ソロメモ

2009年7月29日 ダンスもの
何を話したらいいのか、わからない…という感じで。何事もない(何の問題もない)かのように進めるのはちょっと無理がないか。特に今この時期。action poetryのときのダンス。the way I talk...
夜間の児童館遊戯室を借りる。会社から18時までに行くのはちょっと大変。20分くらい遅れてしまったら厳重注意。要するに早く施設使用料の領収書を出してとっとと帰りたいらしい。お金を払うのはこっちなんですが。夜間に残った女性も「飲食、喫煙はいけません」等々こんこんと注意する。その時間がもったいない。ここは広いし環境よいしゆっくり使えるのだが、今日はstuckて感じ。すごくブレテタ。自分ができることって少ないんだなぁ、と思う。そんなことないのかなぁ。ちょっととらわれてるか。もっと自由にやりようはあるはず。くたびれたー。いつのものかわからない、折り紙のお星様が壁に貼ってあった。
漢方薬をもらいにオルタナ医のクリニックへ行く。ダンスに行くと帰りが遅くなる、よって睡眠時間は少なくなってしまう(4時間程度)。睡眠に替わるクスリはない、と医師。寝ないといけないですよね。平日、なかなか寝ないのは朝がくるのが嫌だからでもある。子どもみたい。カーとなりがち(考え過ぎ)な人だから、野菜をとりなさい、とも言われた。野菜ジュースでも。

医師は「ダンスはいいけど、明暗くっきり分かれすぎてしまうかもしれないね。そういう舞台性のあるものは」とも言っていた。それは確かにそうなのだ。ダンスの時間とそうでない時間の質が、明暗というか表裏というか、対極にある。特にこの2年くらいはそう。分極化しないでそこつながるといいのかもしれない…と前からうっすら思ってはいる。そうできたら楽かもしれない。

午後、ボディメンテナンスの個人セッションへ。身体が変わってきています、別人みたい、とまたインストラクターの女性。背中が動き始めている、脱力するということがわかり始めている、そう。自分がまだ変わり得ると信じにくいだけに、こうして変化なり成長なりを見届けて、伝えてもらえるのはとても嬉しい。自分ではあまり感じられてないから。感謝。

力を使うのでなく、抜いて、身体の重みで動けるととてもきれいなのだ。そんなふうになりたいと思う。

身体と向き合って、日頃おろそかにしがちな身体=自身へのケアができるこの時間はとてもリラックスする。大事な時間。残念ながら8月は通えないけれど、「変わり始めた時期は、戻りやすくもあるから、気がついたときにエキササイズをしてみて」と。彼女がよく言うように「楽に楽に」と心で唱えよう。ゆるんで帰る。以前、セッション中にかかっていてよかった彼女のお兄さん(ミュージシャン)作のCDを分けてもらったので聴く。ちょっとフォーテット似のところもある、なごめるエレクトロニカ。20分近い大作もあったり、なかなか趣豊か。

ブレナイ

2009年7月24日 ダンスもの
せわしない。開演に遅刻しそうになるまでばたばたする。やり過ぎているんじゃないだろうか。そうこうしつつ「辞めさせられる」を背景に、なんかこー徒労感というか虚しさがつきまとう。

机、再見。リピーターは1000円という超良心的価格。すばらしいです。一番手のカンパニー作品は初日とは違うもの。悪くないけど私はいまいち集中できず、「水の音」はこれでいいのだろうか、ということばかり気になっていた。ソロ。軌跡が#ものすごく#きれい。つまり身体(体重)のコントロールが並外れて効いている(今さらですが…)。あとやはり作品の構成がきれいだなと思う。前回と同様に音楽みたいな決まり方は観ていて気持ちいい。初日より不思議なくらいぐっと見やすく面白かった(なんで?)ぜんっぜんレベルの違う話ですが、私もがんばろうとか思ったよ。

カンパニー振付作品、面白い。すごく面白い(今日は芝感アップ?)。変な人たち(笑)。よくこういうこと考えつくよなーという。今日は動きの起こりや連鎖がよくわかりました。劇場で会った友人は「よくわからなかった。考えながら観てしまった」と言っていた。2度目だからとらえやすくなったのかも。彼女は「これじゃ一般〔ダンス(コンタクトインプロ)になじみのない人〕に浸透しにくいだろう、と思った」とも言っていて、確かにイベントの起こり方(動きの発生)が、音楽に合わせてというものではないだけに、追いにくいところはあるかもしれない。ダンサーの魅力はやはり落ち着き、だなと思った。ぶれない、ということ。それと、やはり削ぐ方向に。

