・昨日言われて気づいたが、今日もムーブメントのクラスがイレギュラーで入るので、レッスンが「だんご三兄弟」のように3つ続けてある日なのだった。しかも最後がいちばんハード。死ぬ。と思ったけど2つ目の発表会レッスンは事務的な打合せが多くてそれほど踊らなかったし無事完遂。敬愛する三兄弟ならぬ3人の先生に一日で会えて嬉しい。

・なわけでクラスが始まる以前にへろへろになっていたけれど、ここでやることは腑に落ちるし、すごく好き。ピアノで言うとソルフェージュとかバイエルをものすごく丁寧に教え込んでもらっているようで、自分のしていることに安心感がもてる。「寒天のなかにいる(という設定)で動いてみる」練習がバイエルかどうか断言はできないが。

・やっぱりここの先生の動きはきれい。ちょっと(なんでもなさげに)動いてみせただけで、余韻があって詩的に感じられる。うつくしい。それで言うことがものすごくリリカルかというとそうでもないんですけど…あるいは表に出ない根っこのところで奥ゆかしくものすごくリリカルな人で、それが物理とか別な語彙でアウトプットされているのかもしれない。

・うつくしいかたちをなぞる(振りを踊る)ことの喜びもあるけれど、先生を見ていると、動きをスポンティニャスに生み出せることにかなしいような憧れを感じる。その場にとどまらない(消えてしまう)うつくしいものって、それゆえにまた心揺さぶられる。

・よくできたフィクションは語り過ぎない。優れたアートは「きれいでしょう」と提示して終わり、ではなくて、それを受けとる人を触発するという相互作用があるに違いない…とクラスの帰りに音楽を聴きつつ思った。

・昨日も今日も床に身体を投げ出していたが、同じところにあざができているので、喜んでいる場合ではなく、ちゃんと「床との親しみ方」も覚えなければ。コンタクト・インプロもっとやってみたいな。

・腰がひけがちな自分、とか、切羽詰った自分、とか、びびり犬のごとき自分ばかりさらして終わりじゃなくて、見る人のなかになにか呼び起こせる踊り手になりたい。

・さて明日はびしっと授業の準備をしないと、学生の前で「あー、うー」となってしまいますよ。

・この日記は洗濯機のまわる音を聴きながら書きました。
・昼間はうちにいて授業の講義ノートを読んでいた。のだが自分で書いたものなのにわからないのは何ゆえ? 眠くなり寝る。

・3週間ぶりくらいでムーブメントのクラス。いつも木曜で会社帰りに寄っていたが、今日は家から。この頃とくに家では平たくなってばかりなので、外出するのが億劫でたまらないが、でも行く。というか仕事以外で出かける先ってこういう場所しか今の私にはないではないか。あちこちに踊り場があるのは幸い。

・間があいちゃいましたね、と今日はベーシックなことを丁寧にやる(今日は…というかいつもそうだけど)。

・やっぱりここすごく落ち着く、と思う。場所も、人々も、ほっとする。それにここで身体を動かすことの、余計なもののなさというか「ぶれない」精神に触れると、自分の身体が調整されるような感じがする。 テクニックがなくて練習しなければならないこと、私にはたくさんあるのでスタジオのレッスンへも行くが、そういうスタジオで得られないものをここでもらっていると気づく。

・何かの説明で先生が「はかない」という言葉を使っていた。久しぶりに聞く、この言葉。音楽にせよ踊りにせよ(ずっと部活でやってた人形劇とか影絵も)、私はある限られた時間しか存在しないもの、消えてしまうものがもともと好きだったなと思い出す。

・帰ってから友人と長電話。あー久しぶりに身を入れて人と会話したよ! この頃、社会一般的な話題で自分にも共有できることがおそろしく少ないのだ。どうっでもいいことばかりで。うつ過ぎるのか。とにかく話せて人間らしい気持ちになれました。ありがとう。

・話したことのひとつ。このあいだ歩きながらカーペンターズの"Goodbye to Love"という曲を聴いていた。この歌は美メロに詩が「愛にさようならを言おう。私が生きようが死のうが誰も気になどしないのだから」で始まる壮絶に荒涼とした曲なのだが、健全なイメージの兄妹デュオ、カーペンターズのカレンがヘヴィーな拒食症であったことは長らく(私の記憶では、彼女が若くして亡くなるまで)知られることはなかった。

