプして「気持ちいい」と思ったのは初めての気がする。先生は「毎回、何か持って帰ってください」とおっしゃったが、今日はこれだな。
その後、講師室でのどあめをなめていたら、ある先生が「カゼですか? 紅茶でうがいがいいですよ。私は昔から丈夫でカゼもひかず、去年からスキューバダイビングを始めてもっと丈夫になりました」という。御年60才だそう。わお。そして90までダイビングをして海洋映画を撮ったというレニ・リーフェンシュタールのことを「ばばば」としゃべって彼はコピーをとりにいってしまった。なるほど元気だ…。
夜は今月から行き始めたレッスン「ジャンプ&ターン」へ行く。その名の通り、90分のうち3分の2は回り、跳ぶという(振りはナシ)という渋いレッスン。地味だ、でもこういうのすごく好きなので至福。くりくり好きなだけまわれたらねえ〜、熊哲のように跳べたらねえ〜、いいのにね。今日はひょっとしていつもより高く跳べた気がする。そしてジャンプして「気持ちいい」と思ったのは初めての気がする。先生は「毎回、何か持って帰ってください」とおっしゃったが、今日はこれだな。
以前、通っていたダンススクールが家最寄りの駅近くに新しくスタジオをオープンしたので会社帰りに行ってみた。レッスンでやることは大体どこもそう変わらないが、びびり犬なので初めての場所に行くときは前の日から緊張します。
私が通っていたのはおととしかその前くらいまでなので、もう生徒で知っている人はいないのかも。ここはもともとストリート系のレッスンが多いスクールで、私も「ソウル&ロッキング」のクラスに出ていたが、先生のキャラクターと自分のセンスのなさに相当めげた。だから余生はジャズに使うのである。
おおざっぱに言うと、スタンダード一辺倒というよりクラブジャズもスローもヒップホップも吸収したような「いま風」のジャズダンスのクラスで、前半のストレッチや筋トレがハード。なんだかいつものレッスンでも使わないような、マニアックな部分を使った気がする。筋肉痛確定。プリエをしたまま「斜め空中椅子状態」になりつつ、「そのまま待ってて」とか言って先生がCDかけ直しに行っちゃったり…(意地悪?)。腕立て伏せなんてボロボロでした。きついのは、自分が「なまっている」せいでもある。ダンサーに筋肉も必要。でもストリート系のレッスンにない、ジャズのこういう身体づくりにストイックな部分って好きだ。
踊りはスローなリリカル・ジャズだったが、後半つい忘れる…。先生(男性)が踊ってみせると、自分の踊り(らしきもの)とあまりにもまさしく「叙情性」が違うので唖然とする。振りに流されてるよ、自分。
できなくて悔しいけど、いいレッスンだったし、いい先生だと思う。できたてなのできれいだし、スタジオの床がすばらしい(滑り過ぎず、滑らなさ過ぎず)。なんと言っても歩いて帰れる近さだし、またここのレッスン出てみよう。
私が通っていたのはおととしかその前くらいまでなので、もう生徒で知っている人はいないのかも。ここはもともとストリート系のレッスンが多いスクールで、私も「ソウル&ロッキング」のクラスに出ていたが、先生のキャラクターと自分のセンスのなさに相当めげた。だから余生はジャズに使うのである。
おおざっぱに言うと、スタンダード一辺倒というよりクラブジャズもスローもヒップホップも吸収したような「いま風」のジャズダンスのクラスで、前半のストレッチや筋トレがハード。なんだかいつものレッスンでも使わないような、マニアックな部分を使った気がする。筋肉痛確定。プリエをしたまま「斜め空中椅子状態」になりつつ、「そのまま待ってて」とか言って先生がCDかけ直しに行っちゃったり…(意地悪?)。腕立て伏せなんてボロボロでした。きついのは、自分が「なまっている」せいでもある。ダンサーに筋肉も必要。でもストリート系のレッスンにない、ジャズのこういう身体づくりにストイックな部分って好きだ。
踊りはスローなリリカル・ジャズだったが、後半つい忘れる…。先生(男性)が踊ってみせると、自分の踊り(らしきもの)とあまりにもまさしく「叙情性」が違うので唖然とする。振りに流されてるよ、自分。
できなくて悔しいけど、いいレッスンだったし、いい先生だと思う。できたてなのできれいだし、スタジオの床がすばらしい(滑り過ぎず、滑らなさ過ぎず)。なんと言っても歩いて帰れる近さだし、またここのレッスン出てみよう。
スープの冷めない距離
2005年10月11日 ダンスもの1001回目ということは新世紀の始まり?しばらくぶりにスタジオ探しの旅を再開。行く先は夏に部屋探しのため地元のふだん行かない通りを歩いていたときに偶然、見つけたところ。気になっていながら、余裕がなく行けずにいた。今朝は特別ご機嫌なわけでもなかったのに、なぜか突然「行ってみようか」という気分になって連絡もせずにふらっと行ってみた。
地下のまだ新しいスタジオで、目立たない場所だからたいして人もいないだろうな…(失礼)なんて思っていたら、部屋の大きさにじゅうぶんな数の人がレッスンを受けに来た。初級レベルだが、3分の2以上がバーレッスンというストイックかつハードな構成、「まず身体づくりを」という意図がよくわかる。地味といえば相当地味だが、こういうクラスは貴重。音楽をかけるのは後半だけだったけれど、なかなかの選曲(「一体いつの時代の曲?」とか「なぜこの振りにこの曲?」と思わせる先生もおられる)。