ここらへんの子たち、みなさん積み上げてかたちを成す方向にいっているのに、自分はどの面でもダウングレードしていってる気がしてならない。このところ特にそうだけど、自分がいいと思えない、元気のない状態が長く続いてる。自分の居どころがない。どっか遠くへ行っちゃいたい、とか思うけどね。
マザーシップ派遣さん復帰。休暇明けで仕事がたまったせいか、なんか機嫌悪い。で、その辺あたられてる気もした。言い方にトゲがあるっていうかさ。むしろ私は彼女のお休み中にカバーしてたんですが。彼女に限らず、あたる人っていうのは上にはぶつけないで、下(=私)にくるんだよな。仕事ができるからっててんぱっていいのか、とこの職場でしばしば思います。よくないだろうよ本当は。帰りに自主練。ちょっといい感じに進んだ。

予定変更

2009年7月22日 ダンスもの
会社を1時間早退してワークショップへ。京都から来たカンパニーのWSで、かなり前から楽しみにしていたのだった。が、今日になって突然、水曜いつも行っているレッスンが来月から曜日変更になると聞き、なんだか気がかりになってしまったのと、そう広くはない会場に対してたくさんの参加者を見て、WSの後半はキャンセル。自分、思っている以上に疲れてるのかなと思ったよ。ダンサーだの舞台活動してる人ってグラマラス。私はなんだか気合が上がらなかった。「こんなに人が多いと振付を教えてもらっても動けない」と思ったのも気がひけた。いちばんの理由は、公演ががつんとこなかったからだろうか。前半はアップみたいな感じで、うーん、あんまり、でした。後半のほうが面白かったか。時間があいたので、いったんは休もうとしたジャズのレッスンへ。行ったら私一人。対照的に贅沢。もっと上手になりたい。芯はもちつつも身体、軽くなりたい。というか、自分、軽くなりたい。重たいから。「これ!」と思えるようなダンスをするには、身体をつくって、そして自分でつくっていくしかないのかな、などと思う。
自主練~。音楽をかけてみたら、ある意味いい感じに合う(っていうのは合わせたりはずしたり、っていうことだけど)んじゃないのー。とか思ってるのは私だけー?まぁちょっと続けてみよう。昨日、会ったクラス友は「何かテキストがあるかもしれないし」まだつくってない、と言っていた。テキストぉ?あんまりテキストっぽくない人だが何か思いつかないとも限らない、と思わなくもない。…。思いつかないで。ところでダンス友の日記が読みたくて、ものすごく今さらですがSNS(mixi)に招待してもらった。両方の意味でアンチソーシャル(非社交的な;反社会的な)な私がソーシャルネットワーキングできるのかは疑問だ。いまだにベータversionとか書いてあるのはなんで?
作品1。机上に女、机下に男。机上に150本のナイフ。高く足を振り上げ、ナイフを蹴散らす女。うずくまる男。私は修羅場の話かと思いました。「病院にこういうカップルがいたんですよね」という友人の言葉がまさしく的を射ている。ラスト、机上に立ちつくす女を、(机を持ち上げながら)両腕、両脚でもって机下で支える男。男がぷるぷるしてるのが見所ですな。女のイノセントな表情。こういう質の関係かつて見たり聞いたりしたことがある。静かにコワレユクアイ(=作品)。

想像だが作品をつくった人は、案外、破滅型でなく健康度の高い人じゃないだろうか。生真面目な感もあったので。一種の「憧れ」みたいに描いているような感じがした。身に覚えある人ならもっとデタッチした感じになるだろう。ゆえに記号としてはちときつい。全体的にヨーロッパのカンパニーみたいな作品。好き、かというと困るが強烈な印象はある。個人的には「あのナイフは給食用?切れない細工がしてあるんだろうか」てことが非常に気がかりでした。

作品2。ソロ。軌跡がきれい。それ以上に何を言えば…?音楽は合ってなくはないけれど、これで本当にいいのだろうか、と感じる(それは他の2作品にも言えることだが)。

作品3。??と思いつつ観ていたのだが、あとで話しながら思ったがコンタクトって止まらない、よどまないんだよな。流れてるけど、「で?」って思うこともあり。私はよどみも観たかったらしい。そのテーブルが木でなく芝生である必要があるのだろうか、とも思った。そしてみなさんがガーデニングみたいな格好をしている必要もどこに?とも思った。もやる。何かが足りないから、何かが多いような感じがするんだろうと思う。

