Freedomland

2008年12月4日 ダンスもの
・制限時速50キロのところ30キロで走行してるかのような仕事っぷり。先週は70キロくらい出してたので均せばだいじょうぶ、なのか?

・ちょっと高かったけど、ジャスミンのハンドクリームを買う。珍しいと思いテスターで試したら、やっぱり他にない高貴な香りだった。

・クラスで背中意識向上メニュー。私には願ってもないトレーニングなのですが、なんかうまくできない。肩甲骨のあいだの背骨に意識を向けるのが難しい。シンプルなことをやってるんだけど、だからこそ身体や意識の癖が出るんだろう。背中をまるめるにしても、自分が力を入れ過ぎていること言われるまで気づかなかった。もっと力を抜いてやってよいのだった。

・床を転がるとき、終わりの頃に「あと3メートルほしい」とか思うけどそれは私が出だし盛り上がらないからでもある。でもこれ楽しい。振りを踊るより、よっぽどこういうほうが好きだったりする。ほふく前進みたいなやつ、てかそのものな気がするけど、それで後ろ向きに進むのが新鮮なきつさだった。何に使うんでしょう、これ。

・大振り系の新しいワーク、例によって後であーやればこーやれば、って思う。昨日はいいこと聞いた、と思ったけど、セオリーがわかってもそれをすぐには身体に移せない。手を指の先までのばすこと。これもよく言われるがつい気を抜いてしまいがち。あれもこれも…。しかしミリ単位で見て言ってくれるのはほんとうにありがたいです。

・「メンタルブロック」レゴでなく、メンタルヘルスの話でもない。身体の可動域を「ここまで」とその先を自分でブロックしてしまうこと。思っているより、もっと伸ばせる先はいつもあるのに。

・私はそもそも自分の身体をさらすこと自体が恥ずかしいし、こわい。自信ない。そういうとこでなんでだかこういうことをやってるので、ブロッカー確かにあると思う。こう動かさねばならない、こう動かしておけば安全、だとか、自分を防衛するための思い込みに表現が縛られてるんじゃないか、とよく考える。

・どこへどう出してもよくて、今まで行ったことのないところへ行く、たぶんほんのちょっとの勇気。それを自由という。
身体の右側がはっている。いつでも眠くてレッスンが始まるまでドトールで寝てたら向かいの席にまさにこれから行かんとしているレッスンの先生が座っているではないか。気づいてなかったそうです(ほんとかな)。どんだけ稽古しても報われるとかいうこともない。リボンがかかった何かを渡されるとか絶賛されるとか、そういうのはなくても続けてきたからわかることとか、出会えることというのはある。ずっと昔、ダンスを始めた頃に「ああいうふうになれたらいいな」と思った地点は越したのかもしれないが、そのモデル自体が既に自分の理想ではなくなっている。とにかくきりがない。ああいうふうになれたら…が、どんどん先へ行く。ダンスで「できない」ということに、どうして私はずどんと落ち込むのだろう。できなくてもあっけらかんとしている人もいるのに。何か重いものを賭けちゃっているんだな自分。レッスン後のリハ、発表会に出ないでレッスンに出てるのは私だけなので、ひとりで帰る。自分で選んだことだけど、こういうのは寂しいっす。発表会やそれに出る人たちについて、あれこれ書いたけど、ダンス道は人それぞれだから、もう言わないことにする(たぶん)。各々が好きなようにやればいいじゃん。

帰りの電車で「みんな自分と自分の大切な人のことしか考えてない」とか考える。そんなこと考えてる自分も自分のことしか考えてない。さむざむしい。「愛は負けても親切は勝つ」ってヴォネガットが言った(てか、書いた)。そんなこと唐突に思い出し、さんせい、と思う。愛があるにこしたことはないが、親切あったほうが世のなか手っ取り早く明るくなるのではないだろうか。

前の時間のレッスンの先生がいいこと言ってた。「重みをちゃんと感じて動いて」その先生が実演すると、重みをしっかり落として動くのとそうでないのとでは、生花と造花くらい違うのがわかる。

