「発表会の練習やっていいでしょうか」と先生が私に言うので「もちろんです」と答える。が、昨日のようにためにはならない。フォーメーション組んだり、短い出入りのフレーズを教わっても私は面白くない。つうか、ここまでやったらレッスンではなくリハでしょう。甘えんじゃねー。よっぽど時間ないんだなと思うけど。それに、もともといないはずの人間が臨時に立ち位置与えられても、他の人が動きにくいだろうし、私もいづらい。ちょっと考えてよ。「3分の1くらいしかできてない」(がーん)という話を聞いてたので、協力はするけどさ。発表会に出ない人間は発表会のない国へ行くしかないのか!リハじゃなくふつうの稽古がしたいさ。でもこの前よりは(作品の)先が見えた感じなのと、私は私の場所があるだろう、というのと。身体きかないなー、自分て今日、思った。なんかこの頃、怒ってばっかり。しかも外に出せない。
先週、休講だった火曜のレッスン、先生が超多忙で発表会リハをレッスン時間のみで行うとか。作品自体は年末年始の4回であがっている(すごい)と聞いたので、発表会に出ない私がついていけるのかと不安でもあったけど、出てみてよかった。ナンバー練習、入れるところは入れてもらったし。しばらく間があいたけれど、以前よりちょっと慣れたかも。「はじめの頃より、だいぶ(背中が)柔らかくなりましたね」と言われて嬉しい。背中意識強化中。背中が広くゆるく使えるようになったらいいよねえ。全体に自分が思っているより意識が上がってしまうので、身体の中心へ下方へ下げる。先生の作品づくりの発想、表現のアドバイスなど聞けるのは、すごくためになる。

通しを見せてもらったのだが、おもしろいと思った。5人が同時にそれぞれソロをとって、まだアンサンブル感に欠ける気もしたが、(発表会ナンバーというより)「作品」としてこれはよくなりそう。前から注目していた上手な人が、なんかすごいことしてた。おおむねできているのに、先生は最後にひとりがはける(退場する)ところが気に入らないらしく、何度も練り直す。こういうところも気を抜かない人って好きですよ。今日、彼が急に思いついて持ってきたという曲を、次のレッスンの先生が聴いてて「トム・ウェイツあたしも使うから使っちゃダメ~」と速攻ボツにされしょげてたのがおかしかった。
・昨日、「ない!!」と思って騒いでいた曲は、冷静になって聴き返したらちゃんとあった(Disc 2-2)。 何やってんだわたし。昨年末、忘年会に遅刻するまでタワーで試聴したあげく、買ったのがこれ。この手の「お洒落でかっこいい」音楽は、よさげでも一聴してそれきり、聴き込めるほど力がなかったり、あるいはジャズ寄りになり過ぎてしまうと自分の好みからはずれたりして案外難しい。これは足腰しっかりした感じする。なかなかよろしいんじゃないでしょうか。

・↑を聴きながら、江ノ島へ。吉例の江島神社お参り。けっこうな階段を上って本殿へ、お守りを頂き、さらに甘酒も頂く。初詣のわんこ連れ率って意外と高い。風が強いが快晴、気持ちいい。

・女子の振袖が年々、「和装」という地平から遠ざかっていくような気がする。コスプレ感あり。あのふわふわした白いショールは、もはやどういうジャンルのものなんだか。

・実家へ寄って眠りこける。しばこと同じ顔で寝てる、とか言われてた。

・夜、年明けて初クラス。身体も意識も起きないよ…とか思いながらあれこれ。

・「上手な人は音楽の奴隷にならず、曲のいいところをつかまえて動ける」というようなことを先生が言ってた。そう、そういうふうになりたいんです!