これを思い出して、こういうのってすごくいたましい、とはっとした。誰にも知られないで、ぼろぼろになってゆくのってすごくつらい。私がすることはこういうことをすくいあげること(not「救い上げる」)じゃないだろうか。じゃどうする…ってすぐつながる話じゃないんだが。わかりやすくないとわかろうともしない、見て見ない振りする社会を私は嫌悪する。
支離滅裂でもスタジオへは行くわたし。Bのコンテンポラリー・ジャズのクラス(初級)へ行ってみた。早めに着いたので、前のクラスが、いわゆるクラブジャズ風の振りをつけるのをぼんやり見ていた。今の自分の興味はこっちには向いてないんだなと思う。10年前、20年前なら違っていたかもしれないが。

ここ(代々木)は温かみのある黄色いライトに照らされた地下のスタジオ。広い!こんなに広くて素敵なスタジオを少人数でゆったり使えるということが贅沢に思える。どんな振りでも人にぶつかることを気にしなくていい。嬉しい。身体をゆるめるストレッチを床と立ってやって、プリエ。呼吸を大切に、動きが息とシンクロするように使う。地味といえば地味だけど、今の自分に必要なのはこちら。振りはマイケル・ナイマンみたいなピアノ曲でカウントはとらずに進める。

コンテンポラリーのレッスンを受けることは長いあいだの憧れでした。先生に挨拶して「コンテの経験はありますか?」と訊かれ、「いいえ、ありません。ジャズ(ダンス)をしてます」と答えた。できていないこと、センスとしてつかめていないこともいっぱいあるけど、それにしてもほぼ振りが入って、ここまでついていける自分になっていたことに―大げさのようだけど―感動している。本当にまだまだ、だけど、つかんでいるものはあるんだという、自分にしかわからないこの感覚に幸せを感じる。思い切って戸を叩いてよかった…。

やっぱり床を転がりまくる振りだったのであちこち身体を打ちつけた。手のひらで床をぐっと押さえて、床とお友だちになると、不思議と床が柔らかく感じられて身体が使いやすいんだとか(こういうマニアな知識を教えてもらえるのも嬉)。ジャズより筋力がいりそう。

パワレス

2006年10月21日 ダンスもの
棚上げにしていた自分がががっと落ちてきたかのような日。発表会の稽古でビデオを撮って見た。一同、沈黙。落っこちる。自分、ぜんぜんまったく身体使えてない。音に遅れてるし、上半身の固いこと…。あー、それに薄い! 力がないっ!

人にあれこれ言うなんて100年早いレベルだ。あと、やっぱり気が揃ってない。しかし私の身体の緊張感はなんなんだろう? 幼稚園からおそらくこんなだったんじゃないかと思わせるようなしゃちこばった、居心地悪そうな感じは?

発表会の稽古用の場所探しで、近くの貸しスタジオを見に行った。それほど大きくないスタジオで私よりちょい上くらいの男性が借りてひとり稽古をしていた。私もこれからこういうこともする必要があるんでした。この1,2ヶ月はみもふたもなくがんばる時期だ。脚がちょっと気になるので来週メンテに行こう。あちこち疲れちゃったな。
↑観てきた。女性ダンサー6名の作品で、振付byムーブメントクラスの先生。自分のことを思いきりどっか遠くへ放り投げといて、以下誠に勝手ながら書かせていただいております(おじぎ)。

チラシに「(前略)作業に入る前に色々考えたんですが、女性ってことがとにかく難しかった。多分自分の作品のイメージに女性性ってなかったんだと思う(後略)」と振付家がしゃっきり告白しているので笑ってしまった。な、なんて正直な。

身体を使う表現において自分の意図はどうあれ女性性・男性性というややこしくもうるわしい難題から逃れられるのか、という問題はつっこまないことにして、前半部分はなんちゅうーか作品にまさしくそんな「困ってる」感が(私のうがった見方かもしれないけど)漂っているようにも見えたのでほほえましくもあったのです。困っているのは振付家が(自白?のとおり)女性ダンサーの扱いを、ということでもあるし、ダンサーたちが与えられた動きに困っているような感じでもある。

前半は机や椅子が置いてある「職場」ふうの空間のなかで、机を叩いたりお茶を運んだりというシンプルな動きで、それが合ったりすれ違ったりすることで面白くみえるはずのものだと思うのですが…なんだか「何がしたいのですか」と訊きたい感じがあったりするし(私だけ?)、ダンサーたちも「私たちにもよくわかんないですぅ」と言ってるみたいな感じがする。

