・ひとりぼっち。

・別なアウトプットがあるのは助かる。

・目をつぶってコンタクトすると、(目をあけたときに比べて)圧倒的に落ち着く。やらなきゃ感がないので、楽しい。

・もともと何につけ緊張度が高い。「よく知らない人と身体を密着させて動かねばならない」ということの緊張とか戸惑いは何度やってても私はある。それをなかったことにして、すみやかにインプロれるのか、という疑問はあるのだ。

・果たしてそれ見なくていいのかな?イニャーキ観て感動したこととも通じるような気がするんだけど。

・「おとなしく枯れていれば安心する人もいるんでしょうけど、あたしは他人を安心させるために生きているわけではありません」小説家である「八十六歳の老女」の言葉(桐野夏生「IN」より)。
「ダンスが見たい!12」(柴崎正道「ウィトゲンシュタインの落とし穴」/JOU「MIZOU」)

ダンスって何を見せているのか?
何を見せれば(よい意味で)「見せ物」になるのか、いつも考える。

今日、観ていて「時間」だと思った。私たちはこの人のつくる「時間」を観ているのだと思った。

この人を観たのはもう15年以上前かもしれない。私がコンテンポラリー・ダンスについてほとんど何も知らなかった頃、知人の勧めで確か場所はここだったと思うけど、あまりに鮮烈だったので今でもよく覚えている。

最初のシーンで椅子に座り、前を見据えていたんだけど、カットインで明かりがついて、微動だにしないその姿に空間までかっと凍りついていたように見え、すごく驚いた。忘れられない。

今日の作品は、若造がするようないわゆる大技はないんだけど、繊細で不思議な質感の動きの連続に見入ってしまう。やっぱり空間も連れて、コミで動いているとことか、こういうintricateな動きは身体のコントロールがスーパー利いてる人でないとできない(見せるものにならない)。

45分、飽きなかった。30分でもつまんないときはつまんないし、観客の忍耐試されるのかな、なーんて思ってたけど全然。ひきこまれてあっという間に終わってた。

うちの先生、比類なく日本一と私は思ってるけど、この方も凄い。それでいてなんか「つーん」としてるんじゃないんだよね。ブラボーもんですよ。WELCOME BACK!

思ったTIPS:
*この前つくってたときも思ったけど、やっぱり「動きゃいいってもんじゃない」。
コントロールされた時間のなかなのだから、自分で何やってるのかわかって動くこと。

*自分のなかでつながっていること。

=============
JOUさんもなかなかよかった。長い手足、ハリガネのような身体に小さなお顔。身体だけで面白いというかうつくしいのだし、もっとやらなくていいんじゃないか、と思ったりもする(これよくダンス観てて思うことだけど)。

音(ノイズや駅アナウンス)の使い方素敵。でんぐり返り一周して、はけてまた戻ってくるやつラブリー。最後に映像(8ミリ?)の前で動くところ、なまめかしくてよかった。

終日ハイチで3日目ほとほと気が滅入ってたまらなかったのだが(てか夏越えて秋先までほぼ在ハイチでどうするよ?もうほんと「無理」って思ったあの雰囲気)、すっとした。アフタートークもついて、良心的なお値段(前売り2300yen)。優良企画です。
「やるしかない」とか書いておきながら、稽古にスピーカーを忘れて音が出せない。お腹にiPodをはさんで動く(意外と落ちない)。だいたいの構成と音をおさえる。世の中にはいい音がいっぱいある…。私がマイティ・ダンサーであればこれからの作業はとても楽なのですが、それどころではないのでまだまだ安心できません。これからです。

朝から検索運あり「どうなの」と思っていた論文が案外ヒットで、そこから芋づる式にいろいろ見つかった。検索語のヒントも。面白い情報があったのでL(1点集中すると他は見れないタイプ)に話しかけるがノリが悪く、つまらない。そもそもあなたの仕事を手伝っているのですが。

今日は課のほぼ全員が出てきていて、昨日の「スイカをいかに使うか会議、8月」でも思ったけどメンツが濃いぃ(濃過ぎる)ので全員はいなくてもいいかとか。ふつうにあっさりとはいられないんでしょうか。