・でも(戦略たてながらも)魂もってかれるくらい奴隷になれるなら、それもありかな、幸せかな、とか思ったりもする。それくらい惚れ込める音があるなら。

・ここで言葉にするのは難しいが、この人の踊りのつかまえ方ってすごく面白いし、好きだなーと思う。こういうとらえ方があるんだ、という驚きと、こういうふうに、身体が空間をかきまぜてゆくようなダンスができたら、それはきっと観る人のもとにがーっと届くだろう、というのと。「私」がつくるのでなく、身体がつくる、というか。

・先生が「こういうのがいちばんつまらない」ってやってみせるようなこと(なぞってとどまる、みたいな)を、「ダンス」として専らやってるところもある、というこの裾野の不思議。
@BankART Studio NYK(横浜・馬車道)。振付・演出:カルメン・ワーナー。

薄暗いコンクリートのホール、天井から吊り下がる数々の白い衣装。開演前、ふだんのままのような黒っぽいコート姿のダンサーたちが舞台となるスペースに既についていて、ただ壁にもたれていたり、出し抜けに動きが静かに始まっては止んで、それをまた別なダンサーがもらっていったり…といった空間のたたずまいはたいそうかっこよく、これから始まる舞台に大いに期待を誘われる。

女性たち白いドレス、男性たちシャツ+パンツに着替えての本編は「キレイ系コンテンポラリー」。絵としては美しいのだが、残念ながら私の趣味には観念的に過ぎる感があり、フィジカルな喜びがなかったような。男性ダンサー(穴井豪、平原慎太郎、青木尚哉;個人的によかった順)、女性ダンサーたち、よかっただけにちょっともったいないと思う。プリマの方は、私はあまりこの作品に動きの質感が合ってない気がした。でさ…最後のほうにセリフがあるんだけど、もう喋んなよ!っちゅー興ざめ。身体表現でも言葉は慎重に使ってほしいと切に思います。どうしても使わなきゃならないんなら。

会場は昔、倉庫に使われていたという施設で、舞台スペースのまんなかに太い柱があったりする。それはあらかじめチラシにも書いてあったのだが、すごく見にくい。ある一点で繊細なことされてもさっぱり見えてなかったりする。それは「ご了承ください」じゃなくて、そういう会場の特性を視野に入れたうえで作品をつくるなり、客席の配置を考えてほしいと思いました。これも注意書きにあったけれど、寒かった!です。横浜行って舞台いっこ観て一日終わる。うち帰って、コートのまま畳でしばし寝ちゃった。

その後、年末にタワーで試聴して買ったCD聴いたら、「これだ!」と思ったまさにその曲が入ってないので呆然とする。なんのために試聴したんだか、私の妄想? 買ったCD自体は悪くないんだけど、動揺してあれこれ検索するうち夜が更ける。心当たりは聴いたのだが、結局わからない…。
クリスマス以来だから、だいぶ間があいてしまった。鏡で動きを見て、なんか貧弱だなと思う、自分。終わって先生と話す。発表会ナンバーやって「ところどころさまになってる」っていうのは、喜んでいいのか情けないような。でもあまり褒めない人だし私はリハ出てないんだし…まあよくやってるのかもしれない、と自分で言っとく。初回でまた「首が抜けてない」と言われてしょんぼり。私はたとえば足をあげて上体下にかぶらせるような動きが苦手で、なかなか深くもぐれないのだが、この先生にはそのことを(もう3年ですか)言われ続けている。最近、背中や首を気にするようにしているからちっとはよくなったかと思ったのに。「もっと腹(とか腰まわり、下半身)に頼っていい」とのこと。そうですね。わざわざ言いに来てくれて、ありがたいと思う。初レッスンで初ダメ出しって…幸先いいような気がしてきた(笑)。それはともかく、発表会もうすぐ。私にダメ出ししてる場合じゃないんでは。そろそろ髪を切らなければ。
会社始まったが、クラス・レッスン始まらず。そうすっとすることもないのでうちでバレエ@スカパー(シアターTV)でも観る。「プラハ・バレエ・ガラ」で、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」を使った実にクールな振付のデュオ作品があった。白シャツに黒パンツのダンサー2人、どっちもすごいけど、特に女のほうスーパーテクニック!と驚いていたら実は20代初めの男性なんだそうだ。