かたちはずれてないのに、何かが合っているようで、合ってない。それは何かというとうまく言えないところがまた深いのだけれど(私のほうに言えるだけの力がない)。「伝わってこない」というのはテクニックうんぬんというより、その「何か」が足りなかったりするせいではないだろうか。

彼女たちのダンス歴をみるとそれぞれみなさん相当な経験を積まれているのですが、そういうシンプルな「動きの会話」みたいなシーンでは身体を使ってない感じが驚くほどする。そんなはずはない、と思うんだけど、やっぱり良くない意味で「素」(す)に見えてしまい、他のいわゆるダンスな場面に比べて求心力に欠けてしまう。

後半からコンタクトインプロ風の動きが入るなど加速するあたりから、振りもかっこよかったりかわいかったりでダンサーたちも見せるんだけど、上述のような「しっくりしなさ」が尾をひくところが少しあったりするのは残念。

思うにこれは踊り手にとってすごく難しい作品なのではないだろうか。「動くこと」の要素がさまざまに入っていて、いろいろな意味で力量がさらされてしまう。こういう作品を観ると「踊り
(動き)を見せるとはどういうことか」という大きい問題をつくづく考えさせられるし、「生きていくって大変」「表現するって大変」ということまでトリガーとなってついでに思い出したりするのでした。ショックぅ。
東京にあまたある有名ダンススクールのうちでも特にジャズ系の総本山、BDC(Broadway Dance Center)でレッスンを受けてきた。

と、簡単に書いてしまったがここまでの道のりのいかに長かったことよ! なんどか見学に行ってはみても、踊れるダンサーたちの牙城と思っているから敷居は相当高かった。実際にレッスンを受けているダンス友によると「(うまい人だけでなく)いろんな人がいるよ!」ということで、そんなにびびることもないといえばなかったのですが。

木曜にずっと入っていたムーブメントのクラスが来週末までしばらく休みになってしまう。その欠落感で思いがけず行動に出ることができた。「来年あたりBDC…」と思っていたけど、そうじゃなくて今だって。

今日はバレエの入門を受けてきた。今週はずっとこれが気がかりで、昨日から実はびくびくしてたさ。慣れている人、初めてな人、確かにいろんな人がいます。私は今までちゃんとバレエのレッスンを受けたことがない。なので内側からちゃんと軸を使って身体を使えてはいないけど、ジャズの経験で助けられる部分もあるなと思った。やるべきことはまだまだあるのだが。

スポーツクラブのようにめいめいのロッカーがあったりしないで、てきとーに(更衣室内で)ささっと着替えて荷物まとめとく、みたいなさっぱりしたところも好き。時間があって行けるときに他のクラスも来てみよう。他でめげたり情けなかったりすることもあるだろうが、門を叩き中に入って踊ってこれたことに今日は満足。
今日はつながったー。よかった!

授業でプリントを配ろうとしたら、最前列に座っている子が寝ていたので肩に触れたが起きない。もう1回触れても起きない。しょうがないので次の子に渡す。遅刻してきた子たちが「あー!ここだよ」と悪びれもせず入ってくる。「ちゃんと授業を聞いている人たちがいるのだから、静かに入ってくるように」と注意するのだがぽかんとしている。そもそもこんなことまで言わなきゃならないってか。具体的な例(ドラマチックに終結した不登校の事例)を交えて話をしたら、集中して聞いてくれているのか静かだけど、私の説明が長くて予定より大幅に遅れる。教えるって難しいわー。のどが枯れます。チョークの粉で手も汚れます。

思いがけないお誘いあり。余裕しゃくしゃく、自信まんまんには程遠いけど、今この流れだからやってみる。
まわりからの刺激がちくちくして辛い。目を閉じ耳をふさいで薬をのむ。朝から頓服薬を多めにのんだので眠くてたまらない。ムーブメントのクラスは、先生のご都合により月末まで休み。つまらないつまらない…。この時間がないと何かぽっかりと欠けてる感じする。

今週になって思い立ち、ブランクになるこの期間、とあるダンススタジオに行くことにして手続きをしてきた。今まであまりに敷居が高かったところ。今日、久しぶりに見に行ったら、前より少しだけ近く感じられた。技術はともかく、ムーブメントのクラスに出るうち、いつのまにかこの私も度胸がちょっとついてきたのかも。
天候に気分が左右される質なので、からりと晴れてありがたい。天候だけでなくちょっとしたことで「ぐらっ」とするのはいけないと昔から思う。どうにかする方法があるんだろうかこれ。

