「基礎ができているんだから、それを踊りにも使ってください」とレッスンで先生に言われる。できていても「力を抜こう」とか「伸ばそう」と思わないと身体は反応してくれない、と。「できている」という自覚すらなくて、慌てまくっていたよ。もっと自分の身体を信頼していい、ってことかな。変な言い方だけど、自分の身体にもっと寄り添ってあげる、というか。
エアコンをつけず扇風機族になることの難点は、その前から離れられなくなること。ただ扇風機にしがみついているだけ、という無為な時間が増えてる。おそろしく生産性ナイ。去年は恵まれていたなあ、と今にして思うけれど、今年のこともいつかそういうふうに思うんだろうか。あるいはやっぱりきつかった、と思うか。頭がウスラ痛いのは暑さのせい?
エアコンをつけず扇風機族になることの難点は、その前から離れられなくなること。ただ扇風機にしがみついているだけ、という無為な時間が増えてる。おそろしく生産性ナイ。去年は恵まれていたなあ、と今にして思うけれど、今年のこともいつかそういうふうに思うんだろうか。あるいはやっぱりきつかった、と思うか。頭がウスラ痛いのは暑さのせい?
↑というタイトルの作品。怪談ナイトに寄せて、自分の骨と相談しながらつくりました。曲はシガーロスのSvefn-g-englar。知人に見てもらえなかったのがちと寂しかったけれど、誰にせよ見て頂けるのは得がたい体験。一緒の出演者たちと観に来てくださった方がつくる場の力に助けられた。思いがけない感想を頂けたりして嬉しかったです(「なんであんなに力が抜けてるの」とか)。どうなることかと思ったこの踊りのようなもの、どこかにか着地できたらしい。まだまだまだ…ではあるけれど、去年ここに来たときより本番で集中して、力抜いてできたような気がする(今日より昨日のほうがベターだったかも)。ありがとうございました。中華街で一同、打ち上げて日付が変わる頃やっと帰りつく。
怪談と歌、声のワークショップ…というイベントに参加させて頂きました。通しのときより本番のほうがよく動けたような。「見てもらえる」という場の力に助けられたと思う。全員で最後に盆踊り(のようなこと)をするのだが、そのときにゆかたを着ることを甘く考えていて、借りたはいいものの、なかなか帯が結べず焦る。達人にその場で教えてもらってなんとかなったものの、着慣れてないのバレバレだ。恥ずかしい。それにしても声を出す人たちのエネルギー、表現力、すごい。明日もあります。
スタジオ借りて最後の練習。う〜ん、どうだろ。あとは本番任せ。思い切りやろう。
友人から電話。どうなるかわからないけれど、そのお気持ちがありがたく嬉しい。
友人から電話。どうなるかわからないけれど、そのお気持ちがありがたく嬉しい。
日比谷だか虎ノ門とおぼしき場所にある穴ぐらで寝ていて、バッグからコート、友人のプレゼントまで盗まれて呆然となりながら探しまくる、という夢をみる。携帯もないので女の子に「30円貸して、じゃなくて、いただけませんか?」と必死にお願いするが断られる。注釈不要なくらいミもフタもない夢。
夜、レッスンに行けどわたしひとり…。昨日の発表会メンバーは沈没してしまったのかっ。緊張したけど昨夜のおさらいができたので出てよかった。速い音の振り、踊りこなせればすごくかっこいいと思う。ダンスがあるから(かろうじてでも)回せているなと思う日々。
夜、レッスンに行けどわたしひとり…。昨日の発表会メンバーは沈没してしまったのかっ。緊張したけど昨夜のおさらいができたので出てよかった。速い音の振り、踊りこなせればすごくかっこいいと思う。ダンスがあるから(かろうじてでも)回せているなと思う日々。