ダンスとは重心の移動なり。重さを先へ運んで運んで、なめらかに送って送って。ダンスは止まることがありません。重さをしっかり感じると、重さが次の動きを導いてくれる。そういう動きはつぼみが開くように自然でうつくしい。
脚が筋肉痛ぎみ。身体を使ったせいというより、昨日はいてたパンプスのせいではないかと思う。こういうのがいちばん腹立たしい。何にもならん。レセプションが終わって今週は早くも山を越え気が抜けた、かも。引越し先の島は静かで先住の方々もよくしてくれます。

レッスンに行く。前にも書いたけど、火曜は先生も身体がバリバリ効くし、動ける人が多いのでレベル高っ。自分はおずおずとやってます。先生が、大丈夫?ってこっち見るけど、大丈夫じゃないけど大丈夫です、質問できるとかいうレベルじゃないです。私はまだこのクラス慣れなくてちじこまってる。難しいしね。今日初めてぶらっと来た人に「大丈夫ですか?こういうのは気合ですよ、気合」とかいきなり言われ、かなりむっとした。躊躇もしてたけど実際、場所がなくて動けなかったのだし、だいたいその人も大丈夫でもないのに。ほっとけよ。一瞬、かなりむっとした。勝手に気合入れてろ。その人は終始ぼそぼそなんか言ってて、よくわからん。ここ、正直言って肩身狭いけど、上手い人はもちろん、そこそこでも前に出る気概がある人って、偉い。ずうずうしいことって大事、と別のダンスの先生も言ってた。頼りないけど、私は時間かけてなじんでくしかないね。しかしキレイでダンスも上手な人ってほんっとうらやましいなー。

1-2-3-4-5.6

2008年12月1日 ダンスもの
・東京某所にてレセプションの手伝い。その「某所」はいわゆる人気スポットのひとつで、初めて行ったけどなんだか薄っぺらい感じがしました。なんのポリシーもないクリスマスデコレーション、「売らんかな」という意気込みすらない、というような。

・3週間前くらいからそのビジネス宴の準備をしてて、告知は遅いし忙しい時期だし、で当初は招待状送っても断られまくり、「誰かのお誕生会?」てな人数ほどしか集まらなかったけれども、フタをあけてみたら「盛会」と言っていいくらいの集いになったようでよかったよかった。

・そしていわゆるパーティ料理もだーっと並べられていたが、あとは若い者に任せて、飲み食いもせずクラスへ行った。5分遅刻くらいで着いたけど、やはりこのクラスに限っては早めに着いてごろごろしてなじませてから出るのがいいですよね、と思った。

・短い振りを教わる。そしてそのリバース(逆側)。初めの向きだとできたのに、リバースすると崩壊。こういうのちゃんと身体におさめられる頭になりたいと思う。今日はやりそこねたことやらもうちょっとでできそうなことやらあって、もう一回これやりたいと思うことしきり。砕け散ったまま歩き電車に乗る。

・もんのすごく早い6拍子、というのも難しい要素。ほんとうに6拍子ですか、と訊くとそうだと言う。でもいわゆる6拍子じゃないんじゃないですか(意地になってるわけでなく)とさらに訊くと「そうだねー、12分の8くらいかな」だって。ひょえー。そこまでわかりませんが、イーブンでないというかあと2拍がたたみ込まれてる気がした。

・いわゆる6拍子ってシンクロニシティーとかさ、とも言うので頭のなかで2のほうを思い浮かべてへえそうだっけ?と思い帰ってからITSで聞いてみたら1のほうだった。うち(実家)にあるのはアナログだけ。ひさびさにポリス。ついアマゾンで買う。

でね…

2008年11月29日 ダンスもの
火災報知機の取り付けの人が「午前中」に来ると聞いていたので、こういう意場合は9時だろうなと思っていたら8時50分にもうピンポンされて慌てる。設置自体はすぐ終了。フロアの広い地元ユニクロで小物中心にまとめ買い。ベルト壊れたまま、ずーっと買いそびれていたのでいいお買物ができました。

