実家でお寿司&ケーキの豪華ランチ。これは遅ればせの誕生日祝い。重くなったお腹でコンタクトインプロのWSへ。内容は入門、でした。コンタクトインプロは何も複雑なことはしてない(はず)だけど、するする動きをつなげるのは容易くない。「習うより慣れろ」にせよ、もうちょっと苦手な人の苦手に効率よく訴えるようなメソッド化はできないんだろうか、CI。講師の方が「あまり考え込まなくていいですよ」と仰ってたので、考えるのやめます。なんにつけ私、考え過ぎなのかもしれないな。緊張もする。なんか全体にツカレタ。帰りにいろいろ日用品などお買物、まったく予定になかったのに雑貨屋さんで珍しい配色の「のれん」買ってしまった。
・月曜がアドバンス(振りのあるクラス)、対して木曜はベーシックなはずだが、私は木曜のほうが苦手だし緊張する。いまだに緊張する。何やるんだろうってどきどきする。
・相手のつくるポーズの空間を使って動く、手や頭や背中を使って空間をたどるように動く。うちに帰ると、あれこれ思いつくのに、その場でなかなかできない。
・ブロックされるなー。私はお題にとらわれやすいので。切り替えを早く、適当に(好きなように)。遊ぶっていうのがもともと苦手で、余裕がないからまじめにやっちゃったりする。
・つい忘れる「頭」。身体の動きに頭も参加させる。頭まで動きがつながると上手に見える(てか、上手)。
・背中を(がんばらないで)反らせる、力を抜いて胸を開く。足を上げて逃がす。絶妙な指摘。マニアックなところさすが見てる。
・毎度、思いますが、みんな上手くなった。緊張しないのかしら。自由になりたい。
・相手のつくるポーズの空間を使って動く、手や頭や背中を使って空間をたどるように動く。うちに帰ると、あれこれ思いつくのに、その場でなかなかできない。
・ブロックされるなー。私はお題にとらわれやすいので。切り替えを早く、適当に(好きなように)。遊ぶっていうのがもともと苦手で、余裕がないからまじめにやっちゃったりする。
・つい忘れる「頭」。身体の動きに頭も参加させる。頭まで動きがつながると上手に見える(てか、上手)。
・背中を(がんばらないで)反らせる、力を抜いて胸を開く。足を上げて逃がす。絶妙な指摘。マニアックなところさすが見てる。
・毎度、思いますが、みんな上手くなった。緊張しないのかしら。自由になりたい。
背中も首まわりもカチカチだし、なんかいろいろ疲れちゃったしレッスン休んで整骨院へ行こうかどうしようか夕方までなやむ。結局、休まず行く。昨日、フローリングの床で転がって痛くしたところ、今日はリノリウムのスタジオで転がってほぐれたような気もしないでもない。まぁでも首と背中をさすってくれる奴隷君がうちにいたらいいなぁ。ダンスする人はいっぱいいて、踊れる人もおそろしくいっぱいいて、舞台もたくさんあることを思うとなんともいえない気持ちになる。私はどうやって居たらいいんだろうとか。身体を大きく、柔らかく使えるようになりたいです。その一方で、ただ自分のためになんも考えず、音を聴いて楽しく踊りたいな、とも思う。そういう時間もほしい。ふとさびしい。
・フレッシュネスバーガーをガーリーにしたような店に寄ったら、隣で大人のカップルがしみじみお茶していてなんかこーあーわたしはこーゆー人間らしい営みとは無縁な人生だわねー、とか思う。
・イチゼロな勢いでダンスしてるけど、何度も書いてるけど、だからって、他に何もないからってそれがギフトになるわけじゃない。誰もが努力はしているし、努力は数量で報われるものじゃない(これだけやったから、これだけ返る、とか)。他にすることがない、てゆうだけなんです。
・自分が休んだ週の振りやって、なんだか身体まわんないなーと。(わかんないぶん)えいっ!て転がってたから、背中イタイ。たとえば「腕に連れて行かれて身体の向きが変わる」っていうふうにやるのが難しい。「自分でやってる」とか言われる。
・足(の裏)で地面をまっすぐに押す、ことの難しさを今ごろになって気づく。何年、人間やってるんだか。このシンプルなことができない(案外、力が入んない)ことに驚く。
・舞台のお知らせとか、踊りっぷりとか、イキオイだとか、みんなの若さがいちいちつくづく羨ましい日。年齢は変えられないけど、せめてもうちょっと可能性を信じられたら、見通し少しでも明るくもてたら、と思う。この先こわいから、イチゼロ。
・年をとることについて、プロのダンサーはどう考えているのだろうか、知りたい。年齢を重ねることがハンデにならない類のアートだとして、でもその上であぐらをかくのもやだし。
・私のダンスってどんななんだろう?
・イチゼロな勢いでダンスしてるけど、何度も書いてるけど、だからって、他に何もないからってそれがギフトになるわけじゃない。誰もが努力はしているし、努力は数量で報われるものじゃない(これだけやったから、これだけ返る、とか)。他にすることがない、てゆうだけなんです。
・自分が休んだ週の振りやって、なんだか身体まわんないなーと。(わかんないぶん)えいっ!て転がってたから、背中イタイ。たとえば「腕に連れて行かれて身体の向きが変わる」っていうふうにやるのが難しい。「自分でやってる」とか言われる。
・足(の裏)で地面をまっすぐに押す、ことの難しさを今ごろになって気づく。何年、人間やってるんだか。このシンプルなことができない(案外、力が入んない)ことに驚く。
・舞台のお知らせとか、踊りっぷりとか、イキオイだとか、みんなの若さがいちいちつくづく羨ましい日。年齢は変えられないけど、せめてもうちょっと可能性を信じられたら、見通し少しでも明るくもてたら、と思う。この先こわいから、イチゼロ。
・年をとることについて、プロのダンサーはどう考えているのだろうか、知りたい。年齢を重ねることがハンデにならない類のアートだとして、でもその上であぐらをかくのもやだし。
・私のダンスってどんななんだろう?
ピーピング・トム Le Sous Sol/土の下
2009年2月6日 ダンスもの@世田谷パブリックシアター。ベルギーから初来日のカンパニー。もぐらの巣穴みたいな空間、こんもりと土をかぶった居間。ダンサーたちは土をかぶりながら踊り、時にはその下へもぐって消える。タイトル(「土の下」)から欧米的に連想するに「死」がからんだ作品ではないかと思っていたらやはりそうで、3部作の3作目、生がちらりと交錯するような死後の世界という設定であるらしい。
2人の男性ダンサーに、女性はエキゾチックなガブリエラ・カリーソ、ダイナミックな身体つきのメゾ・ソプラノ歌手(美声)ユルディケ・デ・フール、なんと82歳の俳優・ダンサー、マリア・オタルという個性的な顔ぶれ。マリアはロマンチックというか濃いぃデュエットも踊っておられました。日本で選出されたシニアの方々も出演しています(なかなかいい)。「前方に倒れこみつつ反り返った足のほうから立ち上がる回転」(って書いてもすごさが伝わらないかも、エッシャーの絵に出てくる虫みたいだった)「手をつかわないで連続前回り」とかアクロバティックな動きに見とれる。「女性の首の後ろと、男性の肩(片側)」「足の裏と脚のつけね」をそれぞれ合わせて、さんざん動いてもその位置がまったくぶれない、という凄腕コンタクトインプロもよかった。
「面白かった~」と言ってた人もいたけど、私にはちょっとドラマの要素が多すぎ、演劇的なシーンのためにダンスがこま切れになる印象がある。ちょっと説明的かなと思う。もっとダンスが観たかったです。はっきり言って音楽よくない。ダンスを生かす使い方は他にあるはず。音質もチープ。こういう演劇とダンスをミックスさせたスタイルって好き好きなのかもしれないが…私としてはちょっと重たくなるというか、ダンスのプラスにするのは難しい気がする。他の手段でできることをあえてダンスで表そうとするっていうのは。ちょっと寝ちゃいました。後日、このカンパニーのワークショップに行くんだがちょびっつ心配。今日はポストトークもあって、演劇評論家がインタビューしてて「身体の一部を固定させた、特異な振付」とか言ってるんだけど、知らないのかな?それにこういう高度なコンタクトは他にもやってるところあると思う。ポストトークでもちょっと寝ました。
なんかどっと疲れる。グループインプロのことをやっぱり考えてて、あれはそれぞれの「ダンス観」がでるなと思う。
2人の男性ダンサーに、女性はエキゾチックなガブリエラ・カリーソ、ダイナミックな身体つきのメゾ・ソプラノ歌手(美声)ユルディケ・デ・フール、なんと82歳の俳優・ダンサー、マリア・オタルという個性的な顔ぶれ。マリアはロマンチックというか濃いぃデュエットも踊っておられました。日本で選出されたシニアの方々も出演しています(なかなかいい)。「前方に倒れこみつつ反り返った足のほうから立ち上がる回転」(って書いてもすごさが伝わらないかも、エッシャーの絵に出てくる虫みたいだった)「手をつかわないで連続前回り」とかアクロバティックな動きに見とれる。「女性の首の後ろと、男性の肩(片側)」「足の裏と脚のつけね」をそれぞれ合わせて、さんざん動いてもその位置がまったくぶれない、という凄腕コンタクトインプロもよかった。