ここの人たちは集中するともう受信しない(集中してないときはないので、イコールいつも)ので、私も壁をつくってそのなかで生息する。私なんか眼中にないだろうから、思い至らないだろうというか、もともとそういう人と思われてるかもしれないけど、ここにいるために、結構がまんしたり、感情のコントロールしたりしているのです。気軽にふつうの話ができる環境いいなあと思うけれども、さびしいけれども、でも職場として恵まれているほうだと思うので働く。
・ベタな話ですが、週末のスタパにしてもそうだけど、ダンスを通して人と関わったり出会えたりするのって幸せだなと思う。

・私はあまりしゃべらない(なおかつ口数は少ないのに、言いたいことは言ってしまったりする)し、愛想ないし、要するに社交的では全然ない。それでもダンスを通して人とつながりができる、ということがありがたいです。なんか、すごく嬉しいと思った。

・今日はさすがに激ねむ、リポD飲んでいったものの無駄な抵抗だった。職場のみなさんごめんなさい…。

・久しぶり再開のクラス。2週あきくらいなのでそう長くはないブランクだったのだが、自分がジャズだのソロリハしてたせいか久しぶりに感じる。身体のみで説得力ある人になりたい。

・今日からほぼ在ハイチ、派遣会社も変わり、明日からソロリハ1本。やるしかない、ということです。
ふだんレッスンで使うスタジオの半分を舞台エリアにし、更衣室を楽屋にして使う。こじんまりだけど出演ダンサーは上手な人ばっかです。通しのときにも書いたけど、加えてお美しい方ばかりなのだ。楽屋も狭っこくクーラーのないところに10数名が詰めており、公演回数の多さよりもむしろ待っている時間のほうが疲れた。

袖というか単なる廊下で出待ちをしていると、決まったタイミングで決まった人々が通り抜ける。ぶつかったり、ここで時間を無駄にロスしたりしないように、通行をMAX制御するわけだが、こういうことってすごく面白いと思う。

いつのタイミングか忘れたけど、私たちの作品のテンポのいい曲で、次のナンバーの出待ちをしている姉さんが踊っているのをふと見てなんか嬉しかった。

私たちの作品日はバーゲンセール会場で福袋を賭け死闘を繰り広げるというザ・ジャズダンス(笑)。真っ当にカウントとって踊るの久しぶりですよ。振り覚えの悪い自分で誠にゴメンナサイ。

踊りよりも演技のほうが多いということは、それはそれで難しく(スローモーションは特にもっと練習してこなれるべきだった)、同時に小道具(福袋や散乱する服など)の多さに気をとられ、どちらにしても慣れるのに時間をかけたかったというのはある。

こういうエンタメ要素の強いもの(ショー的なもの)は、ふだんダンスを観ない方にも楽しんで頂けるようで新鮮だったのだが、それだけに「わかりやすく(見やすく)」しなければいけないのだと思った。

私はかっぽう着て踊る主婦(母)の役でした。そんな格好でデパート行くか、って話だけど。この母ソロは使ったテーブルを下げる段取りとして表面を拭く、という振りがあとについているのだが、これも

 「(拭き掃除)の始まりと終わりをちゃんとつくって、見せる」

ことをしないと、意図する面白さが伝わらないのだと本番の最終回になってやっと気づいた。

「見せる」ということも、たぶんこちらで思うよりも時間をかけて見せないと、見ている人はわからないのだと思う。

偶然、いらしていた知人ダンサー(前に通っていたジャズのレッスンでアシスタントをされていた方)に「はっちゃけてていいけど、もっとやっていいと思う」と言われた。

そうです。キャラの表現にしても、もっとやれたんだと思う。どのくらいやれば大きくて、見やすいのかまだよくわからないので、わかって大きくできるようになりたいと思う。

私がイイ!と言われたのはこの拭き掃除のところと、ゴスロリ少女のかめはめ波にやられてすこーんと気絶するところ(なんのこっちゃ、なストーリー)。小技もともかく、本質的なダンスの部分でもっとしっかりとしたいです。