土曜のレッスンの先生も、それぞれに向けて注意をしてくれるので、いい。振りを入れるだけでなく、「深い表現」ができるように。こういうことまで言ってくれるレッスンは面白い。

- ダンスは言葉である。

- 流れのなかで止まったり、落ち着いてしまったりしない。「「止まる」ことは、正確には(次の流れへ向けて)内側で動き続ける。「止まる」という動き。止まることによって次の動きへの流れが切れないように。先へ先へと身体を送り続ける。

- 「止まるポーズ」に思えるところでも、意識は止めない。「でね…」「だから…」「そしたら…」と接続詞を用いるかのように「おしゃべり」を続けてゆく。

- 踊っているとき「視界を常に広く」もつ。恥ずかしかったり、かー、と気が上がってしまいがちなのでなかなかこれも難しいが、視野を広げるというか意識できる範囲を広くできれば、絶対変わると思う。その場での自分が広がる。動きがより強い、しっかり届くものになるはず。


ただきちんとやるのでなく、前にがっと出られるように、「表現が立つ」ようになりたい。

人が減る

2008年11月27日 ダンスもの
・失われた人との関係を数えてみたら愕然とした。クラスにもそのままひきずる。滅入ってしょうがない。

・椅子と机を使い(動きのイメージの助けにする)、ペアで短いシークエンスをつくった。みんなの作品がそれぞれユニークで面白い。空間もちゃんと使ってる。短い作業時間なのにできないという人がいなくて、すごいと思う。そしてそれぞれの志向に応じて動きが見やすく、きれいになってるのもすごい。

・自分は共同作業がやっぱり苦手で、考えが自由になれてない感じした。

・「べつのものに生まれたかった」とか思ってしまう。自分でいいところ見つけなくちゃいけないんだろうけど、自分のことなかなかいいと思えない、そういう弱点。
「あーもうムリ、仕事終わりっこない」と夢で自棄になってたら、現実も似てた。幸い今日の分は終わりました。寝不足のわりによく働いたと思います。片手ジャンプの練習法を火曜レッスンの先生に訊いてみたら(まだあんまりなじんでないので訊きにくかったけど)、腕で支える基本は逆立ちだそうだ。「逆立ちができるとわりといろんなことができるようになります」、だそう。「今度、倒立(または倒立ちっくなこと、倒立的なこと)しましょう!」とか言われる。なんかヤブヘビだわ。私は逆立ちできないしコワイ。でもやれってならやるんだろうな。この年になってどこへ行こうとしてるんでしょう。このスタジオ、上手な人が多いなか、とりわけ目をひく人がいる。身体が植物のようにしなやかに伸びること!たたずまいも桔梗のようで素敵。彼女なら舞台でも見てみたい。見せることを生業とする(しようとする)、あるいは自己証明とする(しようとする)人は、エゴの保ち方が難しくはないだろうか。おそらく若ければなおさら。身体を動かす場で、人々のなかで、よくそんなことを考える。無理なく自然体でいられる人もいるんだろうけど。それは(いずれ)パフォーマンスにも隠しようなく現れると思う。
・それで冷たい雨が降るなか、↓のあとクラスへ行く。

・自分はちゃかちゃか動いているつもりでも「足が止まってる」と言われる。というのはやはり自分でやってて迷いというか逡巡する瞬間があるから、そこで身体が止まってるんだろうと思う。それは自分で「瞬間」と感じるよりは長い時間に見えるのかもしれない。

・反対側を意識する。右手を右斜め上に伸ばしていたら、身体を左斜めにひっぱる力を意識する。…というのは自分で考えていたつもりだったのだが「もっと身体を使って」と言われる。

・ということは直されてわかったのだが、身体が正しく両方のベクトルでひっぱられているときは、「いつもと違う感じがする」。つまりいつも自分でちゃんとのばして使ってるつもりでも、それはそうじゃなくて、「その先」があるということ。右手(身体の一部)に導かれて、それに自分がひっぱられて動く、という感じがそのときわかりました。わざとっぽくなくフロアに入れる。