「面白かった~」と言ってた人もいたけど、私にはちょっとドラマの要素が多すぎ、演劇的なシーンのためにダンスがこま切れになる印象がある。ちょっと説明的かなと思う。もっとダンスが観たかったです。はっきり言って音楽よくない。ダンスを生かす使い方は他にあるはず。音質もチープ。こういう演劇とダンスをミックスさせたスタイルって好き好きなのかもしれないが…私としてはちょっと重たくなるというか、ダンスのプラスにするのは難しい気がする。他の手段でできることをあえてダンスで表そうとするっていうのは。ちょっと寝ちゃいました。後日、このカンパニーのワークショップに行くんだがちょびっつ心配。今日はポストトークもあって、演劇評論家がインタビューしてて「身体の一部を固定させた、特異な振付」とか言ってるんだけど、知らないのかな?それにこういう高度なコンタクトは他にもやってるところあると思う。ポストトークでもちょっと寝ました。
なんかどっと疲れる。グループインプロのことをやっぱり考えてて、あれはそれぞれの「ダンス観」がでるなと思う。
・ピザ、というのは一方のてのひらに直径30センチのピザがのってるつもりで腕を動かしつつ身体も連動させつつ流れるように踊るべし、という定例のワークです。流れで床に入ろうとも決してピザを落としてはいけません。部屋のはしからスタートして踊りながら一枚のピザ(片手)を向こうのはしにいる人に届ける、だとか、両手にピザを載せて途中で一枚をテーブル(かなんか)に置いて、後半残った一枚をくるくるしながらゴールする、というバージョンもあります。動きがとまってブサイクなことすると「時給が減る」そうです。なんのこっちゃ。
・別にひじや手首を回すところを見せたいわけではなく、「ピザが載ってる」というお題によって、身体(体幹)や脚が連動して動きの流れをつくるところがメイン。以前は腕にとらわれて脚がお留守になっていたけど、脚も動かして移動したりできるようになった。
・でもたとえば右足から左足への重心の移動がうまくできない。ぎこちなかったりふらふらしたりする。ここでうまく片足でバランスをとりつつ、なめらかに重心を移動させて流れをキープできるとよいのですが。一緒に組んだ人がマイムをしている人で、そのへんすごく上手でなめらかに重心を右から左へと移していた。
・「ピザ」自体はシンプルなワークだし、何度もやっているのだが、いまだに難しい。のだめ風だと「ぎゃぼー」って感じ。「よしっ」って思ったことないよ。たとえば床だと接着面が大きいので重心を移していくことには慣れたが、立った姿勢だと(改めて意識してみると)難しい。
・でもこういうシンプルな作業がなぜ難しいかというと「要求水準が高い」から。一見できてる、で終わることなし。次々とハードル高く設定して、実際に自分でそのハードルを越えてみせて「こうすればいい」と教えることができる人がいるからできること。苦手なところよく見てる。チェック賜りました。
・始まる前、Fat Boy Slim "Rockafeller Skank"がかかっていたので思わずなつかしんでしまったが、ここでこういう曲がかかるのって珍しい(いつもイージーリスニングとかジャズとかです)。しばらく聴いてたら(ここのところずっと抽象的なことしてたせいか)こういうフツーにノリのいい音が素直に楽しかった。私はこの曲しか持ってないけど、このアルバムいいのかもしれない。
・別にひじや手首を回すところを見せたいわけではなく、「ピザが載ってる」というお題によって、身体(体幹)や脚が連動して動きの流れをつくるところがメイン。以前は腕にとらわれて脚がお留守になっていたけど、脚も動かして移動したりできるようになった。
・でもたとえば右足から左足への重心の移動がうまくできない。ぎこちなかったりふらふらしたりする。ここでうまく片足でバランスをとりつつ、なめらかに重心を移動させて流れをキープできるとよいのですが。一緒に組んだ人がマイムをしている人で、そのへんすごく上手でなめらかに重心を右から左へと移していた。
・「ピザ」自体はシンプルなワークだし、何度もやっているのだが、いまだに難しい。のだめ風だと「ぎゃぼー」って感じ。「よしっ」って思ったことないよ。たとえば床だと接着面が大きいので重心を移していくことには慣れたが、立った姿勢だと(改めて意識してみると)難しい。
・でもこういうシンプルな作業がなぜ難しいかというと「要求水準が高い」から。一見できてる、で終わることなし。次々とハードル高く設定して、実際に自分でそのハードルを越えてみせて「こうすればいい」と教えることができる人がいるからできること。苦手なところよく見てる。チェック賜りました。
・始まる前、Fat Boy Slim "Rockafeller Skank"がかかっていたので思わずなつかしんでしまったが、ここでこういう曲がかかるのって珍しい(いつもイージーリスニングとかジャズとかです)。しばらく聴いてたら(ここのところずっと抽象的なことしてたせいか)こういうフツーにノリのいい音が素直に楽しかった。私はこの曲しか持ってないけど、このアルバムいいのかもしれない。
・予想されたことだがグループ・インプロWS終わってしまって寂しい。あれくらいの集中力でダンスのことを考え、身体も動かせる時間がいってしまった。
・一週間ぶりにクラスへ行く。WSであーだったんですよ、こーだったんですよと珍しく口数多い私の話を機嫌よく聞いてくれる。てか、今日ぜんたいに機嫌よかったですね、先生。
・インプロ4時間よりこのクラス2時間のほうが過酷だよ、とか思っていたが、今日はあっさりさわやかに終わってしまった。
・見に来てくれた友人が、何人かの人の衣装が見栄えしなかったと言う。うーん、私もカジュアルに衣装決めてるのはどうなんだろうと思っていた。そういうところ含めて作品だと思うぞ。
・せっかく教わったことを忘れないように続けられる機会がほしいです。
・一週間ぶりにクラスへ行く。WSであーだったんですよ、こーだったんですよと珍しく口数多い私の話を機嫌よく聞いてくれる。てか、今日ぜんたいに機嫌よかったですね、先生。
・インプロ4時間よりこのクラス2時間のほうが過酷だよ、とか思っていたが、今日はあっさりさわやかに終わってしまった。
・見に来てくれた友人が、何人かの人の衣装が見栄えしなかったと言う。うーん、私もカジュアルに衣装決めてるのはどうなんだろうと思っていた。そういうところ含めて作品だと思うぞ。
・せっかく教わったことを忘れないように続けられる機会がほしいです。
WONDERLAND
2009年2月1日 ダンスもの非常な眠気のなかで書いたので昨夜の日記はところどころ破綻してるのがおかしい。
「音楽に演劇は勝てない」って…ダンスだろって。言いたかったことは、昨夜2番目のグループ(今日の2組にも感じた)を見ていて「音楽に合わせすぎ(ひきずられている)」と感じたこと、音楽と踊りとの距離がべったりだと作品としては力のないものに見えるということ。おそらくは状況に戸惑って、音楽に依存するようになったのではないだろうかと。
昼は子どもとつくる即興公演のお手伝い。私たちはお客様が客席につくまでのにぎやかしというかひらひらしている係を仰せつかったのだが、みんなの衣装の凝り具合ったら!舞台はストレンジなプレイルームの趣、ダンサーもミュージシャンもアリスのティーパーティに出てくる人たちみたい。子どもたちが遊ぶこと遊ぶこと。私は子ども苦手ですが、それでも子どもが夢中になって遊んだりダンサーに誘われて動いたりするさまは、心がぽかぽかするものだった。コンテンポラリー・ダンスの公演でこうハッピーになれるものってないかもしれない。子どもたちをうまーく仲間に入れて、作品空間をつくり(まさしく「子どもがつくる」即興作品!)しかも終わりをつけることができるパフォーマーたち、本当にすごいと思いました。しかし客電つけても子どもたち帰らず(笑)。ふつう大人のお客はさっさと帰るよ。ひとしきり遊ぶまでまだまだ続いたのだった。
夜のプログラムまで、私はヒマなので出演するみんながストレッチするのを眺める。スキンヘッドのアレキサンドラの女性らしいふくやかな身体。バレリーナみたいに脚の上がるYちゃん。倒立する人たち(うらやましい)。それぞれの稽古着、それぞれの身体。
見るというのはすごくためになる。プロのダンサーを見て、その場で起きたことを「受けとめる力」がいかに大切であることかに気づく。一緒に出てくれるダンサーたちは難しいことはしないのだが、同じような振りをしていても受講生とダンサーではかもし出されるものがまるで違ってくる。(この場に限らず)ダンサーが素敵なのは、ダンサーを見ていたいと思うのは、かれらの「落ち着き」のせいではないだろうか。
先生は「reactionではなくrespond」と言っていた。昨日もそうだったのかもしれないが、今日のインプロも悪くはなかったもののリアクション的なものがやや目立ったように思う。緊張してたのかな。ここ2,3日のみんなの出来を見ていると、もっと多様な表現ができただろうと思うところを、各人が場の勢いにひきずられてる感もあった。それゆえに乱暴になったり、動いていても停滞しているような空気だったり、前述したように音楽と近すぎたりもしていたと思う。
ダンスのなかでもインプロは特に、その人の癖とか性格とかが出てしまいやすい。人と関わるときにもその癖をひきずったままやってしまいがちなのだが、ダンサーはそうでなくもっとニュートラルで安定している。ダンサーはその人にしかできない動きをしているとしても、それがイコールその人の人柄が無防備に出ている感じはしないんだよね。そこが素敵。私たちは(訓練されていないまま)さらされてしまう自己に、どのくらい自覚的であるだろうか?