彼はダニール・シムキン(Daniil Simkin)、一緒に出ていたパートナーはお父さんだとか。華奢なのにバネがあり(跳躍の高いこと!)、しかも表現が豊か。「マイ・ウェイ」は稽古場でも時にかかることがあり、私は忌み嫌っている(シナトラが嫌なんじゃなくてこの曲が困る。むしろピストルズのやつのほうがまだましなんじゃ)のだが、こんなにかっこいいダンスができるなんて。短い一曲でも見応えのある、素敵な作品は作れるというお手本。目からウロコでした。

シムキン君公式サイト(その他の動画あり)
http://www.daniilsimkin.com

おまけ。「色校正」について調べていて、パントンのサイトでたまたま見つけた「誕生色占い」(英語)。解説と3つのキーワードが表示され、カードも送れます。私はLilas(16-1708; sensual, creative, sensitive)でした。
http://www.colorstrology.com/


スタジオに訊いたら明日のレッスンも休みだとか。公演間近だからそうかと思ってたけど、つまらなーい。泣けるよ。
とにかく寝てたり横になってたりの一日。今年の占いを読んだら、うかうかしてられないみたいだ。明日から会社、わぁん。

私が以前通っていた自助グループのミーティングでは話すことにより自分を表し、シェアしていた(ただそこにいることや、たとえば涙を流すことも表現ではある)。が、いまは自分について言葉で説明することに興味をなくしている。私は声が小さくて滑舌も悪いせいか、聞き返されることが多く発話することがそもそも負担になってしまった、というのもひとつの理由ではあるが、人と対していざ話そうとすると貧弱な言葉しか出てこない。書き言葉も難物だが、それにも増して話し言葉は私の手に余る。

言葉を使わないで、あるいは言葉が表しにくいことを表現できるから。言葉を使わなくても、そこにいることができるから、人といることができるから。だからダンスにたどりついたのかもしれない。けれども、ダンスの場でも「人と関わる」という点では言葉を使う場面と同じなのだ、ということに気づいたのはつい最近だ。

「私なんかと人が真剣に関わってくれるはずがない」「相手は私と本当は関わりたくない、さっさと別れたがっている」という前提。実際、つきあうには重たい人間だと思う。が、ひょっとしているかもしれない私と真剣に向き合ってくれようとする人にとっては失礼なその前提をはずしてみるとしたら。「人と向き合う」という人間関係のベーシックを、まず身体を使う場面、ダンスの時間空間において改めて意識し、その場にいる人、相対する人としっかり関わること。大事に、実行してみようと思う。
ど年末にクラスの忘年会。場所はある受講生男子のご自宅。何も知らされないまま行ってみたら、まるで舞台装置かどこぞのアートなカフェのように個性的かつ居心地よい部屋なので一同うっとりする。人の本棚やCDラックを見るのは面白いが、彼のセレクションは私のそれよりよっぽど繊細で知的でリリカル。

持ち寄り&鍋の会、ということだったので私は料理する気合十分、あらかじめメニューを考え一品をつくって持参、かんたんな二品をその場でつくるという段取り整え食材ばかりかMYエプロン、MYまないたまで抱えて行ったらば、「何人もの料理人が先を争ってなんかつくるのだろう」という予想は大ハズレ、料理に燃えていたのは私だけだった(あとからつくってくれた人はいた)。君たち食卓を救うという気はないのか、甘い、甘すぎるよ!でももともとつくりたくてつくったんだから、いいもん。それにお世話になり感謝したい人たちに料理できる機会だから、これは絶対なんかつくりたいと思ったのだ。

実はひとり暮らししてから、たいして台所に立つこともないくせに気合十二分だった私。それでも幸い持参したミートボールと、その辺のお子たちばかりか先生まで手伝わせてつくったシーザーズサラダ、アボカドのディップは衝撃的においしかったらしい。ほっとする。家族以外の人々に喜んで食べてもらえるのはとても嬉しいです。でも「クラスのお母さん」呼ばわりは嫌。