・ふと思いついてやってみたことがうまくいったらしくてよかったです。
とにかくハロウィーン終わるとクリスマスの飾りつけだのイルミネーションだのが始まってしまうので、実際のクリスマス・シーズンにはその概念が既にworn outっちゅーか、消費し尽くされており、皮肉なことにむしろ11月末の今頃が旬なんじゃ…という気がする。

「身体の各パーツはできているから、力を抜いて全体をまとめられるといい」と言われる。またしても「力を抜く」。人を見ていて「あの人力入ってる」と思うことはあるが、動いているときに自分のどこにどう力が入り過ぎているのか、なかなか気づきにくい。全身を連動させる(コーディネーション)というのが、私は前から苦手。なんでだかブロックしてしまい(←それが力が入ってるということ? 変に止めるというのが)、全身に意識が行き渡らない。不必要な力は抜いて、全身を有機的につなげる意識をもつこと。

来年1月のワークショップに申し込む。1週間でショーイングまでもってくので、きついかなとか、ついていけるんだろうかと迷ったが、えいっと決めた。申込みの電話を受けた方が私のことを覚えていて「楽しみにしています」と言ってくださったので、ほっとする。面白そうだし、誕生日に稽古漬けというアイディアに大いに惹かれる。緊張のどきどきもあるけど、「つくる・見せる」機会にやはりわくわくする。久しぶりの感覚。
・さむい!

・再びピチカート・ファイヴ「JPN」。外で(iPodで)聴くのは初めて。街が音についてこれない。Happy/Sadの配合が絶妙で悲しくなる。とにかくツボを心得た音作りにつくづく作り手の音楽的基礎体力というか素養の豊かさを感じる。嘘をつくならこれくらいの精度があってほしい。「悲しい歌」が最後から3番目でよかった。これがラストだとうちのめされたまま終わってしまう。さすが。

・そして自分の精度はというと、がたがた。これまでかつてないほど注意され怒られました。(コンタクトのとき)「足が止まってる」「止まるな」って、はい~。しおれるけど言われてるのぜんぶほんとのことだからな。

・コンタクトが苦手なことバレバレ。ついでに言えば私は動きを見てとったり、感じとったりする力も弱い。すぐ緊張して固まる。てなことも既にさらされてるに違いない。

・クラスの前に「片腕で身体で支える方法」をいくつか教えてもらったんだけど(手で床を「押し戻す」・スライディングも手で支えてひざをソフトに落とす・左手の力がやっぱり弱い)…結局「大技」をやってみせてもらうことになってしまった。想像つかなかったことではないので、自分勝手だったと思う。本当にごめんなさい。これはとても難しいのだそうです。

・以前、読んだ横尾忠則の本に「執着はよくない、軽い想いで」とあったのを思い返している。もっと気を軽く、1コに自分を集めない、とか思うけれども…そういう境地でもまだない気がする。そんな融通、きくか?

・アクロバティックだからどうなの、ってやっぱり思うけど、いわゆる「レッスン」ではできなければ自分は見てもらえないから。とかACぽいこと言ってみる。こと自分に関してはやはりどこかで「そのままの君でいい」なんて信じてない。
人口過密なところでフロア練習するのはストレスだ。昨日も今日もアクロバティックな技が振りに入るが、手に乗る(腕で支える)という感覚がまだよくわからない。しかも片手だよ。こういうのできるようになりたいと思う。「だから何?」ちゅーのもあるにはあるけど。それまでつーんと踊ってていきなりアクロバティックになったところで、どうなの。踊る人たちばかりだと、つまらない。私もつまらない人になってるのかもしれない。上手な人Aと上手な人Bと、おんなじようだったり。「できる/できない」の振り分けだけじゃないと思うんだけどここだとそれにひきずられるのが悔しい。ダンスってもっといろいろだと思うんだけど。その先が面白いんだと思うんだけど。
いっぱいいっぱい、先生から声もかけられませんが火曜のレッスンに出ています。様子見つつ続けるつもりだが、なんか私、「和気あいあい」な雰囲気のレッスンって苦手だ。集中するときはしたいし、別におしゃべりもいちいちしたくない、というのが本音。つい愛想笑いなどしてしまうが、止めよう。ただ稽古すりゃいいわ。ここの発表会ポリシーはよくわからない。この先生も他にリハの時間とれず、レッスンも代講の見込みありなのに、そこまでして発表会ナンバー出す意味あるのか?プロ志望らしい、スタジオ子飼いの人々。仕事にしたいなら発表会ごときに時間かけてないで(5曲も6曲も出るんだとか)、よそに教わりに行ったりオーディション受けに行ったらどうなんだ、と老婆心。別にかれらのためを思っているのでなく、ハイエナちっくに「発表会」に群がる子たちがなんかちっと好きになれないだけ。
・自分の利き手じゃない側をよく注意される。それで気をつけていたら確かに左のほうが右より開発されてない。その話を帰りにクラス友にしたら、彼女が言うには「左手で箸をもって食事したら、なんだか新鮮」だったんだそうだ。