がんばっている自分、だとか、それぞれのダンスに対する思いだとか、その人自身につながる何かは別にそのまま見たくない。若くて元気、っていうのも隠しようがないだけにどうなんだろう…「若さ」のエネルギー、ひらめきに作品が大いに助けられることもあるけれども、厄介だなと思った。いろんな考えの人がいるだろうが、私はやはり「さらされる自己」そのものを、見せるものにしてほしくない、と思う。まぁこの辺はむずかしい。
今日の2本の作品ではどちらも何人かが声を出したり(言葉を発したり)、音を出していた。私は「何か言う」については慎重派で、というのもそれは安易に流行しがちだし、そこでエネルギーとっちゃうと「ダンス」とは違くなる気がする。で、まあちょっと演劇的な傾向もあったんだけど、「ダンス」なんだから別に表情はニュートラルでいいんじゃないだろうか。インプロでは「感情」を入れなくていいように思う。シリアスなトーンの場面で、こわい顔をしてた人がいたのでそんなこと気になりました。
終演後、カラオケルーム(でもカラオケはしない)でぎゅうぎゅうになって打ちあがる。本拠地オランダの女性ダンサー・振付家の先生はパワフルかつチャーミング、私は彼女の話し方がとても好きだ。「まぁまぁまぁ」って話をおさめるのと、「ん!」って相づちをうつ言い方。先生は私の居方が「きれい」って言っていたそうだ。自分への誕生日プレゼントのつもりで参加したワークショップ+ショーイングだったが、人との出会い、人と関わることの大切さ、空間・時間の意識…とはかりしれないほど価値ある学びの機会となりました。未消化かつまだまだ足りない部分もわかったので今後へつなげたい。お疲れさまでした。ありがとうございます。
「音楽に演劇は勝てない」って…ダンスだろって。言いたかったことは、昨夜2番目のグループ(今日の2組にも感じた)を見ていて「音楽に合わせすぎ(ひきずられている)」と感じたこと、音楽と踊りとの距離がべったりだと作品としては力のないものに見えるということ。おそらくは状況に戸惑って、音楽に依存するようになったのではないだろうかと。
昼は子どもとつくる即興公演のお手伝い。私たちはお客様が客席につくまでのにぎやかしというかひらひらしている係を仰せつかったのだが、みんなの衣装の凝り具合ったら!舞台はストレンジなプレイルームの趣、ダンサーもミュージシャンもアリスのティーパーティに出てくる人たちみたい。子どもたちが遊ぶこと遊ぶこと。私は子ども苦手ですが、それでも子どもが夢中になって遊んだりダンサーに誘われて動いたりするさまは、心がぽかぽかするものだった。コンテンポラリー・ダンスの公演でこうハッピーになれるものってないかもしれない。子どもたちをうまーく仲間に入れて、作品空間をつくり(まさしく「子どもがつくる」即興作品!)しかも終わりをつけることができるパフォーマーたち、本当にすごいと思いました。しかし客電つけても子どもたち帰らず(笑)。ふつう大人のお客はさっさと帰るよ。ひとしきり遊ぶまでまだまだ続いたのだった。
夜のプログラムまで、私はヒマなので出演するみんながストレッチするのを眺める。スキンヘッドのアレキサンドラの女性らしいふくやかな身体。バレリーナみたいに脚の上がるYちゃん。倒立する人たち(うらやましい)。それぞれの稽古着、それぞれの身体。
見るというのはすごくためになる。プロのダンサーを見て、その場で起きたことを「受けとめる力」がいかに大切であることかに気づく。一緒に出てくれるダンサーたちは難しいことはしないのだが、同じような振りをしていても受講生とダンサーではかもし出されるものがまるで違ってくる。(この場に限らず)ダンサーが素敵なのは、ダンサーを見ていたいと思うのは、かれらの「落ち着き」のせいではないだろうか。
先生は「reactionではなくrespond」と言っていた。昨日もそうだったのかもしれないが、今日のインプロも悪くはなかったもののリアクション的なものがやや目立ったように思う。緊張してたのかな。ここ2,3日のみんなの出来を見ていると、もっと多様な表現ができただろうと思うところを、各人が場の勢いにひきずられてる感もあった。それゆえに乱暴になったり、動いていても停滞しているような空気だったり、前述したように音楽と近すぎたりもしていたと思う。
ダンスのなかでもインプロは特に、その人の癖とか性格とかが出てしまいやすい。人と関わるときにもその癖をひきずったままやってしまいがちなのだが、ダンサーはそうでなくもっとニュートラルで安定している。ダンサーはその人にしかできない動きをしているとしても、それがイコールその人の人柄が無防備に出ている感じはしないんだよね。そこが素敵。私たちは(訓練されていないまま)さらされてしまう自己に、どのくらい自覚的であるだろうか?
