教わっている先生のソロ公演、といっても共演者が人形君(+人形使い)。人形と人間が共演していると、動きがぎくしゃくしているのになぜか人形のほうに目が行ってしまう。この人といえども、人間は人形には無論なりえず、なまなましい。

落ち着きどころとしてはここがベストではないかもしれないけど(まだ詰めようもあるのでは。しかしライブ要素が高い作品なので日によるのかも)、拡散するのでなく顕微鏡的な世界に向かうこの志向はとてもいいと思う。実は合ってるんじゃないかしら。公演は1時間くらいだったけど、万華鏡をのぞいているようでもある人間と人形のちまちまとしたやりとりをもっとたらたら観ていたいと思いました。

音楽はミュージシャンがそばについてて、ライブ。これもとてもよかった。エレクトロニカな手触りより、生音のほうが合ってるんじゃないかと前から思ってもいたんでしたが。贅沢ではあるけど、こういう設定だとダンスと音楽の結婚もうまくいく気がする。またこの場合、ギターを置く音とか椅子をひく音、とかも「音楽」の一部として組み込まれるのがまた面白い。

ライブではないけど、ある有名な曲が使われていて(加工あり)、個人的にはそれが大いにヒットした。

上演後のアーティスト・トークを見てると、個性はばらばらなのに家庭的チームな感じがほほえましい。好ましい作品。不思議に面白かった。

============
バイオリズム的には昨夜から落ちまくり。早く寝ましょう。

客席より

2010年2月20日 ダンスもの
スタジオの発表会へ。「ちゃかちゃか足を上げればいいというもんでもない」とか「でじゃぶな振付」とか「意味不明」とか「構成が単純だと見た目に平板(子どもっぽくなる;フォーメーションに工夫があると舞台に奥行きができる)」とか「腹出し衣装の人はみんなお腹がきれい」とか「上手なのになんだかいつも同じ印象」だとか「あの人(♂)はなぜ半裸になりたがる」だとか、自分はさておきあら探しも含めていろいろ思いましたが全体に面白かったー。

去年はいまいちだったとこが、今年はイイとか、その逆だったり。稽古を見て「歌詞に合わせてる~」なんてちょっとこばかにしていた(失礼)チームに強く迫るものがあり、とてもよかったので驚いた。ここは照明も、衣装も合ってて圧倒的だった。トリになった作品も昨年よりずっとよかった。いい作品は音楽を感じたり、こちらにも身体の感覚として伝わるものがある。「動かされる」。

うちの先生チームは、好きな曲・振付だけに実は心配もしてたけど、想像した以上によい仕上がりだった。きれいだったし、なんといってもまとまり感があったと思う。繊細さ、あたたかみ、他のナンバーと明らかに違う、この先生の個性がよく現れてた。私も出ればよかった、と観て思います。人を舞台の全体にあえて広げず、凝集させたのも効果的。賢い戦略と思いました。

珍しくイントラナンバーに先生が出てて、なにげにいいとこ見せてた。ひょろっと大技入れたりしてるし。久しぶりに観たけど、余裕でかっこいいじゃないですか。この人に(も)ついていこう、とか思いました(さぼっててすみませんでしたー)。

収穫はゲストで出ていたDAZZLE(男性ダンス集団)。平常心でストリート-ジャズ-コンタクトみたいな。衣装ユニクロ?みたいな。それでクレバーな振りと構成。面白かった。これはちゃんと観てみたいですね。

でもダンスって見るよりするほうがやっぱり面白いのかもしれない。
CIWS。キマジメにやってるよね、私。今日は「いいかげんにやっていいんだ」ということを学びました。いやほんとに。

リーダーの女性ダンサーは、前にもWSでご一緒したことがある、ひょうひょうとしたキャラクターの方。インプロも思いきり力が抜けてて、漂うように踊るのが他の誰とも違って個性的だった。今日のリードもゆるゆる(笑)、こちらもいつもより力が抜けたみたい。

なんかやっぱり、やろうと思うあまり、焦ったり肩に力が入ったりするよね私は(まぁクラスの先生が上げテンション気味なのもある)。コンタクトってもっとゆるくていいものだよね。さらに言うと、もちっと遠慮なく相手にいっていいんじゃないかな。

組んでいる相手だけに集中し過ぎず、まわりの空間とか空気とか床とかも感じて。身体を開いて。と言っておられたのも印象的。

確かに相手のことばかりに集中して意識(視界)がぎゅっと閉じてしまいがち。上手な人って眉間にしわ寄せたりしてないものね。なんでもないように、ふだんの動作みたいにやってる。