一緒に踊ったメンバーのアイディアと行動力、前向きな姿勢には感心したし、大いに助けられた。ありがとうございます。チームワークが生まれてきた頃に解散なのがもったいないような。

見てくださる方、見て感想をくださる方に感謝。その方々のおかげで強固になると思った。勉強になる。ありがとうございました。
スタジオパフォーマンス本番その1。土日で5公演(+ゲネリハ1)もあるのだ。

見られることによって作品は成立する。

これ前にも書いたけど、舞台に出てみると実にそう思う。

本番を重ねるなかで推敲していくのだがやはり効率がとてもいい。

本番てやっぱり楽しい。

疲れちゃって帰りは地元の駅からバスに乗る。続きは明日。明日もがんばりましょう。

T.IP

2010年7月30日 ダンスもの
4ヶ月、怒涛の面接デス・マッチと体力勝負のリモデル大作戦の3月を入れると5ヶ月、あっという間で私の仕事の様相もすっかり変わった。またその隙にセクションはハイチにとばされてもいたんだった。会う人の数と種類が飛躍的に増えた。上手に会えてないと思うけれど、自分の勉強にとてもなっています。無事に1期終了。誠にありがとうございます。

こんなこと言うと眉をひそめる向きもあるかもしれないが、仕事というのも一種のcrazeだと思っていて、さらに別なcrazeであるダンスの明日はもうあっという間に本番である。
来月からはしばらく外出できない。新宿でお昼を食べて帰ることにする。エスニック料理の店で、アイスコーヒーはグラスの底にコンデンス・ミルクが注がれていた。2日ぶりでハイチ・オフィスへ帰る。「8〜9月はここで働きます」メールを課内に出したら(外出するときはお知らせするきまりなので、そのついで)、Sから「会える日が増えるのは嬉しいことです」とお茶目な返事。課長はもともと気配りする人だが、ひょっとして余裕がでてきたのかなと思った。

夜、ソロリハ。もうなんも考えられない(てか、考えすぎ)、これムリなのかーと突き当たりかける。音をかけて、ただじっと立つ。そしたらわかった。これ、というときは、「あー!」とぴんとくる。自分でも面白いと思うから。

安い靴

2010年7月28日
一昨年だったか買った、ブロンズのヒール付き夏サンダル。今日はじめて履いたら午後になって足がこんこんと痛くなってきて歩けない。おまけにパーツがはがれてくる。安物を買うとこんな目にあうのね。私のでか足もヒールつきのおしゃれな靴をたまには履きたいのですが。客先に行くと、そこからうちに帰るまでふつうに歩けて徒歩のパートが30分はある。歩いては休みで倍の時間をかけながら、こんな苦行をあえてまた好んですることはないだろうし、例によって荷物も多いのですが、えい捨ててしまえと怒りながら考え、帰ってそのようにしました。

みじかい一日

2010年7月27日
有休いただきました。通販で買ったハンガーラック組み立てたり(約2時間、キャスター取付はお手上げで放置)、それを置くのに部屋片付けたり、コンタクトレンズを新しくするのに眼科に行ったりしてたらあっという間に終わってしまった。ほんとは2年も前に検眼に行かねばならなかったので、今日よく行けたもんだと思う。てっきり悪くなったと思っていたが、度は進んでいないのだそうだ。身の危険を感じるくらい暑い、ような気がする。水とか水分をとにかくとっとく。夜はソロリハ。
やっと面白くなってきた!今日も入れて、リハあと3回。もやもやしたまんま本番に突入してしまうのか…と思っていたら、みなさんの創意工夫&キャラクターのおかげで小物問題はクリエイティブに解決(課題をクリアすると同時に面白い、という素晴らしさ)しつつあり、かつやりにくかった箇所も整理し取り組みやすくなったので、だいぶほっとした。世界がタイトになってきたと思う。さらに見えやすく!がんばりましょう。23時まで。
仮にも英語関連の仕事をしていながら、前世紀の英検で無理やりひっぱってきた私。ですが天下のTOEICをようやく受けてみる。