がんばっている自分、だとか、それぞれのダンスに対する思いだとか、その人自身につながる何かは別にそのまま見たくない。若くて元気、っていうのも隠しようがないだけにどうなんだろう…「若さ」のエネルギー、ひらめきに作品が大いに助けられることもあるけれども、厄介だなと思った。いろんな考えの人がいるだろうが、私はやはり「さらされる自己」そのものを、見せるものにしてほしくない、と思う。まぁこの辺はむずかしい。
今日の2本の作品ではどちらも何人かが声を出したり(言葉を発したり)、音を出していた。私は「何か言う」については慎重派で、というのもそれは安易に流行しがちだし、そこでエネルギーとっちゃうと「ダンス」とは違くなる気がする。で、まあちょっと演劇的な傾向もあったんだけど、「ダンス」なんだから別に表情はニュートラルでいいんじゃないだろうか。インプロでは「感情」を入れなくていいように思う。シリアスなトーンの場面で、こわい顔をしてた人がいたのでそんなこと気になりました。
終演後、カラオケルーム(でもカラオケはしない)でぎゅうぎゅうになって打ちあがる。本拠地オランダの女性ダンサー・振付家の先生はパワフルかつチャーミング、私は彼女の話し方がとても好きだ。「まぁまぁまぁ」って話をおさめるのと、「ん!」って相づちをうつ言い方。先生は私の居方が「きれい」って言っていたそうだ。自分への誕生日プレゼントのつもりで参加したワークショップ+ショーイングだったが、人との出会い、人と関わることの大切さ、空間・時間の意識…とはかりしれないほど価値ある学びの機会となりました。未消化かつまだまだ足りない部分もわかったので今後へつなげたい。お疲れさまでした。ありがとうございます。
私たちワークショップ生が出演する作品には「40 winks」というタイトルがついている。これは英語のスラングで「昼寝」という意味だそう。今日は2時に劇場入り、3時からゲネプロ、7時に本番、というスケジュール。昨夜のリハのときはかなり途方に暮れていて、実は本番が楽しみというより気が重くなっていた。今朝になってリハで試した衣装のスカートが動きにくくはないけどなんか違う気がして、ふだん用のパンツをすそ上げしてそっちに替えることにした。そしたらちょっと気分が上向きに。「このままでは終わらない」と心に誓ったりしてみた。
結果的にゲネも本番も前日よりも落ち着いて、楽しめた。ゲネではなかなかできないソロがとれたのが嬉しかった(本番ならなお良かったけど)。不思議なものでソロをとれる瞬間、その場所が自分に向かってぱかっと開いている感じがするのです。見ていた同じ受講生からは「クリアーできれいだった」と言われた。ゲネは動き中心、本番ははじめの子が「ママー!」と一発叫んで出たからシアトリカルでアナーキーな感じにもなった(何か言ったりすると作品が演劇的になりやすい気がする)。ちょっとマニアックだけどいろんなシーンができて面白かったな。男性ピアニスト氏がほんと引き出しの多い人で独り言、言ったりもしていた。言葉をバックに動くのってなかなか好き。音楽はピアノとベース、それにおもちゃ(転がすと牛が鳴くおもちゃ、マラカス、ラッパなど)、と即興演奏なのでインプロ環境としてはハードル高い。あとで件のスタッフの方が「昨日より楽しんでいる感じ。(私)らしい踊りだった」と言ってくれて、言うので見ててくれることがありがたいです。
先生が言ってたように「音楽に演劇は勝てない」と思う。私たちのピースには京都の男性ダンサー君とイタリア人女性ダンサー(妊娠5ヶ月め)が参加していて、とても助けてもらった。どちらともデュオっぽくさせてもらたし。かれらはどんな状況になっても収拾つけてくれて、積極的にからんでくれるし、すごいと思う。私たちは顔ぶれ、また他のなんらかの理由によりインプロが良かったりそうでもなかったりする(今日の2番目のグループはちょっと困ってた印象、昨日のほうがうまくいってた)のに対し、どんな分野のプロにも共通して言えるだろうが「いつでも同じクオリティのものを提供できる」こと。その場での即応力がぜんぜん違う。さすがと思った。本番は15分があっという間。来て下さった方、ありがとうございます。チケットを買ってくれた目の肥えた人たちから感想をきくのがこわい。今日のはどうだったでしょう。楽しめるものになっているといいけど。明日はリラックスして観に行きます。こういうことで頭も身体も忙しくしていられるのは本当に幸せだと思う。
結果的にゲネも本番も前日よりも落ち着いて、楽しめた。ゲネではなかなかできないソロがとれたのが嬉しかった(本番ならなお良かったけど)。不思議なものでソロをとれる瞬間、その場所が自分に向かってぱかっと開いている感じがするのです。見ていた同じ受講生からは「クリアーできれいだった」と言われた。ゲネは動き中心、本番ははじめの子が「ママー!」と一発叫んで出たからシアトリカルでアナーキーな感じにもなった(何か言ったりすると作品が演劇的になりやすい気がする)。ちょっとマニアックだけどいろんなシーンができて面白かったな。男性ピアニスト氏がほんと引き出しの多い人で独り言、言ったりもしていた。言葉をバックに動くのってなかなか好き。音楽はピアノとベース、それにおもちゃ(転がすと牛が鳴くおもちゃ、マラカス、ラッパなど)、と即興演奏なのでインプロ環境としてはハードル高い。あとで件のスタッフの方が「昨日より楽しんでいる感じ。(私)らしい踊りだった」と言ってくれて、言うので見ててくれることがありがたいです。
先生が言ってたように「音楽に演劇は勝てない」と思う。私たちのピースには京都の男性ダンサー君とイタリア人女性ダンサー(妊娠5ヶ月め)が参加していて、とても助けてもらった。どちらともデュオっぽくさせてもらたし。かれらはどんな状況になっても収拾つけてくれて、積極的にからんでくれるし、すごいと思う。私たちは顔ぶれ、また他のなんらかの理由によりインプロが良かったりそうでもなかったりする(今日の2番目のグループはちょっと困ってた印象、昨日のほうがうまくいってた)のに対し、どんな分野のプロにも共通して言えるだろうが「いつでも同じクオリティのものを提供できる」こと。その場での即応力がぜんぜん違う。さすがと思った。本番は15分があっという間。来て下さった方、ありがとうございます。チケットを買ってくれた目の肥えた人たちから感想をきくのがこわい。今日のはどうだったでしょう。楽しめるものになっているといいけど。明日はリラックスして観に行きます。こういうことで頭も身体も忙しくしていられるのは本当に幸せだと思う。
DAY 8(リハーサル 20:00~22:00)。5人ずつ照明をつけて舞台でインプロ、私は最後の組で終わったら知り合いのスタッフ(かつダンサー)の人に「もっと楽しんでいいと思いますよ。でないともったいない。考えないほうがいい」と言われてどきっとした。「無理に踊らなくてもいいんだし」と言われたのも痛かった。それも真顔で…よっぽど固いインプロだったか、私の性格お見通しなんだろうか。「それぞれ勝手なことをしていて、優等生ではないが5人のあいだの関係が妙に面白い」と言った人もいた。私、からみづらい人って思われてるだろうなぁ。確かにこのところ「正解」を探してばかり。それも人のやったことや、自分がかつてやったことのなかに探している。「どうするべきか」なんてやってるから続かないし、つまらなくなる。やり切ってないまま次がくるので、はけられない。楽しめないときに、「楽しんだほうがいい」って言われるのも「じゃあどうやってさ」と悲しいきもちになるが、でも彼女の言う通りなんだと思う。正解なんてない。いろいろ考えちゃ書いてきたけど、考えすぎて動けなくなってきた。振り返って探すのやめよう。(グループのために?)「やらねばならないこと」なんてほっとけ、やりたいようにやろう。明日は本番。
DAY 7(21:00~23:00)。明日はリハなので実質的には今日がWS最終日。考え過ぎるときもあれば、楽しめるときもあり、やるたびに感じも課題も違う。まだまだまだ、なのに。この妙な時間帯にも無理やり慣れてきたのに。
1)やり切る
私たち5人のグループはいろんな要素が出たのだが「果たして自分のやっていたことをやり切っていたかどうか」と言われた。3番目のグループではじめに出た女性が、片腕を振り回すというシンプルな動きをしばらく続けていて、確かにその長さでやってくれると見る側としても落ち着く。なるほど、と思った。
自分がインプロで走ってみたとき、(止めるに止められず)かなり長く続けたらすっと終われた。このときはやり切っていたのだと思う。やり切ると自然に終われる。
ひとつのことを長く続ける。時間をかける。そうすると自然に次が生まれる。
2)get physical
私たちのグループはなぜかシアトリカルになって、それはそれでいいのだが、動きがつながりにくくなっていた。自分がつくったキャラクターにとらわれないこと、キャラクターはいつでも捨てることができる。
ダンス的なことをすることについて、まぁつまり「踊る」ってことだけど、わたしにはまさに「メンタルブロック」がある。「身体を使えてない」「できない」のに中途半端に踊ってもな…というコンプレックス。それで非ダンスの動き(歩くとかしゃがむとか座るとか、そういう日常の動き)に走るところもある。
