友人宅で年越し&お正月。手料理のおもてなしを受けたばかりでなく、甘えてしまった。つかえをとって、息を吐く。からんじゃってごめんね。でも窮地に陥ったらまたからむと思う(笑)。
ありがとう。本当に。
メディスン・カードをひいたら、プレーリードッグが出てきた。検索したらこの日記がヒットして、4年前の秋にも出てきたことがわかった。休息(安息)という意味。
年末のショーイングとWSのことはまだひっかかっていて考えている。先生に「大変だったか?」と訊かれ「いえ、これくらいのことはあるだろうなと思ってました」なんて答えていた私。それはそうなのだが。本当は疲れました。ネガティブスィッチ入りやすい部分を私もさらしていたのです。
平気そうに見えましたか。
私も自分をないがしろにしていた。休もう。てか、それと(…ってつながるわけなんだけど)もっといけすかない人になろうかしら。「ちょっと!何言ってんだか全然わかりません」とか「それって自分で決めたころでしょ」とか容赦なく言ったりする、という。
どうなるのか皆目わかりません。
が、今年も踊ります。
身体も使います。
自分の身体をもっとよく見てあげられるように。
ああ、そうか、休まないと走れない。
いたわったりねぎらったり、自分で自分にしてあげないと。
くたびれてしまう。
やさしくしよう。
人の身体ともいっぱい出会えますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとう。本当に。
メディスン・カードをひいたら、プレーリードッグが出てきた。検索したらこの日記がヒットして、4年前の秋にも出てきたことがわかった。休息(安息)という意味。
年末のショーイングとWSのことはまだひっかかっていて考えている。先生に「大変だったか?」と訊かれ「いえ、これくらいのことはあるだろうなと思ってました」なんて答えていた私。それはそうなのだが。本当は疲れました。ネガティブスィッチ入りやすい部分を私もさらしていたのです。
平気そうに見えましたか。
私も自分をないがしろにしていた。休もう。てか、それと(…ってつながるわけなんだけど)もっといけすかない人になろうかしら。「ちょっと!何言ってんだか全然わかりません」とか「それって自分で決めたころでしょ」とか容赦なく言ったりする、という。
どうなるのか皆目わかりません。
が、今年も踊ります。
身体も使います。
自分の身体をもっとよく見てあげられるように。
ああ、そうか、休まないと走れない。
いたわったりねぎらったり、自分で自分にしてあげないと。
くたびれてしまう。
やさしくしよう。
人の身体ともいっぱい出会えますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
構成を変えることになり、自分の振りを新しく考え直す作業に集中していた。しばらくして目覚め夢だと知る。
先日のショーイングの映像を観て、フィードバックを受ける会。が、カメラの原因不明の不調でまともに撮れてない(涙)。これではどうだったのか永久にわからない。
その後、先生と受講生たちが「クリエーションWSがいかに大変だったか」「ひとつ壁を乗り越えた」とか熱っぽく話すのを私は醒めた気持ちで聞いていた。
何かつくるのが大変なのは当たり前。こういう作業に没頭できるのはどちらかと言えば幸せの部類だ。私にはWSが終わって、しらふでただ日常をひとりぼっちで生きなければならないことのほうがよっぽどしんどい。
その後、飲み会になってみんなが舞台や芸術についてまた熱心に語るのを聞いていた。わからない。で? てか#つくることなんてただのオプションじゃないか!#
かれらは美の追求なり、人に見せられるものをつくるつもりで思ってこういうことをやっているわけなのだが、私の立ち方はまるで違う。私は生きることを忘れるためにこういうことをやっているだけだ。こんなことやらずに幸せでいられるなら、やらないほうがいい。
若いみんなに嫉妬。同じチームのBちゃんが先生に「動きに関して、やっぱりずば抜けてる。あんたはスゴイ」と言われていたのに嫉妬。
私には愛もないし才能もない。みんな愛する愛される人がいて、才能も未来もある。舞台終わって一段落し、みんなそれぞれのおうちに帰り、自分はひとりぼっちで元いた場所に戻る。寂しくて寂しくてたまらない。みんなのなかで未来レスで中途半端な自分でいることはただただ辛い。
しにたい気持ち。自分のひとりぼっちで荒涼とした生き方が苦しい。嫌だ。何かに没頭し、醒めるとたったひとりの身体に戻る…というこのサイクルにほとほと疲れた。私がこんなこと感じているなんて誰も知りたがらないし、知らない。
先日のショーイングの映像を観て、フィードバックを受ける会。が、カメラの原因不明の不調でまともに撮れてない(涙)。これではどうだったのか永久にわからない。
その後、先生と受講生たちが「クリエーションWSがいかに大変だったか」「ひとつ壁を乗り越えた」とか熱っぽく話すのを私は醒めた気持ちで聞いていた。
何かつくるのが大変なのは当たり前。こういう作業に没頭できるのはどちらかと言えば幸せの部類だ。私にはWSが終わって、しらふでただ日常をひとりぼっちで生きなければならないことのほうがよっぽどしんどい。
その後、飲み会になってみんなが舞台や芸術についてまた熱心に語るのを聞いていた。わからない。で? てか#つくることなんてただのオプションじゃないか!#
かれらは美の追求なり、人に見せられるものをつくるつもりで思ってこういうことをやっているわけなのだが、私の立ち方はまるで違う。私は生きることを忘れるためにこういうことをやっているだけだ。こんなことやらずに幸せでいられるなら、やらないほうがいい。
若いみんなに嫉妬。同じチームのBちゃんが先生に「動きに関して、やっぱりずば抜けてる。あんたはスゴイ」と言われていたのに嫉妬。
私には愛もないし才能もない。みんな愛する愛される人がいて、才能も未来もある。舞台終わって一段落し、みんなそれぞれのおうちに帰り、自分はひとりぼっちで元いた場所に戻る。寂しくて寂しくてたまらない。みんなのなかで未来レスで中途半端な自分でいることはただただ辛い。
しにたい気持ち。自分のひとりぼっちで荒涼とした生き方が苦しい。嫌だ。何かに没頭し、醒めるとたったひとりの身体に戻る…というこのサイクルにほとほと疲れた。私がこんなこと感じているなんて誰も知りたがらないし、知らない。
予想されたことではありますが
2007年12月27日 ダンスものその翌日、すこぶる眠い。昨夜は日記を書きながら途中で寝てしまい、ベッドで寝れたのって2時間ない。止まるとついこっくりしてしまう。職場のみなさんスミマセン。あれこれ考え、思い出してみる。Bちゃんから長文のメール来るが、考えまとまらず返信できず。体力も使ったが、精神的にもいろんな意味で刺激が大きく負荷がかかったはず。その大きさがまだ測れていない。
ショーイング@新宿2丁目のクラブっちゅーかBAR。昼ごろから集まってフロアの拭き掃除、しかしそれでも1度踊っただけで足の裏がどす黒くなる。まぁいつもは靴で歩いているような床だからしょうがないか。場当たり、通し、各チーム不安なところをチェック。
開演19時半の10分遅れ。満員のお客さま。私たちはトリを頂きました。Aちゃんの功績と、先生の手入れが少ない分、他とちょっとテイストが違うせいかな、とか思う。
意味ある存在Aちゃんを、意味ない存在のBちゃんと私で椅子をひいたり本を抜きとったりして翻弄する、というストーリー。私らはなんだろう、悪魔の手先か何か(笑)だと思う。衣装は案外着るチャンスのない全身黒(タートルネック+スカート)。