レッスンも発表会の稽古も細かいところがアバウトだったり覚え違いしていてしょげる。というかダンスのことってどうしてこんなに震えるんだろう。シリアスにとらえてもなんもならないのに、評価が人格に直結する。他の人だって完璧なわけじゃないのに、ちょっと言われたくらいで自分で自分を全否定してるみたいだ。これは直したい。直す。

帰って楽しくウンパ・ルンパ(「チャーリーとチョコレート工場」)を観ながらi Tunes Storeに接続したら買おうと思っていた曲がことごとくない。年代ものだけど有名(シカゴ"Saturday in the park"とか)だからあると思ったのになんなのさー。米iTSへ行ったらことごとくあるので後日そっちで買うことにしました。
(参考にさせて頂いたサイト様はこちら↓
http://blog.so-net.ne.jp/sothis/2006-04-03
・この一週間すごく長かった。というか詰まっていた。次から次へと私のところに置いていかないでくれ、という思いがつのり、クラスに行く前からむちゃくちゃ終わりたい気持ちになっていて今日はだめかなと思った。

・…なんだけどネガティブにネガティブが重なったせいか、もはや何も考えられずに動けていたのがよかったのかもしれない。先週までの教室と比べて床がなんときれいで柔らかいことよ! それに身体が感動して、動きたがって、よく動いた。いろんなことやってみていた。自分…というより身体はやる気があったみたい。ということに自分でもちょっと驚く。何かが落ちた。すっきり。そして、へろへろ。

・力を抜くというのは身体の軸を消すことなのかも。先生の動きを見てると、芯がなくてくたっとしている。私はちゃんと軸をもててはいないけど、それでも捨てきるのが怖い。ダンスの「お約束」(身体を上に引き上げるとか)も身を固くさせていて、適宜オン/オフ難しい。どうしたら潔く投げ出せるのでしょう?

・身体の感覚から生じた動きが踊りになるし、なんらかの感情(情緒)が押し出す動きは信じられると思っている。文章も同じで感覚が結ぶイメージについていくと、ちゃんと出口まで行ける。

マイムは動きのよりどころが身体の生理的反応(の記憶)にあるのだと先生の話を聞いていて思った。私は「頭で考える」ような気がするのがひっかかっていたのだが、そうじゃなくて、ただ純粋により生理学的というか、うーん、うまく説明できないけど、「ああー」って感じ。こういうつくり方があるなんて(というかもっと早く気づけよ私)。こういう入口があるなんて。面白い! 

・なんどか書いているように、踊りを続けてはいても、ばりばり作品をつくるとか、舞台に出るとかそういう根性はないのだが、このクラスに出るようになって「つくる」ということや、つくる人の姿勢について、刺激を受けている。それらについて、日常でも、よく考えるようになっている。ここからどこへ行くのか、行かないのか、わからないけど。

・この日記はThe Rolling Stones「愚か者の涙」「ミス・ユー」「友を待つ」などを聴きながら書きました。
実家に寄ってしばこの散歩、病院行ってお見舞い。学校の準備。

仕事を含め不確定要素ばっかりだけど、なんとなく、根拠なく、「この道でいいのだ」という確信が訪れる。ひとりは身が軽い。何を選んでも、止めても自由。軸を維持できれば、私は大丈夫。軸とは踊りのこと。
おうちに戻る。母、すごい勢いでしゃべってた。私は両親はじゅうぶん恵まれていると思うけどなぁ。ふだんひとり暮らしなので、何かをしている最中(テレビを見てるとき、パソコンしてるときetc)に話しかけられるということに自分が慣れていないことに気づいた。そして「実家に寄れ」プレッシャー…。

午後、レッスンに行った。今日バランスよかった。「空気を動かすように動かないと、そこにいる(存在している)感じにならない」御意。舞台で見てもらえる踊りにするには「ひっこんでないで、主張しなければ。」。なんか目からウロコ。その通りだ。往生際が悪い自分に気づく。いろいろ言ってる場合じゃなかった。その後、発表会の稽古。