「今日は舞台にいようとしてたでしょ。もっと見たいと思っても行っちゃったりしてたから」と見ててくれた人もいた。そもそも、もっと出てていいのかも。私が出てもなーとか頭のなかで言ってないで。もっと自分にこの空間を許していいんじゃないの。なんかもっといろいろ、許していいんじゃないのか。
3)同じ音楽を奏でる
3番目のグループがほんとに良くて「これぞグループインプロ」って感じだった。ソロからデュオや、5人になる流れが自然でダイナミック。ひとりひとりが自分の役割をきちんと引き受けてる感がありとても観やすかった。今まで目立たなかった感のある人まで臆せずソロをとったり、素晴らしい。見とれてしまいました。
彼女たちはごくシンプルなことを時間をかけて育て、みんなで上手に共有していた。彼女たちがしていたのは、相手に合わせる、とか、同じかたちをとる、というのではなく「同じ音楽を奏でる」ということではないだろうか。同じ音楽を奏でることをしばらく続けて、それが自然に変化する。私はついアクセント的なことをしがちなので、観ていて時間をかけることの大切さが伝わり、勉強になった。
いろいろ人のこと書きながら、自分こそ「空気読めない」ヤツなんじゃないのという気もしてしまった。今日は今までやったことない感じでやってみよう、と思ってやっていて、その試み自体は悪くなかったみたいだけど。
とにかく私は「考え過ぎ」になりがち。考えて途方にくれるようだったら、動きをその場で拾う、時間をかけて育てる、ひとつのことを長く続ける、同じ音楽を奏でる、仲間を信頼する(ゆだねる)というシンプルなところに戻ろう。そして、勇敢に。
1)やり切る
私たち5人のグループはいろんな要素が出たのだが「果たして自分のやっていたことをやり切っていたかどうか」と言われた。3番目のグループではじめに出た女性が、片腕を振り回すというシンプルな動きをしばらく続けていて、確かにその長さでやってくれると見る側としても落ち着く。なるほど、と思った。
自分がインプロで走ってみたとき、(止めるに止められず)かなり長く続けたらすっと終われた。このときはやり切っていたのだと思う。やり切ると自然に終われる。
ひとつのことを長く続ける。時間をかける。そうすると自然に次が生まれる。
2)get physical
私たちのグループはなぜかシアトリカルになって、それはそれでいいのだが、動きがつながりにくくなっていた。自分がつくったキャラクターにとらわれないこと、キャラクターはいつでも捨てることができる。
ダンス的なことをすることについて、まぁつまり「踊る」ってことだけど、わたしにはまさに「メンタルブロック」がある。「身体を使えてない」「できない」のに中途半端に踊ってもな…というコンプレックス。それで非ダンスの動き(歩くとかしゃがむとか座るとか、そういう日常の動き)に走るところもある。
「今日は舞台にいようとしてたでしょ。もっと見たいと思っても行っちゃったりしてたから」と見ててくれた人もいた。そもそも、もっと出てていいのかも。私が出てもなーとか頭のなかで言ってないで。もっと自分にこの空間を許していいんじゃないの。なんかもっといろいろ、許していいんじゃないのか。
3)同じ音楽を奏でる
3番目のグループがほんとに良くて「これぞグループインプロ」って感じだった。ソロからデュオや、5人になる流れが自然でダイナミック。ひとりひとりが自分の役割をきちんと引き受けてる感がありとても観やすかった。今まで目立たなかった感のある人まで臆せずソロをとったり、素晴らしい。見とれてしまいました。
彼女たちはごくシンプルなことを時間をかけて育て、みんなで上手に共有していた。彼女たちがしていたのは、相手に合わせる、とか、同じかたちをとる、というのではなく「同じ音楽を奏でる」ということではないだろうか。同じ音楽を奏でることをしばらく続けて、それが自然に変化する。私はついアクセント的なことをしがちなので、観ていて時間をかけることの大切さが伝わり、勉強になった。
いろいろ人のこと書きながら、自分こそ「空気読めない」ヤツなんじゃないのという気もしてしまった。今日は今までやったことない感じでやってみよう、と思ってやっていて、その試み自体は悪くなかったみたいだけど。
とにかく私は「考え過ぎ」になりがち。考えて途方にくれるようだったら、動きをその場で拾う、時間をかけて育てる、ひとつのことを長く続ける、同じ音楽を奏でる、仲間を信頼する(ゆだねる)というシンプルなところに戻ろう。そして、勇敢に。
DAY 6(21:00~23:00)。こんなにだらだらセッションハウスに通ったことなんてない。集中して行ってるせいか、初日がはるか昔に思える。けど1週間もたってない。
1)メインを見せるための2つのやり方。1.オーダー(秩序だてて物事を並べる)2.カオス(混沌をつくりだす)
これは例えば部屋でなくしたものを見つけるために、片付けていくか散らかしていくかの違いで「ものが出てくる」という結果に変わりないのに似ている。この2つのやり方でインプロを7人でやってみたが難しいワークだった。何がメインか(誰かのソロなりデュオなり、動きなり何でもよい)を全員で作品の最中に決めるのだが、その意思が全員で揃うことなどあるんだろうか?で、決めたらそのメインとなるものをみんなで「育てる」。
カオスのほうも難物で、同じことをしていてもそれはカオスにならず(だから止まっていてはだめ)、つまり先読みできるようなことは否カオスなのだ。そうやってでたらめなものを出しているなかで、不思議とオーダーが見えたりする。カオスの新しい読みとり方を提示する、それがコンテンポラリー・アートの方法、なのだとか。
みんなのパフォーマーとしての成長っぷりが素晴らしい。場の入り方、動き方、それぞれがどんどん広げているんですけど、すごい(従って作品が見やすく、しっかりしたものになっている)。いわゆるダンスっぽい動きばかりしてた人がより自由になってるし。太くなってるなーと驚く。
初日は正直なところ「これで人に見せられるものができるんだろうか」と心配なところもあったけど、たくましくなってきたしお互い信頼が育ってきてるんじゃないだろうか。くだくだ書いていますが、早い話が「グループ・インプロ神経」としか呼べないようなものを鍛えられているのです。昨日よりはよかったと思う、自分。楽しかったし。でももっといろいろ、今までやったことがないことを試してみたい。わたしは変化してるんだろうかね。
1)メインを見せるための2つのやり方。1.オーダー(秩序だてて物事を並べる)2.カオス(混沌をつくりだす)
これは例えば部屋でなくしたものを見つけるために、片付けていくか散らかしていくかの違いで「ものが出てくる」という結果に変わりないのに似ている。この2つのやり方でインプロを7人でやってみたが難しいワークだった。何がメインか(誰かのソロなりデュオなり、動きなり何でもよい)を全員で作品の最中に決めるのだが、その意思が全員で揃うことなどあるんだろうか?で、決めたらそのメインとなるものをみんなで「育てる」。
カオスのほうも難物で、同じことをしていてもそれはカオスにならず(だから止まっていてはだめ)、つまり先読みできるようなことは否カオスなのだ。そうやってでたらめなものを出しているなかで、不思議とオーダーが見えたりする。カオスの新しい読みとり方を提示する、それがコンテンポラリー・アートの方法、なのだとか。
みんなのパフォーマーとしての成長っぷりが素晴らしい。場の入り方、動き方、それぞれがどんどん広げているんですけど、すごい(従って作品が見やすく、しっかりしたものになっている)。いわゆるダンスっぽい動きばかりしてた人がより自由になってるし。太くなってるなーと驚く。
初日は正直なところ「これで人に見せられるものができるんだろうか」と心配なところもあったけど、たくましくなってきたしお互い信頼が育ってきてるんじゃないだろうか。くだくだ書いていますが、早い話が「グループ・インプロ神経」としか呼べないようなものを鍛えられているのです。昨日よりはよかったと思う、自分。楽しかったし。でももっといろいろ、今までやったことがないことを試してみたい。わたしは変化してるんだろうかね。
1)7人なら7人、最大人数が場に出ているときはそれによって最大の力が発揮されているかどうか考える。
DAY 5(21:00~23:00)。気分転換に稽古の前にレッスンでたら、いつもはやらない、そして苦手な筋トレだのピケターンやらされ、「身体利かないな自分」としょげる。「できない」というコンプレックス刺激されたまま行ったせいか、なんだか心身とらわれて固くなってた。自由がなかった。自分の前のグループのみんながすごくよくなっていたので、出る前に緊張してしまったし。新しい動きをやってたり、ほんと成長しててびっくり(で、またへこむ)。そんなで自分ははけるタイミング逸して、楽しめず、ぼけぼけ。いいとこなかった。考え過ぎモードに入ってる。あれこれ考えこまないでやってみよう。
DAY 5(21:00~23:00)。気分転換に稽古の前にレッスンでたら、いつもはやらない、そして苦手な筋トレだのピケターンやらされ、「身体利かないな自分」としょげる。「できない」というコンプレックス刺激されたまま行ったせいか、なんだか心身とらわれて固くなってた。自由がなかった。自分の前のグループのみんながすごくよくなっていたので、出る前に緊張してしまったし。新しい動きをやってたり、ほんと成長しててびっくり(で、またへこむ)。そんなで自分ははけるタイミング逸して、楽しめず、ぼけぼけ。いいとこなかった。考え過ぎモードに入ってる。あれこれ考えこまないでやってみよう。