リスニングのパート2は質問・答とも書かれておらず、例えば「午後の会議はどこでやるんだっけ?」(なんとなくこういうノリという程度の例:英文)という問いに対して3択で「1階奥の会議室です」(英文)という質問と対になるような答を選んでいくもの。←な程度ならわかりやすいが、だんだん「今日のプレゼン誰がやるの?」に対して「プレゼントは父からです/ジョーンズ氏は多忙です/誰だったか忘れた」というセットのなかから選ぶ(この場合、答は3番目。これも私が適当につくった例なので、あくまで「こんな感じ」という参考です)というようなヒネリがかかってくる。こんなの聞き続けていると、頭が飽和してくる。

パート3、4と進むと確かに設問を先読みしてかないと理解しきれない。情報処理が間に合わない。慌しさが加速してくると、なんかこのあたりから軽く絶望(「うわん、もう無理」という)がすり寄ってきて、それとの闘い(「がんばれ、自分」という)…てなスリルとサスペンス(笑)。冗談でなくやはりこの時間だけは、気合入れないと2時間完走できないです。

TOEICは全体の流れもそうだが、パート内でも序破急があるように感じる。最初はやさしいと思っても、次第にジェットコースターでじりじりと上っていくかのような展開になってる。「音楽的」なつくりなのにはちょっと感心した。

通しで問題を解いてみると(つまり試験勉強らしいものはついにしなかったのだが)、「話されていることを理解する」「書かれていることを理解する」、すなわちある言語(ここでは英語)の総合的な能力を測るというよりは、「理解力」を測る、独特のメソッドの試験と感じた。Aと表現されていることは、つまりどういうことなのか。Aを言い換えるならばどういう表現が可能か。変に枝葉末節をたずねるのでなく、「コミュニケーション・ツールとしての英語」の使い方を合理的に測るというか…うまく言えないけど、思っていたよりその発想はなんというか知的に面白かったです。

夜、通し。うちの作品で扱いを決めないまま小道具がやたらと増えていくのが気になってしょうがない。私だけ?今日も落ちたり、取り落としたりしていた。自分の振りで小道具まわりのダメ出しされたけど、そもそもそのメインの小道具をこの期に及んで用意してないんだから、扱い方も決められないではないか(怒)。

なんでやらないんだろう、こういうことを。理解できない。若い子はちゃんと素直に聞いてて偉いなと思う。私はこのゆるさにいら立ってるけど、人のせいにしてもしょうがないので、やらねば…。こういうことがしっかり決まってないので、集中できないんじゃないか。23時まで。

外付けHDDを買ったということはもう空きがないからで、苦肉の策でクイックタイムを削ったらそれがないとアイチューンズが開けない、ということに帰ってから気づいてしょっく。それでアンインストール&再インストール。なかなか早く寝れない。

研究会

2010年7月24日
午後、仕事。春に初めて出たときに比べると、参加者の方々それに同行の人たちとのなじみ方が違う、と感慨もある。寝ずに起きていられてよかった。というかなかなかためになり、面白かったな。Lとアルバイトの方々が発表、諸々の理由で彼は本領発揮してないふう。帰って外付HDDを取り付けるがこれが思っていたより難航。

赤い縞

2010年7月23日 ダンスもの
今日は客先で一日。顔を覚えてくださったのか、いつも通る道で年配の交通整理係の方がねぎらいの言葉をかけてくれる。お互いに「暑いから気をつけて」と言い合う。ハイチはこういう交流がないので、素直に嬉しい。

帰りに美術館へ。ダンス@建築インスタレーション。場所が場所だけに、スタイリッシュな仕上がりかと思っていたら、いい意味で裏切られた。出待ちをしながらストレッチしているところ、ダンサーの身体が重く見える。なまなましい。リアル。この人のいいところは、ちゃんと重みがあるところだ。

作品1、音もいい、かっこいい。作品2、机を使ったこちらはもっと詰めようもある印象。あとで気づいたが、この光量では身体がつくる小さな空間(たとえば腕と脇がつくる空間とか)や、身体や顔の表情がわからない。自然光で観る場合と、こちらで受けとれる情報量が明らかに違うのでその辺がハンデなのか?尺なのか動きの問題なのかよくわからないけど、ちょっと伝わりづらい。でもやっぱりこういうのは、観ていてすっとする。新しいことに挑むアートはよいです。本編の日は私は行けないんだけど、面白い試みになりそう。