なかなかいいかも、ここ。帰り道で歩いて帰れるし(ほんとにスープを持ち歩いたら冷たくなる距離ではあるが)。それに来ている人たちが驚くほどフレンドリーで声をかけてくれる。見学者なんて無視されても当たり前、あっさりあしらうスクールもあるなかで、こういうのは素直に嬉しいです。
思いつきついでに、ひるま職場で「(地元の駅名) ダンス スタジオ」と検索してみたら、以前通っていた、隣の駅にあるスタジオが私の地元に新しくオープンすることを知った。他にも近場のカフェでダンススタジオが併設されているところも見つけた。
思いがけずダンスDAYとなったが、さらに家に帰ると夏のダンスセラピー・ワークショップで自分あてに書いたメッセージが郵便で届いていた。なんというタイミング!これを書いたときは自分がどこでこれを読むのかも決まっていなかったのだっけ。私は私のすることをしよう。
地下のまだ新しいスタジオで、目立たない場所だからたいして人もいないだろうな…(失礼)なんて思っていたら、部屋の大きさにじゅうぶんな数の人がレッスンを受けに来た。初級レベルだが、3分の2以上がバーレッスンというストイックかつハードな構成、「まず身体づくりを」という意図がよくわかる。地味といえば相当地味だが、こういうクラスは貴重。音楽をかけるのは後半だけだったけれど、なかなかの選曲(「一体いつの時代の曲?」とか「なぜこの振りにこの曲?」と思わせる先生もおられる)。
なかなかいいかも、ここ。帰り道で歩いて帰れるし(ほんとにスープを持ち歩いたら冷たくなる距離ではあるが)。それに来ている人たちが驚くほどフレンドリーで声をかけてくれる。見学者なんて無視されても当たり前、あっさりあしらうスクールもあるなかで、こういうのは素直に嬉しいです。
思いつきついでに、ひるま職場で「(地元の駅名) ダンス スタジオ」と検索してみたら、以前通っていた、隣の駅にあるスタジオが私の地元に新しくオープンすることを知った。他にも近場のカフェでダンススタジオが併設されているところも見つけた。
思いがけずダンスDAYとなったが、さらに家に帰ると夏のダンスセラピー・ワークショップで自分あてに書いたメッセージが郵便で届いていた。なんというタイミング!これを書いたときは自分がどこでこれを読むのかも決まっていなかったのだっけ。私は私のすることをしよう。
インバル・ピント・カンパニー「ブービーズ」@世田谷パブリックシアター
2005年10月6日 ダンスもの
史上最強の歌姫ケイト・ブッシュの新譜(「エアリアル」↑まだ画像はないんです)が来月、発売される。その朗報が頭にあったせいか、舞台を観ていると「魔物語」(Never for Ever)のジャケットが思い起こされた。どことなく憎めない異形のものたちや動物がびっしりと描かれた絵で、内容ともども私はとても好きな作品。
インバル・ピントとアヴシャロム・ポラック率いるインバル・ピント・カンパニーはイスラエルの舞踊団で、本国のみならずヨーロッパ、アメリカで注目を集めている。2001年には「オイスター」で初来日公演を行い好評を博した(…そうです。知らなかった)。今回の「ブービーズ」は前回の来日時に想を得たそうだ。客席はほぼ埋まっており、年齢層がわりと高く、男性が結構まじっているのが珍しい。
イグアナ人間…古めかしい水着を来た人たち…笑う人魚男…赤いとんがり耳の黄緑の人たち…せむし男…オルゴールのバレリーナ…醜くも愛らしい奇妙な生きものたちが出てきて踊る。というよりぎくしゃくとしながら優美に動くさまはダンスというより、そのまま変な生きものの変な動きに見える。サーカスやカーニバルにも似た、グロテスクで哀しくもキュートな夢よさめないで、と思っていたら終わってしまった。この独特な美術と振付を家でじっくり見てひたりたい。DVDでないかしら。
その後、誘ってくれた友人と近くの「豆カフェ」へ寄る。私は黒豆と白花豆の甘煮ヨーグルト添え、友人はおぼろ豆腐のヘルシー夜食。
*インバル・ピント・カンパニー
http://www.setagaya-ac.or.jp/sept/jouhou/inbal_pinto/
インバル・ピントとアヴシャロム・ポラック率いるインバル・ピント・カンパニーはイスラエルの舞踊団で、本国のみならずヨーロッパ、アメリカで注目を集めている。2001年には「オイスター」で初来日公演を行い好評を博した(…そうです。知らなかった)。今回の「ブービーズ」は前回の来日時に想を得たそうだ。客席はほぼ埋まっており、年齢層がわりと高く、男性が結構まじっているのが珍しい。
イグアナ人間…古めかしい水着を来た人たち…笑う人魚男…赤いとんがり耳の黄緑の人たち…せむし男…オルゴールのバレリーナ…醜くも愛らしい奇妙な生きものたちが出てきて踊る。というよりぎくしゃくとしながら優美に動くさまはダンスというより、そのまま変な生きものの変な動きに見える。サーカスやカーニバルにも似た、グロテスクで哀しくもキュートな夢よさめないで、と思っていたら終わってしまった。この独特な美術と振付を家でじっくり見てひたりたい。DVDでないかしら。
その後、誘ってくれた友人と近くの「豆カフェ」へ寄る。私は黒豆と白花豆の甘煮ヨーグルト添え、友人はおぼろ豆腐のヘルシー夜食。
*インバル・ピント・カンパニー
http://www.setagaya-ac.or.jp/sept/jouhou/inbal_pinto/