I miss you
2009年1月26日 ダンスものDAY 4(21:00~23:00)。風邪がやばい感じにしのびよってきてるので手短に。あくまで省エネモードで参加(すいません)。疲れているせいか、人のダンスのなかにエゴを見がちな日。「私を見て」的なものを浴びてしまった感あり。自分なんか捨てちまえーと海に向かって叫びたいというか。
輪になって誰かがソロを始めていいところで別の誰かが入り、デュオでしばらく動いてからはじめの人が抜ける、というとてもためになるワーク。ちょっと気合が要りますがこういうのはやったほうがいい。グループのときでもそうなのだが、相手が近くにいても、あるいはなんらかのコンタクトをしているのに、デュオが成立してない人がいる。自分の踊りをずっとしてるわけ。そういう人ってある程度素養があるので、すてきなことを続けられたりするのだが、見ていてなんつうか寒々しくなる。きつい言い方だけど、私はそう感じる。
あるいはグループで誰かがセンターをとったとして、グループのために(グループの空間を感じながら)その場所をとるのと、自分のことしか頭になくその場所をとるのでは見た感じ全然違う。後者は「おまえそことんな、どけ」って言いたくなりますよ。言葉で言っちゃだめでダンスで言わなきゃいけないんだけど。
グループと自分の関係、って繊細なものがあるようで、自分もなければいけないけれどあまりにそれに固執しても困ったことになる。いつでも自分を手放せるように、自分を空に、グループで起きたことが入ってこれるように…。自分をグループに編みこんでいくような感じ?まぁなんにせよ、空間を、起きていることを感じるのが大前提だと思う。
自分の世界に入りがちな人はその人なりの理由があるんだろうけど…あまりにエゴが見えるダンスはダンスと思いたくない。なのにそれが(テクニックがあるから)成立しているようにみえると、ダンスって何なの?と悲しい気持ちになる。
誰かと場にいるのに、出会わないで自分にこもるのはあまりにも悲しい。自分のスタイルを貫いていれば、予想されたルートを通れる。人と出会うのは、うまくいかないかもしれないし、失敗するかもしれない。でも私は拙くても、失敗したとしても、人とちゃんと出会うようにしよう、と思った。予想外の展開を怖れず楽しみに、しっかり出会うようにしようと思った。そう思えただけでも、今日のワークはとても意義があった。
輪になって誰かがソロを始めていいところで別の誰かが入り、デュオでしばらく動いてからはじめの人が抜ける、というとてもためになるワーク。ちょっと気合が要りますがこういうのはやったほうがいい。グループのときでもそうなのだが、相手が近くにいても、あるいはなんらかのコンタクトをしているのに、デュオが成立してない人がいる。自分の踊りをずっとしてるわけ。そういう人ってある程度素養があるので、すてきなことを続けられたりするのだが、見ていてなんつうか寒々しくなる。きつい言い方だけど、私はそう感じる。
あるいはグループで誰かがセンターをとったとして、グループのために(グループの空間を感じながら)その場所をとるのと、自分のことしか頭になくその場所をとるのでは見た感じ全然違う。後者は「おまえそことんな、どけ」って言いたくなりますよ。言葉で言っちゃだめでダンスで言わなきゃいけないんだけど。
グループと自分の関係、って繊細なものがあるようで、自分もなければいけないけれどあまりにそれに固執しても困ったことになる。いつでも自分を手放せるように、自分を空に、グループで起きたことが入ってこれるように…。自分をグループに編みこんでいくような感じ?まぁなんにせよ、空間を、起きていることを感じるのが大前提だと思う。
自分の世界に入りがちな人はその人なりの理由があるんだろうけど…あまりにエゴが見えるダンスはダンスと思いたくない。なのにそれが(テクニックがあるから)成立しているようにみえると、ダンスって何なの?と悲しい気持ちになる。
誰かと場にいるのに、出会わないで自分にこもるのはあまりにも悲しい。自分のスタイルを貫いていれば、予想されたルートを通れる。人と出会うのは、うまくいかないかもしれないし、失敗するかもしれない。でも私は拙くても、失敗したとしても、人とちゃんと出会うようにしよう、と思った。予想外の展開を怖れず楽しみに、しっかり出会うようにしようと思った。そう思えただけでも、今日のワークはとても意義があった。
アイディアは見せるな
2009年1月25日 ダンスものDAY 3(13:00~18:00)。「ワークショップ3日目がもっとも疲れるので、参加者は元気づけようと自らカラフルなTシャツを着る」という“言い伝え”(笑)があるんだとか。でも別にみんな昨日とおんなじような色合いだった。
1)コンタクトインプロは「人(相手)の足に立つ」
…なるほど。己の力でやらない、ということなんだけど。今日は少しコンタクトの時間もあったのだが、やっぱり難しいなぁ、と感じる。
2)インプロの3ステージ
「インスピレーション(A)→思考検討(B)→アクション(C)」という3段階を、意識して(特にBを)やってみるというワーク。Blueprint(青写真)から建築に至るまでの道筋を意識しながら動いてみる。
インプロというとその場の思いつき、みたいに思われがちだがそうではなくて、その瞬間での「振付」(だからインプロ上達のためには、振付作品を多く踊るのもいいのだとか)。アイディアをそのまま出さない。動きながらも「練る」ことを考える。観る人にとってはすべてがアウトプット(結果)。アイディアだけを続けざまに出しても、観る人は疲れてしまう。インスピレーションからの洗練・発展を考えながら動くこと。
3)自分が一秒前にやったことのなかにネタがある
自分の動きの後ろから探す。自分の動きによって生じたもの(身体の感覚、その動きが描いた線、イメージなど何でも)から次の動きを起こす、という自分を楽にするためのインプロテクニック。自分が一秒前にやった動きのなかに遊べることがある。
4)pieceとして達成すればよい
自分はやりきってなくても、ピース(作品)として達成できていればよい。グループの幸せ、ですな。グループの幸せを追求しつつも、自分も幸せになることをあきらめない(不幸にならない)、自分を犠牲にしないという感じ。
やはりこういうこと(ダンスなりインプロなり)をしようと思う人は「出たい人」なので、場に出ることは経験を問わずひるんでないというか恐れがないように見えるが、「出たいから出る」っていうんではだめで、その場に自分の存在が必要なのか、自分が出ることによって効果が上がるのか、自分がそこでやりたいことがあるのか、といったことを瞬時に検討したうえで出るべきだと思う。厳しいようですが、お金を払って来てもらう「舞台」ということを考えるとなおさら。
5)ツボを押さえる
グループに自分の動きを伝播させたいとき、「ここでやるべき」という場所がある。マッサージでいうツボを押さえないと、神経に届かない。つまり伝わらないので、「ここでなきゃ」という場所を勇気をもって押さえてアピールするべし。
6)自分が思っているより長く
相手にからんで巻き込もうとするとき、相手がなかなかとってくれないとしても、粘ったほうがよい。自分が思っているより長めにやってみる。あと、「あそこはもう少し長くやったほうがよかった」と言われたところもあったので、自分が思うより長くやってみる。
7)再び音楽との距離
人のを見ていて思ったが、音楽とあまりに合ったイメージの動きをしているとしっくりはするのだが、見る側として「先が読める」ということもある。チャレンジだがそこは裏切ってみてもいいのでは(あっさりはけるとか)。
8)関係性
これも人を見ていて思ったが、「わかりやすい関係性」をあえて見せることはないのでは。自然とそうなったならいいけど。フレンドリーとか、対決とか「説明的」になってしまうと、そこはダンス的でなくなる気がする。重くなる。
最後のピースを2組でやったとき「無駄なことをしてない。場の取り方が見事」とほめられた。「見習うべき」とまで言われて嬉しかったです。中年は若い子みたいに後先考えずに動けないのよー、最小のエネルギーで最大の効果、みたいな。というのもありますが、場にある動きが過剰でないかどうか、いるべきところに人がいない、とかいうのは見て動いている。「見やすく」していかないと、見る人はつきあってくれないとも思うし。これやってて「場に誘われている」という感じがわかった瞬間もあった。
グループインプロの肝は何より「空間意識」だと感じる。
WS期間中、なんだかお腹がすいて、やたら高カロリーのものをとっている。帰りにアイスクリーム食べに寄っちゃったし。でもこういうことに没頭できるのは本当に幸せ。ふだんだったら日曜は寝てるのに。私にとってハリのある生活とは、作品が至上であるまさにこのことでしょう。こんな日々が続くなら、クスリいらないかもしれない。
1)コンタクトインプロは「人(相手)の足に立つ」