友人に電話でいっぱい聞いてもらった。

COVER ME

2006年9月28日 ダンスもの
・昨夜、歓送迎会が終わったあとになって、母から携帯に電話があったことを知りかけ直す。父が出先で倒れて、一緒に病院にいると言う。11時近くだったが私もその病院に駆けつけた。心臓の動脈の障害とのこと。行ってみたら意識もあり、CCU(心臓集中治療室)で完全看護を受け、しばらく入院し安静にしていれば手術もする必要はないとのことでほっとした。

何より幸いだったのは、たまたま近くの聖路加病院で受け入れてもらえたことだと思う。CCUなんてそうどこにでもあるわけじゃないだろうし、実家のある地域は医療不毛地帯だから(断言)。5人くらいのチームで診てくださっていて、医師の説明にしても、看護士さんのケアにしても「さすがー」という感じ、ありがたく思う。今日も会社を早退して母、里帰りした妹とともにお見舞いに行ったら、経過もよいとのことだった。

昨日、今日の日中は動けていたけど、安心したら、私はちょっと揺れ戻しが来てる。

・昨夜の歓送迎会での社長の話は、聞いててつくづくイヤだった。「日本一」とか話はデカイのに、具体的に魅力ある商品の話にならない。機械化が進むようになって、はっきり言って炭鉱婦のお仕事に対して前よりモチベーションが落ちている。(私にとって)。面白みは機械化からこぼれる部分なのだ

カツを入れ、ゲキを飛ばすのが好きな体育会系思考のくせに社長本人はさっぱり運動してないってどういうことよ! 独身男女を入社さして、社内恋愛を盛り上げたいって、ありえない、この今さら大学の軟派サークルみたいなノリは! 大人な対応でのらくらかわさないといけないけど、ぶちまけてしまうかもしれない。「一丸となって」って大嫌い。

・音楽室の床はなぜ固い? ムーブメントのクラスに行きましたが、動けてた感じがしない。いいとこなかったな>自分。頭のなかに紙くずが詰まっているかのようです。これは必要なものなんだろうか?

・はじめと終わりとびしっと決めると、その途中は省略してもよい(というか、むしろしつこく説明しないほうがよい)というのは興味深い。途中がかすれた草書体の習字みたいに。

・打っても響いてない。月面にさえ帰れず、やっぱりおうちがない。いつのまにか他人に乗っ取られる感じ、「飛び降りちゃえ」な感じ、みるみる転がり落ちてしまう。ばかばか。(とか書いてたら、友人から久しぶりに絶妙のタイミングでメールをもらう) 今週のあれやこれやで私はいい人をやり過ぎてしまってた
ようです。馬のように丈夫だけど私は疲れた。アナフラニール止めよう。

・今日は音楽も選べなかった。集中できなくて悔しい。来週、仕切り直し。
↑観てきた(@世田谷パブリックシアター)。

タップの練習をしているひとりのダンサーが舞台奥へ下がると、上から「ごん」と照明落ちてきて、ばったり倒れる冒頭。その彼女の役を争って、オーディション。ブロンド、マッシュルームカットのウィッグをつけ、60年代風のカラフルなドレスのダンサーたち(男女)がマネキンみたいに登場する。

振付(by井手茂太)がゆるくて凄くかわいい。ポップな絵巻物みたい。かと思うと、シンプルなセットに空襲を思わせるようなSE、一列に並んだダンサーたちが身体を斜めにして、ひたすらかかとを上げ下げしているのが奇妙に印象的ななか、ダンサーが飛び出して不協和音のように違う動きをぶつけてアクセントをつける、というかっこいいシーンもあった。

スタイリッシュというのは決めてるだけではなくて、抜きがないとだめだと思う。でもその抜け感の追求をがんばり過ぎてしまうと、几帳面なオフビートというか必死な手の内がすけて見える感じになってしまいそうで難しい。この舞台みたいに、見ててこちらも脱力してくるような楽しいゆるさと、かっこよさが何気に同居してると、なんというか「気がつけばスタイリッシュ」みたいに好ましい風になるのではないでしょうか。

舞台は後半、昭和の歌謡ショーになって、あの時代のアイドルやら演歌歌手やらピーターパンやら体育教師やら人魚やらバイクのライダーやら登場する。かれらのいでたちが揃いも揃ってチープ。アイドルのドレスは貸衣装屋でホコリをかぶっていそうなやつだし、ピーターパンの服も「学芸会だってもうちっとなんとかするだろう…」てな調子。「あーこんなのあったな」と思い出すアイドルのぶりっ子な手振り、ひな壇に並んだ面々のやりとりがおかしい。そしてアイドルめがけて上から照明が…。