演劇とダンスの境界線のどこかにあるようなこの作品、テンポがあって、動きのラインが綿密に計算されている。厳密に詰めれば詰めるほど面白くなる。一緒に動いている人たちとの連携で、自分だけの問題ではないのでなおさら難しいけれど、3人でやるということの妙。人と作品をつくり、共に動くのはたやすくはないが、得るところの多い貴重な体験。しかもそれが指導を受けられる環境で実現するのは恵まれていると思う。先生キレまくりであろうとも。今日は打って変わっていい人だったけれども。
先生が私の名前を読み間違えるので出番前にこける(あとで糾弾したら「あがってたので」って言ってた)。3分ほどの短い作品だが、このかたちになるまで紆余曲折。他のチームに比べて自由度高く、私としてはラッキーなことに好きにやれる部分が多かったのではないかと思う。「かっこいい」とか良い評も頂いたが、より良くできる部分もまだ見える。はじめの軌道がわかったの今日になってからだし。自分の振りつけは面白くなってきてると思うが、もっともっと身体を使えたらなぁ。あと椅子をさばくテクニカルな練習がもっとできてたらなぁ。
ここら辺の人たちは音楽わりとどうでもいいようですが、私のこだわりの選曲はこちら↑。Four Tet"Everything Ecstatic"収録の"A Joy"。本当にかっこよくて強烈に好き。まわりで誰もあまり言ってくれないけどさ(涙)。私はかなり早い段階で「これ」と勝手に決めて、この曲を通して3人が動くさまを見ていた。この選曲についても「違うんじゃないか」という意見も途中で出て代案も考えたが、結局、この曲に落ち着き、自分の幸せを押し通させて頂きました。ひとりではおそらく使えないような、スピード感ありそっけなくてかっこよくかわいいこの曲で動けることは私にとっては幸せで、最終的に先生独特の発想によるこの作品に対し、いつも私がダンスに対してもっている同じセンセーションを感じる水路を開けたのもこの曲によるところは大きいと思う。
年末の忙しい時期なのにたくさんの方に来て頂いて多謝。パーティ形式だったので(忘年会も兼ねていたから)くつろいで楽しんで頂けたよう。うちの先生のソロ、へにょん、って感じで柔らかく動けたり、フロアに吸い込まれるようにソフトに入れたりするのは不思議ですごいわ。ゲストのパートも大受け。
作品をつくるのは(今回特に)大変ですが、麻薬的ではある。こののめりこみよう。本番終わった安堵と熱気の残る店を出る。とりあえずほしいのは睡眠とマッサージ奴隷(男)。もろもろありがとうございました。
開演19時半の10分遅れ。満員のお客さま。私たちはトリを頂きました。Aちゃんの功績と、先生の手入れが少ない分、他とちょっとテイストが違うせいかな、とか思う。
意味ある存在Aちゃんを、意味ない存在のBちゃんと私で椅子をひいたり本を抜きとったりして翻弄する、というストーリー。私らはなんだろう、悪魔の手先か何か(笑)だと思う。衣装は案外着るチャンスのない全身黒(タートルネック+スカート)。
演劇とダンスの境界線のどこかにあるようなこの作品、テンポがあって、動きのラインが綿密に計算されている。厳密に詰めれば詰めるほど面白くなる。一緒に動いている人たちとの連携で、自分だけの問題ではないのでなおさら難しいけれど、3人でやるということの妙。人と作品をつくり、共に動くのはたやすくはないが、得るところの多い貴重な体験。しかもそれが指導を受けられる環境で実現するのは恵まれていると思う。先生キレまくりであろうとも。今日は打って変わっていい人だったけれども。
先生が私の名前を読み間違えるので出番前にこける(あとで糾弾したら「あがってたので」って言ってた)。3分ほどの短い作品だが、このかたちになるまで紆余曲折。他のチームに比べて自由度高く、私としてはラッキーなことに好きにやれる部分が多かったのではないかと思う。「かっこいい」とか良い評も頂いたが、より良くできる部分もまだ見える。はじめの軌道がわかったの今日になってからだし。自分の振りつけは面白くなってきてると思うが、もっともっと身体を使えたらなぁ。あと椅子をさばくテクニカルな練習がもっとできてたらなぁ。
ここら辺の人たちは音楽わりとどうでもいいようですが、私のこだわりの選曲はこちら↑。Four Tet"Everything Ecstatic"収録の"A Joy"。本当にかっこよくて強烈に好き。まわりで誰もあまり言ってくれないけどさ(涙)。私はかなり早い段階で「これ」と勝手に決めて、この曲を通して3人が動くさまを見ていた。この選曲についても「違うんじゃないか」という意見も途中で出て代案も考えたが、結局、この曲に落ち着き、自分の幸せを押し通させて頂きました。ひとりではおそらく使えないような、スピード感ありそっけなくてかっこよくかわいいこの曲で動けることは私にとっては幸せで、最終的に先生独特の発想によるこの作品に対し、いつも私がダンスに対してもっている同じセンセーションを感じる水路を開けたのもこの曲によるところは大きいと思う。
年末の忙しい時期なのにたくさんの方に来て頂いて多謝。パーティ形式だったので(忘年会も兼ねていたから)くつろいで楽しんで頂けたよう。うちの先生のソロ、へにょん、って感じで柔らかく動けたり、フロアに吸い込まれるようにソフトに入れたりするのは不思議ですごいわ。ゲストのパートも大受け。
作品をつくるのは(今回特に)大変ですが、麻薬的ではある。こののめりこみよう。本番終わった安堵と熱気の残る店を出る。とりあえずほしいのは睡眠とマッサージ奴隷(男)。もろもろありがとうございました。
…も今日で最後。しかし本当にクリスマス音もなく通過して行ったな。後半で通してみる。みなさん良くなっているではないですか。なるほどこのメンバー、という感じになってる。うちはどうなんでしょう。私は振りともろもろ、ぎりぎりまで見てがんばる。では明日。
朝っぱらから稽古。稽古場から出てみるとまだ正午で明るくて、夜通し飲んで明けた日みたいに変な感じ。Aちゃんはマイマーで、マイムの人の視点はすごく細かい。先生とAちゃんの「ちょっと遅い」「早い」とかそういう話ってぜんぜんわからない。私にもぴしっとダメ出ししてくれる。彼女は快活で、またできる人なので近づきにくく、あまり話したことも今までなかったが、この作品づくりをきっかけに時間を共にするようになった。今日も帰りに一服。「なんでマイムを始めたか」とかそういう話をする。Aちゃんお薦めの稽古場近くのたい焼き屋さんで2匹買って帰る。うち帰って寝る。夜はジャズダンスのレッスン。久しぶりにまともな(?)踊りのレッスン出た。とはいえ、作品の自分のパートが気になってこそこそ踊ったりしてたらばれた。脚がぱんぱん、と湯船のなかで思う。これが終わったら2メートル(3メートル?もっと?)の高さからべしゃっと現実に落下してつぶれそうな予感。私には帰るおうちがない、っていうあの感じ。
友人の発表会へ。作品はうちの先生がつくったやつだが、今回ちょーっとまったりしちゃったかな。正統派なやつは難しい。初出演で、振り覚えがとにかく悪い、と先生の泣きが入っていた男性がソロ(?)をとっていたので驚いた。苦肉の策。POPで上手な人たちがいた。ストリートダンスのなかではPOPって好き。オールドスクールにもかっこいい作品があった。ジャンルを問わず、身体を使った踊りはうつくしい、と思う。