…なるほど。己の力でやらない、ということなんだけど。今日は少しコンタクトの時間もあったのだが、やっぱり難しいなぁ、と感じる。
2)インプロの3ステージ
「インスピレーション(A)→思考検討(B)→アクション(C)」という3段階を、意識して(特にBを)やってみるというワーク。Blueprint(青写真)から建築に至るまでの道筋を意識しながら動いてみる。
インプロというとその場の思いつき、みたいに思われがちだがそうではなくて、その瞬間での「振付」(だからインプロ上達のためには、振付作品を多く踊るのもいいのだとか)。アイディアをそのまま出さない。動きながらも「練る」ことを考える。観る人にとってはすべてがアウトプット(結果)。アイディアだけを続けざまに出しても、観る人は疲れてしまう。インスピレーションからの洗練・発展を考えながら動くこと。
3)自分が一秒前にやったことのなかにネタがある
自分の動きの後ろから探す。自分の動きによって生じたもの(身体の感覚、その動きが描いた線、イメージなど何でも)から次の動きを起こす、という自分を楽にするためのインプロテクニック。自分が一秒前にやった動きのなかに遊べることがある。
4)pieceとして達成すればよい
自分はやりきってなくても、ピース(作品)として達成できていればよい。グループの幸せ、ですな。グループの幸せを追求しつつも、自分も幸せになることをあきらめない(不幸にならない)、自分を犠牲にしないという感じ。
やはりこういうこと(ダンスなりインプロなり)をしようと思う人は「出たい人」なので、場に出ることは経験を問わずひるんでないというか恐れがないように見えるが、「出たいから出る」っていうんではだめで、その場に自分の存在が必要なのか、自分が出ることによって効果が上がるのか、自分がそこでやりたいことがあるのか、といったことを瞬時に検討したうえで出るべきだと思う。厳しいようですが、お金を払って来てもらう「舞台」ということを考えるとなおさら。
5)ツボを押さえる
グループに自分の動きを伝播させたいとき、「ここでやるべき」という場所がある。マッサージでいうツボを押さえないと、神経に届かない。つまり伝わらないので、「ここでなきゃ」という場所を勇気をもって押さえてアピールするべし。
6)自分が思っているより長く
相手にからんで巻き込もうとするとき、相手がなかなかとってくれないとしても、粘ったほうがよい。自分が思っているより長めにやってみる。あと、「あそこはもう少し長くやったほうがよかった」と言われたところもあったので、自分が思うより長くやってみる。
7)再び音楽との距離
人のを見ていて思ったが、音楽とあまりに合ったイメージの動きをしているとしっくりはするのだが、見る側として「先が読める」ということもある。チャレンジだがそこは裏切ってみてもいいのでは(あっさりはけるとか)。
8)関係性
これも人を見ていて思ったが、「わかりやすい関係性」をあえて見せることはないのでは。自然とそうなったならいいけど。フレンドリーとか、対決とか「説明的」になってしまうと、そこはダンス的でなくなる気がする。重くなる。
最後のピースを2組でやったとき「無駄なことをしてない。場の取り方が見事」とほめられた。「見習うべき」とまで言われて嬉しかったです。中年は若い子みたいに後先考えずに動けないのよー、最小のエネルギーで最大の効果、みたいな。というのもありますが、場にある動きが過剰でないかどうか、いるべきところに人がいない、とかいうのは見て動いている。「見やすく」していかないと、見る人はつきあってくれないとも思うし。これやってて「場に誘われている」という感じがわかった瞬間もあった。
グループインプロの肝は何より「空間意識」だと感じる。
WS期間中、なんだかお腹がすいて、やたら高カロリーのものをとっている。帰りにアイスクリーム食べに寄っちゃったし。でもこういうことに没頭できるのは本当に幸せ。ふだんだったら日曜は寝てるのに。私にとってハリのある生活とは、作品が至上であるまさにこのことでしょう。こんな日々が続くなら、クスリいらないかもしれない。
NOT「存在と時間」、タイム&スペースのこと。DAY 2 (13:00~18:00)。本日は「空間と時間の意識をテーマにワークショップ。「ダンスにいちばん大切なのは、空間の意識」と先生。私もそう思う(それと、身体意識)。時間を意識するってより難しいな。
昨日、「己の幸せよりグループの幸せ」と書いたが、どうもそれもちょっと違うらしい。というか、そればっかりでもない。というのは、今日はミュージシャンが入り、生演奏(とか「しゃべり」。これが異様に面白かったの)で動いたんだけども「音楽を含めた空間」がグループになると関り方が無音のときと条件違ってくる。
1)音楽との距離
音に動きの主導権を渡してしまうと、(別にダンサーに合わせて弾いてくれてるわけではないから)途中で迷子になる。動きの始まりは自分の身体(OR自分の音楽)で起こす。
音楽に依存しない。まさしく「孤立無援」のとこから始めて存在して、ときに音を借りたり乗せてもらったり、でも基本的に「孤立無援」、インディペンデント。だからといって関らないわけでゃない。
グループが面白く作用してたとき(私はなかにいたのでわからなかったが、そうだったとか)、ミュージシャンの方が「音楽と動きの距離感がよかった」とおっしゃっていた。
これは音楽との関係だけでなく、グループ(他の人々)との関りについても同じようなことがあるようで、あまりにまわりを伺い過ぎてもつまらなくなるというか、何をやっていいかわからなくなってしまう(「迷ってるのが見える」と言われた)。
「自分の道を切り拓いてゆく(やりたいことを通す)」と「空間を意識する」の2つかも。
2)音楽にダンスは勝てない
空間が音楽だけでじゅうぶん満たされているように感じる瞬間もある。持続する力としてダンサーには限界がある。だから同じフィールドでたたかわない。
3)観客はしばしばダンサーの先を行く
ダンサーの動きの先を予見して観ている(予見できるような動きをすると、必ず先回りされる)。観客がダンサーと同じ時間で見ている(一緒にいる)といいよう。
4)動きの始まりと終わりをつける(やり切る)。
みんな昨日とずいぶん変わったと感じた。なんか楽しみになってきました。
今日は誕生日だけれど、とにかく今週はグループ・インプロで身も心もいっぱいで半ば忘れてた。でもこういうことに没頭できるのは幸せ。半日稽古で誕生日過ごせるのは幸せ。「よかったですよ」って先生に言ってもらえたし。スタジオから出たら、Happy Birthdayのメール届いた。電話ももらった。誕生石のペンダント、できあがったので受け取りに行く。いいお誕生日だと思う。糖分補給も必要だし、バースデーだから苺のショートケーキを自分に買って帰る。面白いものをつくってゆきたいです。
昨日、「己の幸せよりグループの幸せ」と書いたが、どうもそれもちょっと違うらしい。というか、そればっかりでもない。というのは、今日はミュージシャンが入り、生演奏(とか「しゃべり」。これが異様に面白かったの)で動いたんだけども「音楽を含めた空間」がグループになると関り方が無音のときと条件違ってくる。
1)音楽との距離
音に動きの主導権を渡してしまうと、(別にダンサーに合わせて弾いてくれてるわけではないから)途中で迷子になる。動きの始まりは自分の身体(OR自分の音楽)で起こす。
音楽に依存しない。まさしく「孤立無援」のとこから始めて存在して、ときに音を借りたり乗せてもらったり、でも基本的に「孤立無援」、インディペンデント。だからといって関らないわけでゃない。
グループが面白く作用してたとき(私はなかにいたのでわからなかったが、そうだったとか)、ミュージシャンの方が「音楽と動きの距離感がよかった」とおっしゃっていた。
これは音楽との関係だけでなく、グループ(他の人々)との関りについても同じようなことがあるようで、あまりにまわりを伺い過ぎてもつまらなくなるというか、何をやっていいかわからなくなってしまう(「迷ってるのが見える」と言われた)。
「自分の道を切り拓いてゆく(やりたいことを通す)」と「空間を意識する」の2つかも。
2)音楽にダンスは勝てない
空間が音楽だけでじゅうぶん満たされているように感じる瞬間もある。持続する力としてダンサーには限界がある。だから同じフィールドでたたかわない。
3)観客はしばしばダンサーの先を行く
ダンサーの動きの先を予見して観ている(予見できるような動きをすると、必ず先回りされる)。観客がダンサーと同じ時間で見ている(一緒にいる)といいよう。
4)動きの始まりと終わりをつける(やり切る)。
みんな昨日とずいぶん変わったと感じた。なんか楽しみになってきました。
今日は誕生日だけれど、とにかく今週はグループ・インプロで身も心もいっぱいで半ば忘れてた。でもこういうことに没頭できるのは幸せ。半日稽古で誕生日過ごせるのは幸せ。「よかったですよ」って先生に言ってもらえたし。スタジオから出たら、Happy Birthdayのメール届いた。電話ももらった。誕生石のペンダント、できあがったので受け取りに行く。いいお誕生日だと思う。糖分補給も必要だし、バースデーだから苺のショートケーキを自分に買って帰る。面白いものをつくってゆきたいです。
ハッピー・クリエーション・ウィーク!