わからなくなったら、とまっていい、ということも。

なんか今日はわりと考えないで、ほわーっとできましたよ。楽ちんでした。
東京も厳冬。かなーり冷え込む。せっかく雪の国から仕事で上京してきたのに、妹は実家に着くなり体調不良でダウン。一月ぶりくらいかでBMのレッスンへ。前はそうでもなかったのに、この頃肩や首がこってしょうがない。つまってる。という話をしたら、身体がそういうこと感じるようになったのでは?とのこと。身体が変わる過程で、いろいろ感じ過ぎてしまいかえってやっかいだったり。それもプロセス。身体は気も含む。どうも疲れているかんじ。以前は疲れも感じられないくらい気をはっていたんでした。
岩淵多喜子(Ludens)振付 ほか2作品@横浜赤レンガ倉庫。

女性3名による作品はすっごい体力要りそうな振り。ベテランダンサーによる端整な仕上がりですが「頭はいいし性格も悪くないのに、もうちょっと身なりを構ったらねぇ」的な印象も。衣装がどうこうとかではなく、演出というか見せ方をなんかちょっとこー工夫してもいいんでは、という話。私ごときが言うのもなんですが。無機的かつスタイリッシュにびしっと決める、という方針ではないようだけれども、あまりにも「素」な感じがしたので。悪くはないけど、がつんとはこなかった。

続く外国人によるソロ2作品は…寝た。ひさびさに心底つまらないものを見た。なんで抱き合わせでこんなものを見せられなければならないのか。なぜこの2人なの。ショーケースに出てた日本人ダンサーでいいじゃん!

はるばる横浜まで行って、しかも雨まで降ってて、こんなでどっと疲れた。昨夜から眠くてたまらない。明日も休みなのだが結局、特に予定もたたず、気も上がらない(矢印下がってきた)のでこもり気味の連休になりそう。

即興仮説

2010年2月7日 ダンスもの
今年初めてかもだけど日曜のレッスンへ。久しぶりでへろへろ。「インプロとなると、動こうとする意志が働く」と言っていた。インプロ、どうあれば面白いのだろうと考える。どういう身体で、どういう「意志」の動きがいいのか。

確かに見てるとちゃかちゃか動いてしまうと、残らない。気持ちはわかる。やっぱり動こうとしてしまうんだよね。何か自分のなかで貫くもの(それを「意志」と↑でしたんだけど)があるのがいいのか。

動こうとするのはたぶん視点が自分。実は「~したい」というより「~しなければ」的なものなので、外から見ていてよくわからないんだと思う。そうでなくて、客観的にとりだせるものを軸にする。人から動かされる感覚、とか、一部を固定とかそういうの。そういう外部に通じるガイドラインと素直に開かれた身体。

あるいは内で一貫したイメージ。いずれにせよ、焦るところを、内/外の軸で静かに抑える。軸のないまま動こうとしないで、まず落ち着くのです。

…てなことを考えたまま書いてみた。

私はどうしても狭くなる。自分に対しても他者に対しても、深く狭くつきつめるタイプ。まぁなんにつけanorexicというか、良くも悪くも探求的。自分/他者どちらに対しても心を広くもてると、変わってきたり楽になったりするのかもしれない、するんだろうと思う。心を広く。もうちょっと広げられれば。

FOXの「アメリカン・アイドル」を観る。かのジェニファー・ハドソンを輩出した歌のオーディション番組で、個人的にはこのダンス版より葛藤なく楽しめる。この「卒業生」でデビューした人たちのPVも観た(ハドソンは意外にも優勝でなく7位だったそう)が、クリス・アレン(地味なところがかえってぐー)以外は似たりよったりでもあった。

ダンスよりも歌はずっと速いよね。心を動かす、ということについて。本当に速い。この番組に限らず、音楽は聴いてすぐ、ぞくっとすることあるもの。よいものはすぐわかる。


CIWS 3回目。

2人合わせて100%の力(50:50じゃなくても、80:20とかでもいい。cf.相手とセンターを合わせる)。

3人でインプロ。面白かったしこういう試みは大歓迎だが、視界狭くなってなかっただろうか。自由なのに、案外自由になれなかったり。インプロのくせはどこからきてる?