夜は稽古。3時間稽古にも慣れた。通して見てもらって、細かい直しはあるものの大筋OKか。そろそろ衣装を決めなくてはいけない。↑でフォークロアぽい3段ロングスカートでばりばり踊っていた人がいてかっこよかった。ぷっくり重ね着で踊るのっていいと思う。私は重たい気がして乗らないが、ふたりは「黒でいいんじゃない」と言う。黒って難しい。手をかければ洗練されると思うが時間がない。いっそ黒のコートでもいいかなあ。コートっていうのもぎりぎりスタイリッシュになるか否か、危ういが惹かれるものはやはりある。
夜は稽古。3時間稽古にも慣れた。通して見てもらって、細かい直しはあるものの大筋OKか。そろそろ衣装を決めなくてはいけない。↑でフォークロアぽい3段ロングスカートでばりばり踊っていた人がいてかっこよかった。ぷっくり重ね着で踊るのっていいと思う。私は重たい気がして乗らないが、ふたりは「黒でいいんじゃない」と言う。黒って難しい。手をかければ洗練されると思うが時間がない。いっそ黒のコートでもいいかなあ。コートっていうのもぎりぎりスタイリッシュになるか否か、危ういが惹かれるものはやはりある。
えーと、今日も稽古。ひとりがミニマルなマイムをするから、残りは踊ろうかってことになり、それも昭和アイドルちっくなのがいいから考えてとふたりに言われ、15分くらいまじめに考えて振りつくったら1回で秒殺。やっぱりしっくりしないって。いやー、すんごいバカな振りでこんなの自分に考えつくとは。今まで何を学んでいたんでしょうか。Aちゃんには「似合ってたのにねー」とか言われるし。
ともかく最後までつなぐ。椅子を動かすのも座って立つのも押してすべらすのもみなダンス、ということを身をもって教えられ身をもって気づくと、なんて新鮮なんだろう。私は今日まで「椅子を使うところが段取り、それ以外で(振りで・かたちをつくって)動くところがダンス」と線引きしていたように思うけどそうじゃない! どちらもダンスだし、この作品ではむしろ椅子とからむほうが主役の「ダンス」なのだ。
椅子がするする動くのを外から見てるだけじゃ、いまいちわからなかったと思う。これは確かにわくわくするわ。
カウントをとって踊ることばかりしていたので、「止まって見せる」「見せるための時間をつくる」という発想がなかった。いちいち止まる。慣れないとなかなか止まれないが、なるほどね〜。私はマイムをごりごりにやることはないでしょうが(できないし)、マイムの発想はすごく勉強になる。
明るくてハイパーなAちゃんBちゃん、ふたりとも表に出す以上に隠している感情もあって、繊細な娘たちなのだなぁと一緒に稽古を重ねて思います。
ともかく最後までつなぐ。椅子を動かすのも座って立つのも押してすべらすのもみなダンス、ということを身をもって教えられ身をもって気づくと、なんて新鮮なんだろう。私は今日まで「椅子を使うところが段取り、それ以外で(振りで・かたちをつくって)動くところがダンス」と線引きしていたように思うけどそうじゃない! どちらもダンスだし、この作品ではむしろ椅子とからむほうが主役の「ダンス」なのだ。
椅子がするする動くのを外から見てるだけじゃ、いまいちわからなかったと思う。これは確かにわくわくするわ。
カウントをとって踊ることばかりしていたので、「止まって見せる」「見せるための時間をつくる」という発想がなかった。いちいち止まる。慣れないとなかなか止まれないが、なるほどね〜。私はマイムをごりごりにやることはないでしょうが(できないし)、マイムの発想はすごく勉強になる。
明るくてハイパーなAちゃんBちゃん、ふたりとも表に出す以上に隠している感情もあって、繊細な娘たちなのだなぁと一緒に稽古を重ねて思います。
気がつくと稽古の時間になっているのはナゼ? 今日はジャズダンスのレッスンもあって、そっち行きたかったのですが先生風邪で休講。あら不思議、これは稽古に行けってことですね…。行く前にフレッシュネスバーガーに寄って、先生の手が入って曲が合わなくなってしまったときのためにあれこれ聴きながら暗鬱たる気持ちで代案を考える。
稽古場に行くと、音楽もかかってなくて、既に来てる人たちは「話し合い」ながらなんかやってるわけ。しんねりむっつりした雰囲気が嫌で、iPodなので音楽聴きながら動く。自分、頭使い過ぎてると思った。昨日のカオスなミーティングのあと、今日来て、着替えながら「のまれてたまるか」と憤然と思った。自分を上げていかないと、のまれる(何に? よくわからんけど)。音楽聴きながら、凶暴にアップする。先生に呼ばれても気がついてなかったので笑われる。
3人揃って、先生が考えてくれたピースを自分たちの今までできたやつにはめてみた。あらあら不思議、まとまったではないですか。カオスほどけた。先生はちゃぶ台ひっくり返すようなやり方ではなく、今までのものを生かせるようにアイディア出してくれたのでした。ビデオ見て考えてくれたりしたんだと思う。椅子チームの将来有望なピースがゴミ箱にいかないですみました。
マイムのAさんが意味ある人、ダンサーBさんと私が意味ない人たちというくくり。意味なく踊っていい時間が公然と増えた。やったー。Bちゃんパンクなフラッシュダンスみたい。かっこいー。私、中途半端。考えよう。通してやってみる。面白い。やらされてる、じゃなくて初めて面白い、おかしいと思えた。この場の自分のい方、とっかかりがわかった。俄然面白くなる。自分のコミットメントも変わった。
音楽かけて通してやって撮ってみて、先生は「DEATHっぽくていいんじゃない」と笑っていた。デスって…。曲もOK。私はやっぱり曲を通して作品をイメージするというか、音楽を使って枠をつくるタイプなんだと思う。だからこう音楽にこだわる。
(小さく)よしっ。ビデオ見ると、自分のゆるいところ、すきがありありなので、精度を上げないと。限られた時間だけど、やろう。今年いちばんdestructiveにやるぞ。
稽古場に行くと、音楽もかかってなくて、既に来てる人たちは「話し合い」ながらなんかやってるわけ。しんねりむっつりした雰囲気が嫌で、iPodなので音楽聴きながら動く。自分、頭使い過ぎてると思った。昨日のカオスなミーティングのあと、今日来て、着替えながら「のまれてたまるか」と憤然と思った。自分を上げていかないと、のまれる(何に? よくわからんけど)。音楽聴きながら、凶暴にアップする。先生に呼ばれても気がついてなかったので笑われる。
3人揃って、先生が考えてくれたピースを自分たちの今までできたやつにはめてみた。あらあら不思議、まとまったではないですか。カオスほどけた。先生はちゃぶ台ひっくり返すようなやり方ではなく、今までのものを生かせるようにアイディア出してくれたのでした。ビデオ見て考えてくれたりしたんだと思う。椅子チームの将来有望なピースがゴミ箱にいかないですみました。
マイムのAさんが意味ある人、ダンサーBさんと私が意味ない人たちというくくり。意味なく踊っていい時間が公然と増えた。やったー。Bちゃんパンクなフラッシュダンスみたい。かっこいー。私、中途半端。考えよう。通してやってみる。面白い。やらされてる、じゃなくて初めて面白い、おかしいと思えた。この場の自分のい方、とっかかりがわかった。俄然面白くなる。自分のコミットメントも変わった。
音楽かけて通してやって撮ってみて、先生は「DEATHっぽくていいんじゃない」と笑っていた。デスって…。曲もOK。私はやっぱり曲を通して作品をイメージするというか、音楽を使って枠をつくるタイプなんだと思う。だからこう音楽にこだわる。
(小さく)よしっ。ビデオ見ると、自分のゆるいところ、すきがありありなので、精度を上げないと。限られた時間だけど、やろう。今年いちばんdestructiveにやるぞ。
今回の作品作りってどうしてこうもにょるのだろう?