・理屈はわかっているつもりで、でもそのキモがわからないワークがある。やってても自分がマンネリになってるのわかるし、面白くないから。それでも続けてやってるといつか別の回路にスイッチできて、「あぁ!」ってなるのかな、と思う。

・今日はなんか(って仕事方面でしょう)の怒りを「これでもか」とフィジカル・トレーニングにぶつけてるな、と思いひとりで笑う。動機がクリエイティブでなくてすみません。でも燃料になるものはなんでも使っていいんじゃないかしらね。

・ダンスって楽しい。

いるところ

2008年11月15日 ダンスもの
ふつうにピルエットの練習ができるのは土曜のレッスンだけになってしまった。今日はコツがちょっとわかったのと、久しぶりに速いテンポのジャズの振りができてよかった。ダンスのことばかり書いているし、実際そういう生活。人と交わり、大人らしい責任のある生き方をしていないことに後ろめたさやひけ目も感じるが、結局、自分で選んで選んでここに来てるのでしょう。こういう風変わりなところにひとりでいること、それが自分の「自然」だとしてまぁ誰かいるにこしたことはないけれども、それも「選ぶ」にはけっこうな方向転換をしなきゃならないのかなと思ったりする。
・火、水と行ってるスタジオで踊る人たちを見ていると「で?」て思うことがある。踊る人たちはいわゆる上手な人たちなんだけど、見ていても「私は踊れます」っていうのしか伝わってこないというか。ダンスの何がいいのか、ダンスって何なのかわからなくなるようなダンス、ってどゆこと。

・クラスへ行く。腕とか脚とか自らを捨てながら四方八方に投げ捨てる。これに限らずこの歳になって何やんちゃなことしてんだろう、とか苦しいながらも自分がおかしい。でもこんくらいせめてやらないと。

・ペアになってひとりが「もの」になって片方が身体で支えるというワーク。こういうコンタクト系は自分のクセがすごく出る。つい自分で担いすぎたり踏ん張りすぎたりしてしまうが、理想的な支え方だと自分も苦しくない。そういう楽なバランスのポイントがある。

・またここでも「くびっ」って言われたりするが、前にできなかったことができたりもした。なんだか楽しかったな。

首とひざ

2008年11月12日 ダンスもの
戻るまで10分くらいあったので、昼休みファミレスでマジ寝。禁煙席のない店。でも前ほどタバコ吸わなくなった。先週からコンテ指向になったレッスン、そんなに急激に切り替えることないのに、と思う。もうちょっとジャズっぽさを残しておいてくれたほうが、身体が乗るというか、動く気がする。脱力系のことばかりやっているので、ぐずぐずになってしまう。ピルエットとプリエ、元に戻らないかな。鏡で見ると、やっぱり背中というか身体かたいと感じる。自分で思うほど力抜けてない。先生には「首の力が抜けてない」と言われましたがこれ2年前くらいから言われている。意識して抜くようにしてるんだけどまだまだですか。相当がっくり。首(背中)とひざが私はカタイ。柔軟性はそこそこあるのに、動きに生かされてない。身体のセンターから動きが生まれるように、体幹部分に血が通うように、表情豊かに動けたらどんなにいいだろう(胴体ほったらかしの人は見てると多い)。アップをだらだらやってて、振りの時間がなくなる。発表会参加組の人(私以外)はこのあとリハがあるのでいいかもしれないけどさ。ベーシックをきっちりやるならやるで、振りがなくてもいいけれども、メリハリなくだらだらするのは超つまらない。いつもはこのレッスン、身体を動かす喜びがあるのに今日はなかった。「できねぇ」っていうのと合わさってブルー気味に帰る。
昼休みのついでにオフィスデポで買物していこうと思い、忘れないように手の甲にDEPOってボールペンで書いといたら消えない。