"Yes,Ma’am""Which way do you go?""all night long"(とかなんとか)繰り返しが入る曲(なんだろう?)に合わせて全員で最後に踊るユニゾンが超かわいかった。ダンサーではグリーンのドレスで、怪我をする役の人、白いドレスでけいれんする人に特に目がいってしまった。

今日は終演後にポストトークがあり、井手氏の話が聞けた。これもなかなか興味深かった。作品というのは作家の妄想から作っていい、みたいです。

凄く面白かった。もう一度観たいくらい。脱力もので元気になったような。これでは11月にあるというワークショップも気になる。(それどころじゃないかもだけど)考えよう。

・・・・・・・・・・・・・・
↑に先立って午前中から久しぶりに両親withしばこ(犬)でお墓参りに行く。車慣れしていないしばこは(汗)。お疲れさま。帰って図書館へ行く。久しぶりに事例など読む。久しぶりじゃいけないんだけどね。
・身体を委ねることは誰にとっても簡単であるとはいえない。このクラスはそういう含みの前提で進められているように感じるので気が楽だ。私は人に委ねるのが怖いし、人が私を支えようとして待ち構えていても「自分でなんとか」しようとする。思い出せる限り、幼稚園の頃からそんなふうにかっちかちな子どもだった。今は昔のように起こりうるありとあらゆるバッドな可能性を視野に入れて行動したりはしないけど、長じたからと言って「はいどうぞ」と全身、投げ出せもしない。

新卒入社した会社で、泊りがけの新人研修があった。最終日に人事の人が、ひとりひとり新人を呼んで、言葉をかける。私は「もっと心を開くように」と言われた。とてもショックだった。自分では他の新人仲間に協調して振舞えたように思えていたので。「心を開け」と言われても、「はい」と開けるわけもない。いっそう緊張が高まっただけだった。私は20人ほどの新人のうち、とくに女性のほとんどは「心を開いたふりをしている」と感じていた。嘘くさい。2年4ヶ月たって私はそこを辞めた。

・なんとなくマイムって理系だなあと思う。先生は身体で「嘘をつく」という言い方をするけれど、「こういうふうに見えて欲しい」というビジョンが(ダンスに比べて)かなりはっきりあるのだと思う。だから戦略的に動きを作っていくというか、「こういう環境で身体の部位がこれこれだから、こう動く」みたいな決め方で合理的ちゃー合理的、理屈にあってる。私はまだそういう頭脳的ルーティンを入れきれずに「え? あ? う…」と途中で止まることもしばしば。でも前よりは「恥ずかしい」というところから抜けたかなと思う。2ミリくらい。

・このクラスは同じ施設内でずっと行われているのだが、借りる教室(元・学校だから)は週によって違う。今日は元・音楽室だった。黒板に五線譜が書いてあるからすぐわかる。この部屋の床がおそろしく固い。かちかちのパンケーキみたいに固い。この音楽室はフローリングだけれど、木というよりコンクリを感じる。ジャンプする気になれないような、邪悪な固さ。同じ建物なのに、部屋によって床の柔らかさが不思議と違う。あるいは靴で歩き回っていたら、気がつかなかったのかもしれない。そうやって毎週、神妙に床の固さの違いを味わうというのもひそやかな楽しみだ。

・「闇から生まれ、闇に消える」ではないけれど、ここでいつものように味わう「世界の果てから来て、世界の果てに帰る」感じは何なんだろう? 

身体を動かす場所、特にこういう基本的なことをする場所では、望もうと望むまいと、無意識にでもそのときいちばん気になっていることに対する答(あるいは反応)があらわになるように思う。

“おうち”がないんだね。やっぱり。居場所が。そのことが気がかりでもあり、「もういいひとりでやってく」でもあり。

「ひとりでいること」についてずっと考えてきた。悟りを開けはしないが、少なくとも「ひとりでいること」を知らない人とは一緒にいられない。

ここまで生き延びてきたのなら、これから先はオプションというかもはや「選択」なのではないだろうか。

「世界の果て」って月面みたいなところじゃないかなと私は思います。

・この日記はRobert Palmer "Addicted to Love"と"Motown Classics"を聴きながら書いた。
↑観てきた(@吉祥寺シアター)。3人の男性振付家による3作品の公演。