つくり終えた時点で燃えかすとなった私は、そう言えばつくったもの食べるの忘れてた。先生が言っていたように、みんな「いい人」たち(従順、とも言ってたな)と思う。みんななんでそんなに無防備でいられるの?と全身防備の私は思う。始まった頃からここに通っているけど、こんなふうに家庭的な宴会をするようになるなんて、当初を考えると隔世の感がある。やはり初期から出ているクラス友が「ここってこんなに平和な場所だっけ?」と言っていたけど、それはなんかわかる。そんな違和感は今日、私にもあった。自身が今日この人たちとここにいるという流されっぷりも不思議だ。

いろんな人と話せたし、ゆっくり過ごせもしたのだが、料理熱がさめると輪の外からみんなを眺めてる。人のなかで孤独感を感じる、というのは何かの病気なんだっけ? 結局「私はやっぱりひとり」という思いを強くする。どうしても、ひとり。始発を待つ組は残って、それ以外の人々は帰る。終電にギリギリ間に合ったと思ったら、電車が遅れていた。人身事故。言葉で人と関るのってむずかしい。説明不要の人になりたい。

おさまった

2008年12月26日 ダンスもの
DHL出してグラフ直して表整えてCD焼いてまたDHL出して校正してあとなんか忘れたけど納会は誘ってくれたもののさすがにそんなばりっとした場は顔出しづらくてパスタイムシート計算して提出して仕事納め。心から心からウレシイ。全身のねじがほどけるような感じする。いろいろあったけれど年末最後のこの日までたどりつくことができて、ほっとする。メンクリ。ダンスのしあわせ、とか話したいこと話して、欲しいクスリ出してもらってさくっとこちらも終わり。今年はここの待合室の床で寝たり外のベンチで寝たりもしたっけな。育ててくれる、って、ああだから深いところで安心しあたたまるのか。もう記憶にないけれど、育ててもらうってこういう体験なのだろうか。私のままでただいていいの、か。薬局の方が「調子どうですか」と声かけてくれる。昔々、通っていたところは薬局も無愛想、カンジ悪かった。言わなくてもいいことなのに、こういうちょっとした心づかいがひき上げてくれる。両手を差し伸べ、立たせてくれてる。今年はこの薬局の椅子でも横になって寝たことあった。今日はちゃんと腰かける。「そこそこです」なんて言ったりして。帰って実家に報告。よくがんばったよ、と言われじわり。がんばった、のかな。うん、自分がんばったな。ともかくふみとどまった。おかげさま、です。ありがとうございます。

・頭の重みで上体が前へ傾くとしたら(ダウンする姿勢)、支点は肩甲骨のあいだの背骨。そのほうが確かに身体がつながってきれいだと思う。首のつけ根からぽきっと折れるんじゃなくて。首ねっこだとそこでロックされちゃうというか、なるほどそこで流れが切れてしまいますね。頭部の動きの発端を首じゃなくて、背骨、「翼のつけ根のまんなか」あたり…っていうふうにやってみる。
・彼女の亡くなりようについて、思わずにいられない。べつだんファンではなかったのに、ショックを受けている。どんなありかたでも死は死だけれど、こんなふうにこの時期に亡くなってしまうなんて。元タレントとして、というより、ひとりの女性としての彼女の死を悼む。

・気になってしまうのは―すぐ自身になぞらえるのも不謹慎なようで申し訳なく、でも思ったことなので書いてしまうが―やはり自分の残りの生や終わりと重ね合わせるからだ。ひとりでそんなことを考えていると、深く落ちそうになる。

・帰ってこられなくなりそうなとき、人を求めるべきなのかもしれないけど、私は音楽とダンスに必死でつかまる。ひとりでもそこならいられるから。そこではひとりなのだと思うが、あるいはひとりじゃないのかもしれない。