金曜に再見。ふと思ったこと、じゃない、心に誓ったこと:
要素は削ぐ方向で。思わせぶりは止めよう。何より、「私は私。自分の信じるところを貫こう」その道でこそ私は守られる。ひとりで立つのだ。今週はデスクウィーク。
髪を切りに行く。ここの美容室は「ときたま」(いつも、でないゆるさもミソ)犬や猫がなにげにいるのだが、今日も初顔合わせのわんこが。スタッフの方が連れてきた妙齢の人なつっこいラブORビーグル系ミックスの子。カットしてもらって、セットするやり方を忘れてあとであたふたするのでよく観察しとく。逆毛で手ぐし。夜はダンス友がアレンジした、某コンテ・ダンサーのインプロWS。たいそう達者な方と聞いていたので、難易度高いコンビネーションとかくりだされたらどうしよう、とか思っていたら2時間まるごとインプロだった。すごく楽しい。フロアの使い方とかとても参考になる。なんだか私きっちり考え過ぎていたわ。初対面の人ばかりだが、バックグラウンドがさまざまな人たちが集まって、一緒に身体動かすのって面白い。刺激がある。
本日の買物運、1500円で夏の帽子。実家へ行く。いろいろ話す。みんな(includingしばこ)でアイスを食べに行った。しばこもちょっともらえました。よかったね。遠くまでボディメンテナンスのワークへ。インストラクターの女性はしきりに「身体、変わってきてますねー。別人みたい」と言ってくれる。自分ではあまり実感できてないけど、だとしたら嬉しい。ていねいに身体に向き合うこの時間は安らぐ。とても好き。
今日は自主練しない予定だったけれど、やっぱり進めたくて昨夜になって部屋をとる。隣で日本舞踊の会が稽古してらしたわー。なんか方向性、見えてきたんじゃない。手がかりの拾いどころができた。クリアになってきて大いに嬉しい。音楽はやっぱり「これ」、いけるかもしれない。これにするには私がんばれという感じですが、そういうがんばり方をしていい時期じゃないかとも思う。何よりハッピーな曲であるのがいいし、一緒にがんばれそうな感じがする。

仕事はそろそろ忙しい。ダンスにかまけて仕事のことも相手のこともうっちゃっている。これ終わったらいいかげん「狩り」にいかないといけない。なんもしないで「愛されてない」とか言うのは甘えである、と医者は言いたかったのか。数年前はやってましたけど、パーティとかさ、そういうの苦手。消耗した。でも数こなさないといけないんだろうな。はー、どうしよ。気が重いけどなんかやらないと。ジュリエット・ビノシュは日本のいわゆる「婚活」いかがなものか、て言ってた。私もほんとはそう思う。パーソナルにそれぞれのやり方で、生きていくなかで人と出会えたらいいけどね。
そういえば七夕で、グーグルが織姫ひこ星の絵。

この頃「日焼けしました?」と言われる。してない。髪を染めたらそう見えるらしいです。久しぶりに火曜のレッスンへ行ったが、この先生、若手で身体が利いて、やること難しいんだよね。上手な人ばかりだし。なんかもうコンビネーションとかぼろぼろで、情けないです。ついてけてないわ。こういう振りっていいんだけれども、当たり前にできてなんぼで、いっぱいいっぱいでやってもしょうがないと思う。自分のものにならない、という意味。

これはよく思う。もともとそう上手なわけでないのに、キレイ系の動きをつくってやってもしょうがないんじゃないかと。自己イメージからすると、なんというかちょっとひねくれた、わざと身体がのびきらないところでつくっている。他人事になるのがいやで、そうしているんだけど、その部分の意識(自分の身体や、自分の動きについてのイメージ)が変わると、変わるんだろう。私もキレイなことやってもいいんだろうか? 身体をのばすようにやって、いいんだろうか?ダンスっぽいこと、ダンサーっぽいことを自分に禁じている。てなこと考えているんだな、と書きながら思った。自信をもて、っていうことかしら。あー!なんか自分が動いて気持ちいいようにつくってもいいのかもしれない。

小屋みたいなコインランドリー店で。茶色いしっぽが見えたので近寄ってみる。洗濯・乾燥のおつきあいでも犬は嬉しそうだった。
会社のトイレの鏡で見たら、髪がかなーり茶色であることを知る。うちは照明が暗いのです。作品の自主練。ちゃかちゃか振りを考えたとして、これで面白いんだろうかとか。ちょっと考え過ぎかも。落ち着くこと。それと、らくに。これがその人の自然みたいにしたいのです。例えば、そういうふうにしゃべってるみたいに。あまり今は考えないで、らくーにやってみよう。それと、音楽。大変だけど、作品をつくるのって面白いと思う。
月火にあったワークショップのショーイングがあった。結局、参加したのは講師のお仲間だったり後輩ばかりで、完全に外部から来たのは私だけ。稽古もWS以外に、公演リハでしているそうだ。たまたまそうなっちゃったんだろうけど、あまりに仲間内で、こういうのっていい感じしない。私の出番は15秒×3作品。ショーイングの2部は彼女たちが9月にする舞台の新作だったけど、面白くなかった。