2009年1月23日 ダンスもの今日から次の週末にかけてグループインプロの作品をつくり、発表するワークショップに参加します。DAY 1(19:00~23:00)。気づいたことなど以下メモ:
1)己の幸せよりグループの幸せ
当然といえば当然なのだが、個人のパフォーマンスより、全体としてのパフォーマンス、総合得点がものを言うんだと思う。しかしそのうえで自分の野望も実現させたい。自分としてはなんか今日は全体のバランスを気にするほうがウエイト高くて、もっと自分のやりたいことやってもよい気がする。
2)「何を」より「いつ、どこで」
身体が利く人が高度っぽいことしてても、あるいはありがちなコンテっぽい動きを出しても効果がなかったり、面白くなかったりするのは、タイミングや空間のとり方が違うのではないだろうか。(全体に「わっしょいわっしょい」な感じがあったり)
もっと「ふつうでいいのに」「何かしようとしなくていいのに」と思う(これは舞台を観てたりしててもよく感じることだが)。舞台とされる空間における動きがいちいち「ダンス的」なものでなくてもいいはず(足上げるとか、つま先がポイントになってるとか)。グループとしての絵において、そのときもっとも有効なタイミングや場所をはかって動けば、なんでもないふつうの動作でも見せるものになるのではないだろうか。
「何をするか」より「いつどこで(動くか)」が大事、と思ってやってみる。
3)センサー上げる
グループで起きていること、自分の動きのなかで起きていることをしっかり感じること。飛ばさないで、リアルに感じとろうとすること。しかし全体を目で見て把握しようとすると、決まった場所(舞台奥とか)に行きがちだったり、あるいは自分の動きによっては目で確認することが難しかったりする。だから、視覚以外でも(たとえば後ろ向きでも)とらえられるように自分のセンサー感度上げる。
もっと力抜いて動けるはず。呼吸もする。
えー、なんか女子校な雰囲気(笑)です。わたし経験値あがってた。
1)己の幸せよりグループの幸せ
当然といえば当然なのだが、個人のパフォーマンスより、全体としてのパフォーマンス、総合得点がものを言うんだと思う。しかしそのうえで自分の野望も実現させたい。自分としてはなんか今日は全体のバランスを気にするほうがウエイト高くて、もっと自分のやりたいことやってもよい気がする。
2)「何を」より「いつ、どこで」
身体が利く人が高度っぽいことしてても、あるいはありがちなコンテっぽい動きを出しても効果がなかったり、面白くなかったりするのは、タイミングや空間のとり方が違うのではないだろうか。(全体に「わっしょいわっしょい」な感じがあったり)
もっと「ふつうでいいのに」「何かしようとしなくていいのに」と思う(これは舞台を観てたりしててもよく感じることだが)。舞台とされる空間における動きがいちいち「ダンス的」なものでなくてもいいはず(足上げるとか、つま先がポイントになってるとか)。グループとしての絵において、そのときもっとも有効なタイミングや場所をはかって動けば、なんでもないふつうの動作でも見せるものになるのではないだろうか。
「何をするか」より「いつどこで(動くか)」が大事、と思ってやってみる。
3)センサー上げる
グループで起きていること、自分の動きのなかで起きていることをしっかり感じること。飛ばさないで、リアルに感じとろうとすること。しかし全体を目で見て把握しようとすると、決まった場所(舞台奥とか)に行きがちだったり、あるいは自分の動きによっては目で確認することが難しかったりする。だから、視覚以外でも(たとえば後ろ向きでも)とらえられるように自分のセンサー感度上げる。
もっと力抜いて動けるはず。呼吸もする。
えー、なんか女子校な雰囲気(笑)です。わたし経験値あがってた。
・まだ始まってもいないのでチラシもない。かろうじて一枚もってたチラシをカラーコピって「よろしくお願いします」って配る。
・先生は件のダンサーと知り合いだそうで「よろしく言っといて」とのこと。…承りました。あのー、せめて「ガンバレ」とかはないんですか、ってちょっと思った。
・コンタクトインプロ。下じゃなくて、後ろのほうへ、背中で(コントラクションするみたいに)押す。腕を、ひじもつかって自分を引き上げる(結構、身体-上体-を使う感じ)。足も踏みかえる。このへんみっちり教わる。
・クラス友と話す。私もそういうふうに感じてたので、ちょっと驚いたというのもあるし、同じ思いの人がいてほっとしたというのもある。(ざっくりした言い方だけど)そりゃ他にもいろいろあるんだろうと思う。status quoじゃなく、それこそ「引き上げ」ていく運命の場だと思うし、それは結構なハードワークだと思う。
・落ち込んでもいいから、「止まらない」。では、いってきます。
・先生は件のダンサーと知り合いだそうで「よろしく言っといて」とのこと。…承りました。あのー、せめて「ガンバレ」とかはないんですか、ってちょっと思った。
・コンタクトインプロ。下じゃなくて、後ろのほうへ、背中で(コントラクションするみたいに)押す。腕を、ひじもつかって自分を引き上げる(結構、身体-上体-を使う感じ)。足も踏みかえる。このへんみっちり教わる。
・クラス友と話す。私もそういうふうに感じてたので、ちょっと驚いたというのもあるし、同じ思いの人がいてほっとしたというのもある。(ざっくりした言い方だけど)そりゃ他にもいろいろあるんだろうと思う。status quoじゃなく、それこそ「引き上げ」ていく運命の場だと思うし、それは結構なハードワークだと思う。
・落ち込んでもいいから、「止まらない」。では、いってきます。
発表会に出ないので火曜のレッスンも出づらさ満点。そしたらリハは後ろの20分に区切り、あとは通常のレッスンにしてくれていた(本来はこうあるべき)。「発表会ナンバー」にはことさら辛らつな私だが、見てたらすごくいい。ぐっときたよ。先週のそれぞれがソロをとるのも悪くなかったけど、大幅に変えてずっとよくなってる。忙しいのに時間がないのにさすがっす。その「総とっかえ」をこなしてるみんなもすごいけど。先週、先生がこだわっていた最後のハケの部分、こういうのはイメージをしっかりもって振りつけないと、ださださになってしまうと思うがそこが特にいい。余韻があって心に残る。床から立ち上がるところの、細かいダメ出しとか聞いて、この人ほんとにセンスいいんだな、と思った(前半のレッスンも面白かったし)。こういうところを(と書いてもわかりにくいが)ていねいにやってくれる人ってなかなかいないです。でもそういうとこからいい作品ができる。先生とやり合ったりもしたとか。こういう作品で発表会出るならいいなー。身体がきくのってうらやましい。発表会メンバーの、あまり親しくない人にも思わず「すごくよかった」って伝えてしまった(喜んでた)。この時点でこの出来ならこれは楽しみ。どんよりしてましたが、いいものを観て気が晴れた。私もがんばろう。
関係ないけど、スカパーで映画をみてたら"bitch"に「ババア」って訳がついてて感心した。なるほど。
関係ないけど、スカパーで映画をみてたら"bitch"に「ババア」って訳がついてて感心した。なるほど。
・ペアになった相手の動きを読む、ということが苦手で「やらなきゃ」と思うけど読めないわからない、頭まっ白になる。「やらなきゃ」と思ってしまい自分で自分を焦らせる。相手がいるのに、まかせる加減がわからない。とにかく自分(ひとり)でやらなきゃ、になる。センサーオフ。
・「コンタクトインプロ苦手」の周辺には大きなメンタルブロックでーんと道をふさいでる気がする。この辺のボタンへたに押すと、自分が崩れちゃいそうな気もしてさわりたくない。
・でもここで、「あーそうかわかった」と身体に落ちたあかつきには、目からウロコどころではない気もする。
・人間、基本的にソロをとれるようでなければ(ダンスだけの話でなく)、と思うが、わたしも人と関って動きたい。動けるようになりたい。
・泣くのも倒れるのも立ち直るのもまた倒れるのもひとり、慣れたけど、けどでもなんでもひとりで抱えるのほんとうはいやなんだよ。
・難しくて(他のみんなはなかなかいい感じなのに)しょんぼりしてしまったが、先生だけでなくクラス友も自分を見ていてくれたりする、というのはありがたいことなのだった。
・「コンタクトインプロ苦手」の周辺には大きなメンタルブロックでーんと道をふさいでる気がする。この辺のボタンへたに押すと、自分が崩れちゃいそうな気もしてさわりたくない。
・でもここで、「あーそうかわかった」と身体に落ちたあかつきには、目からウロコどころではない気もする。
・人間、基本的にソロをとれるようでなければ(ダンスだけの話でなく)、と思うが、わたしも人と関って動きたい。動けるようになりたい。
・泣くのも倒れるのも立ち直るのもまた倒れるのもひとり、慣れたけど、けどでもなんでもひとりで抱えるのほんとうはいやなんだよ。
・難しくて(他のみんなはなかなかいい感じなのに)しょんぼりしてしまったが、先生だけでなくクラス友も自分を見ていてくれたりする、というのはありがたいことなのだった。