インプロしてるときの、意識のあり方(あとで、やってるときのことを忘れてしまったりする)。

今日はWS最終回(楽しかった&講師ちゃん超カワイー。また是非やってほしい)で、飲み会もあり(すっかりごちそうになってしまった)それも楽しかった。ある人がこういう話をしてた、とある人が言っていたこと:

人に触れる、のは日本人なら特にためらいや遠慮があって当たり前。相手にしっかり重みを預ける、のがコンタクトでは望ましいが、もしそれ以前に相手と関わることにためらいがあるなら、そこから始めて/それも含めてダンスにしていっていいのでは。

「こうでなければならない(しっかり体重をかける、とか)」という縛りのあるコンタクト、なんて不自由な話。なんだか変だ。(コンタクト)インプロなんだから、相手と出会い関わるその瞬間に生じるすべての気持ち→身体のあり方や動きから出発するコンタクトであってよいのではないか。

これはとても示唆的。いい話。大事なことだと思う。↑は「始めたばかりの人」という想定の話だったが、私なんかも人の身体に触れることには抵抗がほんとに長いあいだあったので、今も相手の身体と出会うときにためらいが意識する以上にあるのかもしれない。人の動きを読むのは難しいと思うが、「とにかくコンタクトは相手にどーんと身を預けなければ」という決まりごと(?)に走るあまり私が自分のためらいや恐れをすっ飛ばしてまず無意識になかったことにしていたら(CIにおける抑圧)、そりゃ相手の動きも読みにくくなるだろう。正直に。その瞬間に2人のあいだで起きることを大切に。インプロなのだから。


動く動機

2010年1月30日 ダンスもの
CIWS2。相手からのコンタクト(さわる、押す、さする、なんでも。身体のどのパーツを使ってもいいし、動力とならなくても―たとえば「なでる」―そこからイメージをつくって動いたり、あるいは抵抗したり、自由な解釈で使っていい)によって自分の動きをつくる⇒相手にコンタクト⇒相手がそれにより自分の動きをつくる⇒コンタクト。これを続けていくと「やりとり」になる。何を伝えているか、というコンテンツはどうでもよく(いいのか?)、とにかくそうやって相手と身体とか空間でとんとんとコミュニケーションできる、ということがとても楽しい。2人ないし3人でこのやわらかい言語を共有するということが。これはやる側が面白いだけでなく、見ていてもとても面白いのです。

this far

2010年1月28日 ダンスもの
「ジャズ・コンテンポラリー」のレッスン@某スタジオへ行く。「ジャズ」はむかーし自分が教わってたそれを彷彿とさせ、「コンテンポラリー」はどこがその部分なんだかよくわからなかった(腕をひじから上げるとことか?)。のっけから立ってストレッチだのプリエだの(バレエベースっちゅうのも)。前にやってたのこうだったな。あったまってもいないうちにこれでは動けない、と今では思うけど以前はむとんちゃくだった。こういうやり方だと、今の自分では得るところより、むしろ身体に負担がかかりそう。床がとても固いけど広いスタジオ(この広さを四谷のスタジオ女社長Aさんにあげたい)でシェネだけ8セットとか。要するにあらゆる面で「古い」感じした。レッスン代高いのに、90分だし。物足りない!サイトの説明はばりっとしてて期待していたのに、やはり行ってみないとわからない。

ぶっちゃけててすみません。自分もこれに似た環境でレッスン受けてたことはあったのだ。遠くまできたんだなぁ。新しいところに行ってみるたびどきどきするけど、転々としてみてよかったと思った。動ければいい、という段階ではもうないので。今は満足して受けられる、そしてもっと先へ行きたいと思わせてくれるレッスンや先生たち&ダンス友と出会えていることがしみじみありがたいと思う。
相手とセンターを合わせる。(センター⇒腰)

重みをかける。単に「手(だけ)で押す」のではなく、自分の体重の重みをかける。身体から重みを相手に伝える。

コンタクトインプロのWSは、どこへ行っても「新しいことを教わりました」というよりは、「コンタクト的な感覚の開発、身体の使い方の練習、およびそれらを自分がどれくらいできているのか確認」というひたすらな作業と思う。相手がいるインプロ状況で、たとえば振りのなかでするように身体を使って、意識もまわせるといいなぁ。ちょこちょこ教わっているコンタクト・イディオムを実際の状況で使うということも。かーとならずに(なるけど)、まわりを見る、相手を聴く、自分も聴く。デュオ、続いてジャムとがつんと踊って楽しかった。家でトマト鍋&プレ誕生日ケーキ。
お仕事雑感プレゼン準備バージョン。

【足首、足、ひざの使い方、体重を楽に逃がすには】
床に足を置いてひざを曲げるとき(ex.2番プリエ)、かかと・親指のつけね・小指のつけねを結んだ三角形を意識する。体重を足首から甲へ、足の人差し指からくすり指のほうを出口として流す。なだらかな盆地のように体重を流してあげる。

