CICL ~直島ダンス編~
香川県直島でコンタクト・インプロのWSに参加してきました。

雨の音を聴きながら、じっくりコンタクトするのもいいものだと思った。初日は3分の2くらいひたすらコンタクト、ペアで組んでカウンターバランスや目をつぶって相手の身体に触れて感じるワークをみっちりする。こういうのは前より楽しめるようになった気がした。「ひざ、胸、頑張らないで力を抜くといい。そうしたほうが楽にできる」とアドバイスされた。それからこのカンパニーが参加する芸術祭の舞台となる元・診療所を探検。2日目はアップを1時間ほどで切り上げ、残りの時間は診療所でクリエイション。こういうことは2度目なので前よりできるかと思ったものの、自分でがんばっていた場所は却下され、振り分けられたグループでもなんか乗れず。他のグループの作品は面白かったと思う。よく考えつくなという。やっぱアウェイだなと。遠くから来てる人は他にもいるから、そんなの理由にならないんだけど。1日目はよかったのに、2日目はまって落ちてしまった。

Site-Specific 攻略Tips:
●初日のラストでやった、場所の一部でインプロするやつ。これやってすごくわかったけど、建物との関り方と、人との関り方は同じ。共通している。そういう考え方でやる。

●建物(場所)の細部にとらわれず、俯瞰して考える。場の特徴にこだわり過ぎず、大づかみにして見る。空間を上にも横にも、広くとって考える。音も光も空間の一部。

0710AM

2010年6月26日
羽田空港なう。お出かけダンスシリーズ第2弾。しょっぱなからターミナルを取り違えるというありがちなミスをおかしてみたわたくし、果たして集合時刻までにたどり着けるのか?!国内です。

ボルヴィック2本

2010年6月25日
朝晩の消費。好都合なことに終日外出、んな仕事もすっかり忘れてリハ。稽古の時間がけっこう無いのでしっかりやらんと!日付変わってこれから実家泊。着いたら深夜にもかかわらず狂喜乱舞するしばこ。いつもなら寝てるのにういやつ。

なぜ安定しない

2010年6月24日
渡された次期分の雇用契約書には「業務内容:OA事務機器操作」とある。「お買物」とか「力仕事」とか「もろもろ運営」はどこ?あまりにざっくりと現実と違うので笑いをかみ殺す。確かにパソコン使うにゃ使うけど。かなり大きな企業で昨秋に入ったときはこれで自分も落ち着くかなと思ったのに、気がつけばまた明日はどっちだ!てな感じになってる。そういう部署ってこの会社んなかでもあまりないだろうに、なんでまたよりによってそういうギャンブルなとこに入ってしまうのか自分。いつも思うが、ここの「人がいても、いない」ように振舞う無神経というか無関心というか、ずっと同じ顔ぶれなのに出張者の集まりみたいで、私も「頼れるのは自分だけ」みたいな構えがどうしてもここにいるには要る。スサんでる。疲れるっつの。Kから頼まれてた翻訳をやっと渡せてとりあえずよかった。この方のまーた微妙な案件にも最下層部分でなんかやることになるみたいです。今週はどうして気分がどことなく悲しいのかな。