わたしがとりわけラブレスなとき、夢に金城武が出てくる(ような気がする)。けさの夢では他の役者さんたちと一緒に映画(アートフィルム的な小規模のやつ)をつくることになっていて、この状況でわたしに何の仕事があるんだろうと思いますがでもあるらしい。無事に映画はできました。夢に出てきたカネシロ君はきれいで少しだけそっけない。実物のほうがもっといい人のはず、と思い入れる。
午後から夏イベントの打合せ、軽く通す。わたしはちょこっと踊りのようなものを踊るのです。一度見てもらえて、出入り決めてほっとする。役者さんのエネルギーと声の表現力はすごいですね。
夜、発表会の稽古。ビョークで思いきり踊るぜと思っていたのに、いきなり曲が変更になってるががーん。しかも芝居ちっくでハイパーかつシュールなノリ。かなり苦手な形勢。陽気さのカケラもないわたしにどうついていけと。しかし素のままキャラでいいそうです…。まぁやってみるのさ。思考停止。
次の金曜に「観劇」に行くのでその予習に「リチャード三世」(福田恒存訳・新潮文庫)を読む。シェイクスピアなんて学生時代に読まされて以来だけど、いまどきの小説よりも話が濃くて面白い。言い回しが素敵。世紀の文豪に対していまさらではありますが。
午後から夏イベントの打合せ、軽く通す。わたしはちょこっと踊りのようなものを踊るのです。一度見てもらえて、出入り決めてほっとする。役者さんのエネルギーと声の表現力はすごいですね。
夜、発表会の稽古。ビョークで思いきり踊るぜと思っていたのに、いきなり曲が変更になってるががーん。しかも芝居ちっくでハイパーかつシュールなノリ。かなり苦手な形勢。陽気さのカケラもないわたしにどうついていけと。しかし素のままキャラでいいそうです…。まぁやってみるのさ。思考停止。
次の金曜に「観劇」に行くのでその予習に「リチャード三世」(福田恒存訳・新潮文庫)を読む。シェイクスピアなんて学生時代に読まされて以来だけど、いまどきの小説よりも話が濃くて面白い。言い回しが素敵。世紀の文豪に対していまさらではありますが。
気乗りしないままレッスンへ。人が少ない。スタジオ内の苦手な位置(いつもいるあたりと違う場所)、前のほうに行ってみた。あえて見られる場所で立ってみると、観念して自分の課題に取り組む気になるというか、レッスンに集中できる。すごく久しぶりに踊った感あり。よし!
友人とバレエを観に行く。出演者はスタジオやスクールのレッスン生の方が多い。つくづくバレエって過酷な世界だなぁと思う。踊り手に要求される水準が高い、重力に抗う芸術。羽根一枚の重さのように、体重を消すように…なんて無理なことを。
それぞれが多大な犠牲を払って稽古しているだろうに、それでも「軸足がゆるんだ」「甲が出てない」「背中が固い」だのこまかーいところをつい見てしまう。テクニック十分な人でも「地味」だの「優雅さに欠ける」だの…あら探しをする自分はトウシューズ履いたことすらありません(てか、履けません)。
某カンパニーのダンサーがゲストで出演されていて、さすがに彼女は格が違う。テクニックの確かさ、魅力、どちらもこちらまでぐーっと届いてくる。幸運にもご挨拶する機会に恵まれる。嬉しい。
自宅に帰ってちょこっとだけ洗濯機を使う。前に住んでいたロックなアパートはみながでたらめな時間にいろんなことをする人が多かったので気にしなかったが、今のところはみなさん規律正しく生活しておられるらしく後ろめたい。こそこそ。
友人とバレエを観に行く。出演者はスタジオやスクールのレッスン生の方が多い。つくづくバレエって過酷な世界だなぁと思う。踊り手に要求される水準が高い、重力に抗う芸術。羽根一枚の重さのように、体重を消すように…なんて無理なことを。
それぞれが多大な犠牲を払って稽古しているだろうに、それでも「軸足がゆるんだ」「甲が出てない」「背中が固い」だのこまかーいところをつい見てしまう。テクニック十分な人でも「地味」だの「優雅さに欠ける」だの…あら探しをする自分はトウシューズ履いたことすらありません(てか、履けません)。