私は甲(土踏まずの上)でがんばって、ブロックしてしまいがち。そこで止めないで、指先のほうへ体重を楽に流す。

Lのレッスン今年初。私は土踏まず(ハイアーチと言われた)が凝りやすく、足がつりやすいのでこの説明にすごく納得する。こうゆうことがひと目でわかって、アドバイスできるってすごいプロフェッショナルだし、こういう人との出会いも豊かだと思う。

今日はなぜか足がつりまくるったら。すっきり動けるようになりたい。

・投げ出してゆけ。そういうことを言われる場であることが嬉しい。

・前より背中を使ったり、意識を向けたりできるようになりました。背中をひねって手を伸べたとして、保つのでなく先へ先へと身体を運んでゆく。前から言われていることだが、バランスを保つのでなく、崩れてもいいから、手から動きが伝わって身体がねじれる、ターンする。固定でない、動きに#運ばれる#。身体を投げてく。

・迷路を進むように、切り拓いていく。

・その先へ。

・手と足とばらばらに動かすのでなく、手に導かれて身体。私は切れちゃってるから、手と身体(胸だの腰だの背中だの)と足をつなげる。つながりを意識する。つながりのなかでの動きの伝わり方。

・コンタクトやはりもやる。相手に「動かされる」ということのキモは?これは難しい。自分で動こうとしない。任せる。「自分を無にする」感覚。

・そしてまたしばしお休みです。

・誰も見ていなくても、誰にも愛されなくても、ひとりで立っていこう。

とか。ことさらなんでこう言いたくなるのか。言わなきゃならないのか。なんか変なきわに立ってるんだろうけど自分。ほんとはそんな強さない。言葉にできないだけだ。
@シアタートラム。客席をとっぱらってそこも舞台に使うつくり。観客はまわりに座ったり、立ったままで観る。靴やかばんが降ってくる仕掛けや、斜めにかしいだぼろぼろのスタンドライト、クマといった美術、共演者(サイコシスから3人。えんえんと反復動作)、照明、音楽、みな悪くない(ただサイコシスほど必然性は感じない。焼き直しっぽい)。が、これは黒田育世でなくても成立する世界ではないだろうか。肝心のダンスが私にはあんまり面白くない。もっと生々しかったらよかったのに、と思う。印象でしかないけれど、黒田育世はこの枠組みにおいて無理しているというか、優等生的に合わせてみているような、そんな感じ。「黒田×飴屋」なのに力が拮抗してないというか…彼女の本当にやりたいことがやれてないような気がした。彼女の痛みの出し方は他にやり方があるのではないだろうか、と観ていて思った。そんな中、黒田育世が踊るそばでマイペースに(演出?)遊ぶ2才くらいの子どもがスゴイ!ものおじせず、気をとられず、自然体でなおかつきれいに空間を使ってるの。目を奪われました…。

私もひとりでしっかり立とう。とか思いました。がんばろうっと。
首のつけねから、両肩にかけてとどまっているそれは悲しみであることに気づく。溶かすには時間がかかる。時間をかける必要がある。世界の入り口が開くのを、映画のように私は見ている。

ダンスってそうなのだ。(それだけじゃないけど)そんなに簡単なこと?確かに上手な人は体重をうまく移すことができる。訓練しないと、人はなぜか自然な運びを切ってしまう。身体の意識とコントロール力の問題でもある。体重を先へ先へと送る。動きによって生じたエネルギーを殺さないでつないでいく。あーどうしても身体動かしたくて行ったパワー系基礎レッスン。みっちりとやりました。行ってよかった。自分がまだ生きてることが確認できました。前より少ない力で動けるようになったんだな。
・早めに家を出て、江島神社@江ノ島へ。お参りしてお守りを頂き、甘酒飲んで煎餅買って帰ります。

・夜はクラスへ。参加者すくなっ。しかも私以外のふたりはダンサーな子たちじゃないですか。ハンデつけてくだサイ…とか言えるわけもなくやたら手際よくさくさくと進む。

・ブラインドウォークの変型バージョン。2人で目をつぶってそれぞれ部屋のはしからスタート、目をつぶったままデュオ。見ていると目をあいてやっているかのように、切り替え、位置の呼吸が合っていたりする。

・やる側になると案外、相手の気配がわからず(聴こえない)想像に任せてやっていた部分も多かったのだが、こういう設定だとみな「見せよう」とするのでなく、身体の感覚に敏感に、素直になっていたそう。視覚に頼らず相手の動きをつかめるようになるとしたら。そういう感覚を磨くことが面白いと思う。