駅で自分の前を歩くカップルで男のほうが自説を主張してて、「だからさどこでもオレのオリジナル的な人生を…」と言ってた。聞くともなしに耳に入っちゃったんだけど「ぞわっ」とした。

先週、初めて出たジャズコンテのクラス、少なくとも4割増、難しくなってた。なんかいっぱいいっぱいなんですけど。

今日はバランスも悪くて、芯をしっかりさせなきゃと思い、力も抜きたいと思う。先生は「要所要所でスピードを速めるポイントを入れないと、力は抜きにくい」と言う。まったりしていては力抜けなくて、微妙に速さの緩急つけると力の抜けた動きがしやすい、ということ。これまたなるほど。

高度なフロアテクも教えてくれた(てか教えてくれようとしていた)。片腕と肩で身体を一瞬支えて、両脚をハサミのように開いて床からジャンプして上がるやつ、こういうアクロバティックなやつさりげにできるとすごくかっこいいと思う。できるようになりたい。どうしても男子のほうがこれ系はやりやすいようです。

支える腕と逆の脚をひざ立て(左腕支えなら右脚立てる)、ひざ立てのほうの脚を蹴り上げる(両方ともキックできればベター)。支えと逆の腕は上半身を引き上げるように振り上げるが、基本は「腕と肩に乗ること」だそう。腕に乗る、というのは何かテクをくり出すとくによく使うが、「手に乗る」「手で(身体を)支える」感覚はなかなかつかみにくい。

フレンドリーで元気(若いしね)、なかなかいい先生なのだが、そういえば上手な人の上手なところを指摘してほめるのって、そうでない人のいいところを言ってあげるのより楽だよなと思う。私は「一言もしゃべってないけど大丈夫ですか?」とか言われてるし。私はわりといつもこんな感じの扱い。とっつきにくいし。だから月木で細かいところを言ってもらえるのがすごくありがたい。でもどこでも慣れるのに私は時間がかかるんだから、しばらく通ってみようと思う。振りは先週やったところは2度目で動きやすくなってた。
・「ほ-3」のロッカーを開けるには「ほ-1」のロッカーも開けねばならない。開けたロッカーはカギをかけねばならない。ところがこの「ほ-1」のカギがいつもかかりにくくて手間取る。「ほ-3」から封筒を出す、という作業ともいえない作業のために20分ばかしかかる始末。

・背中合わせで斜めに座ってる、やり手の若手社員が「ボク動物って大ッ嫌いなんです」と明るく言うのでひそかに震撼する。なんかの話のついでらしいが、別に訊かれてもいないのにですよ。

・クラスに行ったら、アシスタント嬢が復帰しているので驚く、そして喜ぶ。彼女がいるとクラスが50ワットから80ワットくらいになった感じするわ。先生も120%パワーアップしてるし(わかりやすい)。よかった、よかった。

・ひとりずつ振りをやってみて、やってみたら「集中力がある」と言われる。やたっ!