某カンパニーのダンサーがゲストで出演されていて、さすがに彼女は格が違う。テクニックの確かさ、魅力、どちらもこちらまでぐーっと届いてくる。幸運にもご挨拶する機会に恵まれる。嬉しい。
自宅に帰ってちょこっとだけ洗濯機を使う。前に住んでいたロックなアパートはみながでたらめな時間にいろんなことをする人が多かったので気にしなかったが、今のところはみなさん規律正しく生活しておられるらしく後ろめたい。こそこそ。
↑横浜赤レンガ倉庫1号館ホールで観た。
うーん、面白いシーンもあるけれど、全体に「…し過ぎる」感がする。これほどの数のダンサー、動き、段取り、美術が必要なんだろうか? 私にはちょっと過剰だったり冗長だったりする印象もところどころにあって、量が多くてもなんか伝わるものが少ない…。趣味の問題かもしれないですが。
熊谷乃理子さんが素敵。エネルギーがあって、空間のつかみ方がすごい。ダンサーだけれど女優さんみたいでもある、独特の雰囲気のある方。長い髪と長いスカートのすそをうまくさばきながら踊っておられました。私はほとんどずっと彼女を目で追っていた。他にも大勢ダンサーが出ていたのだが、彼女ほどぐっと迫ってくる人は残念ながらいなかった。
横浜は遠いなー、でも海のにおいがした。
うーん、面白いシーンもあるけれど、全体に「…し過ぎる」感がする。これほどの数のダンサー、動き、段取り、美術が必要なんだろうか? 私にはちょっと過剰だったり冗長だったりする印象もところどころにあって、量が多くてもなんか伝わるものが少ない…。趣味の問題かもしれないですが。
熊谷乃理子さんが素敵。エネルギーがあって、空間のつかみ方がすごい。ダンサーだけれど女優さんみたいでもある、独特の雰囲気のある方。長い髪と長いスカートのすそをうまくさばきながら踊っておられました。私はほとんどずっと彼女を目で追っていた。他にも大勢ダンサーが出ていたのだが、彼女ほどぐっと迫ってくる人は残念ながらいなかった。
横浜は遠いなー、でも海のにおいがした。
昨日は一日にいろんなことがあったせいか、なかなか寝つけなかった。明け方っぽくなってきて焦る。そしてみた夢でジャニ系アイドルグループの選抜メンバーがなぜか私をなだめたり、特別に親切にしてくれる。なかでもマツオカ君がいちばんかっこよくて感じよかったわ。しかしまわりの女子たちがやっかむこと…って癒しなんだかそうでないんだかよくわからない夢。しかし派手だった。
ジャズダンスのレッスンのあと、舞踏のWSへ。でも3時間の長さに行く前から腰がひけている私。始まるまでぶらぶらしていたら、履くと気持ちよくてらくちんなサンダルを見つけて買う。WS行く。やっぱりハード。すり足の練習は面白かった。進むのは時間、前にも後ろにも左右にも自分、器に入れた水を運ぶのも私、その器に入っているのも私。
ジャズダンスのレッスンのあと、舞踏のWSへ。でも3時間の長さに行く前から腰がひけている私。始まるまでぶらぶらしていたら、履くと気持ちよくてらくちんなサンダルを見つけて買う。WS行く。やっぱりハード。すり足の練習は面白かった。進むのは時間、前にも後ろにも左右にも自分、器に入れた水を運ぶのも私、その器に入っているのも私。
午後、ジャズダンスのレッスン。ターン不調、考え過ぎモードに入ってる! ああーちっともうまくならなくていやんなるが、「緩急のつけ方」まで見てくれる先生についていることは幸せ。
夜、舞踏のWS。3時間という長さはやはり長いと感じるが前回よりはちょと慣れた。やってることは「かたち」としてはジャズダンスと共通するものもあったりするのだが(コントラクション&リリースとか)、自分で動かそうとするのではなく、イメージの助けを借りて外から「動かされる」というふうにもっていくところが違う。身体が砂でできていて、そこに雨が降ってきて崩れてくる、とか、耳の後ろに水たまりができていてそのなかでミズスマシがはねる、だとか。イメージすることが大切だから、いちいち丁寧に通訳もするのだろう。右手をぎゅっと握って、ひとつひとつの細胞が大きくなるところをイメージしながらその手を眺める…というのが面白かった。