私は大筋いいと思っていても、意識の高い二人がああだこうだと止める。止まる。問題点を見れない私の目が節穴なのかもしれないけどさ。
3人が3人とも100%納得することなんてあり得ない。…って言ったんだけど、二人はあると言う。完璧主義で止まったりひっくり返したりするより「とりあえず」進んだらどうよ、と思う私は世俗に毒されているのか。アートの世界では妥協ってだめなの?
個人ならいくらでも追求したらいいと思う。しかし時間の限りもあるグループワークなんだから妥協はせざるを得ないと思うし、それは当然だと思う。自分のやりたいことがあるなら、人の幸せなんて考えるな。あまりに人の同意を待っていると、納得を強いてるみたいだ。
二人とも好きだし、このグループでよかったと思う。けど激しくA!と主張したかと思えば取り消してみたり、じゃあBでもいいと投げやりになったり、感情の起伏にこっちは疲れる。二人ともまじめだし、過剰反応ぽいんだろうけど。
稽古の中盤で各グループ、できてるところまでご披露。自分たちのことは思い切り棚に上げるけど、なんか全体にあんまりよくナイ。
先生のつけた振りのお人形になってて、見てられないというか…下手でもいい、けど生気がないのはまずい。振りを上から与えられるのはしょうがないとして、それでも自分が自分でいるとっかかり(昨日書いたようなこと)をもって作品に入らないと自分が存在しなくなってしまう、と思う。それがいちばんよくない気がする。大体うちの先生のメソッドは、スーパーテクニックあってこそ映えるもんでしょ、と思うけれどそれがないわれわれとしては、型だけなぞって終わらしても何にもならない。
膠着してたんでうちのグループ、先生に体育館の裏にお呼び出し、じゃなくてモスバーガーで「ミーティング」。
この人たちなんて理屈っぽいのー。
なんかこの「作品について語る」みたいなシチュエーションが私にはカフカ的迷宮に思えてしょうがない。そんなかっこよくないか。
話に頭がついていってない私は、それぞれの性格特性を思ってひそかにこの「ミーティング」を面白がる。人が悪い。やっぱりシュールだな、この図。
私としては(クラブイベントなんだし)「あの人たち頑張ってるねー」とかいうのはどうでもよくて、どんな手を使ってもいいから見る人が楽しめるものになればいいと思う。
明日の稽古で先生が手を入れるそうだ。奴隷になりつつ型にはまりつつ、自分は自分のやり方で岩場にしがみつけ。私は自分の選曲が超かっこいいと思うし(そのことでも今日もめた。きれそうになったよ私)、その曲を通してこの作品をイメージしている。しかし先生ディレクションになってしまうと、自分の選曲では浮いてしまいそうで、音楽を彼に渡さざるの得ないのかもしれないと思うと鬱。
私は大筋いいと思っていても、意識の高い二人がああだこうだと止める。止まる。問題点を見れない私の目が節穴なのかもしれないけどさ。
3人が3人とも100%納得することなんてあり得ない。…って言ったんだけど、二人はあると言う。完璧主義で止まったりひっくり返したりするより「とりあえず」進んだらどうよ、と思う私は世俗に毒されているのか。アートの世界では妥協ってだめなの?
個人ならいくらでも追求したらいいと思う。しかし時間の限りもあるグループワークなんだから妥協はせざるを得ないと思うし、それは当然だと思う。自分のやりたいことがあるなら、人の幸せなんて考えるな。あまりに人の同意を待っていると、納得を強いてるみたいだ。
二人とも好きだし、このグループでよかったと思う。けど激しくA!と主張したかと思えば取り消してみたり、じゃあBでもいいと投げやりになったり、感情の起伏にこっちは疲れる。二人ともまじめだし、過剰反応ぽいんだろうけど。
稽古の中盤で各グループ、できてるところまでご披露。自分たちのことは思い切り棚に上げるけど、なんか全体にあんまりよくナイ。
先生のつけた振りのお人形になってて、見てられないというか…下手でもいい、けど生気がないのはまずい。振りを上から与えられるのはしょうがないとして、それでも自分が自分でいるとっかかり(昨日書いたようなこと)をもって作品に入らないと自分が存在しなくなってしまう、と思う。それがいちばんよくない気がする。大体うちの先生のメソッドは、スーパーテクニックあってこそ映えるもんでしょ、と思うけれどそれがないわれわれとしては、型だけなぞって終わらしても何にもならない。
膠着してたんでうちのグループ、先生に体育館の裏にお呼び出し、じゃなくてモスバーガーで「ミーティング」。
この人たちなんて理屈っぽいのー。
なんかこの「作品について語る」みたいなシチュエーションが私にはカフカ的迷宮に思えてしょうがない。そんなかっこよくないか。
話に頭がついていってない私は、それぞれの性格特性を思ってひそかにこの「ミーティング」を面白がる。人が悪い。やっぱりシュールだな、この図。
私としては(クラブイベントなんだし)「あの人たち頑張ってるねー」とかいうのはどうでもよくて、どんな手を使ってもいいから見る人が楽しめるものになればいいと思う。
明日の稽古で先生が手を入れるそうだ。奴隷になりつつ型にはまりつつ、自分は自分のやり方で岩場にしがみつけ。私は自分の選曲が超かっこいいと思うし(そのことでも今日もめた。きれそうになったよ私)、その曲を通してこの作品をイメージしている。しかし先生ディレクションになってしまうと、自分の選曲では浮いてしまいそうで、音楽を彼に渡さざるの得ないのかもしれないと思うと鬱。
今回の作品のつくり方、戸惑うことばかり…というのは前に書いた。マイムの視点が私にはわからないし(それもあるが、先生の発想が独特だから)、演技もできないし。同じチームで、演出助手の経験もある人が「(私は)演技しないで、例えば椅子がないということをダンス的に表せばいいんだと思う」と言った。やってみた。自由になった。
私はやはり動きの動機がもともと音楽にある人なので、この場を音楽を通して見ている。自分の感覚で、自分が感じるところのグルーヴでとらえていけばいいんだと思った。自分で「流れ」をつかんで動けばいいんだと思う。
パルコに入ったのが運のつき(?)、ニット衝動買い。前からかわいいと思っていた店。稽古から帰り思いついて夜中(てか朝ですか)にばりばりライヒを聴いた。なんてクールなの。
私はやはり動きの動機がもともと音楽にある人なので、この場を音楽を通して見ている。自分の感覚で、自分が感じるところのグルーヴでとらえていけばいいんだと思った。自分で「流れ」をつかんで動けばいいんだと思う。
パルコに入ったのが運のつき(?)、ニット衝動買い。前からかわいいと思っていた店。稽古から帰り思いついて夜中(てか朝ですか)にばりばりライヒを聴いた。なんてクールなの。
クラスに行く。あれこれ考えないで身体を動かせる…って正直、楽。ここはどうして、この次はどうする、とか、こいつはなんでこうなんだとかさ。なんか今日は癒しだったな。マネキンになるやつすごく好き。