・「集中力があると、踊りがその人にとって必然になるから、見せる(見てしまうものになる)」のだそうだ。なるほど。

・「もらった振りを必然にする」 私はこの辺から攻めようかな。とにかくなんであれとっかかりをつくって、自分のものにするということ。なんでもそうなんだと思う。やる人にとって(もうなんでもいいから)必然であればあるほど、説得力がある。

・今日は振りが覚えやすく迷いがなかった、のでよかったのですが。テクないし、緊張するしでせめて集中力くらいないと。集中すると気持ちのなかで「流れ」がつくれるというか、そんな気がする。

・「あとは力が抜けるといい」とも言われる。それも集中力とウラハラな気もするが、力抜けるといいなー、100万回思ってるけれどもここまた難しいポイント(でも、だらだら流れていっちゃうようなのもやだ)。

・日頃、玉砕感の強い月曜クラスですが、今日は純粋に楽しかった。がんばろう。

・クラス後、吉例(なんかこの頃はやっている)「旅行のおみやげ配り」を私もとり行う(「うちで食いきれないから」などという理由でお菓子を分配する者もいたり)。弥彦で買った玉兎のらくがん。運動後の甘いものは好まれます。喜んでもらえてよかったです。
・苦手な差し込み印刷を頑張る。よく今日中に発送までこぎつけたものだよ。

・そうは言ってもきのう「上手くなったよ」と言われたことは嬉しく、しみじみ喜びをかみしめる。

・しかしそれでも。実は(ってここで書いてもバレバレな事実だが)私は人に対する緊張感がもともとすごく強い。そんな人がコンタクトインプロやっているわけ。

・コンタクトして相手に触れる瞬間、相手の人柄とか個性とか、あるいは呼応して自分についてもろもろの情報を私は掬う。身体の感覚に時にフォーカスできないのは、そういう情報にひっぱられるからだ。

・相手の何かが苦手と思うと、緊張して内心ガタガタになる(ネガティブスイッチON)。今日は組んだ相手がそういう人で、やっても焦るばかりで凹む。なんか今日、芋掘りのごとく自分についてネガティブなあれこれ自分で掘り起こしてた。でもシェアっていうのは自分のことを言うもんでしょ、相手のことじゃなくて。

・あとで「(私は)考え込んじゃってるとき、こう(身をかがめて)なっちゃう。閉じてしまう」みたいなこと言われて、どきっとする。その人は経験が長くてすごく上手なので説得力あるしさ。

・彼女に悪気はないし、嫌いじゃない。言ってもらってよかったのかもしれないけど、「閉じないように」と思ってずっとやってて、自分ではできてるつもりでいたのでショック、っていうのと「あなたに私の何がわかる」っていうのと。緊張の強い人が、これっぽっちだけど、なんでだかここまでやってきてるということ、根っからダンサーである人にわかる? っても私の内面のぐちゃぐちゃなんての他の人にとってはどうでもいいことだ。彼女も何か抱えながらやってるんだろうし、それは私にはわからない。

・「背骨!」(「背中!」だっけ?)と先生にはびしりと言われた。「背中カタイ」っていうのはよそでも100万回言われてるので、これで1,000,001回目くらい。気をつけてるつもりでなかなか直らない。むずかしい。

・明日はお出かけです。
今週は毎日レッスンがあって嬉しい。火曜から水曜8時に移ったジャズのクラス、相当コンテ仕様に変わりました。「メニューを変えます」って先週、先生が言ってたけど、(あんまし)真に受けていなかったの。30分くらい床でごろごろしてた気がする。慣れ親しんだレッスンが別物みたいで新鮮。ちと急激に変えすぎにも思うが、まあいいんじゃないでしょうか。「うまくなったねー」と先生に言われるが、そんなに嬉しくない。できてないし。でもやっぱりちょっと嬉しいかな。「ニュアンスはとれてるから、あとは腹・腰まわりをしっかりと」ってゆう、それがなかなかできないんですけど。この前の時間のコマのレッスンも、自分が出ているレッスンも踊れる人が多いが、見ていると胴体の部分が固まってるというか、重い人がそれでも多いと感じる。体幹部分に血を通わせるのって、本当に難しい。かなり意識してないと動いてくれない。

そこそこ踊れる人はいっぱいいる。そこから抜けるのが大変なんだと思う。私なんかはそこそこ以前だが、「(一応)踊れます」ってところで落ち着いちゃうのがいちばんつまらないと思う。下手でも必死になってたほうがまし。

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