身体を使うこと、というのは何にせよそこで「自身との関係」(自分が自分を日頃、どう扱っているか)を意識せざるを得ないような気がします。
夜、舞踏のWS。3時間という長さはやはり長いと感じるが前回よりはちょと慣れた。やってることは「かたち」としてはジャズダンスと共通するものもあったりするのだが(コントラクション&リリースとか)、自分で動かそうとするのではなく、イメージの助けを借りて外から「動かされる」というふうにもっていくところが違う。身体が砂でできていて、そこに雨が降ってきて崩れてくる、とか、耳の後ろに水たまりができていてそのなかでミズスマシがはねる、だとか。イメージすることが大切だから、いちいち丁寧に通訳もするのだろう。右手をぎゅっと握って、ひとつひとつの細胞が大きくなるところをイメージしながらその手を眺める…というのが面白かった。
身体を使うこと、というのは何にせよそこで「自身との関係」(自分が自分を日頃、どう扱っているか)を意識せざるを得ないような気がします。
舞踏のWSへ行く。「舞踏」とは日本生まれのコンテンポラリー・ダンス、というのは正しい説明じゃないかもしれないけど、まあとにかくそういうのがあるのだ。外国人にも人気があって、今日のWSにも二人、外国の方が参加されていてカンパニーの人がはりついて通訳しつつやっていた。しばらく回数があるのだが、今日は基本。大きな動きではないけれどもじっくりときつい。3時間ありますし。
「花が開くように」「水が足の裏から満ちてくるように」などイメージをもちながら身体を使うのだが、私はこういうのがとても苦手。慣れると苦手意識が減るだろうか。そうだといいなぁ。今日のところは和風ストイックであまり「楽しい」感じではなかったんですけれども、また行ってみます。
「花が開くように」「水が足の裏から満ちてくるように」などイメージをもちながら身体を使うのだが、私はこういうのがとても苦手。慣れると苦手意識が減るだろうか。そうだといいなぁ。今日のところは和風ストイックであまり「楽しい」感じではなかったんですけれども、また行ってみます。
わわたし演技はできません
2007年6月4日 ダンスもの就活サイトの求人にエントリー(応募)してみたら、そこはまだ登録していない派遣会社だったので速攻「登録しに来てちょ」と電話がかかってきた。急遽、明日行くことに。望めばキリがないけれど「これはthe right choiceなんだろうか?」と畳に不安を打ち明ける。
夜になってレッスンへ。今年の発表会メンバーはかなーり苦手な方々が含まれることがわかり激憂うつになる。先生は「チルアウトぽい曲にするか、芝居仕立てぽいのにするか」とか言ってるし。チルにしてください後者はやめてください。と、不安要素はこちらもあるものの、つくづく考えるにこの若師匠の振付は面白いからな、作品に没頭できたり舞台に乗れる経験はやはり得がたいものだからな、と一瞬「やめようか…」とよぎった思いを消してくる。
夜になってレッスンへ。今年の発表会メンバーはかなーり苦手な方々が含まれることがわかり激憂うつになる。先生は「チルアウトぽい曲にするか、芝居仕立てぽいのにするか」とか言ってるし。チルにしてください後者はやめてください。と、不安要素はこちらもあるものの、つくづく考えるにこの若師匠の振付は面白いからな、作品に没頭できたり舞台に乗れる経験はやはり得がたいものだからな、と一瞬「やめようか…」とよぎった思いを消してくる。