packed

2010年6月23日
そのデパスをのんだら残って頭のしんがぐらぐらする。なんの役にたっているというのだろうか。早朝、Lからメールが入ってて午前中に医者へ行くというので、また倒れかかってんのか!と急遽ハイチは早めに切り上げ客先へ。なんのためにオフィス寄ったというのだろうか。途中でコンビニにてリポD的なものを買って安手のCMみたいに向かいながら飲む。仕事に関してほとんど唯一と言える自分のポリシーは「上司より先に倒れない」ということである。で行ったら「歯医者」だっちゅうので拍子抜け。一同、打ち合わさったら7月は何かとすることがある模様。稽古もあるですな。
外から帰ると遅いのでたいていハイチ・ビルでそそくさと遅昼にするが今日はしょげているので新宿でしっかり食べていくことにしパスタ屋に入ったらその店は飯食って会社に戻るわなんて人はあまりおられないような客層で私の隣のテーブルは若母3+子ども1のテーブルだった。高校生くらいだか20代の頃だか自分もふつうに(ってもふつう、てなんなのさ)結婚して子どもを生むのだと思っていた。30代でも結婚はするんだろうと思っていた。してないしそれに近いこともないというのは。ひょっとして自分…って思うようになったのは大学4年の頃だったと思う。まわりの子みたいにひるまず社会に出る準備ができなかった。その頃、荒れた。荒れ方がよくわかんなかったけど荒れた。あれが今の自分の縁(へり)の縁なんだと思う。うち帰ったらスカパーの映画でアン・ハサウェイ主演、依存症者を演じててなにげに観てたら刺さってきて痛、業界にいた頃、派手なアディクトが私は嫌いで、ドラマチックな自分のストーリーを語る語る、まわり巻き込んだ挙句にうまいこと男つくってとっとと回復だか幸せになってく。あほくさ。遅々延々とする自分。ちくしょ。ひとりでいることにもひとりで解決することにも疲れた。ただ生きてくことに疲れちゃった。私がダンスするようになったのは自分について言葉で説明することが、そもそも説明という行為がうっとうしくまた虚しくなったからである。というだけでもないのだが。衝動的に家に電話し大泣きする。聞いてて久しぶりに本気で泣いてる自分、と思った。自分の中身だか見てくれだかが決定的にだめだという思いから…ない限り逃れられないのか。くるしい。誰も見てない。失われることについて考え悲しくなる。ひたすら奪われる攻防。今の仕事は長期的な見通しが立ちにくく精神の安定は通常もたらされない。カリソメ感満載だがけっこー楽しい。デパスのんで寝よ。
・先週の3倍くらい人がいて、人が増えると場も変わる。ここは時に訳もなくブーストしたりするが、それもダンサー/パフォーマーな人ばかり。そのなかにいるということで、い続けるということで、そのなかで自分の居方を探すということで鍛えられてきたなあと思う。それで、今は居られる。

・古いWS知り合いに会う。どうしてるのかなと思っていたけど、話聞いたら活躍の場があるよう。私はそう話しやすくもないし、フレンドリーでもないのに、覚えていてくれたり声をかけてくれたり話ができるのは嬉しいし、ありがたいと思う。

・かたちでなくエネルギー。自分がするときも、substantialなものにするにはどうするか。

packin’

2010年6月20日
お出かけしたく中。あれこれ。部屋から見えないけど月はどっかに出ている。
音楽・作・構成・演出:小野寺修二+coba

cobaチームの音楽と小野寺チームのダンスによるコラボ・ライブ。机や椅子、タイプライターといった小道具を使った、あるいはコンタクトインプロを多用したテンポのよいダンスは演劇のようでもある。といえば氏の作品を観たことがある方は想像がつくかと思います(モノを使わずCIでもないやつは、PVの振付みたい、と思ったり)。日頃コンテンポラリー・ダンスになじみのない方にも大いに楽しめる舞台になっていたのではないでしょうか。(印象では、cobaファンと思われる年齢層上の人が多い客層。ふつうダンスの舞台に「アンコール」求めたりしないものね)

で、私も楽しいは楽しかったのだが、なんとなく「これってコンテンツというよりスタイルだなあ」と思ってしまいました。企画の性質によるのかもしれないけど、実を申せばcobaの音楽はsomewhat好きじゃない。そもそもな話ですいません。

ダンサー陣はとてもよかったと思う。身体が利いて、魅力的な人ばかり。ダンサーって足の裏をていねいに使う、とコマいところに感心。知り合いの男子2名が出演していたのですが、存在感があった。パフォーマーとして凄く成長していて「プロフェッショナル」なたたずまいだったのに感動した(私ごときが言うのも恐縮です)。個性が立っていたし、生かされていたと思う。
スタパの役は結局「普通の人」になりました。はーやりづらい。よくわかんない(振付家もわかってない)。でも今回これが山なのね。服から考えてみるかな(MUJI系)。よるおそリハ終わって帰るとほぼ1AM、なんか気力勝負だわー。
・(マネキンになるということは)STOPでなく、STAY.