・そんなことを、クラスが始まる前に考えていて、動いていた。久しぶりに人が多く、初めて来る人も多かった。

・ペアでコンタクトインプロ。新しい方向けモードなクラスのなか、みっちりあれこれ言われる。そんで言われたようにあれこれやってみるのだが…「かかりきり」だったのは私が言われたようにつかめてないからですね。とほほだよ。サーブを拾い損ね続けるバレーボール部員のきもち。

・相手と、コンタクトしている(押している)場所をちゃんと見て動くこと。自分で動くのではなくて相手に動かされるということ。

・こんだけやってても、私はコンタクトの肝がわかってないんだと思う。どうしても焦って動いてしまうし…この辺メンタルブロックごろごろしてる気がします。

・年内ラストなのでうつくしく〆たかったのですが、「あー!」って頭かきむしりつつ課題を来年にひきずりつつ終わる(しかも動き足りないし)。

・ここの時間と空間はきれい、と思う瞬間が今日もある。
・会社で不毛に消耗したのと、これから稽古場まで歩いていかねばというときにこそ期待に応えて雨が降ってきたというので―たかが雨だけどさ―しょんぼりする。しょげ気味のままクラス受けてしまいました。明日は休みというのに。まぁこういうことはあるけど、職場の「エネルギー奪取力」ってある。馬鹿になんない。

・振りはいまいち入らないし、すっ転んでるし。

・みんなうまくなってるなぁ、とつくづく思う。ダンスそのものにそうなじみがない人でも短い振り写しで動けるし、ユニゾンの心意気が入ってる。それも自分だけ勝手に上達する、っていうんじゃなくて、その場に貢献するような成長なので、なおさら活性化する。すごい。

・自分はというと、前よりそういえば自由度が上がったかなと思う。この自由度をもっと広げて、メンタルブロック突破できるといいです。

年内の〆に整骨院へ。私は「足の土踏まずの部分がこりやすい」のだそうだ。土踏まずが凹みすぎて高い(偏平足の逆)足も実はよくなくて、その部分が張りやすかったり、足裏(特につま先寄り)でしっかり蹴れず指がまるまりがちなんだとか。道理で足指が伸びないと思ったよ。その部分をしっかりもんでほぐしてあげる。もうここ通っていて10年近くになるかな。こういうマニアックな部分も見てくれて、アドバイスしてくれるというのは嬉しいですね。
・ソロものより、ペア、グループでやる作業というのがだいたい苦手だ。誰かとやると、その誰かに自分にない何かをもらって、自分を広げる機会になります…というのは頭ではわかっているのだが。

・先週4人でしたグループインプロ(動きを誰かが出して、それを拾うなり自分で違う動きを出すなりしてグループとしての流れをつないでゆく)を5人でする。開口一番、「このグループは膠着してたね」と先生に言われてしまったが、それはやってる最中から感じていたし、やる前からどうしよう、てな気持ちでもいた。前のグループがとてもいい感じに反応して動いていたので、なおさら。

・グループでやってることがつまらなくて、途方にくれてしまった。誰かが何かを出しても、惹かれない、かといって自分で何かを出せない…という悪循環。このどよんとした動きを続けるならいっそ止まりたい、と思って止まってしまったりもしたが、これはよくなかったと思う。

・「受信と発信を同時にせよ」というのがセオリー。私は受信はするけれど、なかなか自分から発信できなくて、こういうふうにはまるとなおさらできなくなる。誰もすぐに拾ってくれなくても、動きを続けるとか、あるタイミング・場所でわかりやすく主張するべきだとか、「会話と同じ」。とにかくなんでも試してみろ、って。あー、私は会話が苦手!