ちょっとした用事で街へ、すぐ帰る。夜、なんとなく思いついて先月(もうずいぶん昔のような気がするが)行ったWSショーイングのDVDをおそるおそる観てみる。もっと練ればよかったとか、開ければよかったとか、自分のソロに反省は小山のようにありますが、うーん、この素敵な作品にみんなと出れてよかった。下手だけど、もっともっと場をもちたいし、もっともっと踊りたいな。なんだか気持ちがちょと↑になった。
小林裕子「ユピタース」(大駱駝艦・壷中天)
2007年5月24日 ダンスもの↑吉祥寺シアターで観る。舞踏を観るのは久しぶりで、とにかく思索的なイメージがあったので、ワケ・ワカ・ランだったらどうしよ、とも思っていたのだが実際はとても楽しめたし、刺激的だった。
踊る人は「ダンサー」とは呼ばれず、「鋳態」という(なので「振付」でなく「振鋳」)。白塗りの身体は人間じゃないみたいだけど、人間そのものなのかもしれない。見たこともないような身体の使い方に見とれる。なまなましい仏像みたいだったり、生まれたてのいきものだったり、なまめかしい宇宙人だったり、魚は泳いでるし、いろいろだった。
音楽も良くて、特に最後の作品のミニマルテクノっぽいのはまさに壷でした。おどろおどろしいものを想像していたりもしたけれど、ずっと素敵で素晴らしいパフォーマンスだった。観てよかった。
踊る人は「ダンサー」とは呼ばれず、「鋳態」という(なので「振付」でなく「振鋳」)。白塗りの身体は人間じゃないみたいだけど、人間そのものなのかもしれない。見たこともないような身体の使い方に見とれる。なまなましい仏像みたいだったり、生まれたてのいきものだったり、なまめかしい宇宙人だったり、魚は泳いでるし、いろいろだった。
音楽も良くて、特に最後の作品のミニマルテクノっぽいのはまさに壷でした。おどろおどろしいものを想像していたりもしたけれど、ずっと素敵で素晴らしいパフォーマンスだった。観てよかった。
てなわけで友人と、先生のソロ作品を観に行く。言葉を使わないダンスなのに、この人のはなんつうかverbalであったりlogicalなものが観ていて立ち上がってくる感じがするのが不思議だ。短編小説から起こされたダンス、そしてそのダンスからまた物語が綴られる、そして…。
たとえばこんな風に。ある街から遠く離れた市外、生活する場所から隔離されたような場所にある施設の独房に、ある男Xが収容され、彼の行動は男Yとその同僚によって観察されている。Xがなぜ監禁されているのかは不明だ。とにかくこの男のバックグラウンドはわからない。Yが記録係としてDay1, Day2…と男の行動を記録している。男の行動は日によってまったく違う。Xにしかわからない生活の法則があり、それが一日一日まるで違うかのようだ。違わないのはXが―Yがいる世界とは異なるその法則に―毎日毎日、従順に支配されていることだ。
やがて同僚たちはそれぞれの理由で、その施設を去ってゆく。施設には観察される者Xと観察する者Yだけが残される。Yには行動上の制限はなく、仕事さえしていれば彼は自由だ。自由のはずだ。彼はXの観察記録を「本部」に送り続ける。が、「本部」からは意見も指示も返ってこない。
そしてXX日たって同僚の一人が戻ってみると、ふたりの男のうち一方が破綻しているのを発見する。男はそこに収容される者が「患者」と呼ばれることになる施設に運ばれる。YはXの堅牢でカラフルなシステムに負けたのだった。Xは収容されたのと同様、よくわからない理由で解放される。Yは観察される立場になったが、Xほど幸運には恵まれなかった。ひとつにはY自身のような熱心な観察者がいないこと、またひとつにはYの破綻したシステムがXのそれに比べて、はるかに凡庸であるからだ。
…というストーリーのダンスではまるでなかったのですが。なんか脈絡はないけれど、心理学で習った「感覚遮断実験」っていうの思い出したよ(かつて行われた心理学の実験で視覚、聴覚、触覚を遮断するような環境―食事・トイレは可―に被験者を閉じ込めておくと、幻覚をみるなど意識変容が生じた)。