その後、飲み会がありました。なぜか男女別に固まって座ってたんだけど、私は男子席のほうに混じっていて、話がすごく盛り上がったとかではないんだけど、あーひょっとしたら同性の集まり苦手なのかも、自分…という以前からの疑惑を思う。
先生は伝える(教える)気合十分で「自分のところは早く卒業して、もっと(レベルが)高いところへ言ってほしい」と話していた。言ってる意味はわかる。でもここじゅうぶん高いと思う。
帰宅したら既に明日になっていたけど、頼まれていた原稿(これまた遅れていた)を仕上げる気になって深夜、起きてる。
その後、飲み会がありました。なぜか男女別に固まって座ってたんだけど、私は男子席のほうに混じっていて、話がすごく盛り上がったとかではないんだけど、あーひょっとしたら同性の集まり苦手なのかも、自分…という以前からの疑惑を思う。
先生は伝える(教える)気合十分で「自分のところは早く卒業して、もっと(レベルが)高いところへ言ってほしい」と話していた。言ってる意味はわかる。でもここじゅうぶん高いと思う。
帰宅したら既に明日になっていたけど、頼まれていた原稿(これまた遅れていた)を仕上げる気になって深夜、起きてる。
既に日々が「椅子」。イレギュラーで稽古が入ってるので「今日、何曜だっけ」。人の命を預かるような仕事でなくてよかった。こんなに頭がお留守なようでは。そういえば、今日はじめてワードの差込み印刷できた。ずっと難しそうだと思ってたけど、なんとかひとりでできた。椅子メンバーのメール濃い。私は「間をとる」ってことも知らないし、そもそも演技なんてできない。慣れない演技なんてすると、背中がきゅーっと縮んでくる。稽古のある日は背中が固くなる。とにかく知らないことばかり、でも頑張って立とう。あぁ椅子は座るものだっけね。
アンチデモクラティック
2007年12月11日 ダンスもの稽古3回目。前回のものはほぼちゃらにして、新しい発想で新しくつくる。すっきりした。やってて単純に面白い。作品作りは民主主義でするものではなく、力と欲望があるものが勝つ。それでいいと思うけど、力が全然ふたりに追いついてない自分がやはり心のどこかで納得できてないんだと思う。ふたりにひっぱられてばかりで、作品ができていくのはいいんだけど、情けない。なんか言ってみても、自分に視点やセンスが足りないせいかスルー。ふたりは何をどう見るべきか、動かすべきかよくわかってるみたいだ。でもやっぱり私も、なんか入れたい。
このチームでよかったと思う。「きれいにまとまりたくない」を実現できそう。ただ、バカをやるのもやっぱり力とセンスが要るのだ。それでも前回より格段の進展。私が作品用に「これぴったし!」と思ってもっていったCD、ふたりに聴いてもらったらうけた。よかった、ほんとこれは嬉しい。「この曲使えたら、超かっこいい」と思うのが自分だけじゃなくて。あとは先生チェックだな。
各グループできてるとこまで、デモンストレーション。他の人の観ていて、うちが狙ってるとこは悪くないと思う(ふたりのおかげなんだけど)。なんで私こんなことやってるんだろう。生きるのめんどくさい、自分でいるのめんどくさい、って思いながらこんなことやってる。帰りは流れでみんなで帰るんだけど、神経のどこかが高揚しつつ変に疲れる。駅についても落ちつかなくて、ひとりであたりをちょっと散歩して帰る。
このチームでよかったと思う。「きれいにまとまりたくない」を実現できそう。ただ、バカをやるのもやっぱり力とセンスが要るのだ。それでも前回より格段の進展。私が作品用に「これぴったし!」と思ってもっていったCD、ふたりに聴いてもらったらうけた。よかった、ほんとこれは嬉しい。「この曲使えたら、超かっこいい」と思うのが自分だけじゃなくて。あとは先生チェックだな。
各グループできてるとこまで、デモンストレーション。他の人の観ていて、うちが狙ってるとこは悪くないと思う(ふたりのおかげなんだけど)。なんで私こんなことやってるんだろう。生きるのめんどくさい、自分でいるのめんどくさい、って思いながらこんなことやってる。帰りは流れでみんなで帰るんだけど、神経のどこかが高揚しつつ変に疲れる。駅についても落ちつかなくて、ひとりであたりをちょっと散歩して帰る。
ジャズのレッスン行く。先週よりいい。そのあとクリエーション稽古2回目。
椅子を1こに戻して、3人で動きを考えてみる→先生チェック→「その振りだと椅子じゃなくてもいいじゃん」となかったことにされる→かわりに一連の振りを与えられる→あーなるほどと思うが一同しょげる→しょげながらそのルーティンを練習する→その先を作ろうとするが動きのきっかけがわからず途方にくれる→先生チェック2回目→その先を与えられる→そうすっと作品は進むわけだが、自分たち納得しないまま進んで楽しくない→アイディアがないとどんどん先生ペースになるというこの辺が攻防。うちらの野望はどうなるのだ→でも振りを練習→ひとりがユニゾンを思いつき違う流れになる→それから始めのルーティン(基本パターン)を壊しながら繰り返そう、という意見→役を交代して初めから→いい感じに進むが新たなつなぎに悩む(宿題)。これで3時間。
3人で…とはいえ、自分以外の2人とも舞台経験豊富で、ひっぱってるのはほとんど2人。いつも自分がしているようなダンスとは発想が違うので、ここをこうしたら…というのも思い浮かばなかったり、的を射たこと言えなかったり、ぜんぜん非力だ。でも2人と組めるのはありがたいこと。先生にぽんと振りを渡されてむかついていたのも同意(笑)。2人のレベルが高いせいか、先生のオーダーも厳しい。
何を動きのきっかけにすればいいのか、わからない。そういうところで立ち止まってしまう。動きのラインを考えること(セッションハウスで春に習ったとき、舞台での自分の向きや動線を考えるってそういえばありましたね)。
私は頭回らなかったし、萎縮もしてた。もっと慣れたい。もっと慣れれば自分の動きかたや発想も違ってくるはず。2人に頼ってばかりでは情けないさー。
「3時間で考えが止まっちゃったり、身体が動かなくなったりでは君たちスタミナない」と言う。3時間やって身体を動かす体力と、動かそうとする気力は別物だって。椅子とは動きのきっかけとはラインとは。そんなことに集中して熱にうかされたような3時間。椅子チーム動きまくっていたわけでないので、身体はそれほど使ってないが、変なとこ疲れた。もっとふつうにしてていいんじゃない、私。帰って今日のことをまとめてみると、見えてくるものがあったり(そんなことしてると夜明けに近い深夜)。この熱は麻薬的だったりするのかもしれない。
椅子を1こに戻して、3人で動きを考えてみる→先生チェック→「その振りだと椅子じゃなくてもいいじゃん」となかったことにされる→かわりに一連の振りを与えられる→あーなるほどと思うが一同しょげる→しょげながらそのルーティンを練習する→その先を作ろうとするが動きのきっかけがわからず途方にくれる→先生チェック2回目→その先を与えられる→そうすっと作品は進むわけだが、自分たち納得しないまま進んで楽しくない→アイディアがないとどんどん先生ペースになるというこの辺が攻防。うちらの野望はどうなるのだ→でも振りを練習→ひとりがユニゾンを思いつき違う流れになる→それから始めのルーティン(基本パターン)を壊しながら繰り返そう、という意見→役を交代して初めから→いい感じに進むが新たなつなぎに悩む(宿題)。これで3時間。