・これは即応性が試されるし、かつその人の性格だとか癖がすごく出るので「こわいよね」とあとでクラス友と話した。

・「ジャズダンス枠」からはだいぶはみ出てきたと思うが、ダンスを習ったりしているといわゆる「ダンス枠」にとらわれる。いわゆるダンス的な動きでないとOKでない、という狭っこい考え。メンタルブロック。少なくとも自分はそうだ。こういう作業をすると、「ダンスっぽくやらなきゃいけない」みたいなとらわれに自分が縛られているのを感じる。何かかっこいいい、素敵なことをしなきゃみたいに刷り込まれてるわけ。

・そんな不自由な「ダンス」って何なんだ? 引き出しふやしたくて、自分になじんで新しい、たとえばそういう動きをみつけたくてこういうところに来ているのに、「いわゆるダンス」に縛られててどうする。そんな「ダンス」を鎧のように着ててもしょうがない。

・膠着してるとき、たとえばいっそより膠着の方向にもっていく。うつならとことん落ちろ、みたいに。

・「つまんない」と思っても、とりあえず試してみる。それで自分でそれをアレンジして変える、とか。受信のみで待ち、様子見になっちゃうのはだめ。建設的でない。

・私はもっと人とか場を見ないと。

・ダンスしてると「三点倒立」とか「関係性」とかこなさなければならないので大変です(なんてね)。どちらも健やかにこなしてる人は大丈夫。三点倒立のほうは一回だけゆるく脚がのびたのであとちょっとかも。

・しかしアート(便宜的にそう言う)は無防備なリアリティに比べればずっと守られてる、と思う。落ち込んでるとキリないので次。
突如として私のhot issueとなった「逆立ち」。昨日も寝る前に試してみたら、ちょっと感じがつかめた。すごく嬉しい。ダンス友が「(コツは)お腹」と言ってたのもわかる気がする。今日も少し練習してみたら、ひざを持ち上げるところまではなんとかできても、脚がのばせない。腹まわりがしっかりしないとできないのですね。でもこれすごくいい練習だと思う。うち頼りになるフリーな壁がなくて、壁倒立ならぬふすま前っていうのがしょぼいですが。倒立についてぐぐったとき「こういうのは『怖っ』という領域にふみこんでみないと、できない」と書いていた人がいて、そうだよなーと深くうなずく。身体のことはやってみないと始まらない。スタジオのレッスンは年内今週で終わり。先生たちが「舞台のリハ」という強いカードを出してきたので通常のレッスンは負けます。イブの日もフツーにレッスン出る気でいたけれども、休みならうちで三点倒立の練習してるでしょうね。
すぐできちゃった勘のいい人(彼女は怖いもの知らず)によると「(コツは)お腹、お腹」だそうだ。私は首に体重かかりそうなのがこわくて、頭と両腕を三角に置くのがまず怖いです。その時点で違ってる。家でもやってみる。ちょっと上がったけど腹に力が入ってない。三点倒立ぐぐってみて、解説(ヨガのポーズであるんだって)とか写真入り説明(こういうのすごく助かる)を入手。練習してみよ。こーゆーのできるといいんだよね~。
・この世に音楽があって本当によかった。何言ってるのかわからなくても、誰かがつくった3分間や5分間に助けられている。

・クラスに行くと、ジャズとか映画音楽だとか、ふだん自分が聴かないようなジャンルのインストがかかっている。来るとそれまで自分でもっていた音楽はたいてい忘れてしまうのだが、今日はなぜかレディオヘッドが耳を離れずついてきてた。

・コンテンポラリー・ダンスってよくわからないなー、と思った。何をよしとするのか、何をしようとしてるのか、見てたらよくわからなくなってきた。身体の運動のエネルギーの運びはわかっても、気持ちはどうもってく。中世の宗教音楽みたいな曲がかかっていてどこにも気持ちを逃がせない。しかもこの陰鬱な曲、自分でももってるんじゃ…(あとで調べたらもってた)。

・私たちのグループはそれなりによかったみたいだけど、自分はちょっとこもってしまったか力が入ってしまったか。音に逃げられないと、「思い入れ」ばかり強くなってしまうような気もしながらやっていた。われわれ4人、それぞれ勝手にやりたいようにやってたけど、厳密に言えば自分は本当にやりたいようにはやれきれなかったかんじ、します。