えーと、すっかり話が飛びましたが、くるくる変わる条件を破綻なく呈示できる、というのは相当に身体能力が高い人でないとできないし、スキルだけでなく発想もこの人でないと作り得ない世界。「外側から」つくる、と言っていた意味がわかった気がする。凄い。あっ、ついでに小道具の机と椅子が、シンプルなのにスタイリッシュ、かつビクともしなくて優秀だった(笑)。凄ーく面白かったです。
たとえばこんな風に。ある街から遠く離れた市外、生活する場所から隔離されたような場所にある施設の独房に、ある男Xが収容され、彼の行動は男Yとその同僚によって観察されている。Xがなぜ監禁されているのかは不明だ。とにかくこの男のバックグラウンドはわからない。Yが記録係としてDay1, Day2…と男の行動を記録している。男の行動は日によってまったく違う。Xにしかわからない生活の法則があり、それが一日一日まるで違うかのようだ。違わないのはXが―Yがいる世界とは異なるその法則に―毎日毎日、従順に支配されていることだ。
やがて同僚たちはそれぞれの理由で、その施設を去ってゆく。施設には観察される者Xと観察する者Yだけが残される。Yには行動上の制限はなく、仕事さえしていれば彼は自由だ。自由のはずだ。彼はXの観察記録を「本部」に送り続ける。が、「本部」からは意見も指示も返ってこない。
そしてXX日たって同僚の一人が戻ってみると、ふたりの男のうち一方が破綻しているのを発見する。男はそこに収容される者が「患者」と呼ばれることになる施設に運ばれる。YはXの堅牢でカラフルなシステムに負けたのだった。Xは収容されたのと同様、よくわからない理由で解放される。Yは観察される立場になったが、Xほど幸運には恵まれなかった。ひとつにはY自身のような熱心な観察者がいないこと、またひとつにはYの破綻したシステムがXのそれに比べて、はるかに凡庸であるからだ。
…というストーリーのダンスではまるでなかったのですが。なんか脈絡はないけれど、心理学で習った「感覚遮断実験」っていうの思い出したよ(かつて行われた心理学の実験で視覚、聴覚、触覚を遮断するような環境―食事・トイレは可―に被験者を閉じ込めておくと、幻覚をみるなど意識変容が生じた)。
えーと、すっかり話が飛びましたが、くるくる変わる条件を破綻なく呈示できる、というのは相当に身体能力が高い人でないとできないし、スキルだけでなく発想もこの人でないと作り得ない世界。「外側から」つくる、と言っていた意味がわかった気がする。凄い。あっ、ついでに小道具の机と椅子が、シンプルなのにスタイリッシュ、かつビクともしなくて優秀だった(笑)。凄ーく面白かったです。
ご闘病中だったある女性ダンサーが他界されたことを知った。確か、私とそう違わない年頃の方だったはず。私が彼女について直に知っているのはごくわずかのことだけれど、それでも自分にぽっかりと穴があく。彼女の身近な方たちのことを案じる。どうか安らかに、ご冥福をお祈りいたします。
そういえば「エコー」って…
2007年5月14日 ダンスもの整形外科へ行く。月曜の午前中…なので予想はしていたがやはり激混み。昨年の夏と同じようにひざ下が少しはれているようなので診てもらう。昨年と同じメニューだとすると、レントゲンとって血液検査してつまり注射だ!と金銭的にも身体的にも痛いよなと重苦しいきもちになる。しかし足になんかぬるぬるしたものを塗って、「エコー」なるもので診てもらうと、患部がそれほど大きくないので来週まで様子をみましょうということになった。
この「エコー」っていう機械、「動物のお医者さん」に出てきたやつかな? 菱沼さんが「毛刈りの窓」とかって中継してた…。大型犬を診るので患部の毛を刈るんだったよね。わたしは「毛刈り」されませんでしたが。