・梅田宏明(S20)「Duo」
舞台奥のスクリーン、右半分に自身の映像、左半分で本人で同じ振りを踊る。音楽はノイズ〜テクノ。映像もエフェクトがかかったり健闘するものの、やはり生身のほうを見てしまう。シンプルな動きだが、惹きつけられるのは身体のコントロールが効いているからだろうか。なかなかかっこいい。

・鈴木ユキオ(金魚)「dulcinea」
ヴェラスケスの絵みたい(そうか?)。美的ではあるし、面白い動きもあるのだが、流れが私にはわかりにくくて今ひとつ入り込めず。痛くしそうな動きしてた。

・遠田誠(まことクラヴ)「事情地域」
登場から退場まで、文句なし。凄ーく面白い。「部長」の遠田氏が「カンパニー結成からのあれこれ」をぼそぼそとしゃべり始めるのだが、ダンサーたちがお構いなしに出入り(歩くだけでもいろんなやり方があるんだなー)したり、しゃべって踊ったりする。しゃべりながらよくあれだけ動けるもんだ!「メニスカス・ガングリオン」覚えた。

まことクラヴは吉祥寺で活動を開始したとのこと。ホームグラウンドでの「エッセイ」風作品には地元ネタがフィルム上映も含めて多数、登場する。何気におかしい。笑っちゃった。

背番号つきジャージのダンサーたちが踊りながら舞台奥へ進む。スクリーンが上に引き上げられ、奥のシャッターも上がるとそこは外。傘をさした小学生が通っている。なぜかグッドタイミングで通りかかったタクシーを、ダンサーが美しいポーズで呼び止め、部長を残して一同タクシーで走り去ってしまう。場内大爆笑。かっこ良過ぎるエンディング!

初めて観たけど、まことクラヴ、構成も踊りもすんごく良かった。大充実。他のも観てみたい。

今日も面白いかたちをたくさん見て、自分でもできそう、やってみようと思うものの、たとえばムーブメントのクラスでいきなり取り入れられるかというとそういうわけにもいかず。見ただけでは自分のものにならない。思っているより心理的隔たりもあるのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ゴス、駅ビルの安っぽいセンスの洋服屋、いくら探しても見つからない写真、亡くなった祖母と亡くなった友人、食べかけのアイスクリーム、フィンランド映画…。風邪ひいてみる夢はシュールだった。変な味付けで、目が覚めて夢でよかったと思った。予定を緩めて、家でごろごろする時間をふやした。お休み気分を満喫。ただ寝てただけなんだよ、安上がりな自分。

俯瞰する

2006年9月14日 ダンスもの
・先週はウツ負けしたので今週は頑張る。というか月曜のレッスンでいい感じの手応えを久しぶりに得たせいか、今日のクラスでは自然と抜け感をもって臨めたような。

・当たり前といえばしごく当たり前なのだが、人も含めてまわりの空間を視野に入れて俯瞰すると自分のことが別な見え方でわかる、ということに気づいた。ここのところできていなかったのはそれ。自分にだけマクロレンズでがーっとフォーカスするのも意味なくはないだろうが、それが唯一最良の見え方でもない。

今日は「まわりの人のなかの自分」というふうに相対的な視点をとれたことが、よかったのだと思う。ちょっと変な力みがとれて、軽くなれた。

・珍しく、見るからにダンサー(それもコンテンポラリーちっくな、きれい系)の身体つきの男の子が来ていた。たぶん、かなり踊れる人なんだろうと思う。でも、彼の動きを見ていると「(彼が修得している分野の)ダンスの型」が見えるし、こういう場では、それが枷になってる感じもする。私はおそらくその人ほど踊れてないだろうけど、私にも私のなじんでいるダンスの「型」があるのだと思う。私はそういう「型」をいったん崩したくて、こういう(ちょっとハードルの高い)異分野に来てみてるんだけど、なんか自信なくて「それでいいのかな…」なんて思っていたところだった。彼を見て「やっぱそうだよな」と気を取り直す。勝手ながら。

・人数が少なめだったので、以前やった「人の動きをもらって、それを自分で発展させる」というのを輪になってする。前よりは落ち着いてできたような。でももうちょっと人の動きをもらったまま暖めていてもよかったかも。

・そして人数が少なめだったので、「飲みにいきましょうか」てなことになり、流れで私も参加する。そこら辺の居酒屋が入れず、なぜか妙に本場かつ場末感ただよう中華料理店に入る。映画だったら、「食事中、でも突然チャイニーズ・マフィアが出てきて全員みな殺し」みたいな場面のセットに使われそうなところ。