3人で…とはいえ、自分以外の2人とも舞台経験豊富で、ひっぱってるのはほとんど2人。いつも自分がしているようなダンスとは発想が違うので、ここをこうしたら…というのも思い浮かばなかったり、的を射たこと言えなかったり、ぜんぜん非力だ。でも2人と組めるのはありがたいこと。先生にぽんと振りを渡されてむかついていたのも同意(笑)。2人のレベルが高いせいか、先生のオーダーも厳しい。
何を動きのきっかけにすればいいのか、わからない。そういうところで立ち止まってしまう。動きのラインを考えること(セッションハウスで春に習ったとき、舞台での自分の向きや動線を考えるってそういえばありましたね)。
私は頭回らなかったし、萎縮もしてた。もっと慣れたい。もっと慣れれば自分の動きかたや発想も違ってくるはず。2人に頼ってばかりでは情けないさー。
「3時間で考えが止まっちゃったり、身体が動かなくなったりでは君たちスタミナない」と言う。3時間やって身体を動かす体力と、動かそうとする気力は別物だって。椅子とは動きのきっかけとはラインとは。そんなことに集中して熱にうかされたような3時間。椅子チーム動きまくっていたわけでないので、身体はそれほど使ってないが、変なとこ疲れた。もっとふつうにしてていいんじゃない、私。帰って今日のことをまとめてみると、見えてくるものがあったり(そんなことしてると夜明けに近い深夜)。この熱は麻薬的だったりするのかもしれない。
あなたと椅子とわたし
2007年12月5日 ダンスものムーブメントのクラスで今月26日にショーイングをすることになり、その稽古が今日から始まる。全員無理やり参加ではもちろんなくて、希望する人だけなんだけど、顔合わせてみれば「来るだろうな」な常連およびひさびさの人々。「なんかやりたい」野望をもった人々が20名近く集まると正直言ってすごく暑苦しいです。私もそのうざい一員です。
しかし世界中のみんなが好きになれるわけもないのと同様に、苦手な人がいるのは当然で、ムリに好きになる必要はなくて関わり方(というか、かわし方)を考えればいいんだと思う。かわしてるうちに案外好きになるかもしれないし。
(1)椅子を使った動き(2)本を使った動き(3)コンタクトインプロ(4)振り、という4つのお題を3人組で一通りやってみて、その後、各自希望のグループにちゃちゃっと分かれる、という手はず。私はいったんは振りのグループに入ったのですが、2人だけだった椅子チームに「私あっちに移ります」と変えてしまった。先週、あれだけ振り写しでハッピーになっていたのにね。
振りチームはやっぱりダンス志向ぽい人が集まってて、「あぁー」と思った。前半でアップしていて、なぜだか「キレイなことはしたくない」と思った。「キレイにまとまる」落とし穴にはまりたくない。「椅子」の二人は自分とタイプの違う、実力派・個性的な女の子。「椅子」は自分から遠いところにある。3人という人数も私にはよかった。
グループワークでは欲望をもった者勝ち、というのに深く納得する。
今日3人でやってみて、「意味」というかシーンにとらわれ過ぎていたかもしれない。それはそれで面白いけど、そればかりでは続かないし重くなってしまうので、もっと無意味に動きの流れをつなぐことをやってみたらいいかもしれない、この次は。でも私の野望としてはやたらスムースに流したくはない、というのもある。考えてみれば「椅子」いちばん難しいんじゃないだろうか。
…とか書いてほけっとしていたらディレクターから電話がかかってきた。「椅子を3つ使っていたけど、扱うものが増えるとどうしてもシーンにとらわれる。自分としてはフィジカルに落としていきたいので、椅子を1つにしてやってみる方向も考えてほしい」とのこと。私も次回はシンプルに椅子1こからコンタクトインプロ的に練習したらどうかな、と思っていたのでそれはまったく全然かまいません。
「シーンにとらわれると、どうしても演劇的になってしまう。演劇とダンスの中間を狙っているので」もちろんそのどちらか一方でもいいんだけれど、これは彼のディレクション枠だから、ということですね。みかけの手法は4通りでも、結局どれもダンスだと思うから…などなど。了解。わざわざ連絡してくれるとはそんなに椅子チームの行く末危なげだったでしょうか。しかし午前1時近いっちゅーのに、アーティスト(で誠実な指導者)だなぁ。びっくりしたけどなんか感動)
稽古は全7回ですが、離れていても私たちは「椅子」について考え続けるでしょう。クリスマスとは無関係なイベントですが、こういう環境で作品づくりに関わらせてもらえることは私には恵みに他ならない。読み終わるのが惜しいようなミステリーをもらったというか。大事に過ごして、大事につくろう。
しかし世界中のみんなが好きになれるわけもないのと同様に、苦手な人がいるのは当然で、ムリに好きになる必要はなくて関わり方(というか、かわし方)を考えればいいんだと思う。かわしてるうちに案外好きになるかもしれないし。
(1)椅子を使った動き(2)本を使った動き(3)コンタクトインプロ(4)振り、という4つのお題を3人組で一通りやってみて、その後、各自希望のグループにちゃちゃっと分かれる、という手はず。私はいったんは振りのグループに入ったのですが、2人だけだった椅子チームに「私あっちに移ります」と変えてしまった。先週、あれだけ振り写しでハッピーになっていたのにね。
振りチームはやっぱりダンス志向ぽい人が集まってて、「あぁー」と思った。前半でアップしていて、なぜだか「キレイなことはしたくない」と思った。「キレイにまとまる」落とし穴にはまりたくない。「椅子」の二人は自分とタイプの違う、実力派・個性的な女の子。「椅子」は自分から遠いところにある。3人という人数も私にはよかった。
グループワークでは欲望をもった者勝ち、というのに深く納得する。
今日3人でやってみて、「意味」というかシーンにとらわれ過ぎていたかもしれない。それはそれで面白いけど、そればかりでは続かないし重くなってしまうので、もっと無意味に動きの流れをつなぐことをやってみたらいいかもしれない、この次は。でも私の野望としてはやたらスムースに流したくはない、というのもある。考えてみれば「椅子」いちばん難しいんじゃないだろうか。
…とか書いてほけっとしていたらディレクターから電話がかかってきた。「椅子を3つ使っていたけど、扱うものが増えるとどうしてもシーンにとらわれる。自分としてはフィジカルに落としていきたいので、椅子を1つにしてやってみる方向も考えてほしい」とのこと。私も次回はシンプルに椅子1こからコンタクトインプロ的に練習したらどうかな、と思っていたのでそれはまったく全然かまいません。