そのあとに公募のパフォーマンスがあり、予定外だったが、なんだかもやもやしてたし、知り合いが出ていると知り、見ていくことに。

1組目、写真で見るとおしゃれだろうが、ムーブメントとして凡庸。2組目、家電が入るくらいの大きな段ボール箱が2つ、3メートルくらい間をあけて置いてある。それがじりじりと距離を縮めていくというもの。ただそれだけなんだけど、換骨奪胎したラブストーリーみたいでまじまじ観てしまった。こういうのMoMA好みかも。人が入って動かしている(ナナメに行ったりしないで、ちゃんと同じ線上で動いていくのには感心しました)わけだが、終わって人が出てきたら興ざめ、って思ってたらずーっと終わるまで正体現さなかった。いいね。4番目、彼が選考に通ったのは謎。パンツ一丁で出てきて、音楽流して服を着てカップラーメンを食べる、サラリーマンの朝。別に動作がきれいなわけでなく、発想もユニークとは思わない。ユニークでないのはいいけど、彼がこれにこだわってるのかというと別段そんな感じも伝わらない。

3番目が知人で、彼女は素敵だった。物憂い様子で、夜の庭でひとり遊んだりそぞろ歩いているみたいだった。ひとりの世界をかいま見せてくれるダンスはぐっとくる。ラストも知り合いの男の子で、脱力系即興(笑)。捨て身でいろいろやってた。おかしい。

このパフォーマンスは「観客を魅了しない公演」という。「観客の拍手や評論家の評価、自分が有名になることのためのダンスではなく、もっと退屈なダンスがあってもいいはず」というコンセプト。人に媚びず、退屈かもしれないけど自ら信じるところを貫く、という姿勢は大いに共感する。支持する。

フィクション(書きもの)でも同じじゃないかと私は思っているのだが、こういうのって自分の世界をつくるが勝ち、ではないだろうか。自分の信じるところを、いかにつくづくこつこつとかたちにするかにかかっている。目新しくはないかもしれない、ひょっとすると退屈かもしれないけど、それで作品は強いものになる、と私は思います。

身体表現の魅力は、何をするか、より、まず「そこにいる」こと、そして「さらす」ということではないだろうか。そこにいてくれるから、愛おしい。
ソロ自主練。床は固いです。つかれたー、ねむいー、でも動きが出てきた。ちゃんと見えてるのか、質感どうなのか、とも思うけれども、ちょっとずつイメージが見えてきたか。いろいろ試してみよう…。一方で相変わらず頭はかきむしりまくり、穴をあけています。

即興地図

2009年7月2日 ダンスもの
コンタクトインプロWS。人数多い。でもコンタクトよりインプロに重きをおいていたみたい。インプロの時間がもっとあってもよかったと思う。止まる/その場で動く/移動する/動きながら移動するの4要素でインプロを成り立たせていくのは面白い。途方にくれたとき手がかりの地図になりそうなメソッド。インプロ面白いけど、疲れるしレッスンよりお腹がぐーっと空くのはなぜなんでしょう。
こういうことやってると朝は特にダメ~と思う。性懲りもなくぎりぎりでやってるなと思います。インプロとか創作はことに疲れる。「ダンスの編集」の2回目。昨日よりさらに人数少なくて、内輪。私以外の人々は名前で呼び合ってるなか緊張する。緊張したり力が入っていると、コンタクトでリフトしたりするとき、身体が大物(扱いにくい)になってしまうそう。背中も押しつけないでぴたっと吸いつけるようにする。

今日は昨日の振りをペアになって写しあい、最終的にデュオでまとめる。昨日の自分の振りは「いいんだろうか? つまらなくないか」とか思っていたのだが、人に振り写しして、動いてもらうと「あ、いいんじゃない」って気になる。人がやってくれると、振りの可能性を感じられるようになるのだ。これはすごい。自分でつくって自分で判断する、だと煮詰まりがちになるが、人にシェアできると安心する。デュオでやってみて、どの作品も強くなった、振りが成長していると思った。