2回目だし人数も少ないので、だいじょうぶかなと思ったけど、私はやっぱり固まって会食恐怖状態だった。25〜28才ってとりわけ元気な年頃なのかね。かれらの生命力の前では、私のそれなんて「風前の灯」だよ。踊る元気はあっても、なぜかしゃべる元気(というか能力?)はまるでない私。でも行けてよかった。

・この日記はG.Love "Lemonade"を聴きながら書いた。この人の「ゆるゆる感」はかなり信頼している。
短大のスクールバスダイヤ調べて、それに応じてやふーで路線検索。バスがびしびし出ているわけではないので、乗り遅れると相当かなしいことになるのだ。

レッスンと稽古。リフトのところは「鯉の滝登り」ふうに変更になった。エアコン入っているらしいけど、スタジオの鏡は曇り、岩盤浴に行かなくていいくらい(行ったことないけど)汗びっしょりになる。いまのところ無表情でいいので、うつうつでも踊れます。
ふつうに生活するぶんには全然、知らなくていいと思います。goopo(グーポ)とは使用することで「ダンスに必要な美しい姿勢をつくる」「下半身の筋力アップでダンスの上達」などの効果が期待できるトレーニング・サンダルのこと。

「グーポ」と同じラインのトレーニング・グッズにmingu(ミングー)があり、私も持っています。こちらは「バランス感覚を養う」などの効果を狙ったバランスブロック。でっかいお弁当箱サイズのブロックで、触感は「煮しめて冷蔵庫に一晩いれておいた高野豆腐」に似てる。この上で片脚バランスとってみたりすると、ぐにゃぐにゃしてすごくやりにくい。この片脚立ちを日々、続けると、身体の軸が意識できるようになるとか。

部屋におくと嫌でも目につく青いミングー、買って満足してるだけと言えなくもない。やらねば。ミングーにせよ、グーポにせよ、何となく「Shall We ダンス?」に出てきた「姿勢矯正ギプス」を思わせたりしますが、私はこういうマニアックな機能グッズってけっこう好き。

今日はチャコットで、考案された先生によるグーポを使った特別レッスンがあるというので行ってみた。

グーポは鼻緒のついたサンダルの、足指がわの底をうんと厚くしたようなもので、ダイエットサンダルに似ていますが、グーポは指で底をぐっと掴めるようにできているところがミソ。

履いてみると、ひざの後ろがぐーっと伸びるのがわかる。これを履いてかかとを床につけて歩くと、「かかとで押して歩く」という本来の正しい歩き方も実感できます。

先生によると、踊りの姿勢で大切なのは:
1.かかとで押す
2.ひざ裏をのばす
3.おしりを締める

とのこと。いつものレッスンでもよく「床を押して」「押して立つ」と先生に言われるけれど、私は爪先のほうに力を入れていた。そうでなくて「かかとで踏む」ということなのか。3.はよく「ももの内側を意識して」と言われるけれども、そうではなくて後ろ側からおしりと、脚の付け根を意識するほうが正しい姿勢を理解しやすいとわかりました。

このグーポを履いて90分、歩いたり前屈したり、やってることは単純なのにかなり脚に負荷がかかってぐったり…。でもとても(私には)よろしい商品ということがわかったのでハイタイプを一足、買って帰る。これを履いて歯を磨いたりしましょう。グーポ、ミングーが見たい方はチャコットのサイト(http://www.chacott-jp.com/)にあります

なんだかアフィリエイトの文章みたいになっちゃったけど違います。チャコットなんて、高くてもう何万年もウェアとか買っていないよ。

秋になるとなんとなく買いたくなる赤い口紅。使いかけの赤口紅がうちに何本あることか。赤い口紅をしていく場所も機会もそうないけれど、ルージュといえば「赤」、やっぱり気になる。ちゃんと使えるようになりたい。エスティローダーにふらふら寄って、Classic Redというのを買った。
レッスンと発表会の練習。1・2・3・4・5でかぶさって6で払いのけられ7・8歩いて1でリフト! 私ともうひとりで、女性ひとりを持ち上げる。リフトされたこともないし、したこともない。腕立て伏せとか筋トレしなきゃ…っていうよりタイミング、バランスの問題のような気もする。先生、こんな大技いれたり作りこんでくれて嬉しい。頑張ろう。いつか自分がリフトされる日もくるでしょう。だんだん面白くなってきた。よい作品になりそう。

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