「シーンにとらわれると、どうしても演劇的になってしまう。演劇とダンスの中間を狙っているので」もちろんそのどちらか一方でもいいんだけれど、これは彼のディレクション枠だから、ということですね。みかけの手法は4通りでも、結局どれもダンスだと思うから…などなど。了解。わざわざ連絡してくれるとはそんなに椅子チームの行く末危なげだったでしょうか。しかし午前1時近いっちゅーのに、アーティスト(で誠実な指導者)だなぁ。びっくりしたけどなんか感動)
稽古は全7回ですが、離れていても私たちは「椅子」について考え続けるでしょう。クリスマスとは無関係なイベントですが、こういう環境で作品づくりに関わらせてもらえることは私には恵みに他ならない。読み終わるのが惜しいようなミステリーをもらったというか。大事に過ごして、大事につくろう。
「うちこめることがあっていいですね」ってたまに言われる。そうか?何かにうちこまなくても楽しかったり生きてる甲斐があったりするならそれで、というかそのほうがいいんじゃないだろうか。
好きな作品、好きな振りというのはあっても、私は自分の踊りが99%いいと思えない(ほとんど気に入らない)。ジャズダンスさっぱりうまくならないしさ!きー。
「右(右軸;左回り)が全然だめだね」っと笑顔で先生に言われる。「頭と身体がばらばら」「不安が身体に出てる感じ」とつけつけ言われること言われること。私も記録のためにつけつけ書いておくが。「頭のなかまっしろにしてやってみ」って。それもなかなか、私のような頭でっかちタイプには難しいんだけど、やらないと何も進まないし。まぁつけつけ言われたほうがいいんだと思う。この先生、前はこうは言わなかったから。
スタジオの受付で「雑誌見た? 載ってるやつ」と言われる。秋の発表会にあまたある無料ダンスマガジンのひとつが取材に来てたのは知ってたけれど、今日はじめて掲載誌を見てびっくりした。
A4版一ページもらってて、そのすみっこに「編集者が選ぶベストナンバー」としてうちらの作品が写真入りで(ちっちゃく)載っている。「コンテンポラリーダンスのような不思議な空気感を持ちつつも、物語性のある作品」だって。ストリート系雑誌なのに…これはほんとに嬉しい。私自身は力不足と感じていましたが、(知り合いでもないのに)作品に入り込んでここまで観てくださった方がおられるとは、思わぬところでご褒美もらったような気持ちです。
好きな作品、好きな振りというのはあっても、私は自分の踊りが99%いいと思えない(ほとんど気に入らない)。ジャズダンスさっぱりうまくならないしさ!きー。
「右(右軸;左回り)が全然だめだね」っと笑顔で先生に言われる。「頭と身体がばらばら」「不安が身体に出てる感じ」とつけつけ言われること言われること。私も記録のためにつけつけ書いておくが。「頭のなかまっしろにしてやってみ」って。それもなかなか、私のような頭でっかちタイプには難しいんだけど、やらないと何も進まないし。まぁつけつけ言われたほうがいいんだと思う。この先生、前はこうは言わなかったから。
スタジオの受付で「雑誌見た? 載ってるやつ」と言われる。秋の発表会にあまたある無料ダンスマガジンのひとつが取材に来てたのは知ってたけれど、今日はじめて掲載誌を見てびっくりした。
A4版一ページもらってて、そのすみっこに「編集者が選ぶベストナンバー」としてうちらの作品が写真入りで(ちっちゃく)載っている。「コンテンポラリーダンスのような不思議な空気感を持ちつつも、物語性のある作品」だって。ストリート系雑誌なのに…これはほんとに嬉しい。私自身は力不足と感じていましたが、(知り合いでもないのに)作品に入り込んでここまで観てくださった方がおられるとは、思わぬところでご褒美もらったような気持ちです。
いわゆる「踊り」の、その先へ
2007年11月29日 ダンスもの踊りにせよ演劇にせよ、何者かになろうとしている若い人たちを見ると、自分のしていることで別に自分を証明しなくてもいいやー、という境地にいられるようになったのは楽だなと思う。まぁ「境地」てか「世界の果て」みたいな荒んだ場所だけどさ。若い頃は「アイデンティティ」問題をそりゃ悩んだものです。今では「歩けば自分の足跡がつくんだからそれでいいじゃん」てなものだ。
ムーブメントのクラス、今までにないことを今日はやりました。それは「振り」で動くこと。この先生に振りをもらうだけでも、それは凄いことなんだけど、ふだん使わない鏡を開いたりして、いつもと違うふんいき。何回も何回も繰り返して振り写しする。
3,4人で振りを踊って、それから自分でニュアンスを入れて、それから出入りも考えて、通す。やってるときは必死だったので気がつかなかったけれど、帰り道に呆然となる。こんなことをやらせてもらえるとは。私は「できてない×350」くらいだし「まだまだ×無限大」だけど、こんなことをやらせてもらえるなんて、こういうのすごくすごく好きなのだ。「感動」と言っていいくらいの気持ちになり、音楽を聴く気にもならない。それより振りを忘れないように頭のなかで再生。
オリジナルも入ってないのに、「自分のニュアンス入れて」なんてさ、殺生な話だけど、こういう体験をさせてくれることに強烈に幸せを感じる。今さらながら先生の身体の運び方にすごく納得する。これがたったひとつの理想型ではないけれども、私が「こうありたい」と思うような踊りの発想のひとつの具現であることに気づき、やたら心打たれる。
先生のまねっこはできないし、彼の動きは彼ひとりのものだけれど、この先生に見てもらえる場のなんと貴重なこと。私は自分をどこかに置いてきたような空っぽさで動けるようになりたい。
踊りって合理的につくられているものだと思う。バレエとかは違うのかもしれませんが。身体の自然に沿っているはず、と思う。だからそういう使い方をしたいんだけど、自分のよくないところ(癖)は、いわゆる「踊り」で止めることだと今日も思った。とりあえず、じゃなくてもっと解放できるところがその先にあるはずだ。
高揚してるのでわけわからんこと書いてるかな。「面白かったです。もう10分やりたかったです」と正直な感想を伝えて帰る。
ムーブメントのクラス、今までにないことを今日はやりました。それは「振り」で動くこと。この先生に振りをもらうだけでも、それは凄いことなんだけど、ふだん使わない鏡を開いたりして、いつもと違うふんいき。何回も何回も繰り返して振り写しする。
3,4人で振りを踊って、それから自分でニュアンスを入れて、それから出入りも考えて、通す。やってるときは必死だったので気がつかなかったけれど、帰り道に呆然となる。こんなことをやらせてもらえるとは。私は「できてない×350」くらいだし「まだまだ×無限大」だけど、こんなことをやらせてもらえるなんて、こういうのすごくすごく好きなのだ。「感動」と言っていいくらいの気持ちになり、音楽を聴く気にもならない。それより振りを忘れないように頭のなかで再生。