・シークエンス、表裏ある振り(同じことを向きを変えて繰り返す)。人と一緒だとわかったつもりが、ひとりでやると裏になった途端、方向がとんでく。そしてその後の振りもたたたー、ととんでく。「全然あたまに入らないんです」とはまさにこのことですね(とほほ)。

・広い部屋をこの人数で広々使い(よく動いた)、おまけメニューあり、でなんか豊かなきもち。自ら使いきりながらも贅沢な時間で楽しかったす。よくついていったんじゃないかな自分、新年ぼけ中のわりには。

月の石

2010年1月10日 ダンスもの
実はペンダントをなくす前から、「今年の誕生日も去年と同じ店でペンダントを買おう」と思っていたのだ。石のことだから、そんなこともあるのかなと思っている。特徴のあるペンダントだったので、ないとやたら寂しい。耐えがたく早いけど、今日もうその店(近所)に行くことにした。女性の店長さんは私をうっすら覚えていて、去年寄って見せてもらったときに落っことして、職人さんも出てきて2ミリくらいのその石を必死に探す騒ぎになったことを言ったら「あー!!」って。同じモチーフにはやはり心惹かれたけれど、あえて違うデザインにした。こちらも印象的。石は去年がグリーンガーネット、今年は白い(色のない)石がいいと思っていたのでムーンストーン・レインボーにしました。チェーンをいろいろ試し、結局もともとついていたものにする。そうして2代目を連れて帰る。では、よろしく。

土曜ジャズの先生のカンパニー公演を観に行く。先生が舞台出演はこれで最後とのことなので。プラス受付のちょっと手伝い(他は知らない若手ばかり、しっかりやっていたけど、私としてはあまりいい感じは受けなかったな)。
感想⇒1)相変わらず過ぎる。ありていに言えば、振付がつまらない。リフトも他にもっとやりようはあるんでは、と思う。動ける人がいるのにもったいない。ゲストダンサーも私はいいと思えなかった。⇒2)チケットが高過ぎる。ここはいつもそうだけど、前売り4800円は高い。で、出ている人の半数は研修生レベル。テクニックが全てじゃないけど、この価格の根拠が観ている側としてはわからない。お客さんは年配の方が多く、どうも内輪(出演者のツテ)でさばいているんではと思う。ここはチラシをばんばんまいたりしないし、なんか閉じてる、開拓してない感じがするんだよね(全般に言えることだが)。

1年以上前に見たとき「うまい」と思った子が今回も出ていて、さらにぐっとスケールアップしていた。身体がしっかりしていて、動きがダイナミック。海外でもやっていける存在感、テクニックじゃないだろうか。若いしね、もっといくでしょう。キャスト5番目くらいだけど、一緒に踊る人がみな食われてると思った。彼女はまた見たい。それは収穫。
去年の誕生日に買ってもらったペンダントヘッドを実家の洗面台で落としてしまった。水道屋さんがパイプをはずして、ずいぶん探してくれたのだが、見つからなかった。気に入って毎日つけていたものなので、ものすごくショックだし、悲しい。気が抜けてしまったよ。ずっと胸元にあったので、ぽっかり穴があいたようで寂しい。でも、あの子は役目を果たしたのかな、とか思う。いろいろあった去年、一緒にいてくれて、その年が終わったということ。それで行っちゃったのかなと。

年末年始の休みから、えらく疲れを感じる。寂しさも悲しさも感じる。ボディ・メンテナンスのレッスンに行ってその話をしたら、身体が変わり始めるとさまざまな反応が出てくるもので、疲れを感じたりだるくなったりするのもよくあって、それはいいことなのだとか。「今まで止めていたものだから、いろいろ出てくるかもしれない」そう。出てくるものは止められない。出してしまわなければ。

(胸を上げ続けて立つ)キャンプファイヤーが終わるときのイメージ、白い煙がすっと上に抜けていくように。
音が流れてくると、添うことができる。身体が言語のようなものを獲得したらしい。ダンスやっててよかったと思う。今は赤ちゃん言葉のしゃべりを、語彙を増やして、大人にしていきたい。私のいまの関心はこちらの「言葉」なのだが、本来の「言葉」が伝えられることはあるのだろう。何年か前、私は言葉から手をゆるめてしまった。しかし言葉でしか伝えられないこと、というのもあるのかもしれない、とふと思う。あるいは身体のように言葉を使うということ。あきらめることはない。いったん忘れる、入れ直す。


・松の内にクラス再開。思っていたよりずっと早くて嬉。メデタイ。

・床に転がり、空間に転がり、視線を交錯・カットする。いつも思うが、シーズン明け初回は「また一からやり直し」。身体、動かなかったなー。振り出しから、また引き続きがんばりましょう。

< 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索