組んだ相手の方が、講師の作品にいつも出演している「姐御」な感じのダンサーの方。よく教えてくださる。彼女の作品を私が振り覚えするのだが、「動きは自分の生理に忠実に(気持ちいいように)つくる」とか「狭いところ(身の回り)でやる振りだから、動きの軌跡はきちっとつくりたい」とか、とてもためになった。彼女の作品はユニークで、「すいか」だったらスイカをしゃくしゃく食べるところ、種をとばすところ、そのしゃくしゃくした歯の動きまで振りになっている。デュオにしたとき、彼女が私の振り前半のしゃきっとしたところをやって、私が後半の投げやりちっくなところをやる。自分は前半のかくかくした動きのほうが合っているかと思ったらそうでなかったらしい。「けだるい」感じがするそうだ、私の動き。へえー。最後に全員でそれぞれ見せて、土曜日になんもしてないけどショーイング。

急いで

2009年6月29日 ダンスもの
書くけどダンスは急がないで、あせっちゃいけないよ。「振付のエッセンスを凝縮して15秒にまとめる」という“ダンスの編集”なるワークショップ。とりあえずつくって、講師の方がそれぞれアドバイスしてきゅっとまとめる。グループでつくるのかと思っていたら、個人ワークなので私としてはソロを考えるいい機会。面々は講師の方の後輩やお仲間、といった「うちうち」な人が多く、外からやってきた私はちょっと緊張。でもフレンドリーに迎えてもらってます。みなさん(若いんだよ)は若々しい素直な作品の感じ。私どうなの?でもテーマらしきものが見つかる。それってまさに自分のことじゃん…という。なんだかいきなり高度なコンタクトのシークエンスもアップでやりました。ところで、講師の方は行ってみたらどうも前に、それもすごく前に会ったことがあるような気がしてならない。調べてみたらどうもむかーし某ダンサーのワークショップで会った人らしい。かわいいし上手、しかもそのダンサーの公演に抜擢されていたので、当時気になっていたのだ。その人だよね。疲れた。
ていうテーマのワークショップ。ダンスと音楽のコンフリクト、てなところに興味があるので出てみました。講師はボイス・パフォーマンスなどもする音楽家(ボイスチェンジャーが仕込まれたシャツ!みたいなのをもってきてた)。彼は「ダンスの音楽ってキライ」と言う。「音楽にはさまざまな要素があるのにそれを見ていないかのような使い方をしている。ダンスにそもそも音楽って必要ないのでは」と。彼の言うほど私は聴きこんでないけど、私もダンスにおける音楽の使われ方って「ダンスのために音楽をもってきている」だけで、必然性が薄い感じが気になっていた。ダンス⇔音楽のあいだにコミュニケーションがないのはつまらない。私はそもそも動きの動機が音楽にある質。音はめでなくても、もっと音楽と組む感じにしたい、この曲でこのダンス、みたいにしたいなと思っているのですが。

音楽の「対位法」をダンスに置き換えるとどうなるか。主旋律と、その倍速(早)、2分の1速(遅)、リバース。音楽に合わせる/はずす/無視する/邪魔する。「ダンスに音楽いらないんじゃない=ダンスが音楽になればいい」。それはそうで、かくありたいと思うのですがそれを即興で再現するのは容易じゃないよ。10秒くらいで動きをスイッチしていく。そのまま人の動きをとらないで、距離をおくとか。1回では消化しきれない感あり。

参加者は3人。古いダンス友と、各所でお名前と顔は知っている方と私、という超こじんまりーなWS。それにアシスタントの方が入る。つまりひたすらインプロで半日。ショーイングもあって、数人の方がわざわざ見に来てくださっていた。演出家だという外国人の女性が、あとでえんえん講師と話していたけどどうだったんだろう。頭と身体使って疲れたー。くたびれてアイスクリーム食べて帰る。

旅の本

2009年6月27日 ダンスもの
ボディ・メンテナンスのワークへ。この時間は身体も心も自然に緩んで、ゆっくりできる。インストラクターの女性は「身体が変わり始めている」「前とぜんぜん違いますね」としきりに言ってくれる。自分ではよくわからないが、だとするととても嬉しい。力抜くように、楽に楽にと思うようになったかな。「頭をいっぱい使っちゃう方なので、考えすぎないように。考えすぎると身体も変わってしまいます」と彼女は言う。それはいやです。止めよう、考えるの。帰ってふだん行かない地元の商店街で、”旅の本屋さん”を見つけた。旅行や外国に関する本の専門店。「ゴー!ゴー!フィンランド」という本を買った。

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