帰ってちょこっと就活サイト見てたらやたら眠くなって爆睡。起きたらほぼ夜で(汗)スタジオへ行くが、ここで一緒にレッスンを受けている「情念多過ぎの人」には求職中であることは話してない。言うと会うたびに「就活どうした」「どこで探すの」「(生活)どうしてるの」とか訊かれそうだから・なー。
振りはビョークで先週の曲(ヒライケン)に比べて100倍くらい好き!この先生の振りはなぜかBjorkすごく合う。最後のところが特に「回る中国人形」みたいで超・カワイイのだができない。質問すると、あれこれ教えてくれたが私の欠点は「首や肩に力が入りがちなこと」だそうだ(だからこの部分もうまく回れない)。わかっているつもりでなかなか直らない欠点、なにか私の人生のよからぬものが肩にのっかっていたりするのではないかしら、などと思いつつFour Tetを聴きながら夜道を帰る。明日、じゃない今日はもっとまじめに取り組みましょう。
この「エコー」っていう機械、「動物のお医者さん」に出てきたやつかな? 菱沼さんが「毛刈りの窓」とかって中継してた…。大型犬を診るので患部の毛を刈るんだったよね。わたしは「毛刈り」されませんでしたが。
帰ってちょこっと就活サイト見てたらやたら眠くなって爆睡。起きたらほぼ夜で(汗)スタジオへ行くが、ここで一緒にレッスンを受けている「情念多過ぎの人」には求職中であることは話してない。言うと会うたびに「就活どうした」「どこで探すの」「(生活)どうしてるの」とか訊かれそうだから・なー。
振りはビョークで先週の曲(ヒライケン)に比べて100倍くらい好き!この先生の振りはなぜかBjorkすごく合う。最後のところが特に「回る中国人形」みたいで超・カワイイのだができない。質問すると、あれこれ教えてくれたが私の欠点は「首や肩に力が入りがちなこと」だそうだ(だからこの部分もうまく回れない)。わかっているつもりでなかなか直らない欠点、なにか私の人生のよからぬものが肩にのっかっていたりするのではないかしら、などと思いつつFour Tetを聴きながら夜道を帰る。明日、じゃない今日はもっとまじめに取り組みましょう。
発表会のちょっと憂うつ
2007年5月4日 ダンスもの作業を進める。またしても頭ついてこれてない。へなへな。夜はダンス友と会って表参道(おお)で食事してダンスの話。彼女はスタジオの発表会出るのやめたそうだ。そうなんだよな、発表会って悩める部分はある。まあ自分で意識をきちっともつとか、割り切ってやるならやってもいいんだけど。どうか舞台にレッスンに恵まれますように。
土曜日のショーイングの体験はやはり強烈で、いろいろ反省も伴いながら起きたこと、記憶された音や場面をかみしめている。だめなこともいっぱいあったと思うけど、あーまたこういうことしてみたいな。雨が降る前にしばこと散歩。帰ってしばこと競うように寝まくる。留守番ミッション完了。
落ちてきた。表現はうざったいが存在はうざったくない。あるいはその逆? あるいは表現も存在もうざったい? 心が狭い。ダンスを観に行く。友人のは悪くなかったが、「ちょっとそれは」と思うものを見せられると混乱する。存在は必然だが表現なんてオプションだ。してもしなくてもいいことを「あえてする」ということ。なぜその人は(自分もそうだけど)あえてするのか、ということ。うざったくてこっぱずかしい「表現」を私はなぜするのか。それが得意だからではなくて存在がぎりぎりだから。とここまで書いて放っておく。
落ちている最中なのに今日明日、実家泊でるすばんしなければならない。もはや何がどこにあるかもよくわからない。スリッパとかテレビのリモコンとか、どこ?
落ちている最中なのに今日明日、実家泊でるすばんしなければならない。もはや何がどこにあるかもよくわからない。スリッパとかテレビのリモコンとか、どこ?