オリジナルも入ってないのに、「自分のニュアンス入れて」なんてさ、殺生な話だけど、こういう体験をさせてくれることに強烈に幸せを感じる。今さらながら先生の身体の運び方にすごく納得する。これがたったひとつの理想型ではないけれども、私が「こうありたい」と思うような踊りの発想のひとつの具現であることに気づき、やたら心打たれる。
先生のまねっこはできないし、彼の動きは彼ひとりのものだけれど、この先生に見てもらえる場のなんと貴重なこと。私は自分をどこかに置いてきたような空っぽさで動けるようになりたい。
踊りって合理的につくられているものだと思う。バレエとかは違うのかもしれませんが。身体の自然に沿っているはず、と思う。だからそういう使い方をしたいんだけど、自分のよくないところ(癖)は、いわゆる「踊り」で止めることだと今日も思った。とりあえず、じゃなくてもっと解放できるところがその先にあるはずだ。
高揚してるのでわけわからんこと書いてるかな。「面白かったです。もう10分やりたかったです」と正直な感想を伝えて帰る。
この夏、自助グループのイベントでした自分の話(テープ起こししてくれた原稿)の校正を返さなきゃいけないのだがまだ送れてない。それに添える自分のプロフィールが書けないから。自分を「説明」するそばから、それはどうでもいいことのような気がしてくるのだ。
ムーブメントのクラスへ行く。いろいろやって、最後にいちばん疲れるジャンプ…。気持ち悪くなる一歩手前くらいまで跳びましたよ。先生が「もっと(身体を)投げ出せ」「守りに入ってんなー」っていうのは頭ではわかるんだけど、身体が抜けてくれない。さんざん跳んで、力抜けたかなと思えたのは1回か2回。あとは身体を床に叩きつけていたというか。そういうの(自虐なやつ)自分は好きなんだけど趣旨が違うか。空中に放ったタオルみたいに身体が「くたっ」てなったらどんなに動きの説得力が増すことだろう。
自分の動きは見れないので、人の振り見て…ということなんだけど、ダンスっぽい手や脚がよくない意味で気になる。そうゆうところに落ち着きやすいし、「この素敵な(or ○○な)私を見て」ってとこにも行きがち。でも「こんなにグラマラスな私」とか「かっこいい俺」みたいなところに「踊る自分」を規定してしまうと行き止まりでつまらない、と私は思う。
…「私は思う」って前からきっぱり思ってたわけじゃなく、そういうところから、ようやく自由になれたのかなとこの頃思う。
前にも書いたかもしれないけど、一年前と今では、人や自分の身体、空間(床とか)に対する緊張が減っているように感じる。ここであれこれオーダーが出て、動く前の精神的な障壁が減ったような。急に上手くなったとかじゃなく、その場でどんな自分が発生しても揺るがない、というか、わたしはわたし、というか。前より自分を晒しやすくなった。自分を説明したり価値づけたりせずに居られるようになると楽だしやってて面白いし、強くなれる。無名で手ぶらでかっこいい人に私はなりたい(上で書いたこととは矛盾しない)。
↑に書いたイベントで、私は「ソロを踊るのは怖いけど、自分を人前に晒すと赦されたような気になる」と話したんだけど、そうやって自分で自分を赦しているのかもしれない。
帰り、クラスの子と一緒になる。たまにしか会わないのに、ダンスや身体を使うことの話で盛り上がる。駅のホームで電車が出るまで手を振って見送ってくれた。明日から連休。心から嬉しい。
ムーブメントのクラスへ行く。いろいろやって、最後にいちばん疲れるジャンプ…。気持ち悪くなる一歩手前くらいまで跳びましたよ。先生が「もっと(身体を)投げ出せ」「守りに入ってんなー」っていうのは頭ではわかるんだけど、身体が抜けてくれない。さんざん跳んで、力抜けたかなと思えたのは1回か2回。あとは身体を床に叩きつけていたというか。そういうの(自虐なやつ)自分は好きなんだけど趣旨が違うか。空中に放ったタオルみたいに身体が「くたっ」てなったらどんなに動きの説得力が増すことだろう。
自分の動きは見れないので、人の振り見て…ということなんだけど、ダンスっぽい手や脚がよくない意味で気になる。そうゆうところに落ち着きやすいし、「この素敵な(or ○○な)私を見て」ってとこにも行きがち。でも「こんなにグラマラスな私」とか「かっこいい俺」みたいなところに「踊る自分」を規定してしまうと行き止まりでつまらない、と私は思う。
…「私は思う」って前からきっぱり思ってたわけじゃなく、そういうところから、ようやく自由になれたのかなとこの頃思う。
前にも書いたかもしれないけど、一年前と今では、人や自分の身体、空間(床とか)に対する緊張が減っているように感じる。ここであれこれオーダーが出て、動く前の精神的な障壁が減ったような。急に上手くなったとかじゃなく、その場でどんな自分が発生しても揺るがない、というか、わたしはわたし、というか。前より自分を晒しやすくなった。自分を説明したり価値づけたりせずに居られるようになると楽だしやってて面白いし、強くなれる。無名で手ぶらでかっこいい人に私はなりたい(上で書いたこととは矛盾しない)。
↑に書いたイベントで、私は「ソロを踊るのは怖いけど、自分を人前に晒すと赦されたような気になる」と話したんだけど、そうやって自分で自分を赦しているのかもしれない。
帰り、クラスの子と一緒になる。たまにしか会わないのに、ダンスや身体を使うことの話で盛り上がる。駅のホームで電車が出るまで手を振って見送ってくれた。明日から連休。心から嬉しい。
先週は仕事が押して遅刻するわ、体調悪いわと超フキゲンだったのですが、今日は余裕でクラスに出る(そんな最悪のコンディションでそういえば先週は無茶苦茶ハードなメンズメニューだった…)。
ひとりで立つわたしのからだ。ここに来ると身体の孤独性を感じる。「それって何」と言われると困るけどなんつうかどこにいってもひとりなのは同じだが、こういう場では「ひとりである」ということをニュートラルに受けとめられる、というか。ひとりということに余計な意味がつかない。
あれこれやってると先週と自分の動き方、関わり方が違うので「風邪よくなってきてるんだな」とわかる。それから自分の身体、どのくらいかわからないけど、ちょこっとでも変わってきてるのかもしれない。どうだろ。なんかちょっと嬉しかったなー。
調子が良いので一駅ぶん歩く。ふだんいかに呼吸を止めているか気づかされ、歩道橋の上で息を大きく吸って吐く。
ひとりで立つわたしのからだ。ここに来ると身体の孤独性を感じる。「それって何」と言われると困るけどなんつうかどこにいってもひとりなのは同じだが、こういう場では「ひとりである」ということをニュートラルに受けとめられる、というか。ひとりということに余計な意味がつかない。
あれこれやってると先週と自分の動き方、関わり方が違うので「風邪よくなってきてるんだな」とわかる。それから自分の身体、どのくらいかわからないけど、ちょこっとでも変わってきてるのかもしれない。どうだろ。なんかちょっと嬉しかったなー。
調子が良いので一駅ぶん歩く。ふだんいかに呼吸を止めているか気づかされ、歩道橋の上で息を大きく吸って吐く。