・マネキン(人形)をやるとき、何かに「なる」という意識をもつことが重要。

・何かイメージをもつとか(しっかり立ってそうなもの;冬の枯れ木だとか)。私はダブリン、と思ってた。自分が人であることを消す、というような。

・こういう「意識の持ち方」といったことはここであまりやらないので集中した。私は「マネキン」ワーク凄く好きだけど、前にもやったのに難しい。つくづく面白い。

・つい安全圏でやってる。自分もっと攻めていかないと。

6月半ば

2010年6月16日
あと半分ある、落ち着いて。今日は蒸し暑い、って書いてみるとよけい暑苦しい。風邪気味なのか↓で、どうしようかと思ったが帰りにバレエ。しばらく行けなくなりそうだから。

note

2010年6月15日
5月は連休もあったしあんまり働いてないかと思ったら、結構がんばってたv。お仕事雑感節目バージョン。

「告白」

2010年6月15日 読書
湊かなえ作のミステリ。本屋大賞1位、「ミステリーベスト10(’08)」など受賞。

「映画化を待ってる本」読んでまず思いました。いい意味でなく、「言葉だけで完成してない」印象が強いということ。映画観てないけど、映像のクリエイターの手が入ったほうが、作品として満たされる気がする。

壊れている人、壊れゆく過程の描写がはっきり言って上手くない。「歪んだ関係の親子」という設定を「説明」しているだけ、な感じ。せっかくほとんどの登場人物が外れちゃってる人たちなのに、その書き方が平板なために起こるエピソードが利いてない。もっと書き分けることはできるのでは(でなけりゃあえてわざとデジタルにぺたっとさせるとか)。作者の関心はそこにないんだろうか。


《以下ネタバレあり》


アマゾン書評の「第一章が秀逸」というコメント、私もそう思う。そこで止めておいたほうが冴えた短編になってたかも。破壊力抜群のラストはいいと思うが、あるレビュアーが「牛乳に血液入れたり爆弾移動させたり、冷静なわりには先生の復讐が幼稚過ぎる気がする」と書いていたのには笑ってしまった。その通りだわ。
・ふだん足は支えるものなので慣れない考えだけど、支えないで流す。つまりエネルギーをとめないで進行方向へ流す。斜めに流して床へ。

・「浅く遠くへ」飛び込む。(=鋭角でなく)

・先週はワケわかんなかったけど、今週は入った!振り。ここで教わる「ダンス」はよそでやってる「ダンス」とぜんぜん違う。かたちでなく動きのエネルギーをぶんっと振り投げているような。こんなことやってると後者が小さく、枠のなかでやってるように感じる。すごく場所も使います。こういうダイナミクスを身体でやってみる(表わす)って、すごく気持ちいい!

・乙女系ダンサー君に「_さんは初めて会った頃(去年?)に比べてだいぶ身体がしっかりしましたね」と言われる。面と向かって言うので悪い意味ではないのだろうが「太ったってことでしょ」とまぜっかえす私。その辺の子も「えー太ったんですか?ていうより出るとこ出てる。グラマーな感じ」って言う。若い子に気を遣わせてどうする自分。件の男子は「普通になったってことですよ」とまとめてた(こいつ…)。

でもそうなんだよな。昨年はかなり精神的にやられてたので(まぁいまもヘルシーではないですが)身体もぎすぎすしてたらしい(というのも人から言われたんだけど)。そんなの経由で、今はなるべくして「しっかり」しちゃったんだと思う。無駄にガタイがよくなるのでなく、足腰しっかりさせたいです。

zz

2010年6月13日
寝てた。よくもこんだけぐっすり、と午後終わってた。いつもこれくらい寝れるといいなぁ。
「クスリのんでも何も変わらない」と言ってるのに処方しようとする医者。しにたいしにたい言ってるのに特にとめるわけでもなく。話聞いてない。しんでもしょうがない、こいつは、て思ってる。てか私の話なんて誰も聞いてない。それからBMへ行く前に手持ちをまぜてのんでしまったので、すごく眠くてすみません。身体はいいかんじらしいんだけど。このさびしさにたえられないわ。