このさき

2008年12月13日 ダンスもの
実家にておうちの問題の話。レッスン行って「(振りの動きが)荒々しい。殺人キックみたいにやらない」とか言われてしょげる。自分ではいい感じじゃないの、とか思ってたのに見えてなかった。ここで荒々しいってことは他でも荒々しかったりするんだろうか(汗)。力抜き気味にして様子見。
・手で円を描いて…という苦手なワーク。先生の動きを見ていてあーと思い(もう何度も見ているのに気づいたのが今日)まず上半身先行で柔らかく使い、それに腕がついてくる感じにしたらやりやすくなった(理想としては腰も脚も参加させて、でしょう)。そして楽しくなった。見ている人に「動きのつなぎがなめらか」と言われてかなり嬉しかった。

・自由に動けるチャンスだったのに私が指示を勘違いしていて逃した。悔しい。

・4人でするインプロ。相手の動きを拾ってもいいし拾わなくてもいいし、でも受信も発信も同時にする。緩まないでできた気もするが、「アクションのほうが拾いやすい。動きの発展があるとよかった」と言われてなるほどと思う。ダンスにつながるような動きがもっとあればよかったということ。一緒に組んだ面子でそうならなかったのはそういえば意外だが、動きをつくりだすこと持続させることふくらませること…のほうが単純なアクションよりやはり難しいというか気合がいるんだと思います。

・こうゆうことやってる間に跳んだりあちこち打ちつけたりするんだけど、すごく面白い。手加減せずにやることがいいっ。けがはいやですけど。考えてる暇なんてなくて条件反射みたいになんかする、動く。視床下部のすみっこのどこかが点火されてるのかもしれない。動物みたいに反応することがスリリングだし気持ちいい。

・こうゆうことやってる自分の無政府状態っぷりはどうよ、とか思う。でもアップしたり転がったりして待ってると、自分がここの一部であることの自然と恵みに「アナーキーならアナーキーでいいじゃんよ」とかも思う。


とか言っちゃってレッスンに行ってみたら面白かった。広さに対して適正人数だったのもいやすかったです。この先生はてっきりご幼少のみぎりからバレエを習って…てな人だと思っていたら、実は19からストリートダンスで始めたんだそうだ。そして10年たたずにコンテで舞台に立てるダンサーに。すごいね。男性はこういうふうに大人スタートでもプロになってる人多い気がする。振りの動きはついていってるようでも先生いい顔しない、というのはニュアンスとか細かい部分で違うのだろう。スタジオには鏡がある。線が弱い、自分。もっと足腰強く。そういう練習をしているはずなのだが。しっかりした印象を残したい。それからあまりにもくたびれた稽古着はなんとかならんか。何年着てるっちゅーの。お寝巻きみたいです。電車のメンズファッション誌の中吊り広告で「彼女パパの突破服」とかあるのに笑った。時代はそこまできてるすか。彼女パパは何着てようが娘の彼氏はキライだと思うよ?ガンバレ。
・"If you love somebody set them free""Shape of my heart"の2曲は好きだし、クオリティ高い曲つくってると思う。スティング。でもなんとなくキライ、とか聴きながら思う。シャーデーみたい。

・首の力を抜いて、と言われる。首を振ってみる。首が固いんです、と言うと「首のことはいいから、忘れて」(言うくせに)。でもそうなのかもしれない。力を抜くにはそのパーツを忘れる。自分の首を忘れる。首が固いことを忘れる。

・かわりに背骨のまるみのことを考えてみる。静かな背中がいつか言葉を得られるように、意識を向けてみる。じっくりと。話しかけてみる。辛抱強く。

・マンネリしてる、同じようなルートしか通ってない自分。

・テクがないから、せめて思いきり動く。終わると自分がだしがらみたいになってて、「もうお茶は出ません」っていうくらい。もうなんでもいいから。きれいさのかけらもなく。自分をこういうふうに使い切る時間はすごく面白いし必要。だからいつものいわゆるレッスンってgoing nowhereって気もしてしまう、私には。

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