2リハ

2010年7月22日 ダンスもの
個人リハ。文字通り頭をかきむしる。「煮詰まってる」と言いたいが、そこまで詰めてもいない。移動してスタバリハ。みんなまじめにやっていること。そして己に厳しい。私ここでもへたくそ。しょんぼり。てかダメ出しは本人がやるべき。弟子(?)にやらせてないで。早く上げて、ちゃんと見てほしいと思う。23時まで。会社、さびしい。なんかつらいな…。

とけるながれる

2010年7月21日
暑いっ。暑さで化粧が流れる。でも直す気力が。以前よりよっぽどちゃんと服を選んで着てますが(去年は服を着てなんとか人の形になるだけで精一杯だった)、ここの人誰も見てないし。いっそ着てなければ見るんじゃない。一応。毎度言ってもせんないことだけど、さびしいです、ここ。キライじゃないけど、さびしいっ。そう見られてないようだが、私は実はサビシイ耐性が低いのだ。でもそれは例えば編集のセクションに行って「字を読むのキライなんです」と言うのと同じようなことなので言えない。8,9月はここにべったり通わねばならんかと思うと気が重い。それが通勤の本来のありようではあるのだが。
寝てて熱中症になるってある?異様に暑くて寝られない。が、起きる気もなくうだる。うち、38度くらい行っちゃってるかもしれません。

夜、児童館を借りる。この夏もよろしくお願いします。絵はつくってみたが、なかなか動けない日。

家から手紙が来て、読んでたらかーとなってきて、返事をメールで書く。よい子の依存症の娘は、長じて親をイタイ目に合わすことに伝統的になっています。
友人と食事。神楽坂のコンビニで、おいそれとタバコは買えないことを知る(結局、飯田橋で買えました)。

自分が今いる場所。力技で自分をぎりぎりとねじこんだわけではなく、もろもろ「相手」の需要なり状況なりのかけあわせがあってこそではないだろうか、とふと思う。まさしく自分と他者のケミストリー。こういうこと言うと「就活業界」の人はヤかもしれないが。自分の持てる力だけではなんも決まらない。世界の需要なり欠落なりがあって自分がそのときその場にいてうまいこと流されるとそこに漂着する。自分の力のみならず、自分の欠損だけでもすべては決まらないのだ。なんかすごいと思うね。

似たようなことはダンスの人からも聞いたことがある。自分ひとりで動くのではない。空間における自分の身体。自分がシステムの一部として存在し、そのなかで紡がれる(≒紡がされる)ダンス。すごく考え方変わると思う、とその人は言っていた。
よるおそランスルー(通し)。

他チームの作品を初めて見る。前にも書いたけど、ここはほんとに上手な人多いし、若いし(20代ですか)、さらにキレイな人が多い。マジョリティかわいい、と言える。なのになんか見ていて「宮廷の余興?」ふと思ってしまった。なんでこっちに来ないんだ。かわいくて、踊れてるのに、来ない。自分は棚に上げてるけど、こういうの見てると、「ダンスって何なんだ?」と混乱する。まぁまだこれからだろうけど。何が足りないのか考える。「とどけー!」って勢い、要るんだと思う。

小道具を使うのは難しいということ。さばき慣れる必要がある。どうしても動きが制限されるので、「さばける」以上にならないと効いてこないのでは。それ以前に必然性をもって投入しないとやっぱこっち来ない気がする(思いつき、でなくて)。

うちの作品はこのなかにあって毛色が違うというか、(演出家の)眼中に入れてもらってないんじゃないの。でも悪くないと思います。やはり人に見てもらってこそ、作品に血が通うというもの。実際やってみて今日、「あ」と思った。ここから生まれる、ここが始まりだって。緊張したけど、人前でやって気持ちが入りました。「笑ってもらえるように」上げていこう。

生活音

2010年7月17日 ダンスもの
夕方、受けるこのBMレッスンの時間がすごく好き。横になって、車の音、自転車の音、人の話し声、扇風機の回る音をあえて聴く。

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