よりどころなしか

2010年6月11日
仕事もダンスも落ち込む日。いいとこない。自分がついてる案件はおっけーなのだが、この職場は精神的にきついなぁ。私のような者だと患部直撃。簡単に生きてるのやめたくなってしまう。問題に直面して、いろいろあって乗り越えて、とか、なんとか解決しようとしてみて、とかそんなことの繰り返しが虚しい。ひとりでさばいていくのも心底つかれている。寂しい。けどどうにもできてない。そんな自分がだめと思う。ひとりでいるのがつらくて「…が終わったら」とか「…が…だったら」とか考えてしまう。この先、生きてていいことあるんですか、って訊いても無言。
・変化によって恩恵を受けていることもあるのだろうが、そうしたことよりも物事が不変でないということがつらい。自分にしっかりした拠りどころがかけているせいか、うつろうことにうろたえる。

・私はかなり頑固な拒食症者であった過去があり、体重が増えるのを許さないということは他の面での変化も1ミリたりとも許さないということだった。グラムか。

・今はもうその頃とはだいぶ身体も違っている。代謝もあがったし、太るようにもなった。といういうことは、変化をわりかし受け入れられる自分に案外なったりしてるのかもしれなくて、無理そうだったら「もうええやん」と言える自分も意外と近いのかもしれない(京都の人に教わったのでこういう言い方)。で、もうそんなに変化を前もって嘆かなくてもよくなったのかもしれない。とか思ったりもする。

・今は「かっこよく」「きれいに」というよりは、「強く」立ちたいという気持ちが勝ってる。それで結果的に「かっこよく」なってるとそれはいいんだけど。なのでお身体も堂々としてきているのかもしれないですね。

・オフバランスから床へ落ちる。そのとき足も手も「遠くへ」。手は自分の前に、遠くへ。床について斜めに流す。手で自分を支え過ぎない。その動きを上へ(立ち上がる方向へ)つなぐ。

・今日は3人。みっちり。部屋が広いこと。帰りにこの前のイニャーキ徹底分析、他のカンパニーの印象的な作品などダンス話、アート話をしてとても楽しかった。

・意味(logical;言葉的なもの)のフィルターを通さず、生理(sensualなもの)をそのまま差し出したからあれはとてもよかったのだと私は考えている。「でも生(なま)じゃないと思う。何かフィルターかかってるんじゃない」と。そうかも。ダンスの人で意味のフィルターから逃げて、訳わからなくなってる人は多い、とか。意味でないものを替わりにつかむとしても、その人(つくり手)だけのいわば思い込みでなく、共有可能なものでないと、と私。

・意味から離れて、それのみで立っていられるために。作品を貫けるだけの何か、って何か。

隣町バレエ

2010年6月9日
バレエ・チャレンジの4週目、ジプシー中。地元の小さいスタジオにちょいと行ってみる。バレエ的な身体の使い方が自分やっぱ頭に入りません。足が砂をつめた靴下のようだよ。やってれば足先キレイになるのかな?そんでも他のジャンルとはいえ経験には助けられてると思う。ここはラスト15分がポワント(トウシューズ)なんですが、ほぼ全員が履き替えていたのにはちょっと驚いた。あれは結構できあがらないと先生からお許しがでないもの、と思っていたので。私に言われたくはないでしょうが、身体がちぐはぐな方もおられます。そもそもな話、身体ってどこからつくっていけばいいんだろうね。来ている人たちは割と年齢が近く、アットホームな雰囲気。今日はぎゅうぎゅう気味、もうちょっと人数少ないといいのに(「今日は多いですね」とみなさん言っていたので、なぜか大入りだったのかも)。また曜日を変えて行ってみるかな。

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